第5話 果たし状
腕試しをしたい。
そんな欲求は誰にでもある。
フーゴ・フレンデルにもまた、そのような欲求があった。
怒りに任せた決闘に対して、相手は魔術師寄りの剣術使いとなれば、絶好の相手である。
命を奪う感触が、更なる高みに登るには必要であった。
◆
なんという目か。
恐怖も高ぶりもない。
これでは獅子と同じではないか。
フーゴはリリーと相対して、すでに呑まれていた。
素手の上、さらに裸足。人の肩を駆け抜けるという離れ業を見せられて分かることは、この女が見た目以上の怪物であるということだった。
「得物も無い女子に向ける刃は無い」
「……フーゴ・フレンデル。貴種であらば、一度振り上げた剣は降ろせまい。それに、今、お前は少し叩いておかねばならぬ気がする」
リリーは懐から大ぶりの短剣を抜いた。
見物人が小さく息を呑む。
「シャルロッテ殿、こちらを」
「え、わたし」
リリーの差し出した短剣を、シャルロッテは手に取った。
「当事者に刃がないと格好がつかんよ。それに、今の彼奴に刃はいらぬ」
瞬間、フーゴに怒りの炎が再度燃え上がる。
「とうに言葉の時間は過ぎ去ったぞ」
「最初に言っておく。素手は不得手でな……」
フーゴは答えを聴く前に連接棍を振った。
間合いの内である。が、的を割るようなイメージは浮かばない。相対して分かるのは、リリーという女が、見た目は虎でも気配は希薄ということだ。そこにあるのに、捉えられない。
息吹の秘法である。
自然との同化を目的にした息吹は、『反』の存在に対して生命で立ち向かう秘術である。
「修行不足で、加減ができん。故に、耐えてみせろ」
連接棍の一撃は空を斬った。
鎧ごと相手の骨を砕く連接棍の一撃も、当たらねば意味をなさない。そして、長柄は間合いを詰められると行動が途端に制限される枷となる。
膝の裏を蹴られたのは分かった。
フーゴはそれからが分からない。気が付けば、宙を舞っていたからだ。
投げられたと気づくのにしばし時間がかかった。
強烈な痛みの中で、ハッと我に返って立ち上がれば、目の前にリリーはいない。
「勢いを借りた試し斬りは感心できん。やるなら、相手の命を飲み込むだけの気概で行わねば、教会騎士の秘技が泣くぞ」
腕を捻り上げられた。
体の理を利用した体術の
「おのれ。俺は名誉を守るためにっ」
「それもよかろう」
関節を解いたリリーは、フーゴの前に立った。
首に巻かれていたスカーフを外して、右の拳に巻いていた。
「フーゴ・フレンデル、お前の師がやる代わりに、私が叩こう」
その言葉の意味をどれだけの者が分かっただろうか。
フーゴには、目の前で虎が牙を剥いたように見えた。
◆ 一分始終を目撃したシャルロッテ・ヴィレアムに聞いた話 ◆
リリーさんには言いたいことがたくさんあるんですけど、一番驚いたのは旅の剣士さんが人食い姫様だったことなんですけど、あ、そうじゃなくて、決闘の話ですか。
ええ、突然現れて、王子様みたいって、え? そっちでもないんですか。
ああ、あの場で起きたことですね。そっちは素人の目からなんで、ああ、それでもいいんですか。
フーゴ様を投げ飛ばしたり、不思議な技で腕を捻り上げたあとですね。
わたしの目からも、フーゴ様が怖がっていたのが分かりました。
投げ飛ばしたのも凄くて、男の子はみんな、アーくんもエルくんも口を開けて見てるしかできなくて……。リリーさんは素手で、フーゴ様は甲冑、それを殴りにいくなんて誰も思いませんでしたよ。
甲冑を叩いたら手が痛いだけって思うじゃないですか、でも違うんですね。魔力なんとか拳っていう人もいるけど、わたしは違うと思うんです。多分、あれは、そういうのじゃなくて、ロブおじさがパンを凄く上手く焼くみたいな、そういうのだと思います。
体ごとぶつかったり、蹴ったり、ドンって殴るっていうよりぶつかるような音が多かったですね。
フーゴ様は何度も倒されて、立ち上がろうとしたらすぐさま顔を蹴り上げたり。
