#26・・・フルゴラ
遠くで上がる火柱は、ひどく綺麗に見えた。曖昧な地響きも、何かの音楽のように聞こえる。それらを取り巻くように、2つの光が、巨大な化け物と交錯している。
ルシィとルッカの居る場所で、それらはひどく遠くに見えた。
「ルッカちゃん。下に降りよう。ここにいると風邪をひく」
そうルシィは言ったが……自分の手を掴む彼女は、動かない。
「わたし」
遠くにある明かりを見つめながら、少女はこぼす。どこかでサイレンが聞こえる。
「ずっと、がまんしてた」
その言葉は、言おうとしたものというよりは、自然に溢れてきたものだった。小さな口で、幼い思考で、一生懸命、己のなかにあるものを、吐き出している。
「おかあさんは、ときどき、わたしの知らないおかあさんになる。ときどき、とおくにある赤いひかりを見てる……わたしがきいたら、おかあさん『なんにもない』って言って……あたま、なでてくれて……」
そこで声が震える。涙がにじむ。
「でも……うそだった。おかあさん、うそつきだ。うそつきだったんだ……」
そうして、しゃがみこむ。
言葉が――溢れ出す。これまでずっと溜め込んでいたもの。
『魔法少女の娘』という枠からはみ出た、幼い一人の少女としての言葉が、今。
「うそつき、うそつき、うそつき。おかあさんがなんでもないって言うから、わたしだってずっとがまんしてた。おかあさんがくるしそうでも、わたしは苦しそうにしちゃいけないんだって。しんぱいしちゃいけないんだって。でもそんなのできない。できないよ。だってわたし、よわむしだし、逆上がりだってできないし。うんどうだって苦手だし。でもそれでもおかあさん、なんにもいわない。おかあさん、叱ったりもしない。ほとんど、怒ってくれない。それなのに、わたしが怒らないことも、あたりまえみたいなかおしてる。おかしいよ。でもわたし、それ言わないで、ずっと、ずっとがまんしてた。でも、もう、いや。いや。おかあさんのばか、うそつき。どうして、どうしていっしょに居てくれないの……いやだ、いやだよう……」
泣きじゃくる。ただの、幼子として。
そうか。ルシィは腑に落ちる。
これまでずっと、この子が……やけに、人形のように見えたのは。ハイドが、そう認識していたからだったのだ。だからハイドが一方的に罪悪を抱いていたのだ。しかしそれは間違いだったのだ。彼女が、すべきだったことは。ただ、抱きしめてあげるだけではなくて……。
「いやだ、おかあさんが、遠くにいっちゃう……おかあさんが、ちがうのになっちゃう……お母さんが、あの白いのにとられちゃうよ……」
それでもルッカは、前から目を離さなかった。
なんて痛々しくて、いじらしいのだろう。ルシィは腹がたった。あの女に。
しかし、だからこそ。一部始終を、見守ることを決めた。
ルシィは上着を脱いで、ルッカに重ねた。脱げるものは全て脱いで、少女に着せた。
そうして……自分もまた、戦場に目を向けた。
豪雨の中、風が彼女たちを妨害した。
構うものか。二人は翔んだ。一人は、まとう紫電を雨に伝わせて。もうひとりは、背中に展開した白い翼を真っ直ぐに突き立てて、風に踊らせながら滑空する。ビルの間に炎の渦が見える。縦横無尽に跳ね回る視界。街中の喧騒が悲鳴が彼女たちの耳を打つ。それらを受け入れながら、交錯し、加速し、目指す。その先。破壊の中に居る、巨大な化け物――すぐそこだ。
「フルゴラッ!」
「了……解」
フルゴラが、化け物に向けて魔法杖――弓矢を構えた。同時に、周囲に大量の紫電が切っ先鋭く浮かび上がる。それらはすべて化け物の方に向く。弦が引き絞られる。
……彼女は、目を細めた。そして、放たれた。
――一斉に、雷電の矢が放たれて、雨を切り裂きながら、化け物に向かって飛んでいった。鈍重な身体は振り向くのが間に合わなかった。まもなくそれは炸裂した。
