第29話 邪気祓い

 邪気祓い、邪気祓い、と栗鼠の人たちが笑みをかみ殺しながら歌っていた。

 セカイジュの朝は栗鼠の人たちの楽しげな歌声で始まる。

 くるりと丸まった栗鼠の尻尾と栗鼠の耳を持つ人間を、栗鼠の人ラタトスクと呼ぶ。

 セカイジュへ奉仕をするためだけに生きる亜人種は、幼い子供のように歌う。



 セカイジュの根本に掘られた深い穴には、死体が積み上げられていた。

 セカイジュの根は、巨大な地虫が蠢くようにして、屍に絡みつく。

 戦死者の遺体はセカイジュに取り込まれ、永遠を生きる大樹と共に輪廻の道を廻り続ける。

 輪廻とは生命の巡礼である。

 命は受け継がれ、くるくると廻る。


『邪気祓い、邪気祓い、血の一滴までも邪気祓い。木気と火気で邪気祓い。涙はらはら輪廻の道。命つらつら緑の中に。無垢の魑魅すだまに生まれて変われ。天の道から地の道巡れ。邪気祓い、邪気祓い』


 栗鼠の人の御詠歌ごえいかが響き渡る。

 戦士の亡骸も、敵の亡骸も、セカイジュの根に分解されて土へと還る。

 魔封の森に太陽が昇る時、それはいつも死と共にある。

 死を悼む者もいれば、死は当たり前すぎて何の感慨も無い者もいる。


「息吹の女、カリ=ラの弟子、あなたは舞って」


 幼児のような笑みを浮かべる栗鼠の人が、リリーの袖を引いた。

 葬儀の際に袖を引くことは、死の穢れにより不吉とされ、呪いであるともされる。


「……分かった」


 壺はなくとも、舞える。

 目を瞑り、丹田に息吹を巡らせる。

 幼いころに視た幻視がある。

 師は、鬼を斬っていた。

 同じく、自然に体が動く。

 ああ、リリー自身が鬼と成り果てたのか。

 木刀を振り、集中の世界へと沈み込む。

 栗鼠の人の詠う奇妙な旋律が意識を別の所へと引き込もうとする。それは、冥府だろうか、暗い昏い、そして、優しくて甘い。死の気配だ。

 疲れ切って泥のように眠る心地よさに似ている。

 

 リリーの知る死の匂いは、ザビーネの吐息だ。

 

