第4話 問題を起こさないという決意

 大貴族が冒険者を支援するのはよくある話だ。

 武辺者を食客として養うのもまた、大貴族の嗜みとされる。

 古来より、武辺者や侠客が貴族の助けになるという美談は数多くあり、サリヴァン侯爵の抱える護衛もそういった華の一つである。



 鉄で鉄を斬る、影を置き去りにする速さの弓矢。様々なものがあれど、壺の上で踊る女ほどの華は見つからない。

 フレンデル伯爵が同じかそれ以上の華を求めたのは、単純に羨ましかったからだ。


 フレンデル伯は成金伯爵と陰で呼ばれている。若き日には、経営手腕と農地の開拓で名をはせたが、領地経営が落ち着いてからは放蕩三昧の有様。今では肥満体をゆすって、豪奢であるを良しとするだけの男であった。


 武辺者を呼び集めた所で、どこにでもいそうな者しか見つからない。

 伯爵家の跡取り息子であるフーゴもまた、父親に「あんな護衛が欲しい」とねだった。似た者親子である。

 フレンデル伯は肥満体をゆすり、自らの前に招き入れられた七名の武辺者を見つめた。芸術と食べることにしか興味が無いフーゴは、失望の予感に今から不機嫌だ。


「……何ができるかやってみせよ」


 魔術師の女は氷の鳥を飛ばし、大剣使いの男がそれを両断した。他にも槍の名手だなんだとかがいたが、どれも大道芸にしか見えぬ。

 これは仕方ないことだ。

 彼らの輝きは命を賭すことで得られる。どれも実力は申し分ないが、生命の輝きを放てる場所ではない。故に、芸を見せるしかない。

 最後に残ったのは、巨体の男であった。

 長柄の連接棍フレイルという珍しい得物であった。


「不作法、許されよ」


 瞬間、護衛の騎士も他の武辺者を置き去りにして、大男はフレイルを伯爵の眼前に叩きつけた。

 誰しもが「やりおった」と思った。伯爵と子息の二人を一撃で亡き者にしたのである。

 フーゴは痛みも感じずに死んだ。

 齢にして七つ。

 詩吟の中の歌姫や、絵画に潜む悪鬼や英雄に焦がれる生き方であった。

 母の死から、母の好きだった芸術にのめり込み、いつか母上に会いまみえる、死の日のことだけを考えていた。

 フレンデル伯もまた同じく、死の瞬間にあったのは亡き妻のことだけだ。領地も跡継ぎもなにもかもが頭より抜け落ちた。ただ、それだけである。

 放蕩の日々にどれほどの意味があろうか。

 愛しいものを失った時から、何もかもが空虚で、金銀の輝き以外は目に入らなかった。いや、それしかすることがなかったのだ。


 死とは真っ白な世界であった。

 地獄とはこんなものか、とフレンデル伯は思う。その時、懐かしい匂いがした。

 妻の作る小豆とモ・ツィを使った善を招くという菓子の匂いだ。冬になると、妻は使用人と共に自らそれを調理した。

 気づけば、目の前に、妻がいた。

 何を言ったか、何を言われたか。どれほど語り合い、どれほど愛し合ったか。それらは一瞬の夢のようであり、思い出せない。

 ただ、確かにその手にあって、許された。


 わたしは幸せでした。幸せになって下さい。


 目を覚ますと、はらはらと涙を零して椅子に座っていた。

 目の前には鎖で縛りあげられた大男。

 隣にはフーゴがいて、眠りながら「母上」とつぶやいている。

 使用人や近衛騎士が何かを言っているが、耳には入らない。

 髭面の巌のような大男と視線を合わせれば、大男は小さく頷いただけである。


「よい、体に大事は無い。その男は、当家で召し抱える。否はないな」


 周りがざわめいた。

