第51話 第二戦 ヴィクトール・ベルンハルト

 首を落として見せつける。

 人食い姫の異名に恥じないやり口だ。

 リリーは堂々と首を掲げた後に、近くの小者を呼び寄せて首を押し付けた。


「丁重に扱え」


 小者は首を表情も変えず首を受け取ると、齊天后陣営へと歩んでいく。

 首級みしるしを丁寧に扱えるのであれば、あちらも腐ってはいない。むしろ、この場の観客以外はこの戦いを理解している。

 リリーはそう思いたかった。

 息を吸い込んで、体の力を抜いていく。


『勝者、リリー・ミール・サリヴァン』


 試合運びを口上する芸人の叫びは、あまりにも空虚だ。

 ヤン・コンラートの遺体が運び出されるのを待つ。

 小者を呼びつけて、次のことを伝えた。


「さ、左様でございますか。その言葉、撤回はできませぬが」


 小者は驚いた様子だ。それもそうだろう。


「かまわん。間違いは無い」


「は、はい、お伝え致します」


 首を抱えることには動じないというのに、こんなことに驚くというのが面白かった。

 空は青く広々としていて、この闘技場には血に飢えた狂気が渦巻いている。

 リリーが瞳を閉じれば、喧噪は静まっていく。

 人は誰しも一人であり、孤独である。戦いの狂熱は伝播するが、発するか否かは己が決めること。

 今は、血に飢えるべきではない。

 ただ勝つというのなら、血に飢える必要は無い。そして、悲しむことも余計だ。


「うん、やはり悲しいものだな」


 ヤン・コンラートを斬るのは悲しいことだった。

 それは無かったことにもできないし、無視できるものでもない。

 さらさらと風が吹いた。

 齊天后側の入場口が開き、大きな影がやって来る。


「叔父上か」


 言葉にすると、あまりに無情な今に涙が零れそうになり、すぐに止まった。体は正直なもので、殺気に対しては意思よりも先に反応する。

 大声の魔法でヴィクトール・ベルンハルト伯を紹介するのは、人気の講談師だ。彼の言葉は、リリーの耳に入らなかった。


『人食い姫、リリー・ミール・サリヴァン様は、続けて決闘に臨む姿勢か。動かず見据える様は、まさしく剣士そのもの』


 大声の魔術は戦場で使われるものだ。

 撤退に勝鬨かちどき、偽報にも用いられる。

 現代にほとんど残らなかった魔術の中で、例外的に残っている術の一つである。誰かの声を大きくするだけの魔術であるからに、講談師が息を呑む音も大きく響いた。


『ラファリア皇帝陛下からは、……一人ッッ。リリー・ミール・サリヴァン様お一人で五人を打ち倒すが故に、お一人ッ』


 リリーは笑いそうになった。


 そんなに驚くようなことかよ。


 大気が揺れるのを感じる。

 来たか。






 昨日、酒は無しに飯を食った。

 ヴィクトール・ベルンハルト伯爵は、武人然とした大男である。

 いかめしい顔に鍛え抜かれた肉体の豪傑であるというのに、酒には滅法弱い。

 若き日には酒での失敗が重なり、結婚してからは酒を断った。

 元から酒を苦い水と感じていたということもあり、断酒の誓いには抵抗がなかった。

 私的な誓いでしかなかったというのに、どうしてか市井にまで豪傑の断酒として小噺のように広まってしまう。だが、それはそれで、宴の席での酒を断るのに役立ってくれた。


 酒での失敗といっても様々にある。


 酔いが回れば好色になる、酔いと共に悪態をつく、酔えば道化の有様。そんな話はどこにでもあるが、ヴィクトールは酒と共に寝てしまう癖があった。

 社交界に出られなかったのは、酒宴で高鼾たかいびきをかいてしまったことが原因に他ならない。

 酒で人が変わるということはないが、眠りから目覚めてみれば何某と決闘することになっていたという逸話はある。

 目の前で眠るということが侮辱にあたるか否かは微妙なところだが、相手が侮辱と感じればそのような話になってしまうものだ。

 ヴィクトールは二度ほど無益な決闘を行い、断酒の誓いを立てた。

 その後は話が広まったこともあり、貴族社会でも酒は飲まない伯爵として許されることとなった。


 皇帝陛下が直々に果実水を手渡したということからも、ヴィクトールという人物がどのような評価であったか知れる。

 実直な人柄と、権力闘争など知らぬ存ぜぬと興味も示さない豪傑は、誰からも好かれていた。


 近衛大将などという役職についているが、宮中の警邏や皇帝陛下の身辺警護のみを行うもので軍を率いる権限は無い。そして、身分の高さから盗賊の類を追うというような勤めにも出られない。