 生きながら内臓を腐らせて毒とした匂いである。

 死が寄らば斬る。

 ここに満ちる死は、ザビーネではない。

 剣を振れば、肉体にもう一人の自分の冷たい気配がやって来る。

 鬼女の冷たい手と、憎悪に燃える瞳。

 死肉に群がる子鬼たちが、いっせいに鬼女を見やった。

 母を求めるように、小鬼たちは鬼女に群がる。

 斬らねばならぬ。

 鬼女は子鬼をつかみ貪り喰らう。

 はるか東の彼方、古代には絹を乗せてやってきた貿易の道の遥か先。

 異郷の神々は、魔神や鬼神であるという。

 悪鬼を踏みつけ罪人を喰らう。

 四腕二面の異形は、地獄の神であるという。





「お手合わせ、願えぬか」


 舞を終えて最初にかけられた声に、リリーは笑んだ。

 それは、知らない者が見ればゾッとするような。彼女の友からすれば、いつものことで諦めのため息が零れてしまうような、そんな笑みだった。

 だからかもしれない。頭四つは高い巨躯を持つ恐竜人が、半歩下がる。


「ありがたいが、腹が減っている。朝食の後でも良いか」


「なれば、食べ終えた後に」


 恐竜人の戦士らしき者、男か女かは判然としない。

 ただ、なんとなく年若いのだろうな、とは思う。

 天幕へ戻れば、栗鼠の人たちが緋毛氈ひもうせんを敷いて、そこに食べ物を並べていた。

 大森林の中にぽっかりと浮いたような真紅の敷物は、何やら奇妙すぎてリリーはどうしてか笑ってしまった。


「ははは、なんだそれ」


「息吹の舞のお礼だそうですわ。教会の祝詞は断られましたのに」


 やって来たアヤメは言うと、水筒を差し出した。


「ありがとう」


「あなたの剣は、日に日に死の色が強くなる」


「そうだな。きっといいことじゃないんだと思うよ」


 外法と邪術の深淵を覗くアヤメには、その危険性が分かる。

 この世に溢れる魔の眷属も『死ぬ』のだ。それほど死とは特別で、当たり前に存在している。

 剣に『魔』や『聖』は乗せられても、『死』を乗せるものがどれだけいるか。


「危なくなったら助けて差し上げます」


「お前に借りを作るのは怖いな」


 照れ隠しに言えば、アヤメも同じような顔をしていた。

 栗鼠の人たちが並べる朝食からは、なんとも不思議な匂いがしている。


「よく仰いますこと。ま、食べましょうか」


「腹、壊しそうじゃないか」


「大丈夫でしょう、多分」


 リリーとアヤメは履物を脱いで真っ赤な緋毛氈に足を踏み入れる。あぐらをかいてものを食べるというのにも、すっかり慣れた。

 栗鼠の人たちの並べる料理は、あっさりとした味付けに香草を効かせたスープや、何やらよく分からない肉団子、それに厚めのクレープ生地のような見慣れないものばかりだ。

 味は、悪くないような薄すぎるような。

 干し肉と野草の煮物よりは美味いのは確実だが、馴染が薄すぎて食べにくいものだった。


「カリ=ラの娘、ごちそうごちそうごちそうを持ってきたよ」


 跳ねるようにして駆ける栗鼠の人が差し出したのは、太い竹の筒だ。

 三度も繰り返すのだから、相当な御馳走なのだろう。


「どうやって食べるんだ?」


 皮を剥いて食べるのかと思ったリリーだが、栗鼠の人は正解を示してくれた。

 鉈で竹を切って穴を空け。そして、手を突っ込む。

 満面の笑みを浮かべた栗鼠の人の手のひらに、真っ白な腹を蠕動させる何かの幼虫がくねくねと踊っていた。


「お、おお」


 と、リリーから変な呻き声が出た。


「ごちそうごちそう」


 栗鼠の人は我慢できなくなったという様子でそれを頬張る。


「アヤメ、どうだ?」


「あなたへのお礼ですわ。横から手を出すなんてはしたない真似はできません」


 頼りにならない不名誉司祭め。


「おいしいよ」


「あ、うん、そうか」


 幼い子供がするような、無垢な瞳でくねくねと踊る幼虫を栗鼠の人が差し出す。


「あ、わたくし、今から日課のお祈りに参りますので」


「わたしとおまえの仲だろう」


「え、もしかして、……いらない?」


 ごくりと息をのんで、リリーは笑顔を作った。わたしは、ちゃんと笑えているだろうか。

 結論から述べよう。

 リリーは食べて、アヤメも食べた。

 匂いにさえ我慢すれば、甘いとろみと頭の苦さは美味しい部類に入る。強烈な虫臭さを我慢できれば、悪くないのかもしれない。

 アヤメの嫌がるそぶりはちょっとした冗談で、虫の中では驚くほど美味しい部類だと後で教えてくれて、あれは形からすると蛾の幼虫ではなかろうかと豆知識まで披露してくれた。