 誅さねば面目が立たぬと言う家令に対して、伯爵は「よい」と一言一睨み。家令は、在りし日の伯爵に戻っていることを理解し、言葉を失った。


「息子ともども、大恩が出来た。貴公は何を望む。いかなる言葉とて、私は聞き入れるぞ」


「なれば、伯爵閣下」


 大男は領地にある教会への支援を申し出た。教会本部にではなく、街で孤児院を経営する教会への支援である。

 修道女と老いた司祭が取り仕切るという教会に、日を置かずに寄進が寄せられたのは言うまでもない。


◆◆


 大男はフレンデル伯爵の護衛となった。

 元は傭兵冒険者であり、今は修道会の用心棒であった男は、この日、伯爵家の護衛となった。

 男が振るう連接棍とは、今では斧槍や馬上槍にとってかわられている古い武具である。農民や修道士が農具を改造して作った弱者の武器だ。

 穀物を砕くための棒と長柄を組合わせただけの簡素な武具であり、今も寒村の農民が盗賊と戦う時になどは用いられるが、戦士が使うにはいささか古い。


「以前は傭兵をしておりましたが、身を持ち崩しました。手ひどく負けを喫してから、世話になった教会で己を鍛え直しておりました」


 身を持ち崩したという男だが、その立ち振る舞いは古い騎士そのものである。巌のような顔立ちの髭面の男は、時間はかからず伯爵家の騎士にも受け入れられた。

 士官の成り行きからも、大男に突っかかる者は多くいたが、それは武人のこと、槍を交わすことが言葉に勝る。

 伯爵は経営の立ちいかぬ教会から、相場を遥かに超えた高値で廃物を買い取った。寄進ということにして教会本部の目を引きたくなかったこともあるが、その際に見つかったものに運命を感じていた。

 遥か昔、聖女アメントリルが台頭する以前、武辺の時代に教会騎士が用いた武具の数々である。

 年月にさらされたそれは、実用に耐えうるものではなかった。

 伯爵は鍛冶屋に命じて、その武具を鋳なおして連接棍をあつらえさせた。


「褒美である」


 古の教会騎士の様式に則った連接棍は、大男の手に馴染んだ。



◆◆


 フーゴ・フレンデル伯爵子息は丸々とした、鍛え抜いた筋肉の塊のような男である。

 大貴族の子息らしく着飾り、護衛を連れている。が、彼の肉体を見て無体を働こうという者がどれほどいるか。

 フーゴは騎士道には通じていないが、芸術に対する審美眼は若くして評価されていた。見た目は着飾ったオークだと揶揄されるが、そういった陰口は気にすることもないようだ。

 学院のサロンで優雅に茶を愉しむ様は、知的なオークである。


「うむ、ラザンテ男爵領の茶か。茶器との相性も良い」


 茶の道にも通じているため、学院のサロンがいかに洗練されたものかも理解できる。

 香りの次は茶うけの柘榴だ。甘さが心地よい。

 隣の席が、きゃいきゃいと騒ぐのを無視して彼は茶を愉しむ。

 何事か言い争っている隣の席で、立ちあがった男の片割れがフーゴのテーブルをひっくり返した。

 フーゴが見やれば、そこにいるのは最近とみに噂になっている女史だ。下級貴族ながら、大貴族の子息と惚れた腫れたの浮名を流す毒婦。その女を挟んで言い争いを展開しているのは、炎と氷に例えられる双子の美少年である。


「キミ、私の茶が台無しになってしまったではないか」


 フーゴが仕方ないといった様子で言えば、ようやく双子の片割れが振り向いた。


「関係ないヤツは黙っていろ」


 何を言っているのだ、この男は。いや、炎というだけあって、燃え上がりやすいのかもしれない。よく見れば、赤毛だ。もう一人は青髪であるので、あちらが氷ということだろう。

