#27・・・魔法少女、死すべし

「ッッッっフルゴラああああああああああーーーーーーーーーっ!」


 彼女は見ていた。すべてを。激情が全身から力となって迸った。片腕を上げると、そこにすべてのエネルギーが集中する。

 ――天が割れた。巨大な白い光の剣が、片腕から伸びた。

 化け物が、ゆっくりと振り返る。

 ヴァルプルギスは、その剣をまっすぐに振り下ろした。


『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 悲鳴。絶叫。怪物は左半身を斬り裂かれた。その肉が地面に落ちる。

 苦しみながら足元をふらつかせ、暴れる。その足先は……塔の方に向かった。


「しまった……」


 その先に、ルッカが、ルシィが。化け物の半分になった目がいびつに光り、塔の頂上に向かう――。


 しかし。目前で、その一撃は停止した。その体ごと、動きを止めたのだ。


『ナ……ン、ダト……』

「――おかあさんの」


 ……化け物の、眼前に立ち。その動きを止めていたのは、小さな少女。

 ルッカだった。震える身体で化け物を睨みつけながら、叫んでいた。そこから何かが放射され、その怪物の動きを金縛りのように停止させていた。


「お母さんの、じゃまは、させないっ……」


 その意思ある瞳は、化け物の中にあるカレルレンを畏怖させるのに十分だった。


「ルッカ、貴女……」


 我に返ったハイドが呟く。ルッカの後方で、ルシィも。


『素晴ラシイ……ヤハリ君モマタ、魔法少女トナル者……』


 化け物は、徐々ににじり寄る。ルッカの力が、弱まっているのだ。彼女は恐怖を思い出したらしく、目を見開いて、座り込む。すかさずルシィが彼女をかばう。


『イイダロウ、ソノ力……私ガマトメテ愛シ……陵辱、シテヤロう――』


 ……その発言は。

 そこにいる二人の魔法少女の怒りを、一瞬で高めた。


「この……」


 ヴァルプルギスは加速して構えた。フルゴラは瓦礫の下から加速して、化け物の背中に向き合った。それぞれ速度を上げて――その拳とともに、叫ぶ。


「この、変態野郎がぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」


 二人の魔法少女は、胴側と背中側それぞれに突撃し、その中央部に拳を叩き込んだ。怪物はよろめきながら嘔吐し、へしゃげた肉をさすりながらたたらを踏む。二人がルッカ達の前に並び立ち、顔を見合わせて頷いた。さらに吠える――加速、特攻。拳を振り上げて。


 化け物のみぞおちに、力を思い切り、力任せにぶちこんだ。

 ファフニールはくの字に折れ曲がりながら後方に倒れ込む――そうはさせない。二人は上空から後方に回る。そして。


「うおおおおおおおおーーーーーーーーーッ……!」


 背中を、二人の足が蹴り上げた。それぞれに紫電、光。肉が大きく陥没する。さらによろめく。それだけでは終わらない。彼女たちは化け物の前方に。間髪入れず――その両腕に魔法陣。そして、放った。魔力を凝縮した紫電と光のレーザー。怪物に向けて放たれ、轟音とともにその体を大きく後方へ、後方へ。足元で地面がめくり上がり、激しい余波が起きる。