 アヤメに張り合う訳ではないが、敗北感がリリーの背中にのしかかった。





 恐竜人の若き戦士は、両手の拳で顎の辺りを隠すという奇妙な構えをとってリリーと対峙している。

 恐竜人は強い種だ。

 鱗を持つ人々の中でも、最も体が大きく筋力が強い。リリーと対峙すれば、大人と子供ほどの差があった。

 そよそよと、魔封の森に心地よい風が吹く。

 夏は盛りを過ぎようとしていて、蝉の声も少しずつ弱まりつつある。


「構えんのか」


 恐竜人の戦士の言葉には、微かな苛立ちがある。

 リリーは右手に木刀を持ち、だらりと下げたままだ。


「構えているよ」


 師は、わたしと相対してどのように思っていただろう。

 恐竜人の戦士は徒手空拳で相手をするつもりらしい。リリーの返答と共に、太い足がリズムを刻む。小刻みに跳ねるような歩法だ。

 初めて見るが、怖くはなかった。

 恐竜人の戦士が何かを言ったが、集中の世界に入ったリリーには届かない。

 恐竜人の巨体が、信じられない速さでリリーに肉薄する。

 鱗に覆われた両手の拳、それが凄まじい速さでリリーに迫った。それは、恐竜人という人を遥かに凌ぐ肉体を持つが故の技だ。速度を重視した、隙の無い軽い打撃だけでも、人の頭を柘榴のように弾けさせられる。


「こうかな」


 背後に下がりながら、連撃をかわしていく。

 リリーは全てを見切っている訳ではない。ただ、この瞬間に来ると言うのが分かるだけだ。

 今まで、一撃必殺の業を受け続けていた。

 教会騎士が軍馬より放つ連接棍(フレイル)、遠心力を利用して足で振るわれる異形の秘技『秘剣ツチノコ』、全てが必殺足りえるシャザの弔流、大気に溶け込む神具の円月輪、死神の放つ理外の魔剣。

 いつの間にか、勘で避けるのが当たり前になっていた。

 故に、若い戦士の必殺は早い段階で分かった。

 大ぶりの裏拳を避けると同時に放たれたのは、尻尾での打ち払いだ。


「はっ」


 気合と共にリリーは前に跳んだ。

 尻尾をかわしながら、木刀の柄で恐竜人の顔面を狙うが、それは拳に遮られる。それは読み通りだ。

 恐竜人は間合いに入ったリリーに、技を捨てて襲いかかった。本能的な行動だろうか、大口を開けて牙をむき、頭を噛み砕こうと前のめりに襲いかかってくる。


「シャアアアア」


 リリーは前に出て腕をすり抜け背後に回る。紙一重の隙間をいやに大きく感じた。


「きいえええええ」


 裂帛の気合と共に放たれるのは、恐竜人のこめかみを砕く軌道で走る木刀である。

 周りで見ていた者たちの息を呑む音。

 木刀は頭蓋を砕く寸前でぴたりと止まっていた。

 恐竜人には、その木刀が氷の刃のように感じられた。死の冷たさである。


「ま、参りました」


「良き試合でした」


 リリーは殺気を霧散させるが、残心は解いていない。

 戦場の癖は抜けないものだ。相手が負けを認めたとして、牙を剥かない理由にはならない。

 恐竜人の瞳に畏怖と敬意が宿ったのを見てとれば、己の行いがどうにも雅を欠くと気づいて、気恥ずかしくなる。




「恐ろしいひとじゃないか」


 フレキシブル教授は言って煙管を取り出した。

 近くのたき火から火を拝借して、煙を吸い込む。そして、美味そうに紫煙を吐きだした。


「いい女だろう」


 リッドはリリーを見つめながら言う。

 祭り好きなゴブリンたちにまとわりつかれているリリーは、対戦を申し込む恐竜人たちに断りを入れているようだ。


「恐竜人たちの使う拳の技をなんというか知っているかな?」


 フレキシブル教授の吐きだす言葉は、いつも謎めいた何かがあるように感じられる。

 奇妙な老人のそういう所が、リッドにとっては実に心地よい。


「なんだい藪から棒に」


箱拳ボグ・スーズというのさ。拳を箱に見立ててぶつけ合うんだそうだ。その昔、魔封の森に潜んでいたという龍を倒した英雄が伝えた技さ。魔人の言葉で、正しくはボクシングと発音するものだよ」


