日本は銃社会になりましたが私は元気です

哲学徒

第1話 警視庁刑事部第十三課

一人のスタジャン姿のショートカットの女が裏路地を走っている。その背後から銃弾が迫り、頬を掠め、ビルの外壁に跳弾する。

ゴミ箱の影に隠れた長髪のトレンチコートの女はトランシーバーで状況報告をする。

「こちら220地点!犯人は警告に応じず銃を乱射している!」

女はトランシーバーを下げた。

「日野本(ひのもと)!撃て!」

ゴミ箱の影に隠れた女は叫んだ。だが、日野本と呼ばれた女は銃を構えようともせずに逃げ続ける。


女は袋小路に追い詰められた。

「俺に銃を向けないお巡りさんたぁ初めてだぜ!」

ボロボロのどてらを着た男は、銃口を女に向ける。

「なぁ、善良な市民サマの万引きを見逃すのか、死ぬのか選べよ」

女は動かない。

「それじゃぁ死んでもらおうか!」

男は激昂して引き金を引いた。

銃はカチリという音を立てて・・・それきり動かない。

「お、おい!どうなってやがる!?」

「弾切れだ。引き算ぐらいは習ってるだろう」

女は嗤った。

「大丈夫だ。被害者は出していない。何年かで出られる。大人しく自首しろ」

「・・・チクショウ、ふざけやがって!」

男は飛びかかってきた。と、なにか鋭い音がして崩れ落ちた。

「危なかったな」

男の後ろから女が現れる。女の持った銃口からは煙が立ち上っている。

「旭川(あさひかわ)さん、なにも撃たなくても」

「撃たなければどうなっていた?お前は死んでいた。」

旭川と呼ばれた女は犯人の右手を踏んだ。手の中からはナイフが出てきた。気づかなかった。

「日野本、何度でも言うが警察はお巡りさんの時代から変わったんだ。現場の判断で射殺してもいいことになっている。」

「旭川さん、でも」

「黙って従え。それがここのルールだ」

旭川は男の背に軽く蹴りを入れる。男は聞くに耐えない苦悶の声を上げる。

「ん、生きているな。病院に連れて行くか」

旭川は踵を返して車の方へ歩いて行く。恐らく担架を持ってくるのだ。


不況と政治的腐敗が長く続いた日本では治安が崩壊し、警察権力が増強された。警告後、指示に従わない犯人はすぐに射殺することが可能となり、死刑はメディアで公開されるようになった。加害者の人権はますます縮小され、軽犯罪であろうとも実名で報道されマイナンバーに一生前科が紐づけられるようになった。また、刑罰はどんどん重くなり、刑務所はますます増設される予定だそうだ。


警察学校にいた時は、こんなことになると思っていなかった。たかだか数年で警察の常識は変化し、日本の常識は変化してしまった。ぼんやりと車窓を眺めると、窓が割れた家が目についた。


警視庁刑事部、第十三課。昼下がり。交代制の昼休みではあるが、少し間延びした雰囲気に包まれている。

私はデスクに座って、ため息をつく。

「おい、ため息は良くないな」

「あ、すみません」

 旭川はコーヒーが入ったマグカップを差し出した。飲んでみると、いつも通りの薄いインスタントコーヒーだった。だが、胃の腑を温めるのにはこれが一番だ。旭川は壁に背をつけて、コーヒーに口をつけた。

「お前が入ってきてから随分色々と変わったな」

「ええ」

 私が入る前は、拳銃一発撃つにも許可と報告が必要だったし、住宅街で発砲しようものならマスコミに曝されて叩かれるのが関の山だった。脚を撃って動きを止めろだのめちゃくちゃ言われたこともある。だが、今はどうだ。18歳を過ぎるとだれでも銃を所持することが可能になった。日本にもライフル協会の支部ができ、警視庁も支部長と懇意にしているらしい。街中で銃声を聞かない日はない。市民は日々凶悪犯罪に怯え、防弾加工をしたスクールバスで送迎しない学校は罰された。