 怪物は絶え間ない前後の攻撃に憔悴しながら……それでも、巨大な声で言った。


『ふざケルな、私ハ神だぞ、そんナモノでは――』


 だが、言葉は途中で止まる――その体表面が泡立ち始め、ボコボコと崩れ始めた。そして、内部から赤黒い熱を発しながら、焼け爛れていく。メルトダウンのように。

 怪物が恐慌し、異様なくぐもった声を上げる。巨大な目が揺れる。


「当然じゃない。ただの人間が、プロトタイプとはいえ、四人分の魔法少女の力を背負い込んで、無事でいられるわけが……」


 だが、怪物を前にしたフルゴラもまた――そこで、血を吐いた。

 彼女は満身創痍だった。生きているのが不思議なほどに。


「ごめん。先輩……あたしにも、ツケが……」


 力なく笑う。ヴァルプルギスはこみ上げてきた何かをなんとか飲み込む。


「ふざけるな、お前はまだ、私に仕返しをされる義務が……」


 だが、フルゴラはまだ、生きていた。彼女は彼女を見た。その目がすべてを雄弁に語っていた。その意を、汲むほかなかった。


「……援護して、フルゴラ」


 前を向いて、ヴァルプルギスは言った。怪物は立ち上がる。最後の咆哮を上げる。

フルゴラは、頷いた。彼女は目の前に、紫電の矢を展開。

 ヴァルプルギスが怪物に向けて翔んだ瞬間、それらは彼女を援護しながら飛来した。

 ファフニールは、反応できなかった。目の前に上がった雷電の火花に気を取られていた。ヴァルプルギスがその懐に潜り込み、その拳をアッパー状態で叩き込んだ。身体に衝撃が走り――怪物が、浮いた。その真下から、ヴァルプルギスのちからが全開する。周囲に、暴風。


 ヴァルプルギスは、翔んだ。怪物を押し上げながら、上へ、上へ――豪雨の向こう側へ。

 遠ざかっていく、遠ざかっていく。そのどす黒い雨雲の向こう側へ――光の帯をたなびかせながら、もがきながら抵抗する化け物を意に介さず、上へ、上へ。

 フルゴラは、それを見上げた。


「行け……行け、ハイドっ……」


 しかしそこで、ふっと意識が遠のいた。彼女は、落ちていった。

 ……その手が、掴まれた。

 おぼろげな視線で、顔を上げる。そこに居たのはルシィだった。彼女が、フルゴラを掴み……塔の頂上へ、引っ張り上げた。


「どうして……」

「私がやろうと思ったんじゃない。後ろの。この子が、言ったんだ。助けてあげて、と」


 フルゴラは――ルシィの後ろに居る少女に目が行った。そこから、離れなかった。


 雲を抜けると、もう空に雨はない。雲海の向こう側から、朝がやってくるのが見える。

 がらんどうの空の中、二つの人を超えた存在がぶつかる。

 怪物はヴァルプルギスを引き剥がしながら、全身に残っていた触手を迸らせる。

 それらを回避しつつ、光の翼をばらまく。

 加速、接近――衝突。彼女の拳が、化け物の拳とかち合い――競り勝った。

 肉が更に砕かれ、化け物は絶叫する。


「どうしてこんなことを続ける、これを続けた先に、お前が居るとは限らない、なぜ、なぜそこまで支配にこだわる」


 しかし、ヴァルプルギスの問いかけに対し返ってきたのは――憎悪。


『黙れ、黙レ――私にはこれしカナイのだッ――』

「ならば……その根源を、私は掴むッ!」


 そして――ヴァルプルギスは、全身を光に変えて、ファフニールの体内に侵入した。


「おねえちゃんは、お母さんの、友だち……?」

「……そうなろうと思ったけど、最後まで、なれなかった哀れな女だよ」

「わたしから見たら、ちゃんと……ともだち、だよ」

「……」


 それ以上聞けば、戦いをやめたくなってしまいそうだった。


「準備する。下がってて」


 だからフルゴラは彼女の声を振り切って、冷淡に言った。魔法杖を構えて床に下ろす。これまでにないほどの、巨大な魔法陣――祈るように、目を閉じた。

 紫電が陣から溢れ、次の瞬間。

 街中に溢れていた光が、塔を中心として、一段階ずつ、順番に、全て消え始めた。


『ぬ、アアアアアアアアアアアアアアアア……ッ』


 ファフニールは、ヴァルプルギスをギリギリのところで拒絶した。弾かれて実体に戻った彼女が空中で踊る。怪物は……気味の悪さに全身を震わせていた。

 ……魔法少女は、化け物と向き合い、両腕をおろした。泣いていたのだ。


『なんだそレハ……なんダソの顔は――』

「あなたのしたことは許されることはない。永劫、ずっと。だけど、あなたが何を思ってここまで来たのかを、知ることは出来た。誰も彼も、互いを知らぬままでは――分かり合うことなんて、出来やしない。私達魔法少女は、それに気づかなかった。ただ、違うモノだと認識していた。だけど、それじゃ駄目なんだ。それじゃ、先に進めない。だから私達はここで終わる。でも、その前に――」