黄金色の光が何重にもなって、ファフニールの体表面でひらめいた。怒涛の如き連続した音。周囲のすべてをまばゆく染めながら、その後に結果を残した。一瞬街が白霧の中に浮かんだ。
その巨体が、たたらを踏んで……大きく後方に倒れる。電撃の炸裂は表面で滞留した後、霧散する。鈍重な響きとともに、後方へ、後方へ……。
その真下にビルディング。内部には明かり。逃げ惑う人々。影が覆いかぶさる……。
「――ッ」
ヴァルプルギスが魔法杖を構えた。その先から翠の光がたゆたい、上空に向けて放たれ……雨と一緒に、一斉に拡散した。
……ファフニールの倒れ込むビルの表面に、巨大な防御シールド。その巨体は、彼にとっては菓子細工に過ぎないそれを崩すことなく、ビル表面に張られた膜にしたたかに背中をぶつけたのち、そのまま地面に倒れ込んだ。
二人は飛翔を止めて、ファフニールを見下ろす形で停まった。その視界の真下で、化け物が鈍重に立ち上がる……その血走った、巨大な悍ましい瞳が、二人を見据えた。
『許さンぞ、貴様ラ……』
……二人は構える。次なる攻撃。
『許サんぞ、貴様ラァーーーーーーーッ!』
目の周囲に生えた牙が一斉にざわざわと振動し、空を震わせる咆哮を発した。それとともに大気が揺れて、化け物の体の一部がバキバキと隆起、青白い血管をまとわせながら巨大な腕を形成。そのまま、二人に向けて。
その歪な肉の拳を振るった。風が纏わりつき、凄まじい速度となった。
だが二人は、同時に『舞った』。結果、拳は宙を殴りつけ、その時には既に二人は後方へ。構えていた。だが。ファフニールもそれだけではなかった。肉が再びバキバキと変形し、腰と思われる部分ごと『回転』した。そのまま腕がぐるりと一周し、更に一撃――二人に飛んできた。
巨大な爆撃が質量を伴って迫りくるような一撃。周囲に風をまとった、あまりにも重いそれ。
……フルゴラは構えた。頬がビリビリと震えた。だがその前に、グレートヒェンが立った。
拳は、受け止められた。周囲に衝撃波が奔り、まだ破壊されていないビルを揺らし、その窓ガラスをふんだんにこぼした。受け止めたのは、彼女の指。指先だった。冷淡な顔つきのまま、その巨大な一撃を、指一本差し出しただけで、受け止めた。後退すらしない。
巨大な瞳が、揺れた。意に介することなく、ヴァルプルギスは何かを呟いた。
そして、次なる変化。彼女の指先から白い光がにじみ出て、それが化け物の腕から『ナニカ』を吸収し始めた。
ファフニールは異常に気づき、逃れようと悶えた。だがその拳は、指先と接着されているように動かない。そのまま、何かが指先に向けて吸収されていく。
光の奔流――フルゴラには分かった。エネルギーだ。今彼女は、『吸収』をしているのではない。逆だ。与えている。莫大なエネルギーを、物質を、生命を生み出すエネルギーを送り込んでいる。それが行き着くと、どうなるか……。
化け物の体が震えて、その場でよろめいた。つんざくような悲鳴。
指とくっついた腕、その肉が、徐々に腐敗し始めた。赤くなり、その筋繊維を晒し、悪臭を放ちながら枯れ落ちて、ボトボトと溶けて消えていく。周囲に煙が上がる。さらなる悲鳴。化け物がひどく恐慌しているのが分かった。彼は……片膝をついた。
動きが止まる。彼女は振り向いた。フルゴラに、視線を合わせた。それが合図だった。
フルゴラが手を上げた。
次の瞬間、天から無数の雷が降り注いだ。それは空を斬り裂いてやってきた。化け物に向かってまっすぐ殺到する。
背中を撃たれた巨体が震えて悲鳴を上げる。焦げる音と、咆哮と衝撃。怒涛の中で轟音に染まる。そして――。
