ワイバーン肉の導き
「それで、受付のお姉さんに追っ払われたって訳っすか。情けないっすねー、グドさん」
そう言って、女がカラカラと笑う。
女といっても、まだ幼さの残る顔立ちだ。
実際、彼女の年齢は十七歳であるため、少女と形容しても差し支えないだろう。
少女の黒髪はうなじを隠すあたりで切り揃えられ、ポニーテールに纏めてある。
肌は砂糖を煮詰めたような小麦色で、太陽が香るようだ。
「うるせぇよ、
グドが少女をじろりと見た。髪型、大きな体も相まって、その威圧感は凄まじい。
しかし、萬屋と呼ばれた少女は楽しそうに笑うばかりで、怯む様子などない。
グドと彼女は、もう随分と長い付き合いである。
「俺はお前みたいな自営業と違って、まがりなりにもティオラ教会に属する人間なんだ。そんな奴が行政職員相手に揉め事を起こしてみろ。
グドは焦げ茶色の短髪と、そこだけ灰色に染められたモヒカンを所在なさげに弄りながら、グレープフルーツジュースを飲んだ。
甘みと酸っぱさと僅かな苦みが、喉を潤していく。
回地者。世界最大の宗教組織・ティオラ教に属する聖職者の名称だ。
その職務は主である地母神ティオラの代行者として、人々を助け導くというもの。ざっくばらんに言えば、便利屋兼宣教師である。その身でもって人々を救い、そこで生じた感謝の念につけ込む形で、布教活動に勤しむのである。
グドもまた回地者として活動する人間の一人だ。
現在、二十五歳。
十八歳から始めた回地者稼業で、今まで数えきれないほどの依頼をこなしている。
もっとも啓蒙活動に勤しんでいたのは昔のことで、現在ではもっぱら割のいい仕事を受けるためだけに教会に身を置く、不良聖職者に成り果ててしまっているのだが。
「で、どうするんすか?」
萬屋が口を開いた。
「このままじゃ、依頼こなせないっすよね? 役所に黙って、聖剣抜いちゃいます?」
「んなことしたら後が怖ぇよ。ちゃんと教会からの紹介状なり何なり用意して、あのおっかねえお姉さんに突きつけて、意気揚々と出陣してやるさ」
用意が整うまで、この町でブラブラしてるのも悪くねえ。グドはちびちびジュースを舐めて、そう言った。
「ちなみに、今回はどんな依頼を受けて、ここまでやってきたんすか? 聖剣の真偽調査? からの押収とかいう極悪コンボ?」
萬屋が問う。問いながら、その右手に握られたスプーンが、忙しなくワイバーンシチューを口に運ぶ。
ワイバーン食の盛んなギニグに居を構えるだけあり、この『ウィーベルン食堂』が出す飛竜料理は絶品なようだ。
グドも皿に盛られた大ぶりなワイバーンステーキを切り、頬張る。
竜肉特有の香ばしさと、歯に心地よい緻密な繊維質が相まって、美味い。
舌鼓を打ちながら、答える。
「まあそんなところだ。ティオラ様の分身である聖遺物の真偽を確かめ、偽物であればけしからんので押収、本物であれば尊いので地域の教会で管理。どちらにせよ、抜かんことには話にならねえ。……ま、今回はそもそも聖剣が刺さってるかどうかすら確証がないんだけど」
フィルの丘に刺さっていると言われる聖剣も、写真や映像で記録に残っている訳ではない。ほとんど神話に近い過去の歴史書に、毛先程度の記述があるばかりだ。
しかし、ないならないで、そう報告すればいい。それも回地者の仕事なのだ。何なら、真偽調査などの面倒なことをせずに報酬がもらえる分、おいしくすらある。
萬屋はシチューに付いてきたパンを齧り、もぐもぐと口を動かしながら言った。
「ふーん。でも仮に刺さってたとして、クソ雑魚ナメクジなグドさんに抜けますかね、聖剣。ああいうのって、選ばれし者しか抜けない術式が刻んであるもんじゃないんすか?」
「中にはそういうもんもあるが、今回は違うと思うぜ。物理的に抜けないんじゃなく、のんびり抜けるような状況にないから、抜けないんだ。なんせ、聖剣が刺さってると言われるフィルの丘は、ギニグワイバーンの巣窟で有名だからな」