 噂の女子が二人の間に割って入って何事か言っている。


「わたしは、どっちか選ぶなんて。そもそも子供のころからの付き合いだし」


「謝罪はないのかね」と、フーゴ。


「ずっと好きだったんだ。僕のシャルロッテ」


「いや、俺の方が先だ、シャルロッテ、俺はキミのことをずっと」


「いい加減にせんかッ。男(おのこ)が婦女子に白昼迫るなど恥を知れい」


 無視されたフーゴが激昂する。

 サロンに留まらず、学院全てに届くかと思うほどの怒声である。


「なんだお前は、邪魔をして」


「関係の無い人は黙って下さい」


「二人ともダメだよ、そんな言い方したら」


 フーゴは額の血管が千切れるほどの怒りを感じて、何か叫びそうになった。


「そこもとらの心積もりは理解できたよ」


 懐に忍ばせていた手袋を、フーゴは投げつけた。

 古式ゆかしい決闘の申し入れである。


「これ以上の侮辱は許さぬ。尋常の決闘が良いか、それとも介添え人を入れるかは任せようではないか」


「兄さん、僕たちにケンカを売っているよ」


「ああ、身の程をオークに知らせてやらねばな」


「ちょっと、待って下さい」


「御婦人。選ばれるなら、貴種たりえる者にすべきですぞ。さあ、このフーゴ・フレンデル、決闘に介添え人の制限はつけん。刻限は明日の昼六つ」


「豚が」


「兄さん、今はこうるさいオークの始末だね」


 フーゴは、怒りに歪んだ顔をなんとか平静に保った。

 介添え人とは、決闘の古式ゆかしいシステムだ。助太刀のことである。




 帝都屋敷から帝都行脚。

 ザビーネの叙勲に葬儀と、忙しい日々も十日ほどで落ち着いた。

 学院入学に随伴するはずの使用人たちは、四か月以上帝都屋敷で待たされている。

 使用人たちは、リリーを外に出させないことと、改めて令嬢としての教育を行ったりと、本人よりも殺気だって下準備を行っていた。

 リリー・ミール・サリヴァンは病弱な姫君だ。

 その設定だけは遵守せねばならない。


「叔父上、剣を研ぎたいのですが」


 と、リリーは朝食の時に言った。

 朝の鍛錬を終えたリリーは、風呂に入って汗を流した直後である。体にガウンを巻いただけのその様は、虎のようだ。

 全身に刻まれた傷痕は鍛錬によるものである。

 ヴィクトール・ベルンハルト伯は、口元に笑みが浮くのを抑えられない。どうすれば、ここまでの姫が出来上がるか。

 護衛に雇ったという奇妙な異国人の女、生きていれば酒を酌み交わしたい。その機会が失われたことは、惜しい。それこそ、金をいくら積んでも手に入らない何かがあったやもしれない。


「よかろう。得物は武人に必要である」


 剃り上げた頭をつるりと撫でたヴィクトールは、朝の茶を流し込む。




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 叔父上の許可が出たということで、リリーはエルフ様式の服を着て帝都屋敷から抜け出していた。どうにも、軽い朝食では力が出ない。

 さてどうしようかとリリーは思案しながら歩いていたが、バザールから漂う串焼きの匂いに足が吸い寄せられた。腹がくうと哭く。


「まずは腹ごしらえか」


 串焼きを三本と、木の実を練りこんだパン。それから、甘酸っぱいリシオンの果実を買って、食べながら歩く。

 串焼きの肉に使われるタレは、エルフの集落では味わえなかった都会の味だ。パンはエルフの作るもののほうが舌に合う。

 リシオンの皮を剥くためナイフを取り出すと、いたく切りにくい。研ぎに出すか新しいものを買わねばならない。ふと気づけば、得物の『ドゥルジ・キィリ』の柄も手入れの頃合いだ。師より受け継いだ剣、『ドゥルジ・キィリ』は素人では手を出しかねる。


