第28話 魔封の森

 ディネルースという魔エルフの女の天幕で、ゴブリンと恐竜人ザウロスの代表者たちが顔を突き合わせている。

 獣脂ランプに照らし出される円卓では、つたない地図とその上に置かれた宝石が今の状況を示していた。

 沿岸部には赤い宝石の文鎮ほどの原石があり、小さなルビーの粒が並べられて形造られた線がセカイジュへ迫っている。

 血の色で示されるのが、魔国の尖兵だ。


「ふむ、敵は金ではないのか」


 こんな時でもリリーはずれたこと言う。

 リッドについてきた痩せっぽちの女剣士、それがリリーの立場だ。

 当然のようにじろりと無遠慮な視線に射すくめられる。


「金は、我ら恐竜人が守る」


 くすんだ緑色の鱗に覆われた巨躯の亜人が言う。

 恐竜人、恐るべき森の守護者である。

 金を聖なる金属として崇める彼らは、貨幣として金を取り扱う人間を明確に敵視している種族だ。過去に金鉱を巡る紛争は幾度もあったが、人間は未だ恐竜人を駆逐できていない。


「赤は、魔エルフが似合うのではないのか」


 リリーの言葉に、今度はディネルースが眉間に皺を刻む。


「この目を、人間は幸運のお守りだと言って持っていったでしょう?」


 魔エルフもまた、魔物とされたことから激しく人を敵視している。

 実際に、今も魔エルフの痕跡のある地の宿場には、過去に狩られた魔エルフのミイラが飾られていることは珍しくない。


「藪蛇だったか」


「俺らの巣に毒蛇を放ったのは人間だよなあ」


 ゴブリンの代表者も尻馬に乗って嫌味の毒を吐き捨てる。

 ゴブリン退治のおとぎ話に、巣に毒蛇を放つものがある。彼らも街道をいくだけで斬られも文句を言えない亜人だ。


「よせよ、リリーは俺たちの味方だ。それにな、人間にやられたことをお前らがするのは、みっともないぜ」


 リッドの言葉もまた、毒を含んでいる。


「なんだ、お前らは元々仲が悪いのか?」


「元はと言えば、あなたが引っ掻き回したんでしょう」


 ディネルースの言葉に、リリーは口元で笑みを作る。


「作戦とやらには口を挟まないよ。この戦、助力したい」


「……傭兵働きか?」


 と、恐竜人の長は問うた。

 爬虫類の瞳から感情は読み取れない。


「あの黄金騎士と因縁が出来た。どうやら、力づくでモノにしたいらしい」


「どういう意味?」


 デイネルースは真紅の瞳でリッドを見やった。


「ああ、戦場で口説かれてたぜ」


「袖にせねばならん相手だよ。ディネルース殿、あの黄金騎士は片付ける。報酬は、アメントリルの墓所への案内だ」


 アメントリルの名を出せば、魔封の森に住まう者たちの顔色が変わる。

 恐竜人は腹に力を入れて、その瞳で真っ直ぐにリリーを射抜く。ゴブリンは腰の短剣に手を伸ばしていた。そして、ディネルースは、病的なまでに白い肌を薄らと上気させた。


「禿鷹の優しき魔女の墓を暴くと、我らの前で言うかえ、人間の小娘ぇ」


「始祖の吸血鬼にも、脳男とやらにもそこへ行けと言われている。何があるかは知らんがな」


 しばし、睨みあった。


「いいでしょう。神聖な墓所を汚すことがあれば、命はないと知りなさい」


「感謝する」


 ディネルースが何を思ったかは分からない。

 リリーはこんなことになる以前、女騎士の道を考えたこともあった。しかし、それは早々に諦めている。こういった交渉事が向く人間ではないと、リリー自身が痛いほどに分かっているからだ。

