#25・・・ファフニール
「どうして……」
ハイドは、信じられない思いで、ライルに問うた。
「あの墓場での戦いの時」
彼女は、噛みしめるように答える。
「あたしは、メジェドの能力を使って、幻覚をばら撒いた。あの時撃たれたのは、その子じゃなくて、ケネスの部下の一人だった。最後までバレなかったのは、ラッキー…………」
息も絶え絶えに、言った。
「そんな……」
ハイドの中に溢れたのは、喜びではなく、困惑と――漠然とした、巨大な空虚。
膝から崩れ落ち、ライルの隣に座り込む。雨の中。口を開けて沈黙する。
「そのおかげで、あたしはもう死にかけ……魔法の重ねがけなんてするもんじゃないね」
口の端から血と吐瀉物を流しながら、彼女は言った。
「……けるな」
そこに。
「ふざけるな、お前……」
ハイドは、ライルに掴みかかった。上体を無理やり起こして、問い詰める。
彼女は明らかに動揺しており、状況に適応していなかった。
「どういうつもりだ、これまでの私が、お前……っ」
そのまま頭を掻きむしり、パニックに陥る。状況を理解していないわけではない。むしろ、理解できてしまったからこそ、彼女は混乱するのだ。ここまでの道筋が、全て間違っていたのではないか。盛大な勘違いをしたまま、ここまで来てしまったのではないか……。
彼女には何もかもが信じられなかった……。
少女――ルッカは、そんな母の様子を見ていた。
心乱れている母。それを知って、少女の心に浮かんだ気持ちはひとつだった。
ルッカは、ルシィから離れた。
雨の中、駆けて――母の元へと行った。止められなかった。いや、止めてはいけなかった。
「おかあさん」
その声とともに、小さな体が、ハイドの背中にしがみついた。
動きが止まる。ライルを床に下ろす。黙り込む。
「お母さん、お母さん――会いたかった」
「ルッカ……」
その時、ハイドは感じた。
確かな熱を――実在の熱を。
振り返る。そこに、ルッカが居た。信じられなかった。目を丸くして凝視する。そうすれば逃れられる、とでもいうように。
「だめよ、ルッカ……離れて、私から。私はもう」
首を振る。離れたかったのは、ハイドのほうだった。しかし。
「……わかった」
ふと、あたたかさに包み込まれた。
地面に膝をつくハイドの頭を、ルッカは抱いた。
そのまま、その髪を撫でる。慈しむように、愛おしむように。
手が動かない、だらりと垂れたまま、何をされたのか、わからないまま。
少女は、母の頭を撫でながら……言った。
「わかった。おかあさんがこわかったのが……わかったから。だから、いいの。もういいんだよ、おかあさん……おかあさん」
ルッカの頬から涙が伝って、ハイドまで伝播した。あたたかさだ。確かな生きている熱。
「こわ、かった」
……決壊だった。
ハイドは、ボロボロの服で、傷だらけの身体で、娘を抱きしめるのをためらうことを投げ捨てた。
衝動が身体を動かして、娘を抱きしめた。雨の冷たさにさらわれないように……。
……腕の中で、娘は泣き始めた。糸がほつれて、広がった。
ハイドは、泣かなかった。
そのかわり、娘を抱きしめ続けた。そうすることが――母の努めだと知ったから。
「……ルシィ」
声をかける。
「……何?」
「ごめん。レインコート、頂戴」
ルシィはそれに応じた。うなずき、微笑んで、彼女たちに駆け寄っていく。
「そんなバカな、こんなことが……」
カレルレンは青ざめ、足元をよろめかせた。
彼女の真下にすべてが落ち込んでいき、何もかもが決壊する感覚があった――雨の冷たさが彼の身体を冷やし、その熱を奪っていく。
ヴァルプルギスの娘が死ぬ。それにより彼女は絶望し、純粋なイグゾースト・マナを排出するようになり、そして……。
今、その計画が絶たれた。
彼は目の前で起きている光景を見えないようにしてアンチ=バベルのふもとに駆け寄った。そして、据え付けられた計器を見た。モニターを。
……イグゾースト・マナの蓄積が、臨界の手前で、停止していた。
「ッああああああああ、ふざけるな、ふざけるなッ……」
殴りつける。手が痛むが気にしない。何度も、感情に任せて殴打する。髪を振り乱す。
「ふざけるな、後少しなんだぞ、ふざけるな、ふざけるなッ!!」
「今、どんな気持ち……?」
声がかかる。後ろを振り返る。