 職人街へ向かい、鍛冶屋を捜した。

 岩人、ドワーフと呼ばれる種族の店が良い。と師匠からは教えられている。

 しばらく歩くと、ドワーフの店であることを示す紋章の掘りこまれた看板のかかる工房を見つけることができた。


「邪魔をする」


 雑然と様々な武具の並べられた店内には、作業場から流れた熱気で蒸し暑い。鉄の匂いがしていて、「当たり」の店だと知れる。


「お嬢ちゃんに使える品はない。帰んな」


 と、突然の声にそちらを向けば、それはリリーに向けられたものではなかった。

 店主らしきドワーフと見目麗しい亜麻色の髪の姫君が何やら睨み合っている。


「剣がいるんですっ」


「だとしても、あんたのお小遣いじゃあ買えんよ」


「あっちに値札がついてるじゃないですか」


「はっ、手を斬るのがオチだ。さあ、お嬢ちゃんにゃあどれも金貨一万枚だ。帰んな」


「店主、横から悪いが、研ぎは受けてもらえるか」


「ああ、お客様、こちらへどうぞ」


 リリーは、涙目の女を横目にカウンターにナイフと刀を置いた。


「ちょっと、まだ話は終わってませんよ」


「アンタは後だ。失礼しやすよ、ダンナ、いや、失礼、女剣士殿」


 ドワーフの店主はリリーに目配せしてから、鞘から剣を抜いた。店主の腕は人と比べて短いが、すらりと見事な抜刀である。職人の業であろう。


「これは、見事な。あっしに、ここまでの業物をお任せ頂けるので?」


「ああ、岩人であれば間違いないと師匠も言っていた。ガタは来てないが、調整を含めて頼む」


「黒の山脈の仕事でもここまでの業物は……。久しぶりに気合の入る仕事ですな」


「これで頼む。足りなければ後でまた持ってくる」


 リリーは侯爵家発行の金貨を二枚と、岩人の銀貨を数枚カウンターに置いた。


「おお、ロックホールの銀貨までお持ちですか。いやいや、充分ですよ。これほどの魔剣を触らせてもらえるのは鍛冶屋冥利につきます」


「大げさだな」


「へへ。剣士殿、代わりの得物は入用ですか?」


「そうだな、ナイフは新調した方がいいなら新しいものを買うが、どうだ?」


「まだまだ使えますが、刃渡りでいえばこちらを持つのはいかかですかい」


 ドワーフの店主が棚から取り出したのは、大ぶりな短剣だ。ゆらめく刃紋に、独特の魅力がある。


「いいな、それを貰おう」


「へい。ありがとうございやす」


 リリーは手持ちから銀貨と宝石を出してその短剣を買った。

 軽く振って重さを確かめると、よく馴染む。重心にブレはなく、確かな技術で造られた業物である。


「いい仕事でしょう。あっしは、人と物には縁があると思ってやす。そいつは女剣士殿に使われるために出来たんでしょうな」


「はは、上手いことを言う。それは素敵な考えだ。いつか、どこかで私も使おう」


 刃物止めのベルトに短剣を刺しこむと、ピッタリだ。普通はベルトの調整をするものだが、あつらえたように、すんなりと刃物が収まった。


「ね、縁があったでしょう」


 こちらの刃物帯に目を通していたくせに、よく言う。

 リリーは口元を歪ませて、笑う。

 不遜な者は、そこまで嫌いではない


「店主さんっ、こっちの話も聞いて下さい」


 と、先ほどから押し問答をしていた姫君が横から口を挟んだ。

 頬を膨らます様は、木鼠や赤狸のようで可愛らしい。


「お嬢ちゃん、あんたにゃ刃物はにあわんよ。金物屋を紹介してやるから、包丁でも買いな」


「それじゃダメなんですっ。明日、決闘なんだから」


 ぴくりと、店主とリリーの顔が変わった。


「お嬢ちゃん、介添え人なんかになったんじゃあるまいね」


 と、店主は、じろりと岩人特有の瞳で姫君を見据えた。


「そ、そうじゃなくて」


 リリーの脳裏に浮かんだのは、ザビーネの姿である。

 この少女があれほどの覚悟を持つとは思えない。だが、人は追い詰められれば、何でもする。