私の目から見ても、ビビって、あ、失礼しました。その、怖くなったんだと思います。街育ちなもので言葉遣いはご容赦下さい。ええ、でも、ケンカって心が折れちゃったら負けですから。
立ち上がれなくなっちゃうんですよね。
でも、そうしたら、
「立て」
立ち上がるのを待つんですね。
フーゴ様のこと、尊敬します。あんなの、男の子でも二回もされたらごめんなさいって言っちゃうのに、十回以上起き上がったんじゃないかな。
そうしたら、リリーさんもスーって息を吸って、連接棍を杖代わりに立ちあがったフーゴ様に言ったんです。後ろで見てた人には聞こえなかったかもしれないけど、たしかにわたしは聞きました。
えっ、なんて言ったって。
それは、多分、フーゴ様にも大切なことなので言いません。
あはは、ごめんなさい。でも男の子には大事なことだと思うんです。
でも、これは言っていいかな。
「死ぬかもしれないから、耐えろ」
甲冑を着た騎士様に言うことじゃありませんよね。
急に、空気が変わりました。
なんていうか、リリーさんの雰囲気が変わって、呼吸の音が聞こえました。見てる私たちも、胸が高鳴って息をするのも苦しいくらいで。
あはは、違いますよ。そうじゃなくて、あ、今から凄いのが出るって分かったんですよ。なんで分かったかって、あそこにいた人にしかきっと分からないんですけど。
リリーさんは、両手を開いて、フーゴ様の胸に置いたんです。それで、ぐいっと押しました。
傍目からはそのくらいしか分かりません。
あの時、空気が張りつめたようになって、それがフーゴ様に吸い寄せられたみたいな、そんな感じがして……。
ええ、フーゴ様は膝をついて、前のめりに倒れましたね。
勝負がついたって分かりました。
問題はその後なんですけど。
はい。そうなんです。
多分、リリーさんは空気が読めない所があるみたいなんです。えっ、わたしが言うなって、そんなことないですよっ。
◆
やっちまった。
熱くなってしまった、というのがリリーの本音だ。
倒れ伏したフーゴの兜を脱がせて呼吸を確かめた。死んではいないが、自分の想定したものより三段以上はやり過ぎてしまっている。
決闘の見物人たち、水を打ったかのように静まり返っている。
この時、リリーに去来したのは、「問題を起こさない」という決意である。
婿取りに大いに影響してしまう気がする。形だけでも負けねばならない。
リリーは大いに焦った。
「うっ、持病のシャクが」
そう言って、いやに芝居がかった動作で倒れた。
「えっ、それ明らかに嘘じゃないですか」
シャルロッテが大声で言うが、見届け人である男子生徒は、それをかき消すほどの大声を出した。
「この決闘、死力を尽くし勝者おらず。引き分けである」
この後、教師がやって来て主だった参加者は説教と反省文を書かされることとなった。
リリーは侯爵家の威光を利用して、「体調がすぐれませぬ」とさっさと寮の自室へ戻ってしまったが、咎める者はいなかった。
勝者には全てが許される。
それも、貴族の常である。
◆
自室で、軽く剣を振る。
壺の鍛錬は毎日行うものではないが、できるだけしたい。特に、戦いの後は心を落ち着かせるのに良い。が、無いのは仕方ない。
寮から抜け出して、学院の裏手へ向かった。
使用人たちの使う宿舎の近くを流れる小川で、座禅を組んだ。
問題を起こさないと言った手前、どうやって誤魔化そうかと考えたが、無理だろう。唯一の救いは、引き分けということにできたくらいか。
フレンデル男爵家と不仲になるのは避けたい所だが、こうなってしまえばフーゴと一度話して懇意であるとするしかあるまい。互いに大貴族の内である。その辺りに対しては理解をするはずだ。
何より、最後まで立ち上がった男である。
あれはきっと強くなる。うかうかしていると、追いつかれるかもしれない。
邪心はいつも心の内にある。
座禅で、それを追い出すのだ。
あの時、手元を狂わしていれば、自分より強くなる可能性のある者を潰せた。強い弱いで騒いでいる武芸者である。その邪心は常にある。