そこには、亡霊のように立つ、ライル……フルゴラが居た。
信じられない気持ちで、彼女に問う。
「貴様、まさか、そのために…………」
フルゴラは、答える。
「そう、あたしは……ずっと今、この瞬間のために行動していた……あんたの下で働くのは楽しかったけど、それから後に訪れる世界に、あたしはいらないんだもの……」
彼女は、笑った。どこか冷たい諦観の混じった表情。それが、癪に障った。
「貴様っ……貴様あああああああーーーーッ!」
カレルレンは懐から銃を取り出し、撃った。
だが、銃撃はライルに到達しなかった。彼女は指先から紫電を放ち、迫る弾丸を焼いた。
そのまま、狼狽する彼を……思い切り、殴りつけた。
ぐえっ、という声とともにその場に倒れ込む。顔を上げると、そこにあるのは、神を気取ろうとした男ではなく――恐怖に怯える死にかけの相貌だけだった。
殴られた側の頬をおさえて、ガタガタと震えるカレルレン――ライルは、笑った。爆発する如く、笑った。彼に顔を近づけて、その破顔を見せつけた。青ざめた顔に――。
「そう、その顔が見たかった……ははは、その顔がッ……ははは!! 反対側の頬は、先輩のもんだ、だから……」
だがそこで、ライルの言葉は、止まった。
心臓のあたりに熱いものを感じる。何かが背中から突き刺さった。
後ろを、振り返る。
そこには、少女が居た――銃を構える少女。カレルレンの傍にいつもいる、あの……。
「がはッ……」
対魔法少女用特殊弾頭。
でなければ、効くはずがない。己のツメの甘さを呪いながら、ライルは血を吐いて倒れた。
「ライルッ!!」
ハイドは魔法を展開。指先から蔦を伸ばし、無理やり彼女を引き寄せて、手前に回収した。
仰向けになった彼女の口から、先程までとは比較にならぬほど苦しげな呼吸と血が漏れ出る。
彼女を見て、カレルレンの側を見る。
どこから上がってきたのか。彼の傍には、取り巻くようにして、四人の少女。皆、似たような容姿をしている。不気味なほど。
「あいつらは、あたし達の『試作品』……魔法少女の原型……」
「奴の部屋で見たのは、そいつらだった……」
ライルは力なく頷き、もう一度血を吐いた。ハイドは回復魔法を彼女にかけた。胸の穴は塞がったがそれ以上の効果は得られそうにない。
「おねえちゃん……」
ルッカが心配そうにライルの顔をのぞきこみ、問いかける。
「ごめんね、怖いよね……ごめんね」
ライルは手を伸ばそうとするが、そこに至らない。力が足りないのだ。
「まだ方法はある……まだ……あるぞ!!」
カレルレンは、叫んだ。
ハイドは、皆をかばうように前に出た。
「お前たちが絶望しないのなら、その対象を増やすだけだ……ヴァルプルギス、貴様の娘だ」
彼は、指を指して言った。だが、その前にはハイドが居る。彼女はもう動揺しない。
「その娘も、やがて魔法少女と同等の力を得る……ならば、その娘から恐怖を、絶望を引き出してやる――」
指先が震えていた。選ぶ手段が尽きかけていることを告げていた。
「そんなことは……させない!」
「するんだよおおおおおおおおおお、貴様らはッ!! この私の手によって、再び、絶望するのだあああッ!!」
カレルレンは、上着を脱ぎ捨てた。
肉体は、哀れなほどに痩せ細っていた……彼の、限界が近かった。
その体に……少女たちが寄り添い始める。慈しみの表情を浮かべながら、上へ、上へと指を滑らせ、這い登ってくる。まるで、レミングの如く。大樹に栄養を吸い取られる植物の如く。
……正体の分からぬおぞましさがあった。
ハイドは、ルシィに目配せした。ルッカを、更に後方へと預ける。
「ぬ……あああああッ!!」
カレルレンは、身体にすがりついた少女たちの口の中に拳を突き込む。その途端、彼女たちは血を口の端から噴き出しながら倒れ込む。更に突きこんでいく。変化が起きる。彼女たちの身体が……しおれ始めていく。精気を吸い取られていくように。いや、実際にそうなのだ。何かが……カレルレンの身体を登り、その核へと侵入する。
「……ッ」
ルシィは思わず身震いをする。
彼の傍らに、物言わぬ木乃伊になった少女の遺骸がぱさりと落ちる。一人ずつ。
どくん、どくん。凄惨な光景。彼は両腕を広げ、その律動を受け入れる――少女たちから吸い取ったものを、全身で味わう。何かが、血管のように彼の中を突き進み、浸潤する。