巨体が、完全に地面に倒れた。既に明かりの消えている廃墟となったビルの群れの一角、その真上に倒れ込み、鉄筋の四角をずたずたに崩した。黒煙をしゅーしゅーと吐き出しながら、巨大な肉の塊は地面に伏せる。だが、それで終わりではなかった。その目玉が――二人の真上にきた。ぎょろり。血走っている。怒り――次なる攻撃を察知する。一瞬後に、始まる。
ファフニールは、巨体を横たわらせたまま、その体をかきむしった。その体表面でわなないていた触腕が反応し、怒りを仮託されて、ミサイルのように二人に向けて殺到し始めた。
二人は弾かれたようにその場から離脱。おのおの、飛翔を開始する。
ビルの合間を縫って触腕が飛ぶ。彼女たちはそれを、豪雨と風に身を委ねるようにして回避していく――回避していく。無数の肉の帯が夜空に舞い、不規則な軌道を描いて漆黒の空を染めた。だがその先には2つの光があって、それらを翻弄しながら機動していく。
『塔』から、警察に守られながら、人々が出てきた。彼らは漆黒の中に、帯をたなびかせながら駆け巡る2つの光を見た。黄金色と、白磁色。彼らは顔を上げ、雨に包まれることもかまわず、見つめた。
黄金色の光が、チャフのように、機動しながら後方の職種に向けて電撃の弓矢をばら撒いた。触手はそれらに貫かれながら怯み、後方に引き下がっていく。
全ては撃ち落とされた。地面にそれらを垂れ下げさせながら、ファフニールは再びよろめいた。しかし、そこに怒りが籠もった。フルゴラ達はなおも飛んでいたが、よろめいた勢いのまま、怪物が腕をふるった。それはとうとう、彼女を、フルゴラをとらえた。
「……ッ」
もがく彼女。だが巨大な腕は離さない。そのままファフニールは、彼女を地面に叩きつけた。
煙の中、彼女の姿が見えなくなる……怪物はその上に、拳を振り下ろそうとした……。
ヴァルプルギスが魔法杖の先端から、膨大なエネルギーの奔流を発射した。
化け物の背中の手前で折れ曲がり、二股に別れたまま……今まさにフルゴラにとどめを刺そうとしているその身体に炸裂した。
白亜の光の帯は、両側からファフニールの腕を二本とも焼き切った。
――悲鳴を上げながら、化け物が悶え狂う。フルゴラの居る地面が解放される。
『何ダ、この力ハ……』
千切れた腕の箇所は更に腐敗して爆発。周囲に悪臭を放つ液体を撒き散らす。
……そしてヴァルプルギスは、急角度の軌道を描きながら、化け物の眼前にたどり着く。
『……』
「おおおおおおおおおおおおッ……」
裂帛の雄叫び――ヴァルプルギスの拳が発光し、そのまま……化け物の懐に潜り込み、その先端を叩き込んだ。
……巨体が震え、後方にバウンドする。よろめく。更に。彼女は、叫び――。
怪物の土手っ腹に、大量のエネルギーの宿る拳を、何度も突きこんでいく、何度も、何度も。拳速はもはや時間を超えていた。叫びとともに炸裂し、化け物の身体が後方に浮きながら引き下がっていく。熾烈な拳の殴打――あまりにも大きさが違うのに。なんだ、これはなんだ――。
「魔法少女の力の究極、それは『熱量を自在にコントロールすること』……つまり、純粋な『力』……イグゾースト・マナの軛から、先輩は解放されたんだ……」
――瓦礫の中からフルゴラは立ち上がり……言った。
そして――最大の一撃が、ファフニールの中央部に叩き込まれる。
重い一撃。時間が、一瞬停止したように見えた後。
その巨体は、大きく後方へ吹っ飛んだ。そして、ビル街へ。
既にそれらには防御膜が張られていた。小さなミニチュアほどの大きさのそれらに崩壊を拒絶され、何度も跳ね返されながら、バウンドして後方へ後方へ――そして、大きく地面を削り、激しい土煙を後方に撒き散らして……怪物は、街のど真ん中を大きく削りながら、停まった。
その後も、ヴァルプルギスは容赦がなかった。浮遊し、近づく。化け物は立ち上がろうとする。彼女の周囲に、白い羽根が浮かぶ。