優位に立ち続けるというのは、難しいものだ。
強い他者は全てが死ねばいい。リリーとて、そう思う。
邪心は剣を鈍らせる。他派には、邪心こそ剣理であるというものもあるが、リリーの息吹はそうではない。
びゅう、と風が吹いた。
大山より吹き降ろすような強い風を感じた。
「リリー・ミール・サリヴァン殿か」
その声もまた、山のような太い声である。
「いかにも」
「大気に溶け込む理術、見事。我が弟子が世話になった」
見れば、フーゴを一回り大きくしたような髭面の大男である。いや、実際には頭一つ大きいというところだが、その男から受けるものは、それ以上に大きく見せている。
「フーゴ殿の師か」
「アレは強くなるのを焦っていた。教えるのは某(それがし)の役目であった。代わりに叩き込んでくれたこと、礼を言う」
「余計な世話とも思ったが、あれほどの若者がみすみす堕ちるのは見過ごせなかった。して、用件は」
「これを受け取って頂きたい」
大男は羊皮紙を差し出した。わざわざ、赤い紐で丸めてある。
「果たし状、か。教会騎士の作法ではないな」
「息吹の秘術を使えるということは、彼女の弟子であろう。貴公の師に負けてから、己を鍛え直す日々であった。感謝をしているが、己が技をぶつけたい」
師は、敵を殺さないことがあった。リリーにも、今なら分かる。正道に戻るかもしれない者に、その道を示したのだろう。そして、正道に立ち戻り、道が交わることもある。
「師より受け継いだばかりの若輩者ですが、受けましょう」
「感謝する」
時刻は明日の夜半。
何者かが、こちらを見ている。
「気をつけられよ、この学院は教会に勝る劣らず魑魅魍魎が渦巻いておるゆえ」
「はは、姫ともなれば、謀はいつものことよ」
大男は小さく笑って、転がっていた石を手に取ると、呼気と共に投げた。
リリーの目には見えた。
悪鬼を討ち祓う正しい教会騎士の行う『魔力破り』の礫だ。
礫は、隠れていた何かに当たったらしい。何かが逃げていく気配だけはあった。
「印字打ち、見事」
「夜の者か細作か、政(まつりごと)とは不可解なものよ」
大男は、リリーの目の前にあぐらをかくと、腰につけていた巾着から酒壺と杯を取り出した。
「一献、いかがか」
「頂こう」
甘い匂いのする酒である。
岩人が作るというジュニパーベリーの酒だ。
大男が先に呑み、差し出された杯をリリーも呷った。
「そなたの師は、我が道を正道に戻した」
「私も、師に会わねばこうはしていなかったでしょう」
大男は、言わずとも師が身罷ったことを分かっている。
リリーの剣は、師ともまた違う。しかし、受け継いだ者であるのは分かる。
「山賊にまで堕ちた俺を、掬い上げるような剣であった」
言葉少なに、大男は師との邂逅を語った。
途切れ途切れの言葉から紡がれる物語は、断片からそのおおよそを伺うことしかできない。
大男は師にこらしめられた。教会に拾われて傷を癒し、教会の祀る神の導きか、古の教会騎士の業を受け継いだのだという。
酒を二人で飲み干すと、大男は立ち上がった。
「では、明日」
「応」
別れの言葉はそれだけだ。
ふ、と息を吐くと、またしても気配があった。
黒装束の蛇蝎のウドである。
「決闘、受けるんですかい?」
「ああ、受ける。ウドよ、見届け人を頼めるか」
「く、ハハハ、このあっしに見届け人を任せて頂けるので」
「得体が知れんヤツだが、お前はザビーネの友だ。友の友ならば、信じられよう」
「……甘いお人だ。いつか痛い目を見やすよ」
リリーは小さく笑った。
月だけは、いやに綺麗だ。
古の教会騎士の業を継ぐ男。フーゴとは比べ物にならない。
あれほどの男に勝てるか。
あまりに恐ろしいというのに、受けてしまった。
師ならばどうしただろうか。きっと、受けただろう。
言葉よりも、剣を交わすことでしか語れないことがある。
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