「ファフニール……」
まさにその名の如く。
少女はもういない。そうだったものが、傍にあるだけだ。
「うっ、ぐううッ……」
胸を抑えながら、カレルレンが駆け出す。足をもつれさせながら、明後日の方向へ。
その体が、過剰な鼓動のように脈打っている。彼は苦しみ、駆けた。
「何をする気だ、カレルレンっ……」
ハイドは動いた。上体を起こして、遠ざかり、頂上の縁に向かう彼に向けて爆裂火球を投げつけた。
だが、それは彼に当たらなかった。いや、当たったはずだった。その皮膚が、肉が焼け爛れるのを確かに見た。だが、一瞬にして……修繕された。そして消えたのだ。
彼は駆ける。そのまま、塔の頂上から……落下した。
「何……」
その瞬間、ハイドは見た。
「おまえたちの、じゃまを、してやる――……」
彼の表情が亀裂のように裂け、凄惨な笑みを浮かべたさまを。
「逃げろ」
「えっ……」
「ルッカを連れて、逃げろッ!」
ハイドは、ルシィに向けて叫んだ。
だが、遅かった。
軌道上に浮かぶ衛星のいくつもが、苦しみ悶え始め、レッドアラートを表示する――そして、限界量の光を地上に向けて放射。幾重にも折り重なった悍ましい濃紫の光条。それはまっすぐ、食いかかるようにして、彼のもとに――カレルレンに降り注いだ。
絶叫するように口を開けた彼は光を受け入れた。その紫の光、煙の中で、影が色濃く映し出され……そのシルエットが、変化し始める。質量が、溢れ始めたのだ。
より大きく、より巨大に、重々しく。人の形を、彼は失い始める。その衝撃を受け――ビル床面が大きく揺れて、ハイド達の足場をゆるがす。
彼の影は『増大』し、そこから触手が氾濫するように伸び始めた。大樹から湧き出る蔦のように。ぬらりとした光沢を帯びた血管のようなそれは周辺のビル壁面を打ち据え、瓦礫を排出しながら、次々と影の中心部から生え、湧き出していく。紫の煙が晴れていく。その姿が見える。
彼は既に人の体を失っていた。その全身は、水死体のような悍ましい肉塊に変わり果てていた。幾つもの目玉のようなくぼみが表面に浮かんだ、生皮を剥がしたような姿。めりめりと音を立てて、肥大化していく――。
人々は……その変化を見た。
……膨れ上がった肉の塊、その中心部に裂け目。周囲に薄墨色の液体が飛び散り、ぼっかり空いた孔に、ぎょろりとした血走った目が浮かぶ。周辺を囲むように生えているのは牙。荒く息をするように激しく開閉する。巨大な触腕はその不安定な肉塊、四肢すら不定形の肉塊を支えるように垂れ下がる、または周囲に放埒に伸び、うごめく。
そうして完成する――夜の帳に出現する巨躯。
一瞬、不気味なほどの静寂があらわれた。
だが直後、化け物は咆哮を上げた。その目から、牙から。人間の断末魔、赤子から女性まで、そのすべてをかき集めたようなくぐもった声。街中に響き、周囲を電撃のように揺らす。
大地が震え、アンチ=バベルを支えていた塔もまた、その振動に耐えかねるようにして、ぐらぐらと揺れた。
カレルレンであった化け物はその直後、苦しげに呻き――傍らのビルに倒れ込む。
すぐさま摩天楼は、菓子細工のようにあっさりと破壊される。爆発し、炎上しながら瓦礫が飛び散り、地面を荒らす。
醜悪な、人間を、性別を超えた化け物の姿。
ハイド達は、その巨大な化け物が……ゆっくりと、倒れ込んだビルから立ち上がり、こちらに視線を向けたのを感じた。
「奴は、あの女達と融合した……あの身体は、そのためのテストベッド……」
苦しげに語る、ライルの言葉。それは事実であるらしかった。
彼は再び咆哮した――その地獄のような音響の中から、徐々に人間の声が浮かび上がる。
『私こソガ、神トなるニフサワしイのだぁぁッ!! 貴様らヲ、活かシテハ返さンぞッ!!!!』
カレルレンの叫び声。だがそれは巨体に埋もれて聞こえることで、どこか遠いところから聞こえるようだった。
その目が……ぎょろりと、ハイド達を――見た。
「神なんかじゃない。あんたは、ただの化け物に成り果てた……」
言葉。化け物――ファフニールの身体が、揺れる。
『化け物、私が……化け…………ッ、』
揺れる、揺れる。
……血管が浮かんだぶくぶくの腕が、頭を抱えた。ように、見えた。
そして。
――ファフニールは、絶叫した。