「店主。……そちらの姫君の話は私が伺おう」


「店ではナシにして下さいよ。貴族様のもめ事は少々荷が重いんで」


「正直は美徳だな。研ぎは任せる」


「へい」


 リリーは姫君の背を押して外に出た。

 どのような話か聞かせろ、と言うと、少女は人を疑うことを知らないのか、近くの甘酒売りの屋台にリリーを誘った。


「あの、わたしはシャルロッテ・ヴィレアムと申します。お父様は騎士で、お家は商人宿をしています」


「リリーだ。故あって姓は明かせぬ」


「人食い姫様と同じ名前なんですね」


 心臓が口から出そうになった。

 甘酒売りの老婆はシャルロッテと懇意な様子で、頼んでもいない串団子を出してくれた。焼き目の香ばしさと素朴な甘さが、甘酒によく合った。

 長椅子に並んで座り、決闘とやらの経緯を聞いた。

 頭が痛くなるような内容だ。


「言ってはなんだが、そのフレンデルとやらに謝罪すれば丸く収まるであろうよ」


 リリーはフレンデルと幼い時に一度だけ会ったことがある。が、今は知らないフリをした。

 芸術に関して夢見るような顔で語る少年だった。使用人たちから渡された、挨拶をすべき人のリストにもその名がある。


「でも、アーくんも、エルくんも聞いてくれなくて……。だから、わたしが二人をこらしめてやったらって」


「剣を持って叱る、ということか。悪いが、その二人のことを教えてくれないか?」


 アーベル・バルシュミーデとエルマー・バルシュミーデは双子である。男爵家の庶子であった。

 幼き日より、妾腹ということから奥方に疎まれて「遊びにいかせる」という名目で昼日中から家を追い出されるという仕打ちを受けていた。

 貴族の見目麗しい双子は、日々、悪童の餌食になっていた。ある時、それを助けたのがシャルロッテである。商人宿のお手伝いで、大人との会話に慣れたませた子供であったシャルロッテは、悪童をあの手この手で凹ませて、二人を子分にしたのだそうだ。


「お家のお手伝いとか。わたしもお姉さんぶって、色んなことさせたかな……」


 時には、近くの水路で鰻取りに精を出し、帝都を駆け抜けるように遊んだのだそうだ。

 その内、二人に魔術の才能があると分かってお勉強で毎日は会えなくなったが、ずっと付き合いは続いたそうだ。知らないことは無いというほどに、仲が良いのだとか。


「アーくんは、エルくんやわたしを守ろうとして、口が悪くなるんです。エルくんは、アーくんを上手く支えてやるんだって」


 甘酒を呑むと、いやに甘い。


「家族みたいな関係なんです」


「それがなぜ、そこもとを巡って恋の鞘当てとなったのか」


「鞘当てって……。わたしに、縁談の話があるかもってことからだと、思います」


「縁談、ね。珍しい話ではないが、言っては悪いが下級貴族であれば、好きあったものを選べるのではないのか?」


「……わたし、聖女候補なんです」


 リリーは甘酒を拭き出しそうになって、むせた。

 魂消たまげるとはこのことか。

 聖女とは、貴族の姫から選ばれる名誉職だ。始祖皇帝の墳墓で何やら儀式を行うというものであるらしい。内容は秘されているが、式典の巫女のようなものだ。今では、魔力的な資質よりも見た目や家柄が重視されている。


「シャルロッテ殿、候補となったのにそんなに簡単に出歩いていてもよいのか」


「え、ダメ、なんですか」


「い、いや、よい。何にしろ候補ともなれば、縁談も持ち上がろうものよな。して、双子の男爵庶子については、なんだか分からない話でもないが……。私の口から言って、そこもとに聞かせるというのは、よくないことになりかねん」


「えっと、どういうことですか」


「……とにかく、先にフレンデル子爵に頭を下げるべきだな。聖女候補直々の謝罪もなれば受け入れる他はあるまい。妾腹の双子の暴言であるというなら、家格的にも『相手にしない』が許されるであろう」