ギニグワイバーン。その名前は、ティオラ教の聖書では悪魔の尖兵という意味を持つ。
誤った智慧を好み、野蛮な風習を好み、悪しき人間を好むとされており、その翼はあらゆる厄災を抱えて運ぶと言われている。
しかし、実際のところは神話に出てくるような、悪の権化たる生態はしていない。元を正せば単なる自然界の生命なのだし、当たり前だ。野生の獣が善悪の価値観で動かないのと同じように、ギニグワイバーンも生きるために翼を広げるだけである。
もっとも、昔のティオラ教の人間が悪魔の尖兵と断じたのにも頷けるほど、その性能は凶悪だ。ギニグの土地に流れる魔力が、特別飛竜の遺伝子と馴染んだのか、ギニグワイバーンは通常種と異なる進化を果たしたのである。
その体躯は普通のワイバーンと比べて二回りは大きく、運動能力も比べ物にならないほど高い。それどころか、上位魔獣のドラゴンと同じように、簡易術式すら使える始末だ。古今東西にワイバーンはひしめいているが、火や風や雷をブレスとして吐き出せる種は、ギニグワイバーンぐらいだろう。
更にいうならば、性格も非常に獰猛であることで知られている。普通の獣であれば、狩猟や闘争などは、餌やつがいの確保のための、生存本能に裏打ちされた行為である。しかし、このギニグワイバーンに関しては、満腹だろうと種を残していようと、お構いなしに争いを仕掛けていく。
自然界には珍しい、戦いのための戦いをする生き物なのだ。
そんなギニグワイバーンであるから、例え一体相手にするだけでも、随分と骨が折れる。手練れの戦士でも、群れが相手となれば骨が折れるどころか、骨も残らなくなる。
だからこそ、そんなギニグワイバーンの巣が近くにあるフィルの丘は、誰も近寄らない。近寄らないから、正確な情報は集まらない。
情報の少なさが恐れを呼び、神聖さを纏い、今日の聖剣伝説を作ったのではないか。グドはそう考えている。
萬屋はコップになみなみと注がれたオレンジジュースを飲み、ニヤニヤと笑った。
「じゃあ、尚更グドさんじゃキツくないっすかあ? ギニグワイバーンなんておっかないの、相手にできるんすか? ゴーレム一体すら、まともに作れないのに」
「それはお前や、世間一般でいうゴーレムの話だろうが。俺のゴーレムの定義からすれば、俺はれっきとした『ゴーレム野郎』よ」
「世間一般の定義では、グドさんの作るゴーレムはゴーレムとは言わないんすよ。せめて、成人男性と同じだけの体躯の個体が作れるようにならないと、精々が『小さめの泥団子拵えてるおじさん』っす」
「ほーん、そんなこと言う。ほーん」
そこで、グドは羽織っているコートのポケットから、茶色い巾着袋を取り出した。口を緩め、傾ける。
中から焦げ茶色の粉末が落ち、机に一つまみほどの山を作った。
土だった。
「見てろよ。ゴーレム野郎ってのはな、これぐらいの量の土でも、色々出来るんだよ」
グドが、指で机を小さく叩いた。
ほんの少しの力で叩いたので、机は全く揺れなかった。
それなのに、机の上の土が崩れた。
崩れて、集まり、うねうねと蠢いた。水でも溶かしたように、土と土の隙間が消え、形を変えながら膨らんでいく。
あっという間に、一つまみほどの泥が、手のひらサイズの団子状に丸まってしまった。
変化は、それだけに終わらなかった。
泥団子から、小さな四肢が生え、立ち上がったのである。
これが、グドの作り出すゴーレムであった。
「どうだ、萬屋。この無駄のないフォルム。機能性の中に可愛らしさがある、万人に愛される造形。何かのマスコットとして商品化すれば、一攫千金も夢じゃねえぜ」
彼が熱っぽく演説をぶつ中、泥団子はぽてぽてと机を歩き、皿に載ったステーキの前で立ち止まる。そして、自分よりも大きなナイフとフォークを両手に持ち、巧みに切り分けると、服をよじ登りグドの口元まで運んだ。
それを、萬屋は白けた様子で見ていた。
「……普通の人なら、そのゴーレムがギニグワイバーンと戦えるなんて、誰も信じないっすよ」