その勢いのまま背を向けて、目の前にあるビルディングに拳を振るった。砕け散り、破壊される。中に人間が居た。明かりがついていた。その存在ごと潰す。鈍重な巨体が動き、その腕を振るい始める。それだけで周囲に突風が起きて、豪雨が嵐に変わった。
ファフニールが……自ら作り上げたはずの街を、壊し始めたのだ。
「遂に狂ったか……自分の矛盾に耐えきれず……」
ハイドたちに背を向けて――遠近感の狂った巨大な化け物が、墓石のように林立するビルディングに突っ込み、その屹立を破壊していくのが見えた。これまでの破壊と比較にならぬほどの規模。遠くから、腹の奥底に響く地鳴りが、断続して聞こえる――怪物が、暴れている。
「かわいそう……」
ルッカがこぼした。それ以上誰も何も言わなかったが、気持ちは同じだった。
――呆然と、その変貌を見上げていた中、一人が立ち上がった。
ハイドである。視線の先には、黙示録の光景。
雨風で黒一色であったはずの町並み。今や至るところで炎が上がり、その渦中に居て破壊を広めている巨躯のシルエットをぼうっと映し出す。サイレンが聞こえる、悲鳴が上がっている――既に、被害は数え切れぬほど出ているだろう。数え切れぬ、人間の犠牲が――。
「ハイド……?」
もう一人、立ち上がる。その傍らに並ぶ。
よろめいて、血のにじむ部分を抑えてはいるが、その足取りは先程よりもずっとしっかりしていた。
「……『フルゴラ』」
火柱のように、視線の先で幾つも上がっている赤い煙の群れを遠くに見つめながら、呼んだ。
「あなたと私は、決定的なところで分かり合うことが出来ない」
沈黙が返答であり、肯定――諦めたような、薄い笑みがそこにある。
「だけど」
フルゴラに、視線を向ける。
「ともに、戦うことは出来る」
昔と何も変わらぬ、一人の戦士の視線が、そこにあった。
怒りと憎しみは、それ以上の何かで希釈されていた。彼女の目に見えていたのは、現在進行系で広がっている惨禍であり――犠牲になっている人々の生命の律動なのだった。
その顔を――その顔を、ライルは。フルゴラは。一体、どれほど……。
「ついて、これるか」
……瞬間、こみ上げてくるもの。
彼女の目が見開かれ、すぐに伏し目に変わる。そのまま唇をかみしめてうつむく。混濁する瞳の色。揺れ動き、歪み、逡巡する。血が出るほど、噛みしめる。強く、強く。そうして、しばらくしてから……彼女は髪を振って、顔を上げる。
そうしてハイドの方を向いたフルゴラは……笑った。
「喜んで。先輩」
もはや、全力で戦えるほどの力は残っていない。それでもまだ、出来ることはあった。
それは――戦うということだった。
フルゴラは、手をかざした。そこに光が集まってくる。空を裂く光。
ファフニールが……後ろを振り向いた。
黄金の輝きが、彼女に集まり……その力を、蘇らせる。
――光の粒子の中から、姿を現す。フルゴラの魔法衣。
彼女の身体は満身創痍。だがその紫電色の装束は、その戦意を現す。
今、その力が復活した彼女は、フルゴラに……懸命に立て直した笑顔を、向けた。
ハイドは頷いた。
翻って娘と向き合い、しゃがみながら目線を合わせる。
「お母さん……」
娘に浮かんだ困惑が、徐々に悲嘆の色を帯び始める。
「ごめんね。たくさん、怖い思いをさせたね。でも今からは、それをさせないために……戦わなきゃ、いけないの」
頭を撫でながら、つとめて優しく言った。不格好に聞こえていないかと不安になった。
「わかって……くれる?」
ルッカの顔に、不安が色濃くあらわれて……やがて、その目に涙が浮かんだ。状況を理解出来るほど大人ではない。だが、相手がどこに向かおうとしているのか理解できぬほど幼くもなかった。
「かえってくる? おかあさん、かえってくる?」
小さな温かみ。涙することで更に強くなったそれとともに、少女は訴えた。しゃくりあげて、震えながら。その小さな両腕が、母の衣服を掴んだ。
ハイドは、言葉を選ぶ。何を言ってもマイナスになるという感覚があった。だが、言うしかないのだ。
「ルッカが、待っててくれるなら」
愛想を尽かされてもよかった。頬を叩かれても良かった。それだけのことをしてきたのだから。
しかし――ルッカは。泣きながら、頷いたのだ。目の前で。
「……ああ。なんて」
こみ上げてきたものが、制御の堤防を突き崩した。
強く、抱きしめる。強く、強く。