 天幕を出ると、仲間たちが待っていた。


「冷や冷やさせますわね。不用意なことを言ったら、殺されてもおかしくないのですよ」


 言葉とは裏腹に、アヤメの口調は優しいものだ。こいつ、本当に心配していたのか。少しむず痒い。


「あの化物騎士にどうしやすんで?」


 ウドの問いに、リリーは少し考えた。

 今まで勝てると分かる相手は少なかった。あれもまた、強い。


「一対一で決着をつけたい。あれは、そういう雅のある男だろうよ」


 そうでなければ、戦場を単身で駆けることもあるまい。

 リリーは、与えられた天幕へと戻った。

 アヤメもそれに続くが、ウドはその場にとどまった。女同士の話に首を突っ込みたくはない。

 寝台代わりの毛皮と荷物の置かれた殺風景な天幕だ。文机の代わりに板切を敷いて羽ペンと硯を取り出す。

 相応しい紙は用意できなかったが、そこには目を瞑ろう。

 リリーの字はなかなかに綺麗だ。

 達筆とはいかないまでも、高度な教育を施された者にしか書けない字である。

 悩みながら文を綴り、最後に表題を太いペンで書く。


『果たし状』


 と、そこに書き綴り、最後にサリヴァン家の印章で蝋封をつける。


「うむ、なかなかの出来栄えだ」


 貰ったことはあっても、出したことはなかった。


「あらあら、随分と古いことを」


 それを覗き込んだアヤメは、リリーの横顔に笑みを向けて言った。


「なかなか、素敵だろう」


「……介添え人は?」

 

 決闘の介添え人とは、助太刀のことを示す。多ければ多いほど、命がけの勝負に助力を得るだけの財力権力人間力があるとされる。決して、恥ではない。

 騎士は勝利し富むことを信条とする。


「ミラールと共に行く。せっかくのお誘いだからな」


 あの恐るべき軍馬を討ち果たせるのはミラールだけだ。そのようにリリーは考える。


「不思議ね。あなたが負ける姿が思い浮かばない」


「嬉しいことを言ってくれる」


 アヤメはわざわざ一対一で戦うような浪漫に命をかける女ではない。旗色が悪くなれば加勢するつもりでいた。

 不意に、リリーはアヤメと視線を合わせた。


「お前は、わたしの友達なんだな」


「そうよ、大切な友達」


 男同士ならば、ここで義兄弟とでもなるのだろう。

 昼と夜、太陽と月。

 それほどに違っていても、友となれる。




 会議とも呼べない会議が終わり、リッドはディネルースと対峙していた。

 リッドは冒険者となってから常々考えることがある。

 森での戦いは正義に満ちていたが、広い世界のどこにでもある戦いに正義など無い。

 ただの殺し合いのどこに義があるのか。

 それを分かっていても、人は殺し合う。

 亜人たちはそれらを好まないというが、それは美化された一面に過ぎない。

 栗鼠の人たちは純真無垢だが、セカイジュの実りを掠め取るものに容赦はしない。たとえ、そこにどれだけの事情があろうと彼らの操る大鷲と百足土竜の餌とする。

 ゴブリンは独自の社会形態を持つが、その生き方はオークに負けず劣らずの苛烈さだ。

 恐竜人もまた縄張りを荒らす者を撲殺するのを正義としている。

 同じ一族より別れた遠い兄弟とされる魔エルフもまた同じく、人間を狩ることを止めない部族が今もいる。

 人間と融和しようとする部族は彼らと対立して、血みどろの争いを繰り広げていた。

 ディネルースは中立の部族を率いているが、彼女個人の意思で言うならば人間は敵だ。


「リッド、どうしてアレにゴマをする。あれは人間じゃ」


 魔エルフの真紅の瞳は不吉の色だ。


「人間だからだ。エルフは、人間に負けてんじゃねえか」


 事実である。

 幾度も亜人と人間は衝突して、敗北している。


「だからこそ、この戦は我々だけで勝たねばならん」


「爺さんがいなきゃ、一週間もたたずに負けてただろ。俺たちがやるべきなのは、人間の隣人になることだ。敵になったら、みんな死ぬぞ」


 この戦の頭はフレキシブル教授である。

 ディネルースを含めた森の部族だけではまとまったところで、死の火杖には対抗すらできなかっただろう。


「あれにできることならば、我らにも」


「できねえよ。それに、魔国のヤツらは人間と亜人だ。あいつらは亜人を盾になんぞしていない」


 森の部族は気づいているのだろうか。

 魔国とは、この大地に生きる亜人が目標とせねばならない姿だ。

 森エルフのリッドは冒険者となって理解したことがある。


「俺たちは人間より少しばかり長生きするだけで、増えることもないし、縄張りを広げることもない。あっても、微々たるもんだ。ディネルース、エルフは俺たちの孫の代で人間の奴隷になっててもおかしくねえぞ」