 彼女は――最後の構えをとった。


「あなたを、赦す」


 もう、そこに、憎しみは――なかった。

 ファフニールは動けない。何か無数の腕のようなものが、彼に絡みついていた。


 フルゴラの魔法陣に、電力――力が、集まっていく。最後の儀式。


「みんなごめん……全部終わらせるから。その前にちょっとだけ……光をちょうだい」


 そして、魔法陣は完成する。フルゴラの全身が黄金色に輝いた。弓矢は巨大な装飾に象られた祭器となった。すべての光を集めながら、彼女は、天に向けて弓矢を構えた。少女が、こちらを向いていた――それを確認して、ふと笑った。


「さぁ行きましょう、先輩」


 ヴァルプルギスは怪物の真上に。その魔法杖の先端に、最大出力の魔力がチャージされる。怪物はこれから起きることのすべてを予感して震えた。駄目だ、私はこんなところで、駄目だ――。

 光が集まっていく、集まっていく――その先端に、最後の一撃を放つために。

 フルゴラの矢。ヴァルプルギスの光。天と地を結ぶ、最後の魔法――それが今。放たれる。


『ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…………――』


 光が――天と地、それぞれから放たれた。

 その奔流は雲を裂きながら、ファフニールを飲み込んだ。


 人々は畏怖した。その光を。彼らは皆――神話の終わりを見ていた。


 逃れられない光の中で、怪物は最後の抵抗をした。溶けかかったその目を開き、真下に向けてレーザーを放射した。それはフルゴラから僅かにそれて、地上に――塔の頂上に向かった。