「なんて、なんて子なんだろう。私は、こんな子が居るのに……ああ、私は……」
すると娘は、腕の力を強めて、返してくる。
「なかないで、お母さん。お母さんがなかないから、わたし、がんばれるんだよ」
「うん、うん…………」
そこには、情動の、交歓があった。それだけで十分だった。
ハイドは、ルッカの涙を、そして自分の涙を、その指ですくい取って、拭った。
立ち上がる。娘に告げる。
「ルッカ……お母さん、行くね」
「うん……いって、らっしゃい」
笑う。もう一度、頭を撫でてやる。
身を翻す。フルゴラの横に、並び立つ。
彼女は、ずっと待っていた。
街が、炎に包まれている。怪物がビルをなぎ倒し、咆哮を続けている。
「あいつを止めなきゃ」
「今のあなたなら、引き出せるはず。憎しみや悲しみからじゃない、本当の力を」
その言葉に疑問を持つことはなかった。
目の前で惨禍が広がっている。絶対に止める、という確信だけがあった。
彼女は目を瞑り――息を吸い込んだ。
そして、両手を胸の前で合わせた。
真なる神に祈るように。
その瞬間――軌道上に浮かぶ衛星すべてが、彼女の祈りに連動した。
その側面に浮かぶのは、臨界量を示すエネルギー。示し合わせたかのように首をもたげて、彼女の居る地上にその切っ先を向ける。そして、光の帯を――一斉に放った。極限量を。
もはや使い手の居ない、廃棄された衛星にも同様のことが起きていた。今は居ない魔法少女達の力も、地上に降り注ぎ始めていた。意思が宿ったかのように。
それは白い光――『光』そのものであった。闇を切り裂く帯は、雷雨の中から現れて、地上を照らす。
雲が切り裂かれて、そのはざまから、幾つもの光が舞い降りた。天から布を垂らすように。
性急ではなく、ゆっくりと……ハイドに向かった。彼女は祈りの姿勢のまま、その光を受け止める。夜の闇が駆逐されて、天から降臨した幾つもの光が、彼女に放射され、その肉体を包んでいく。抱き込み、柔らかく身にまとわりついていく。今や彼女は、魔法少女となるための力に支配されるでもなく、隷属させるでもなく――完全に、その力そのものになっていた。
……サイト達は、目を覆った。あまりにも眩しすぎた。
だが、かたわらのフルゴラだけは、絶対に目を離さなかった。
彼女は確信していた――そこから現れる力こそが、本当の、本当の――。
「さぁ、姿を見せて――私達がたどり着けなかった、魔法少女の究極の姿……!」
光が。
彼女の内側に、凝集して、消えた。
その瞬間――雨が、雨粒が、空中で、停まった。
眩しさが消えて、彼女の姿があらわになる。
皆、息を呑んだ。
身体を覆う異形は消失していた。
それどころか、あの禍々しい漆黒の装束でさえなくなっていた。
今、彼女を包み込んでいるのは、まるで羽毛の如き純白の魔法衣。長大なローブが幾つも彼女の後方に流れ、はためいている。その周辺には、白い粒子。彼女の周辺を護衛するように滞留している。その髪も白。だが、その目だけは――生命に満ちた赤に染まっていた。
今そこにいるのは、魔法少女というカテゴリすら超越した――しかしそれでも、人間の側に居ることが鮮明に映し出されている、ひとつの神々しい姿だった。
その手に光が集まって、新たなひとつの魔法杖が生成される。どこにも剣先がない。争いのための部分がどこにもない。純粋なる祭器の形状。しかしそれこそが、辿り着いた形だった。
――時が戻る。
雨が、再び降り注ぐ。
「先輩……」
「――フルゴラ」
その声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
ヴァルプルギスは、静かに、穏やかな表情で、言った。
惨禍を目の前にしているとは思えぬほど、凪いだ相貌――。
「行こう」
……その言葉を聞いた瞬間、フルゴラの中を電流が駆け巡った。頭がしびれて、何も考えられなくなる。だがそれは歓喜だった。これまでのすべてが、今この瞬間にあったのだと、分かったのだ。
「――はいっ!」
フルゴラは叫び、彼女の横に並び立った。
ファフニールが咆哮し、彼女たちを見た。二人は、顔を合わせて。
その場所から、翔び立った。
魔法少女の、最後の戦いが、始まる。
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