 リッドは語気を強めて言ったが、それがディネルースに理解されないことは分かっていた。

 ディネルースは、疲れた顔で天を仰いだ。

 天幕に釣られたランプの灯りに、蛾がまとわりついている。


「リッドよ、わらわの婿になっておくれ」


「藪から棒だな」


「孫の世代までに、森エルフと魔エルフを統合するのじゃ。数は力というならば、我々エルフもまとまらねばならん」


「すまんな、ディネルース。俺はそんなことのためにお前を抱くのはまっぴらだ」


 沈黙が満ちた。


「そうか……」


 リッドはそれ以上言わずに天幕を出た。

 ディネルースという魔エルフは、崩れ折れて嗚咽を漏らした。




 セカイジュのたもとで、リリーは木刀を振っていた。

 篝火と青褪めた月明かりに照らされて、リリーは闇にぽっかりと浮き上がっている。

 ゆっくりとした緩慢な動作で木刀を振る。その技は、以前よりも研ぎ澄まされていた。

 壺の上で踊る行を、長くしていない。

 心を鎮め、自然と同一化する。

 自然には善悪が無い。

 実りの秋の優しさや春の暖かさと、夏の焼け付く陽射しと冬の嵐は等しく同じものだ。

 息吹の剣は理外の剣。

 師は悪と魔を斬った。

 自らを自然に委ねる旅烏(たびがらす)。

 ちっぽけな善は、足の向いたところで振るわれる。

 感謝されたこともある。蔑まれたこともある。

 リリーの知る師は、かみさまのような女(ひと)だった。

 いまなら、胸を張って戦える。

 わたしの剣は、こんなにもわたしだけの剣になった。


「きいぃぃぃええええぇぇぇ」


 独特の気合と共に、木刀で岩を砕いた。

 鉄の剣であれば、斬れたかもしれない。

 鉄で鉄を斬ったことがある。


「見事だね」


 そこに声をかけたのは、黒眼鏡の老紳士である。

 フレキシブル教授は黒眼鏡を外して、リリーに微笑みかけた。

 リリーの思うものよりも鋭く、そして、冷たくない瞳だった。

 貴族的な、謀略の冷たさを持つ者と思っていたが、孤独を友とする者独特の悲哀がある。


「フレキシブル教授でしたか」


「キミの細作から無謀な果し合いの話を聞いたが、本気かね」


「わたしが勝手にやることです。成功すれば幸運だとでも思ってくれればいい」


 今になって、リリーは視線を感じた。

 鍛錬に集中しすぎていた。剣を振る姿を多くの亜人に見られていたようだ。


「たった一人であの黄金騎士とやり合うのかい? ボクに任せてくれれば、伏兵をつけるけど」


「試すのはお止め下さい」


「シャザくんがどう言ったか知らないが、ボクはそういう博打は嫌いな男だよ」


「シャザの弟子たるわたくしを侮って下されるな、フレキシブル教授。あれはどう会ってもわたしの敵だった。それに、あの程度で躓いていては、齊天后殿には勝てん」


 言葉にして、リリー自身が少し驚いた。

 シャザを師だと心の底から認めてしまっている。あれで強くなれた気はしていないというのに、自然と言葉が出ていた。


「そもさん」


 フレキシブル教授が叫ぶ。

 老齢の男から出たものとは思えぬ力強い声だ。


「せっぱ」


 リリーもまた応えた。


「キミの息吹は悪を討つ剣か」


「わたしの敵を斬る剣だ。討つ剣は辞めた」


 二人の師とリリーは違う。

 それに気づいたからこそ、今は自分の剣を手に入れていた。


「そうかい。ボクは策を練ろう。リリー、キミの働きには期待している。だから、横入りは遠慮しておくよ。だけど、戦は戦だ。覚悟はしてくれたまえ」


「恩に着ます」


「ふむ……。アメントリルの墓所の道が開いた時には、僕も同道させてもらいたいが、いいかな」


「わたしの敵にならないのなら、問題ありません」


 見つめ合えば、フレキシブル教授は困った顔をしてから、破顔した。


「どうにもボクは、誤解されていかん。両親の遺言でね、墓参りの約束があるんだ」


 よく分からない言葉だ。


「断る理由もありませんよ」


 奇妙な縁であった。

 様々な因果の糸が絡み合い、一つの道筋へなろうとしている。




 時を同じくして、別の因果もまた結実しようとしていた。

 泣き崩れたディネルースの前に、それはいる。


『ディネルース、森を守る優しきエルフ、ディネルース』


 ディネルースの瞳が見つけたのは、宙に浮かぶ小さな人。

 森の神の遣いたる妖精ミラ・パティールであった。


「あなた様は」


『たすけにきたよ、ディネルース。たすけにきたよ』