「あんたは、妙なことに詳しいな」


「ボクは考古学者を名乗っているからね。父と母にたくさんのことを教わったおかげで、ボクはこんなに面白い人生を生きているのさ」


 フレキシブル教授の表情は黒眼鏡に隠されていてよく分からない。

 哀しんでいるのではないかと、どうしてかそう思った。


「作戦は考え付いたか?」


「あの黄金騎士さえ仕留めてくれたら、地の利も兵士もいるボクらの勝ちさ。水に毒を投げて、あとは眠らせないようにする。単純だろう?」


 外道働きと呼ばれる策である。

 フレキシブル教授の怖いところは、それをやるのにためらいが無いことだ。


「死の火杖はどうする?」


「その名前は好きではないな。あれは銃というものでね、人間の勝利を揺るぎないものにする世紀の発明品だよ。しかし、いまのところアレは連射できない上に雨が降ったら使えない。まだまだ彼らにできるのは並んで撃つだけさ。付け込む所は山ほどあるね」


「……あと何年かしたら、俺たち亜人は、人間の奴隷か」


「さて、それはキミたちの世代にかかっている話だよ。リッド、どうする? ボクはきみが望むというのなら、悪魔のように知恵と力を授けてやれるぞ」


 フレキシブル教授の口元には、穏やかな笑みがあった。

 自らを悪魔と呼べるだけの知識が、この老人にはあった。

 自称考古学者にして冒険家であり、詐欺師だ。リッドにとって、二人目に出会った人間の友である。そして、英雄に至らせようという悪魔的な誘惑を投げかけてくる男であった。


「……帝国と友諠ゆうぎを結べると思うか」


「ふむ、手土産はどうする? 手っ取り早いのは、キミがエルフと魔エルフを纏め上げて、恭順することだ」


「黄金騎士の首級は?」


「それは悪手だね。帝国はキミの首を手土産に、魔国と通商条約でも結ぶんじゃないかな」


「お前んとこの偉いヤツの仇をとってやったから仲良くしようって言うってことか」


 フレキシブル教授は指を鳴らして『正解』と道化のようにおどけて言った。


「ま、それをするかキミを英雄として祭り上げて、エルフを肉の盾にして戦争というのも一つの手だね。それをするには航海技術の発展がまだ足りないから、可能性は低い話ではあるけどね」


 リッドは、リリーを見やった。

 力で魅せれば、戦士たちはリリーを信頼する。あの剣は、いや、力とはそういうものだ。


「死の火杖、俺たちで造れるか?」


「うーん、あれの有用性を帝国が分かってくれるかな。今の段階じゃ、強力だけどお金もかかるし取扱いの難しい玩具だよ」


「金か……、なあ魔国ってのは港でも作る気じゃないかって言ってたよな」


「うん? そうじゃないみたいだけど、最初はそう考えたよ」


 フレキシブル教授は不思議なことを聞くな、という声音で言う。


「俺たちで港を造らないか。それで、商売をするってのはどうだ」


 リッドは思いつきをそのまま言った。

 フレキシブル教授は煙管から口を放したまま、しばし固まった。

 なんだ、怒らせるほど愚かなことを言ったか。リッドは不安になる。


「……キミは、いや、森エルフのリッドよ。キミは気狂いだ」


「な、爺さん、人のことをなんて言い草だ」


「素晴らしい。ハハハハ、黄金騎士を払いのけて、あの陣地を港にするというのか。ハハハ、素晴らしいじゃないか。魔封の森の立地は最高だ。いや、この場所であれば、イフ・レンの諸国連合、魔国、帝国、全てとの行き来ができる。それに、この森に道を作れば岩人とも交易は出来る。さしあたっては、最も近い帝国が相手となるね。ものは、最初は金でもいいし、塩でもいい。絹を運ぶ道を新たに造り出せる。リッド、キミは、キミこそはボクの運命だったのかもしれん」