「でも、あの子たちは一回痛い目にあったほうがいいんです」


「貴族とはな、侮辱されて黙っていられぬのだよ」


「そんなのっ、傲慢です」


 リリーは、小さく苦笑した。

 下々の者に紛れて久しい。住む世界が違えば、尺度が変わる。どちらも正しいからこそ、分かりあえなくなる。


「フレンデル殿を侮辱するというのはな、フレンデル殿の治める領地の民を足蹴にすることよ。次期領主が盆暗と噂されるだけで、どれほどの痛手となるか。学院の教師は何をしているのか、嘆かわしい」


「学院の中は、身分の差は無いんです」


「……そうも言えぬのが貴族というやつよ。ま、そのお題目があるからこそ、謝罪で済むというものだが」


「難しいんですね、大人になるのって」


「さて、私も未熟な子供でな。未だそれは分からんよ」


 甘酒のおかわりをして、代金はリリーが出そうとしたが、シャルロッテがそれを止めた。年季の入った布財布から銅貨を取り出して支払った。


「聞いてもらえてスッキリしました。フレンデルさんに謝って許してもらいます」


 素朴な甘さの団子は美味かった。


「……シャルロッテ殿、学院には近々縁があるでな。顔を会わせた時にはよしなに頼む」


「あ、警備のお仕事ですか。はい、その時は挨拶します」


「双子のことだが、なんというか、男というか子供にとって必要なものの役をシャルロッテ殿が代わってしまったというか、そんなものだ。教師にでも相談するがよかろう」


「答えは教えてくれないんですね」


「その方が良い気がするのでね。では、また会おう」


「はい、あっ、わたしの実家は、エシャン通りの『猫の靴亭』です。宿を探している時はぜひ使って下さい」


「ああ、そうさせてもらう」


 リリーの遠ざかる後ろ姿を見つめて、シャルロッテは不思議な人だったな、と思う。

 顔に傷があるのに、それが美しく見えた。年はそう変わらないのに、大人びて見える不思議な人だ。



 ◆◆


 学院内では家格による扱いの差は無い。ということになっている。

 制服という同じデザインの服を着るというのも、それを知らしめる一環だとか。

 リリーは制服を着た後に、具足を履こうとして使用人に咎められた。足は最低限守りたいのだが、それすらも許されぬらしい。

 虎の毛皮も没収されて、腹がスースーする。


 学院長は、三十歳くらいの男であった。フランツ・カグツチという名である。線の細い神経質そうな男で、眼鏡の奥から険のある瞳で見据えてくる。が、それは芝居だ。

 他人に何の興味もない男なのであろう。


「遅れを取り戻すため、勉学に励んで下さい」


「かしこまりました。学院長」


 宮廷魔術師と同じ姓だと気づいたのは、挨拶を終えて退室した後だ。

 リリーは大病を患っていたが治った、ということになっている。

 廊下を歩けば、ひそひそと「人食い姫だ」という声が漏れ聞こえてくる。

 落ち着かない。これなら、まだ山賊と斬り結んでいるほうが気楽だ。

 寮の部屋は一人部屋で、広い。侯爵家に配慮したのだろう。


「なんとかならぬものか」


「なんとかしやしたよ、姫様」


 背後から声がかかった。ヒールの高い靴のせいで振り向くのが遅れる。死を覚悟したが、来たのは殺気のみであった。

 小男がにやにやと笑みを浮かべていた。下男のような服装をしているが、見たことの無い顔だ。殺気だけを当てた腕前は見事としか言いようがない。


「……蛇蝎のウド、か」


「ほお、顔も声も変えておりやすが、分かりますか」


「気配はわざと変えなかったな。女にでも化けれるというのに、嫌な真似をする」


「ヒヒヒ、悪戯というヤツです。さて、お困りと思ってお持ちしましたよ」


 ウドは言うと、一度退室してから大きな荷物を運びこんだ。箪笥である。