 妖精とは、妖しき魔精。

 人の心を惑わす異界の大いなる生命である。





 黄金騎士は天幕で自陣の立て直しを行っていた。

 この森の亜人は思いの外に手ごわい。

 魔国では騎兵隊を率いていたが、この大森林では銃を持たせた実験部隊を率いての進軍である。

 純金の鎧をまとったまま、滾る血潮を鎮めるために酒を呑んでいる。

 頭は冴え渡っていると言っていい。


「夜襲に控えて夜目の効く連中を歩哨に立てろ。三日間は隊の建て直しと休息にあてる。酒も出して構わん」


 指示を出して副官を下がらせた。

 ふぅぅ、と酒精を味わい長い息を吐く。

 魔王より直々に受けた任だが、ここまで面白くなるとは思わなかった。

 鎧の籠手を外せば、傍女たちが返り血に塗れた腕を拭く。

 乱暴ともとれる手つきで黄金騎士の丸太のような腕を磨きあげる。

 不意に、黄金騎士は必死に腕を拭く女の乳房に目が吸い寄せられた。


「おい、女、夜伽を命じる」


「は、はい、ありがたき幸せ」


 応じた女の声は震えている。

 こんな化物の相手とは、内心でどれほど怯えているか。

 黄金騎士グロウ・クーリウはそれを理解している。


「そのような行いは感心できんな」


 冷ややかな声を投げつけたのは、紫色のローブ姿の女であった。

 魔術師であることを示す刺青が、その手に覗く褐色の肌を持つ女である。


「リシェン、お前は俺の行動を制限できるのか」


「ふふふ、夫の無法を諌めるのも妻の役目じゃろう。抱くなら、我にせよ」


 リシェンと呼ばれた女は、傍女を下がらせると黄金騎士の手を拭く。端正な顔に淫蕩な笑みを浮かべていた。

 魔国でも、魔王に次ぐとされる美貌の魔術師である。魔王曰く『そういうの、いいから』だそうだが、魔国の民は魔王を第一とする。


「良い女を見つけた」


 リリーと名乗る剣士。あれこそが、あの恐るべき眼をした女こそが、手に入れるべき宝であった。


「ほほほ、我の言うた通りであろう。お前はこの蛮地で運命と出会うと、占いの通りじゃ」


「お前は、どうして俺につく」


「くふ、ははは、お前の子が欲しいからじゃ。お前様の子を宿すために我は産まれたというのに、抱いてくれんとはのう。いけずな男じゃ」


 ぎり、と黄金騎士グロウ・クーリウの奥歯が軋む音が鳴った。


「殺されたいか」


「お前様にできるのならのう。我は殺せまいよ、どぶ板の王よ」


 グロウ・クーリウはどぶ板に打ち捨てられた孤児である。

 生まれつき体が大きく、五つのころには大人ほどの大きさになっていた。

 人どころか亜人ですら彼を恐れた。


「リシェン、雌の禿鷹よ。お前は俺に何をさせたい」


「愛しいお前様の子が欲しいのじゃ。これでようやっと死ねるというもの」


「死ねる?」


「ひはははは、どうやれば我は死ぬのか。神も教えてくれんのじゃ」


 半ば狂っているこの女が、グロウ・クーリウを黄金騎士に育て上げた。

 幼いころ、どぶ板で痛む体を打ち付けている時に、この女は今と変わらぬ姿で現れたのだ。


『お前こそドブ板の王じゃ。育ててやるぞ、強くなって我を抱いておくれ』


 この女が何者かは知らない。

 魔王の眷属なのは確かである。

 グロウが正しく理解しているのは、この女が正気ではないということだけであった。





 グロウ・クーリウはスラムで育った。

 魔国は経済都市である。

 建国のその時から、制限がほとんど存在しない闇市場を母体としていた国の成り立ちからも、商業は辺境で最も高い水準にある。

 魔国のスラムは、経済の敗残者が集うところだ。

 噂では、グロウは死した母親を食い破って産まれたというが、それが本当のことかは当事者である彼自身にも分からない。

 一つだけ分かっているのは、母親が娼婦であったことだ。様々な亜人の血が入り混じったスラムの女である。

 建国より五百年が経ち、敗残者の血族こそが魔国の真の民と言えた。

 経済都市であるからこそ、人の出入りが激しい。

 色とりどりの血の混じったスラムの住人は、魔国の造り出した新たな人種である。

 幼いころを思い出すと、あの痒みが蘇る。

 強すぎる筋肉が骨と内臓をじわりじわりと圧迫していく痛みと痒みだ。

 壁や地面に全身を打ち付けて、痒みを取る。

 あとは、野良犬に噛ませたり、人を叩いたり、石を叩いたりして痒みをとっていた。

 どうして人はグロウを嗤うのか。

 醜いからか、それとも痒みに転げまわるのが滑稽だからか。