「それはそいつらに見る目がねえんだよ。これでもパワーがあるし、動作の精密さも一級品だ。今だってほれ、一寸の狂いなく俺の口にステーキを放り込んでくれてるだろ」
グドの言葉通り、ゴーレムはステーキをぐいぐいと押し込んでいた。
口ではなく目にであったが。
「グドさん、ゴーレム誤作動起こしてますよ。そうじゃなきゃ謀反っす」
「馬鹿、これは命令通りに動いてんだよ。命令通り、口に物を運んでるんだ。目は口ほどに物を言うっていうだろ。ほら、このように咀嚼もできる」
「グドさん、それは咀嚼じゃなくてまばたきっす。あと、何かウインクされてるみたいで不快なんでやめてください」
「ブチ殺すぞクソガキ」
グドは額に青筋を立てながら、萬屋を睨んだ。
しかし、彼女は何も言わない。普段ならば、小馬鹿にしたような表情を浮かべて、矢継ぎ早に憎まれ口を叩くのだが、どういう訳か俯いている。グドから視線を逸らしつつ、黙々とシチューを食べている。
「あ? おい萬屋、どうしたん」
「お客さん」
グドの言葉を遮るように、頭上から声が降ってきた。地響きのように低く、野太い声だ。
ぎぎぎ、と首を軋ませながら振り返る。
岩の塊が命を吹き込まれたような筋骨隆々とした男が、こちらを見下ろしていた。
大木のように太い首から下げられたネームプレートには、『ウィーベルン食堂店主 ドラブロウ・ウィーベルン』と記されていた。
店主は、にこやかな笑顔を浮かべていた。
そのスキンヘッドに、蛇のような血管をウネウネと走らせながら。
「玩具に運ばせたり、目に擦りつけたり、俺の店の料理で楽しんでくれて何よりだ。食い物で遊ぶなって、母ちゃんに習わなかったか?」
「え、えーっと、僕の家族は子どもの自主性に任せた教育方針を掲げておられましたもんで……」
冷や汗を浮かべるグドの眼に、なおもゴーレムはぐいぐいと肉を押し込んでいた。
その泥団子を、店主はむんずと掴むと、中に封じられた魔力ごと握り潰した。肉が落ちそうになったので、グドは反射的に口で咥え、食べる。何だかさっきより塩気が効いていた。彼は泣いていた。店主は笑っていた。
「ワイバーンはギニグの魂だ。その肉を弄ぶってのは、俺の生まれ育ったこの町の文化を弄ぶってことだ。兄ちゃん、ちょっと表出ようか」
「ちょ、ちょっと待って下さいご主人! じ、実は俺ぁ回地者でして! 何か困ったことがあるようでしたら、ただで依頼を受けますんで、どうかここは穏便に!」
「回地者だぁ?」
そこで、ようやく店主は怖い笑いを解いた。といっても、笑みの消えた顔も結局のところ強面だったので、怖いことに変わりなかったのだが。
「……俺ぁ、ティオラ教はあんま好きじゃねえんだがよ。だが、ただで依頼を聞いてくれるってんなら、一つ頼まれてくれや」
「へ!? な、何でしょう!?」
グドは目を泳がせる。右往左往する視界に、萬屋が映る。肩を震わせていた。笑いをこらえているようだった。あらゆる悪人を差し置いて、こいつに神罰が下ってくれないかと思う彼に対し、店主は凄むように言った。
「隣に住むベルナ婆さんがな、昼飯時になっても孫が帰ってこねえって言うんだ。町中探しても見つからねえってんで、随分と狼狽しててよお」
「あ、人探しですね!? お茶の子さいさいですよご主人! このグド・ヒーカン、風よりも早くお孫さんを見つけて差し上げます!」
「おー、そりゃよかった。じゃあ、ちょっと探してきて欲しい場所があんだ。何でも、婆さんの心当たりのある場所が、そこみたいでよ」
「へえ、火の中水の中飛び込んでいきます! で、どこでしょう!」
店主は少し黙り込んだ。それは、逡巡のための沈黙であるように見えた。
果たして、これを人に頼んでいいものか。そんな迷いのようだった。
それでも、数秒の無言の後、彼はようやく口を開いた。
「フィルの丘だよ」
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