 武人であるというのにその腕を振るう先が無かった。

 ヴィクトール本人はそれで良いと思っていた。

 近衛大将自らが刃を振るうというのは、皇帝陛下に危機が迫る負け戦に他ならない。暗殺者を非公式に斬ることはあっても、戦支度をすることなかった。

 斧槍の名手であると周知されているが、もっと得意なものがある。


 試合の少し前のことである。

 友であるヤン・コンラートが死したことを見届け、ヴィクトールは頷いた。

 命の取り合いをするのだから、ああいう終わりもあるだろう。

 命がけの勝負など、全てが紙一重である。

 安全な道場であれば実力差は覆らない。しかし、真剣勝負となれば、それらは容易く覆る。

 刃物が内臓を破れば、人は簡単に死ぬからだ。


「あ奴らしい見栄か」


 正々堂々と剣一本で挑むとは、ヤンの馬鹿者めが。

 隠し武器でも持てばよかろうに。


「ベルンハルト伯、そろそろ出番ですよ」


 女の声である。

「カリラ殿か」


「リリーは強くなりましたな」


 ヴィクトールは笑う。

 姪に対して刃を向けるというのに、カリラは気遣いの一つも無い。同じく、ヴィクトールが敗北すれば彼女は弟子に対して刃を振るうことになる。


「カリラ殿、あれが男児であればサリヴァンの血脈も安泰であったというのにな」


「男であれば、よくて一流止まりでしょう」


 女だから、ああなった。


「そういうものか」


「ええ、男というのは勝ちに行く時に格好をつけたがる。それが原因で死ぬのですよ」


「はははは、命にしがみつくのは女だけでよい」


 カリラは片眉を跳ね上げてヴィクトールを見た。


「産み育てる女であれば、命は繋ぐものだ。俺はそう思う。アメントリル派の僧や、齊天后殿の言う男と女の性差別など、下らぬまやかしの類であろう」


「……私は子供のころから剣士でしたよ」


「広い世の中に一人か二人なら別に良いのだがな。全ての女がカリラ殿やリリーであったら、われら男に休まる時が無くなってしまうわい」


 ヴィクトールの口元に刻まれた笑みに、カリラも釣られて笑った。

 銀色の杭にも見える、武骨な鞘無しの刺突剣を佩いたヴィクトールは、次に大盾を手にした。樫の木で作られた木盾の縁に鉄板を張り付けたものである。


「辺境騎士に伝わる盾の理術ですか」


「そんな大層な名であるかは知らんよ。では、行く」


「ご武運を」


 ヴィクトールは闘技場へ向かう通路で立ち止まり、カリラを振り返った。


「あの時、我が姪を助けたことに礼を申し上げる。サリヴァンの血族が守られたのも、貴様のおかげだ」


「礼は充分に受け取りました。これ以上は過分です」


 カリラが頭を下げると、ヴィクトールは前を向いてその歩を進める。

 騎士らしい物言いと立ち振る舞いであった。


「あのような男が宮廷にいたか」


 天下泰平であれば、斧槍の演武という宴会芸だけで宮廷騎士を勤め上げただろう。

 皮肉なものだ。

 覇道を突き進むべしとしているのに、覇道に欠かせぬ男に命がけの決闘を強いている。あれが軍の長であるならば、兵は鬼神のごとき強さとなろう。

 カリラはどちらも応援しない。

 人と人のぶつかる勝負などというものは、戦争と違い最初から優劣は無いからだ。ただ、その時に生き残れた者が強いというだけのこと。

 降参も許されているというのに、彼らは一人残らず命を賭すことを当然としていた。





 立ち尽くしているのも疲れるので、小者に命じて椅子と温石を用意させた。

 リリーは観客に見られながら、椅子に腰かけている。

 小者が持ってきたのは、貴族用最上級の椅子である。

 本来ならば、伯爵以上でないと座ることすらできない意匠の施された椅子だ。

 リリーには、ラファリア皇帝やフレキシブル教授の言うところの経済的破綻というものは、今一つ理解できていない。

 ただ、あれだけ頭の良い二人が言うのであれば、それは本当のことなのだろうなと思っている。

 帝国の歴史は長く、人間に例えれば耄碌もうろくしたというものかもしれない。