 開けてみると、エルフの服から虎の毛皮。さらには短剣までリリーの一式が詰め込まれている。勿論、木刀もあった。


「ありがたい」


「姫様にはそいつがねえと、こっちも面白くない」


「……面白くないとは失礼な。私は問題を起こさないと決めている」


「そいつは楽しみですな。では、あっしはこれで」


 呼び止める間もなく、ウドは姿を消した。気配を完全に絶っているため、追うこともできない。


「どういうつもりか」


 政治的なものとは無縁であるという確信はあった。しかし、あの男は何が楽しくてこんなことをするのか。

 考えても分からない。

 とりあえず、懐に短剣を仕舞っておいた。




 午前の授業で、教室へ向かう。


「遅れての入学ですが、よろしくお願いします。ワタクシは、リリー・ミール・サリヴァン。大病を患い、体が弱くて皆様にご迷惑をかけるかもしれませんが、卒業までよろしくお願い申し上げます」


 目の下に刀傷。

 鍛錬により丸くなった手。

 鍛え抜かれた肉体。


「う、うむ。では、サリヴァン君は奥の席につきたまえ」


「はい、先生」


 リリーは自身の芝居の才能に酔いしれていた。

 完璧な姫君である。



 問題を起こさない。

 話しかけてくる人がほとんどいないので、問題は起きそうにない。



 昼、食堂に行けば、何やら人だかりがあった。

 先日の聖女候補のシャルロッテと、話にあった双子。そして、全身鎧に連接棍を持った偉丈夫が何やら騒いでいる。

 殺気は漏れていないため、ただのケンカだ。

 あれなら、そう問題はあるまい。

 リリーは、食堂のメニューとにらめっこを始めた。


「……オムレツ、パスタ、たくさんあるな」


 テーブルマナーが面倒だが、慣れるしかあるまい。

 問題を起こしてはいけないのだから、これは令嬢修行と割り切ろう。あと、どこかで壺を用意しないと。

 と、考えていると、魔術の気配がした。

 双子の片割れが、何やら火の術式を組んでいる。

 もう片方は、鎧の偉丈夫に魔力の枷をはめようとしているが、甘い。


「ほお、やりおる」


 ついぞ、言葉が漏れた。

 今では使える者のほとんどいない『魔力破り』を、偉丈夫は連接棍で為した。

 魔力の枷を霧散させ、自らの肉体に取り込む。それは、魔術が異端とされた時代の、聖女アメントリルの改革が行われる以前の教会騎士の秘術だ。

 霧散させた魔力を取り込み、連接棍に封じて威力に加える。魔術師殺しの業であった。


「む、いかんな。失礼、グラスをお借りする」


 近くの席にいた女子生徒のグラスを拝借すると、ヒールを脱いで、裸足になる。



 シャルロッテは見た。

 決闘見物の人垣。一人の男子生徒の肩の上に、女が立っている。女は、そのまま見物人たちの肩を足場に駆ける。そして、きらりと太陽に反射する何かを、フーゴ・フレンデルに投げつけたのだ。


 いやに大きなパリンという音と共に、連接棍は投げつけられたグラスを破壊していた。割れるはずのグラスは、秘術の力により砂粒のように破砕されている。


「決闘に横入りの不作法、許されよ」


「何者か」


「リリー・ミール・サリヴァンである。そこもと、フーゴ・フレンデルであるな。久しぶりです」


 挨拶だけはせねばならないこともあって、妙な言葉になった。


「お、おう」


「教会騎士の秘術見事である。しかし、試し斬りにてその手を血に染める無法は、捨て置けぬ」


 ぐっ、とフーゴは言葉に詰まった。


「決闘に口を挟むか」


「……なれば、一飯の恩義によりシャルロッテ殿の介添え人となろう」


 問題を起こさない。

 リリーの決意は、入学から四時間で崩れた。

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