10年前のハイド神父

 最初、その話を聞いたハイド神父は困惑していた。


 祭壇の奥にある部屋。 信者はもちろん、関係者ですら部屋の存在を知る者は少ない。


 そこで上司に当たる人物に呼び出されたハイドは、表情に出さないように――――酷く驚いた。


「私が本国、スックラの本城へ? なぜ、剣術顧問などという立場の人間が私を推挙したのでしょうか?」


 もっともな質問であったが、上司は短く「知らん」とだけ返した。


 それ以上の話はないのだろう。「……」と無言で不愉快そうな表情。


 ならば、ハイドも無言で返すだけだった。 話は終わったと判断して頭を下げで退室しようとするが――――


「待て」と上司が止めた。


 この男にしては、必要事項以外の事を口にするのは珍しい事だ。


「貴様は、この教会が所有している唯一無二の兵力だ」


「……はい」


「教会を守護するために経典に逆らう存在……暗部と言っても良い」


「わかっています。私は幽霊と同じ存在」


「その存在が漏れて、表舞台に引き出された……ならば、ハイド? 貴様はどうする?」


「無論、幽霊は幽霊に。存在を暴かれたなら、それを無に」


「うむ、それでこそ――――」と上司は最後まで言わなかった。


 教会に属しながら、教会の教えに逆らう事を義務付けられた存在。


 ハイドは上司からも忌み嫌われる存在だった。


 きっと、上司が言わなかった言葉も、ハイドの存在を否定する言葉を賛辞として送ろうとしていたのだろう。


 しかし、ハイドは何も感じない。 カラカラに渇ききった心には何も染み込んでこない。


 ・・・


 ・・・・・・


 ・・・・・・・・・・



 そして現在――――


「いきなり命を取りに来ますか? 相変わらずだ、ハイド神父」


 ハイド神父にとって知らない男、トール・ソリット。 彼の言葉はまるで旧知の者に使うようなものだった。


「……」とハイドは無言で返す。 


 今の一撃は小手調べというわけではない。本気で命を取りに行った一撃。


 まるで気にしていないように振る舞うトール。


(しかし、そんなはずはない。 今もまだ、私が殺そうとしているのは伝わっているはず)


 手にした暗器が妙に重く感じる。 こんな事は初めてだった。


(……圧力? 暗器ではなく体そのものが重く……いや、精神に影響を与えてきているのか?)


 トールと対峙して実力を探ろうとすればするほどに心が乱れていく。


(――――ここで仕留める!)


 だが、できなかった。


「これをご存じでしょう?」


 トールは、その一言でハイドから殺意を奪った。

  

 ハイドが前に踏み出るタイミング。それに呼吸に合わせられ話しかけたのだ。


 言葉だけで攻撃を止める。 


 達人と言われた人間は、剣など直接的な武だけではなく、日常的な動作によって相手を御する技を持っている。


 それは、ハイドは戦慄させるには十分な技だった。


「……それは何でしょうか?」


 チラリと視線をトールから外し、彼の手元を見る。


 ほぼ、空になっている小瓶が握られている。 僅かに残っている液体が見える。


(今、殺せないならば、彼の思惑に乗る……今はまだ……)


 平然と話すも、まだこの場は殺し合いを行っている場所だった。しかし――――


「これは父が魔王との戦いで最後に使用した薬……そう言えばハイドさんならご存じだと」


「何ッ! では、それは……エルフの霊薬?」


「その通りです」と笑みを浮かべるトールからハイドは目を外せなくなった。


「流石、数奇者のハイド神父。ご存じでしたか」


「ご、ご存じも何も……亜人連合の戦いによりエルフたちは散り散りに……いや、彼らの信念では、霊薬を人の手にゆだねるなんてことは……」


「自然と共に生きるエルフたちにとって、薬によって寿命を変えるなど本来は許さないでしょう」


「――――っ!」とハイド神父は天を仰いだ。


 教会の暗殺者ハイド。 それと同時に彼は数奇者ハイドでもある。


 そんな彼にとって、エルフの霊薬。極小と言える量でも見逃せない宝物であった。


 次にトールから向けられた言葉は、彼にとって無視できるものではなかった。


「これは、こちらの博士と協力してもらい、量産していただきたい」


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