 椅子などに格をつけて、尻を乗せる者を区別する。

 こんな下らないことをしたがるのは、年を食っているのに若いつもりの偏屈者だけだ。


「風が冷たいな」


 身体が冷えるのはよくない。

 温石のおかげで服の中はよく温まっている。

 冬は命を奪う忌むべき季節だが、リリーは冷たさがもたらすものが好きだ。

 暖かな暖炉の熱気が顔に当たるのは、なんとも嬉しい気持ちになる。

 目を瞑ると、叔父上の顔が浮かんだ。

 幼い日には、叔父という関係性は理解しにくかった。最初は怖い顔のおじさんで、剣を覚えてから親戚で一番強そうな人に変わった。

 今になって、その強さがどんなものか分かる。

 棒切れ一つで強い弱いを基準に物事を見るような剣士と、ヴィクトール叔父のような騎士は大きく違う。

 騎士とは家と国家を背負うものだ。故に、敗退というものの意味が違ってくる。

 この一戦は、サリヴァン侯爵家とその分家であるベルンハルト侯爵家のどちらもが、帝国に忠誠を尽くすことを知らしめる意味合いを持つ。右手と左手の争いと言えた。

 片方の手を切り落とすことで、帝国の臣であることを証明するのだ。どっちつかずの蝙蝠とは呼ばせないための、痛みを見せつける。


 愚かなことだ。

 命と世間体を秤にかけて、得るのは再構築リストラ後の地位である。

 重ねて言おう。愚かである。


 リリーとヴィクトールが互いに内心でそう思っていることからも、愚かの戦いであることに間違いない。

 だからだろうか、入場門から現れた甲冑姿のヴィクトール・ベルンハルト伯を、リリー・ミール・サリヴァンはバツの悪いといった笑みで迎えた。

 ヴィクトールもまた同じ顔である。


「我こそはァッ」


 ヴィクトールお得意の大声が響き渡る。

 戦場の最前線で兵を鼓舞し、率いるためにある騎士の業だ。


「帝国近衛御大将、ヴィクトール・ベルンハルトである」


 解説の講談師が魔法で声を響かせる前に、観客席の騎士たちが熱狂の声を上げた。

 絵物語に登場する柳腰の騎士とは大きく違う。

 口上に雅は無く、その声は透き通ってもいない。

 声ですら太く、力強い。

 ただ強くあるべき騎士の姿は、騎士と兵士たちにとって正しい。物語にあるものからはほど遠い、現実の続きにある正しさだ。

 甲冑行軍を行うための鍛錬は、血の小便が出るほどに苦しい。戦槌やこん棒を自在に振れるようになるまでに、無数の豆が手の平で潰れていく。

 そんな、本物の騎士の姿だ。

 対する人食い姫は椅子から立ち上がり、すぐさま剣を抜いて構えた。礼儀など無い獣のような反応である。


「叔父上、この日を待っておりましたぞ」


 リリーは叔父上とあえて呼んだ。

 貴種であるからには、名前の呼び方一つに政治的な意味合いが顕れる。

 そんなもの、知ったことか。


「女のお前が、どれほど強くなったか見せてみよ」


 ヴィクトールは歩兵が持つような大盾を手に、リリーへとにじり寄る。

 役者が試合開始を言う前に、二人は臨戦態勢に入っていた。


「叔父上は、盾を使われるか」


「おう。見目が悪いで使わんかったが、本来の持ち分はこれよ」


 盾は歩兵と傭兵の武具である。

 決闘であっても騎士は使わないのが大盾である。理由は色々とあるが、見た目が悪いことと、盾の理術を知らぬ者がほとんどであるところが大きい。

 大盾とは両手で持つ盾である。


 リリーは剣を構えて待ちの姿勢である。

 盾持ちに斬りかかるのは危険が大きい。

 盾は振り回せば鈍器となり得る。そして、振り回したとしても、矢と剣を防ぐ盾としての機能は活きたままだ。

 叩き伏せた後に剣を取り出して、首を落とすのが盾持ちの理術である。

 戦場であれば、大盾の縁に張り付けられた鉄板で相手の頭を潰すこともある。


「さて、どうしたものか」


 リリーは独り言を漏らす。

 やりようはいくらでもある。

 盾は鉄壁の防護と引き換えに、動きを遅くする。隙を突くのは容易いが、甲冑が邪魔だ。

 得物は片手剣ではあるまい。大盾を使うのであれば短槍かメイスが常道である。