「まさかここまで変化してしまうとは」

「私もだ。思えば牧歌的な時代だったな」

 旭川は、薄いコーヒーをうまそうに飲んだ。

「なあ、私の時代には警察車両であんな傷病人を運ぶことはなかったんだぞ。救急車を呼べばすぐに来てくれた」

「いまじゃおとぎ話ですね」

「ああ」

 旭川は軽くマグカップを揺らしてコーヒーの波紋をじっと見つめる。

「まあ、これも時代の流れだ。我々は受け入れるしかないだろう」

 そう言うと一息に飲み干した。

「そろそろ昼休みが終わる。午後も頑張れよ」

 どんと背中を叩かれる。コーヒーが気管に入りかけてむせてしまう。げほげほとせき込んでいるのを意にも解せず、旭川さんは部屋から出て行ってしまった。

「お、日野本戻ってたのか。メシは食ったんか?」

「ゲンさん」

 ゲンさんはもうすぐ定年の中年刑事だ。太くて頭髪がやや怪しいが、いい人柄をしている。

「やっぱり食ってないんだな。近くのラーメン屋に行くんだがお前も来るか?」

「私はこれから待機ですよ。」

「冗談だ。ほれ」

 ゲンさんは、カップ麺を差し出した。

「ちょっと顔色が悪いぞ。忙しくても腹になんか入れとけよ」

「ありがとうございます」

「あとなぁ、あんまり仕事のことで思いつめるなよ。本気になりすぎると壊れるぞ」

「はい・・・」

「どこかで割り切っておくんだ。ここまでは考えるけどこれ以上は考えない。それで適当にやってりゃいい。じゃあな」

「お疲れ様です」

 入れ違いになるように旭川さんが戻ってきた。

「日野本、出るぞ」

「はい!」

 ゲンさんの好意のカップ麺は、あっけなく机の引き出しに眠ることになった。せめてパンだったら良かったのだが。


 車はとある学校に到着した。すでに機動隊が出動しており、校庭には避難した教師や生徒が集められている。

「犯人はこの高校の生徒。拳銃で脅して教室を乗っ取っている」

 それだけしか聞いていなかったが、生徒たちの怯えは尋常ではなかった。泣き叫ぶ女子生徒、帰りたいと教師に訴える男子生徒。教師もパニックになっている。

「まあ、高級住宅街に住んでるような連中の行く学校だ。銃なんか別世界の人の危ないものという認識なんだろう」

 そんな世界がまだあるのか。私たちは普段から銃犯罪ばかり目にしているから麻痺しているのもあるが。

 旭川さんはメガホンを受け取ると、二階の教室に向かって叫んだ。

「おい犯人、聞こえているか?お前は完全に包囲されている。早く投降して大人しく出てきなさい」

 教室の窓がガラッと開き、犯人の男が姿を見せた。やや太っていて、ここの生徒よりガラが悪そうだ。

「うるせぇ!この教室のやつら全員殺していいなら出てきてやるよ!」

「ちょっと落ち着きなさいよ。要求は?」

「要求なんかねぇよ!この学校のやつら全員気に入らねぇ!殺してやる!!」

 窓が勢いよく閉まった。

「人質の安全確認は?」

 機動隊の一人が答えた。

「はっ!防犯カメラにより全員の安全が確認されております!」

「ほっといたら降参するんじゃない?あんな人ひとり殺せないようなヘタレ、籠城に耐えきれないでしょ」

「そんな無茶な・・・」

「まあ、時間稼ぎをするしかないわね」

「警部殿!お言葉ですが、ここは犯人を撃った方が良いのでは?」

「まだ誰も殺していない子どもをか?・・・校長。あの生徒のデータはどうなっている?」

「はい!ええっと、あの生徒の名前は犬塚博、最近編入してきた生徒です」

「ふむ。編入前の学校は?」

「ええと、確か水産高校で・・・かなり荒れている学校でした。」

「なぜ編入したんだ?」

「はぁ、最近生徒の母親が再婚したので、その父親に勧められたらしいです。成績は基準に達していましたので編入を許可しました」

「生徒の担任は教室か?」

「いえ、そこに」

「ひええっ!」

 担任の教師が逃げそうになったので、しっかりとアームロックをかけて旭川さんの前に引きずり出す。眼鏡をかけた細いのっぽの男だった。

「まさか教室から逃げ出したのか?教師失格だな」

「そんなこと言われても丸腰で拳銃持ってる人に立ち向かえませんよ!」

「お前の生徒も丸腰だろう?全く・・・教室の人間関係は?」

「生徒は授業中は普通の態度でしたが、どうも教室に馴染むことができませんでした。いじめはありませんでしたが、とはいえ、仲がいいクラスメートもいませんでした」

「それにどう対応したんだ?」

「放課後のスポーツクラブに入るように勧めましたが、そこも全然馴染めなかったようです。」

「ふうん・・・ところで、その義父とは連絡がつくのか?」

「いえ、先ほどから電話していますが、繋がりません。母親の方も・・・」

「・・・そうか」