 フレキシブル教授は悲鳴のように笑い声を上げた。

 この老人の持つ狂気にリッドは触れた。


「山火事みたいな爺さんだよ、あんたは」


 森エルフは火の恐ろしさを知っている。一たび森が火に包まれれば、炎そのものとなり地獄の有様となる。


「ふくくく、火を点けたのはキミだよ。黄金騎士は確実に倒さねばならんね。アレを倒すまでがリッド、森の貴公子にして英雄へと至るかもしれない男よ、キミの試金石だ」


「爺さん、俺にはあんたの言葉が半分も分からない。それでも、あんたのことは信じている。俺は、そんなにいいことを言ったか?」


「ああ、ボクという小人しょうじんには決して辿り付けないものだ」


「ならよ、あんたが絵を描いてくれたら、俺たちにも明日はあるってことを信じていいんだな」


 フレキシブル教授は黒眼鏡を外して、リッドと瞳を合わせた。

 紳士然とした顔付きの中、精気と狂気に満ちた瞳がぎらぎらと輝いている。


「世界一の知恵者だとボクは言ったはずだよ。それは、嘘じゃあない」


 魔封の森に風が吹いたのはこの瞬間かも知れない。






 果たし状への返答があった。

 当初、戦とは関係ない場所でやろうというものであったが、黄金騎士からの返答は違っていた。

 戦場の大将として、互いに軍を背に決闘を行いたいという申し出である。

 互いに騎乗しての決闘を望む、とあった。

 フレキシブル教授はその返事に対して、


『リッド、素晴らしいぞこれは』


 と言った。

 魔封の森の参謀は、勝利したものと考えてものを言っているようだ。しかし、そんなものを受け入れられるはずがない。と、リリーは思っていた。

 予想外のことはどこにでもある。

 森の民が、この一騎討ちに乗り気になったのだ。反対したのはディネルースのみである。

 決闘は、沿岸部の丘にて正午に行われる。



 朝は軽く果実を食べて、腹を綺麗にするために薬を飲んで糞をひり出した。

 体が軽いな、とリリーは屈伸を終えて思った。

 馬子のルースがミラールを引いてやって来た。

 ここしばらく思いきり走らせてはいない。


「ミラール、今から戦いに往く。相手は、あの男だ」


 鼻先を撫でれば、るぶぅ、とミラールは啼いた。

 ミラールの瞳には様々な色がある。悪鬼のように荒々しい時もあれば、今のように穏やかで可愛らしいとさえ思える時も。


「アヤメ、ウド、先に駆ける」


 リリーは返事を待たずに、ミラールに跨り、駆けた。


「ちょっと、何を仰ってますの」


 アヤメの声は届かない。しかし、仕方ないなという顔でそれを見送った。

 騎竜に跨ったリッドがそれを追い、さらに続くようにして大鷲に乗った栗鼠の人が続く。

 行進も何もバラバラな森の民が動く。

 ゴブリンたちは狼に乗り、恐竜人は大型の亜竜の引く戦車に、魔エルフたちは巨大な百足のような虫の背に乗って、戦というよりも祭りに出向くような貌で森を駆ける。

 亜人は戦が下手だ。

 彼らを軍として率いるのなら、魔国の魔王のようなカリスマを必要とする。

 フレキシブル教授が見たところ、彼女はそれになれるだけの華がある。

 血のように赤い華だ。




 黄金騎士の軍は丘に陣を敷いていた。

 巨馬・轟魔に跨って待つ黄金騎士の隣には、魔女リシェンがいる。


「リシェン、俺はあの女を手に入れるぞ」


「なんということか。お前様、一人でいってはならん。アレの数値が見えん。アレはいけない。お前様でも」


 魔女は遠くからやってくる巨大な鹿に乗ったリリーを指差して、震えていた。


「ああ、アレは魔王と同じ。お前様、アレは恐ろしい敵じゃ。この距離ならば、我の術でなんとでもなる。ギィ・シャ」


「止めんかッ」


 黄金騎士の叫びが木霊して、魔女は詠唱を止めた。


「俺は、もう子供ではない」


「お前様……」


「リシェン、見ておれ。俺を、お前の造り出した怪物をッ。往くぞ、轟魔」


 黄金騎士と巨躯の軍馬は地を駆ける。その足で、生きた証を刻みつけるように。この世に自らの存在を訴えるように。

 リシェンはその背に手を伸ばして、叫んだ。しかし、その言葉は魔国軍の戦場音楽隊が掻き鳴らす戦場の唄にかき消され、ついぞ届くことはなかった。

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