「来い、リリー」


 じりじりと距離を詰めながら、ヴィクトールが挑発する。

 盾を振り回すのは予想できる。それとも受けてから得物を刺しにくるか。


 リリーは迷わない。

 剣を地摺りに構えて駆けた。

 盾持ちと一対一で対決するには、あまりにも悪手であった。

 ヴィクトールは考えない。

 ただ相手を見て自らの形に引き込むのみ。

 リリーがどのような剣を振ろうとも、盾と甲冑で受け止められる。元より無傷で勝とうなどという思いは無い。

 騎士とは結果を重んじるものだ。

 名誉や栄光など所詮は後付けにすぎない。

 褒章を得て土地を守り、得た権益を守護することこそが騎士の誉(ほまれ)である。

 爵位は関係なく、ただそれだけで良い。そして、その手段が暴力であれば、騎士の独壇場である。

 リリーの剣は下から走るだろう。

 大盾はこのために使うと決めていた。

 ヴィクトールはリリーとの距離が近づいた瞬間に、裏拳の要領でリリーの剣を目掛けて盾を叩きつけた。

 外せば身体はがら空きとなり隙を晒すが、それでいい。

 リリーは短剣かそれ以外の武具を使うだろう。だが、それでいい。一撃を耐えれば、それで良い。腰にあるのは毒を塗り付けた刺突剣スティレットである。一撃を受けた後に、これで一突きにすれば終わるのだから。

 卑怯とは言ってくれるな。

 勝たねばならぬのだ。互いが、どちらかが死なねばならぬ。

 サリヴァンという家名が同じ同士の戦いであれば、それは必定。



 ほんの一瞬は、いやに長く感じられた。

 大盾の手応えに違和感を感じ、ヴィクトールは悟った。

 リリーは地擦りで構えていた剣を地面に投げ出していた。叩いたのは、捨てられた剣のみである。

 目の前にリリーがいた、息が触れ合うほどの近さの中で、ヴィクトールは左手で腰の刺突剣を探る。だが、無い。

 刺突剣はリリーの手中にあった。

 甲冑は動きを阻害する。

 着の身着のままであるリリーは、ヴィクトールよりも早かった。

 自らの得物を捨て、相手の得物を奪うなど、正気とは思えぬ行動である。

 攻撃の手も早かった。

 ヴィクトールの左目に刺突剣は吸い込まれていく。

 それを見ている瞬間も、ヴィクトールは眼を瞑らなかった。爛々と闘志に燃える瞳で死を受け入れるのみ。

 迷いの一切も無く放たれた死は、ヴィクトールの眼窩から脳に達する。ぐらりと、彼の巨体は横向きに倒れた。


「叔父上、わたしの勝ちです」


 リリーの言葉に感情は無かった。

 ただ、最後に言葉をかけたいと思って出たのは、そんな無意味な言葉だったにすぎない。

 ヴィクトールの縁者は、闘技場にリリーのみである。

 高い家格と皇帝陛下の警護を務める近衛大将であることから、妻の死後に後添いを得られなかった。

 リリーのことは娘のように、そのような感情がヴィクトールにはあった。

 リリーにも、叔父は特別な人物である。

 ただ一人だけ、言葉では嫌がりながらも、女が剣を手にすることを好ましく見てくれた。

 淑女にあるまじきを、心地よいと思ってくれた。言葉にせずとも、分かる。


首級みしるし、取らせて頂く」


 リリーにとっては理解者であった。

 そんな叔父の首を、取り戻した剣で叩き切る。

 首を取るというのは、なかなかに疲れる作業だ。

 涙は出ないが、血は影に染み込む。

 いつか、動けなくなるだろう。

 自らの影はたくさんの血を吸って黒さを増し、重くなった。きっと、この重みでいつか動けなくなり、最期には自身の血を注ぐこととなろう。

 首を天に掲げれば、闘技場の熱狂は最高潮に達して、鳴動するかのような声が沸き上がる。

 怒号と歓声の混ざり合うそれを身に浴びて、リリーは天を睨む。

 春の空は白みの強い青色に、ぼってりとした雲が散見される。太陽の光はどこか弱弱しい。

 冷たさの残る風は、体を冷やす。


 少しだけでいいから泣きたい。



 第二戦の勝者 リリー・ミール・サリヴァン。

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