……まっすぐ、指をさす。羽根が輝きを増す。そこから、浮かぶ白亜の全てから、過剰な『創造』――その果ての破壊の力が籠もった光の帯が――一斉に、化け物に向けて殺到した。
激しい光が夜の闇を引き裂きながら、怪物の身体に降り注ぐ。その肉を焼き、切り裂き、一切の抵抗もできぬまま、その巨体を蹂躙されていく。ヴァルプルギスは超然としたまま、その場から一切動かない。
人々は恐怖しながら目を覆い、ほうぼうに散りながら逃げていく。
真下に、そんな光景が見えた。ルシィは、ルッカに逃げることを促した。
だが、彼女は……それでもなお、前を向いていた。母親の方向を。
ルシィもまた、彼女に倣うことにした。
フルゴラは、ヴァルプルギスのかたわらについた。黒煙の向こう側、無数の弾痕を見せる化け物が、ゆっくりと身体を持ち上げる。
その巨大な中央の瞳が、前を向いた。不気味なほどの静寂。そこへ、光が収束する。幾重もの禍々しい紫の光。びりびりと空気を蠕動させながら、集まっていく……。
「ッ……」
『死ネ、魔法少女……死ネッ!』
その声とともに、瞳が発光した。
光を何重にも束ねたレーザーの帯が、二人に向けて放射された。
――破壊力は一目瞭然だった。
光は接触したビルの群れすべてを破壊し、貫きながら二人に迫った。溶かされた地面が、オブジェクトが、マグマ色に染まる。
フルゴラとヴァルプルギスは頷き、前方に魔法陣を展開。それぞれ紫電と白亜のレーザーを前方に向かい合う形で発射した。2つの光条は重なり合い渦となって、向かってくる極太のレーザーとぶつかりあった。
光の余波が周辺を溶かし、破壊していく。広がっていく。
二人は手を伸ばし、その破壊力に抗った。前方に眩しい光。あらがった、あらがった……だが徐々に押されていく。なおも抗う、だが……。
彼女たちは、競り負けた。レーザーは二人の合体技を完全に飲み込んで、光の爆発とともに、魔法少女たちを容赦なく後方へと吹き飛ばした。その勢いで周囲に放電のような余波。建物の群れを包んでいた翠のシールドが崩壊する。
フルゴラは地に伏して、ヴァルプルギスは空中で後ずさった。それだけではなかった。
二人を打ちのめしたレーザーは空中に折れ曲がって翔び、その天上で枝分かれ。
そのまま、地に向けて、雨とともに降り注いだ。
――もはや無防備そのものと化していた街に、破壊が舞い降りる。
ビルの群れが、街路が紅蓮に包まれ、焼かれ、一瞬にして焦土と化していく。ペンでなぞるように、あっけなく。紫紺の雨が暴れ狂い、ファフニールを中心として――破壊が続く。
二人は翔んだ。それぞれ攻撃を続けた。だがすべて、のたうつ光に撃ち落とされていく。人々に光が命中し、その存在ごと消し飛ばしていく。
フルゴラは、光のひとつに打ち据えられて、落下した。ヴァルプルギスは手を伸ばしたが届かなかった。一足先に、そこに破壊の光が伸びた。
落下する先。街を走るストリート。そこに、小さな2つの影が見えた。
それは人間の親子だった。炎の中を、逃げ惑っていた。フルゴラの目にそれが映った時、彼女は何のためらいもなく、行動に出ていた。
轍を刻みながら着地。逃げる親子の前に立ちふさがる。巨大な電撃の矢をつがえて発射。レーザーと対峙させる。光の衝突……受け止めながら、彼女は後方を見た。
母親と、小さな息子だった。フルゴラは轟音の中で、逃げろ、と叫んでいた。
……二人は、よろけながら逃げていった。
フルゴラは、笑った。そうして、さらなる一撃を加え、抵抗しようとした。
だが、その時彼女は……嘔吐し、血を吐き出した。身体から、力が抜けた。
まもなく、光のすべてがフルゴラのもとに集い、集中砲火を行った。
彼女はその明滅に包まれて、完全に見えなくなった。
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