 彼女はその苦し紛れを、察知した。矢を放って空いた片腕を、ルシィと少女に向けた。

 防御魔法。これまで一度も使ったことがなかった。それが二人を守り。

 ――レーザーの一撃はそれて、刹那の後に……フルゴラに、直撃する――。



「先輩――


 天に向けられた笑みと言葉とともに、ライルという名の少女は――光の中で消滅した。



 見ていた。すべてを見ていた。だが、もう矢は放たれた。絶対に、無駄にはさせない。悲しみが彼女を包んだが、それはもう……憎しみではなかった。


「ッ……うああああああああああーーーーーーーーーーッ!」


 涙が散って、彼女は魔力をさらに注ぎ込んだ。最大火力の、上乗せ。

 光が――更に拡大して、化け物に向かった。

 彼は抵抗を続けていたが――遂に、遂に。

 雷の一撃と光が、ファフニールを完全に挟み込み、その肉体を消滅させ始めた。


『ヌウウウウウ、ああああああああああアアアアアアアア、私は、コンナ、こんなあああああ』


 化け物はヴァルプルギスのほうを向いた。

 だが、もう遅かった。

 まもなく、天と地の光は、完全にファフニールを飲み込んだ。

 その激しい明滅の中で、断末魔の最期が、帯のように広がった。


 雲の上で、黄金の光が弾けとび、一つの終焉を伝えた。

 それは雨を止めて……そして、朝がやってきた。


 ライルが死んだ。大勢が、死んだ。

 そして今――戦いが終わり、ハイドは、生き残った。



 空は緋色に染まり、涼しい朝が来た。

 破壊の跡は痛々しく、この街が何を失ったのかを明確に告げている。

 そんな中、周囲に羽根を舞わせながら、ハイドが、二人の前に降り立った。


「おかあさん……天使みたい」


 前に進んだルッカが、妙にぼうっとした口調で、そう言った。一瞬ハイドはあっけにとられたが、すぐに苦笑する。後方のルシィと目が合い、うなずきあう。


「そんな立派なものじゃないよ、お母さんは」

「しってる。たくさん……怖かった」

「そうだよね。だから」

「だから。おかあさんは、ルッカを、だきしめなきゃいけないの」


 少女はそう言って――両腕を広げた。すべての罪を清算するように。向こう岸からの光が、彼女を包んでいた、ハイドは影にいた。彼女は……目に涙を浮かべ、前に進む。

 これでいいのだろうか。これで、本当に自分は――。

 ……朝日がそんなに暖かいものだとは知らなかった。彼女は、夜の魔女だったから。ためらいながら、震えながら、前へ、前へ。


「ルッカ……」


 そうして、その抱擁を受け入れるため、彼女も、両手を――。



 悲鳴のようなアラートが響き渡った。

 後方を振り返る――赤いサイレン。

 アンチ=バベルの中央シャフトが赤熱し、麓の駆動機関がフル稼働し、強烈な熱を発しながら震え立っていた。その振動が、伝わってくる。


「どうして!? もうアレは動かないはずじゃ」

「カレルレンの断末魔が、最後のイグゾースト・マナになった……」


 信じられない、というような顔。だが、それは事実だった。逃げようのない。


「……」


 刹那の間に、無限の追想が過ぎ去った。彼女は空を見上げて息を吸い込んだ。そこに、神はいなかった。ただ、その果てには――虚無のみ。


 足を、前にすすめる。

 娘に、背を向けて。ゆっくりと、踏みしめながら。


「おかあさん――?」

「ハイド、何を……」

「今の私には、イグゾースト・マナの対になる力が最大限蓄積されている。ライルの遺志を、無駄にするわけにはいかないから」

「あなたまさか、自分自身を犠牲に……」


 そこで、ハイドは、ルシィに笑顔を向けた。


 それは、全てが洗い流された笑み。死に近づいた者の、極まった表情だった。

 彼女は前に進む――悲鳴を上げるアンチ=バベルにさえ、慈悲を与えるように。

 これより、その身すべてを魔力に変えて、憎悪の塊に向かう――相対する力は相殺され、殺戮機械は永遠の眠りにつく。だが、その代償は――。


「おかあさんの……ばかッ!!」


 声がした。振り向いた。ハイドに、表情が戻った。

 アンチ=バベルの頂点から、光が放射された。真っ直ぐに伸びて、朱に染まった雲を切り裂く。レーザーサイト。これから焼き尽くすものを示す、道標。


「ルッカ……」


 少女は駆けた。残り少ないはずの体力で。何度もよろけながら……母の、足元にたどり着き、しがみついた。

 そして頭をぐりぐりと押し付ける。湿った感触がした。泣いているのが分かった。


「いかないでよ、おかあさん――」

「ルッカ。お母さんはね」

「わかんないよ、わかんない、わかんない。全部わかんない。お母さんのいうことなんて知らない。なにがどうなっても、知らない。お母さんがいなくなるのは嫌。ほかは全部、分かんないっ……」


 ハイドは困惑した。かつて、娘がそんなわがままを言ったことを、聞いたことがなかった。

 だから――どうすれば分からなかった。

 そこで、彼女は気付いた。

 自分がどれだけ身勝手だったのかを。自分が彼女に、何を押し付けていたのかを。

 それは、理想。気高くて届かない。夢想だ。かつてのヒトが、魔法少女に仮託したように。魔法少女が、守るべき対象を選別したように。彼女は今まで――自らの愛を、自身の行動をすべて、一人の少女の鋳型に押し込んできた。自分がやってきたことは……自分が最も忌み嫌っていたはずの行動の……ゆがんだ、カリカチュアだったのだ。

 だからこそ、ハイドは、今になって、気付いた。

 なぜ、自分が。自分たちが――滅びなければならないのかを。

 失うのが怖くなってから、気付いてしまった。愚かにも彼女は、気付いてしまった。


 ――


「……ルッカ」

「いやだ。聞かない。おかあさんのいうことなんて聞かない。今までみたいには、ぜったいに聞かないもん。こんどこそ、何言われたって――絶対に、聞かないもんっ――」

「――ルッカっ!」


 そうしてハイドは――初めて、娘に対して、怒った。

 母親というのは、どうやら、そうするらしいから。

 娘の身体はぶるりと震え、視線が固定された。そこにゆっくりと、自分の目をなぞらせる。その頬を撫でる――ああ、柔らかくて、あたたかくて。こんな優しい存在を、自分は今まで。