 旭川さんは目を伏せた。

「これは長丁場になりそうだな」

「警部殿、でしたらやはり突入して」

「まあ待て。日野本、お前こういうのは得意だろ。」

 旭川さんはメガホンを投げてよこした。

「はぁ?!」

「まあやってみろ。多分あいつはパニックにならなければ人を殺せない」

「は、はい」

 仕方がない。メガホンのスイッチをオンにする。

「おーい犯人!聞こえるか?」

「声が小さい!」

 もうやけくそだ。

「おい!!!犯人!!!!!!犬塚博ィ!!!!!!!」

「なんだよ!!!!!!!」

 再び窓が開く。頭が真っ白になる。

「まだ間に合う!出てきなさい!」

「またそれかよ!もう間に合わねぇよ!お前たちはどうやって俺を殺して人質を救うかの相談をしてるんだろ!」

 ギクッとした。

「そんな話はしていない!」

「嘘つけよ!そうじゃなくても俺は刑務所にぶち込まれるんだろ!そうなれば終わりだ!」

「そんなことはない!まだやりなおせる!」

「どこにも就職できず一生みじめな生活を送るぐらいなら、こいつら全員殺してスカッとしてから死刑になってやる!」

「少年法がある!君に前科はつかない!」

「そんなもんもうねぇよ!」

「ああ、ちょっと前に無くなりましたね」

「ちょっと校長さん!」

「ほらみろ!俺の人生は終わりだぁ!」

「大丈夫、きっと就職できるよ!」

「他人事だと思いやがって!死んでやる!」

 犬塚は銃口を咥えた。

「ひぃっ!旭川さん」

「ぎゃぁっ!」

 犬塚は後ろからタックルされたようで、銃を窓から落としてしまった。

「誰だてめぇ?!って、担任の眼鏡かよ」

「すまない犬塚くん、君がこんなことになったのは私の責任だ。君の将来は私が責任を取る!だから自首してくれ!」

 わらわらとクラスメートが犬塚を取り囲む。

「犬塚君、なあ僕ら友達だろ?」

「今度一緒に遊びに行こうよ」

「いっそ一思いに殺してくれぇ!」

「犬塚君」

 窓から旭川さんの姿が見えた。

「今親御さんに連絡が取れた。君はもうすぐ大人になる。話ができるだろう?」

 犬塚はへたりこんだ。

「困ったら私を訪ねてくるがいい。就職先なんていくらでも探してやる。」

 犬塚がこくりと頷くと、旭川さんは手錠をかけた。


 犬塚を送ったあとに、第十三課に戻りコーヒーメーカーのスイッチを入れた。

「いくらなんでも担任を教室に送り込むのはやりすぎじゃありませんか?」

「防弾チョッキを着こんでもらってから一緒に向かったんだ。機動隊には犬塚の頭を照準に合わせてもらってから教室に踏み込んだ。廊下側の窓の隙間からな」

「それは・・・」

「保険のためだ。人質が殺されては元も子もない。担任は快く賛成してくれたよ」

「・・・犯人の男の子、これからどうなっちゃうんでしょうか?」

 コーヒーメーカーはこぽこぽと音を立てる。

「うむ・・・どうだろうな。比較的理解があるところに声をかけてみるが」

「途中で引き返せなくなったんでしょうね。」

「そうだな。しかし、刑罰は私たちのあずかり知るところではない。私たちは私たちのできることをするだけだ」

 コーヒーメーカーはシューッシューッという音を立てる。日野本はコーヒーカップにコーヒーを注いだ。

「どうぞ」

「ありがとう」

 少し口を付けて眉を顰める。

「君の淹れるコーヒーは濃すぎるな」

「旭川さんのが薄すぎるんですよ。マグカップじゃなくて小さいコーヒーカップに入れてるから、そんなにカフェインも気になりませんよ」

「そうか・・・・・・」

 しかめっ面をしながら舐めるように飲んでいる。やれやれ。

 電話がかかってきた。旭川さんはすばやく受話器を取り上げる。

「こちら刑事部第13課・・・そうか。ありがとう」

 旭川は受話器を下ろした。

「昼前の万引き犯、銃弾を取り除く手術も成功してのんきに寝ているそうだ」

「そうですか!良かった・・・」

「その上でしっかりと裁きを受けてもらうが・・・あいつは再就職できるのだろうか?」

「うーん・・・どうでしょうね?いざとなったら福祉を受けてもらいましょう」

「そうだな」

 旭川は、いつもの薄いコーヒーを飲むときのように一気に呷りむせこんだ。思わず笑うと少し睨まれた。

「ま、まあ私たちにできることをしていきましょう」

 そう言って軽くカップを持ち上げると、旭川もカップを少し持ち上げた。そして、また一気に呷り、今度はむせずに涙目で少しずつ飲んでいった。今度は笑わないように我慢できた。

 沈む太陽はブラインドの隙間を縫って、私たちをまだらに染め上げていた。


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