 痒みは強くなり、正気をなくして暴れることが多くなった。暴れる度に喰い物が手に入る。痒みと痛みで暴れ回ることが生きる術となった。


「坊や、とっても醜くてステキよ」


 旅人だという女は、言った。

 看板代を払わず占いをしていたので、暴れてこいと命じられた先でのことである。

 女の細腕で転がされ、幾度も殴られ蹴られ。

 肉の奥に響く痛みは、痒みを抑えてくれた。掻き毟る気持ち良さに勝るものはない。


「あなたが、最後の出会いクエストか? ふふ、くくく、子供を作ったらいいみたいよ。ひひ、はははは、我に子供か。ひひひひ」


 女は美貌を歪に曲げて笑う。

 それが、魔女リシェンとの出会いであった。



 リシェンはグロウに武器と鎧を与えた。

 七歳にして成人男性並みの体躯であったグロウは、立派な武具を着て痛みに飛び跳ねた。


「ひは、はははは、鉄がダメか。そうかそうか」


 リシェンは痛みにのた打ち回るグロウを笑う。

 おおらかに、笑う。



 リシェンは魔女として金を稼いだ。

 堕胎薬や惚れ薬を高値で売る魔女としてスラムに住み着いた。

 グロウは用心棒として養われていて、リシェンは彼をあやす。愛人にするように、蠱惑的に耳元で甘い言葉を囁き、時に苛立ち鞭を打つ。

 グロウにとってリシェンのくれる痛みは、痒みを癒す麻薬のようであった。


 言葉を覚え、剣を覚え、徒手の組打ち術も覚えた。

 グロウの教師となったのは、その多くがリシェンの雇った家庭教師だ。一流とされる冒険者や遍歴の騎士からあらゆる手管を教えこまれた。


 グロウは巨体と怪力を得た代わりに、幾つかの弱点を生まれながらに持っている。


 一つは体の痒み。

 長ずるにつれて痒みは痛みと変わったが、その原因は強すぎる筋力にあった。

 強すぎる筋肉が、骨と内臓を締め上げる痛みだ。


「ひひひ、怪物め。愛しい怪物くんめ」


 リシェンは医者が沈痛な面持ちで語る『長く生きられない』という予想に対して、いつもの狂った笑みでそう返した。

 リシェンが用意したのは、純金の鎧であった。

 どのようにしてそれだけの金銭を賄ったのか、グロウにもそれは分からない。

 グロウには強すぎる筋肉ともう一つの弱点がある。

 金属を触るだけで皮膚が赤く腫れ上がる。唯一、触れても痛みが無いのが純金であった。


「金属アレルギーというのよ、その皮膚の弱さは。あなたの皮膚は鉄を受け付けない。だから、体を金で覆うのよ。ふふふ、とても素敵」


 やはり、リシェンは狂っている。

 魔国の闘技場で、ある時は戦場で、どれほどの首級を上げただろう。

 魔王より下賜された外法戦馬、轟魔と共に戦場を駆け抜けいつしか武大将の地位にいた。

 グロウはかつての大貴族クーリウ家の養子となり、姓と貴族の地位を手に入れた。

 どれほど上に昇れども、一度もグロウは満足を覚えたことが無い。

 魔王十指に抜擢され、一軍を率いる将となってもまだ、その渇きは癒されない。

 セカイジュとやらの結界を破ることもまた、つまらぬ任務であった。



「お前様の好きなケーキを作ってやったよ。ほら、食べなさい。もっと大きくなって、わたしに死をくれよ」


 リシェンは柔らかな笑顔と狂った瞳で、甘い蜜のかかったパンケーキを差し出す。

 臣下たちは、リシェンのことには触れない。

 黄金騎士は、黄金の皿に乗ったパンケーキを受け取り、木のフォークでそれを口に運ぶ。


「甘いな」


 初めて食べた時、これほど美味いものはないと思った。しかし、今となっては甘すぎて、好きな味ではなくなってしまった。

 リシェンには、今も己は子供に見えているのかもしれない。


「リシェン、次の戦いも出る必要は無い」


「我が手伝ってやれば、万を殺せるというのになぁ。優しいこと」


「銃の試験も兼ねている。お前は見ておけばいい」


「ひひひ、そうさせてもらうよ」


 リリーといったか、あの剣士は。

 きっと、あの女であれば、己の世界に色をくれるのではなかろうか。

 ドブ色の黄金に彩られたこの世界に、色をくれるのではなかろうか。


「ふふ、はははは」


 可笑しくなってグロウ・クーリウは笑う。

 昨夜届いたのは、果たし状だ。

 あの細作ならば、眠るグロウを殺せたかもしれないというのに、律儀に手紙だけを置いて去った。


「手に入れてくれるぞ」


 リシェン、轟魔、リリー、その三人にだけ価値がある。他は塵芥に過ぎない。

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