「お母さんはね、ルッカ。今まで、あなたに、直接何かを強く言ったりは、しなかった。でも、それが必要だったってこと……ようやく、気付いた。ごめんね。私、あなたの過去にばかりとらわれて、見落としてた。あなたの先に……時間が続いている。私達と、違って」


 そこでようやく、心の底からの愛おしさを込めて、ルッカを抱きしめた。


「ずっと逃げていた。ごめんね。お母さんは――あなたを、愛しています」

「お母さん、お母さんっ……」

「ありがとう、本当に、ありがとう、ルッカっ……」

「おかあさん……」


 ルッカが涙を流し、それがうつって、ハイドも泣いた。涙の海で、二人は抱きしめ合う。


 ……ルシィは影に居た。その二人の中に、入っていけるわけがない。

 ただ、薄暗い光の中で、散っていった者達のことを思った。


 光の中、ヴァルプルギスは立ち上がる。小さな娘と、向かい合う。

 そのまま何も言わず、アンチ=バベルに歩いていく。彼女の足先から羽根が舞い、全身に広がった。

 やがて、その目の前に。

 悲鳴を上げる筐体の前。

 その手が、魔法杖が、アンチ=バベルに、そっと触れた。


 その瞬間――彼女を中心に、巨大な白亜の魔法陣が、街全体に広がった。

 倒壊した建物が、時間が巻き戻ったかのように、もとに戻っていく。炎が消え、瓦礫の中に明かりが灯っていく。ひび割れた地面があるべき姿を取り戻していく。すべてが癒やされていく。かつて、そこにあったはずの命たち以外は。

 だが人々は、朝の光の中、塔の真上で輝く、一人の女のシルエットを見た。

 誰もそれが、魔法少女とは気付かなかった。魔法少女は夜のうちに、死んだのだから。


 まもなく、ヴァルプルギスの全身が、光の中に包まれていく――どこまでも優しく、あたたかい光。みな、目を覆った。

 だが、塔の上に居る二人だけは、目をそらさなかった。

 光が、広がっていく。静かに。凪のように。それは、けたたましく鳴り響くアラートすら飲み込んでいく。


 塔のふもと……かつて、一階であった場所。

 無数の遺骸が転がるその場所を、一人の血まみれの男が這いずっていた。


「このままでは……済まさんぞ……」


 かつて、神を目指した男。無残な姿。光は届かない。

 その歩みは、止まる。

 彼にのしかかる影があった。彼はもがいたが、何も言えなかった。

 それは、瞳を失った赤い髪の女だった。彼女はかつて失った知らぬ男の名を叫びながら、男の首を、強く、強く締めた。

 男は、光の届かぬ影の中で喘ぎ、苦しみ、やがて……死んだ。

 その手の先に彼は、何を見たのか。

 もはや誰も分からない。だが、そこに何かを見ていたのは間違いない。彼は呟いた。

 小さく、掠れた声で、幼い頃――愛した母の名を。

 思えば、それが原点であった。彼は間際まで、そのことを忘れていたのだ。


 娘は、そこまでは耐えていた。

 だが、もう限界だった。


「いやだ、行かないで、お母さん、お母さんっ!」

「ルッカちゃん、駄目だ、駄目――」


 幼い少女は転びながら、その先の光に手を伸ばした。

 ルシィは叫んで、制止しようとした。

 その叫びは、宙に浮いて消えた。

 光が、爆発した。

 それはアンチ=バベルを飲み込み、無へと祝福しながら――全てを、元に戻した。

 ……サイトは、娘を抱きしめながら、かすむ視界の中で――確かに、とらえた。

 ハイド――煙草屋の女が、その光の向こう側にいる、無数の過去の影と再会し、幼子のような笑みを浮かべているのを。


 それを見て、ルシィは、なぜだか、全てを納得してしまった。



 そうして総ては、魔法少女は――この世から、消えた。

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