第147話

 バラスの放送は、シシーオ軍の士気を挫くのに大いに成功していた。衛兵たちは戸惑い迷い、魔物の勢いに圧され始める。魔物の軍勢は、とうとうスンダー川を越えシシーオ領地に肉迫しつつあった。


 そのとき火竜が空に舞い上がり、翼を一杯に広げて地上を見下ろした。


「狼狽えるな!」


『ゴォーッ』と怒号に似た、腹に響くような声を火竜が発した。兵の意識が驚きと共に空に集中する。次の瞬間、凛とした力強い声が戦場に響いた。


「敵の言をそのまま鵜呑みにして、惑わされてはなりません!」


 アリスはカリューの背中に立ち上がり、衛兵たちにその姿を見せた。


「皆が敗れれば、魔物の軍勢は領地に押し寄せ、領民を蹂躙し尽くすでしょう。それだけは絶対にさせてはなりません!」


 アリスの言葉に、衛兵たちは背後の自領を振り返った。その瞳に力が戻り始める。


「宮殿には既に、信頼出来る者を向かわせております。今我らがやるべき事は、目の前に迫る脅威から領民を守ることだけです!」


 次の瞬間、アリスは腰の剣をスラリと抜くと火竜の背からバッと飛び降り、着地とともに1体のオークを縦に両断した。


 更に飛びかかってきた2体のゴブリンを、神速の剣技で以って瞬殺する。


 アリスは再び、手に持つ剣を魔物の軍勢に向けてビシッと指し示した。


「我に、続けぇーー!」


「オオォオ!」


 衛兵たちが再び雄叫びを上げた。


   ~~~


「今の放送、ちょっと不味いかもな」


 隊舎の入り口に姿を現したアインザームが、未だに戦場に目を向け続けるハイラインに声をかけた。


 その声にハイラインはゆっくり振り返ると、「そうだな」と表情を変えずに頷いた。


「どうする?」


「それは、持ち場を離れるということか?」


 アインザームは沈黙で応える。それは肯定を意味していた。それを受けて、ハイラインは口の端で細く笑った。


「その必要はあるまい。今、おそらくその件に関連するであろう珍客が訪れた」


「どういう意味だ?」


 アインザームが訝しげな表情になった。


 ハイラインが身体を少しひねるようにスッと横に半歩動いた。するとその向こうに、真っ白なローブの上に黄土色の外套を纏った黒髪セミロングの少女が、息を切らして立っていた。


 更にその後ろから、ブリムの広い黒いトンガリ帽子を被った、三つ編みの眼鏡少女が追いついてくる。


「うげっ!アンタ、アインザーム!」


「ハ…ハニーか?どうしてこんな所に!?」


 ハルカとアインザームが、その心境は真逆であったが、お互いに驚いた声を上げた。


「うわっ!アインザーム!」


 遅れて気が付いたサトコも嫌悪の感情を顕にする。


「おおー、ハニーがふたりも!もしや俺に逢いに来てくれたのか?」


 アインザームが両手を広げて、ハグの体勢でハルカとサトコに近付いてきた。


「絶対ないっ!!」


 ふたりの声が綺麗にハモった。ハルカとサトコは身を寄せ合って「寄るな寄るな!」と手足をバタつかせる。


 そのときハイラインが両者の間に割り込んだ。


「アインザーム、大人しくしていろ。このままでは話が全く進まない」


 アインザームは恨みがましくハイラインを睨んでいたが、やがて舌打ちしながら「仕方がない」と渋々頷いた。


「それで、何の用だ?」


 ハイラインがくるりと振り返ると、ハルカとサトコに質問した。


「そうだ!放送の機材があるなら貸してほしいの」


「何をする気だ?」


 ハルカの申し出に、ハイラインが困惑した。およそ予想の斜め上をいっている。


「さっきの放送のゴミ虫を捕まえるためよ!」


 ハイラインは更に困惑した。この少女は一体何を言っているのだ?捕まえる?放送で?そもそも敵が何者か知っているのか?


「いいぜ、使えよ」


 アインザームが前髪をかき上げながら、楽しそうに笑った。


「面白そうだ。退屈凌ぎにはちょうど良い」


 アインザームは「ついて来いよ」と声をかけると、隊舎の中に入っていく。ハルカとサトコは顔を見合わせ頷いた後、アインザームについていった。


 ハイラインは顔を伏せながら頭を掻くと、「やれやれ」と一瞬苦笑いを見せた。


   ~~~


 ハルカはアインザームに案内された放送機材の前に立つと、集音器に顔を近付け、大きく息を吸い込んだ。


『コラーー!糞ゴミ虫ーー!眼鏡の女は東門にいるぞー!悔しかったらかかってきなさーーぁい!!』


 拡声器が「キーーン」と唸りを上げる。


 ハルカは集音器からゆっくり顔を離すと、額を拭いながら「ふぅー」と大きく息を吐いた。何かをやり遂げたような素晴らしい表情をしている。


「ハルカ…アンタ後で覚えてなさいよ」


 サトコはジト目で、満足そうに笑うハルカを睨みつけるのだった。

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