#24・・・魔法少女の目の前にあらわれたもの

 二人はそのまま、背中から倒れ込んだ。起き上がる気力もない。

 拍手が響く。顔だけを上げる。

 カレルレンが、歩み寄ってきた。


「君達は実に素晴らしい……見たまえ。アンチ=バベルが、臨界に近づいている」


 その言葉のとおりだった。

 アンチ=バベルの中心部が赤く発光し、根本の機関が猛然と稼働してガタガタと音を立てている。傍らに見えるメーターは……満タンの手前で揺れていた。

 つまりは。


「君達がこうして戦い、無様な姿を晒したことで……この結果になった! ははは、わかるかね、つまり……私の勝ちだ、君達魔法少女は、ここで終わる!」


 狂喜し、哄笑する。その声が突き刺さる――絶望に落とそうと首をもたげてくる。

 彼は体を曲げて笑った。愉快でたまらないのだろう。あとほんの少しの負の感情を『ヴァルプルギス』が発すれば、計画は完遂される。実に簡単なことじゃあないか。


 ――そうはさせない。

 ヴァルプルギスは、起き上がった。

 ふらふらと揺れる足。定まらない視線――だがそれでも、奴だけは逃さない。


「ヴァルプルギス……そんなざまで、一体何ができる? ボロボロじゃないか。思わぬ形ではじめてを散らされた乙女のようだぞ」

「まだ……私には、この、身体がある……」


 服の前をはだける。その身体に巣食う結晶体。血管が放射状に伸びている。それが現在の彼女の状況。力の全ては、そこに凝集している。


「……まさか」


 カレルレンの顔が笑みから真顔になり、硬直する。


「そうだ……私の力はこれ以上ないほど進化している。フルゴラを飲み込んだことで……その私が今、瞬間的に……最大の魔力を放ったらどうなる……」

「アンチ=バベルの自壊を……狙っているのか……」

「そうだ……!」

「馬鹿なことを抜かすな! そんなことが出来るわけがないッ!」

「なら否定してみろ、根拠を突き立ててみろ、それすら出来ないのか、臆病者がッ!」


 カレルレンは後ろへ下がる。ヴァルプルギスは前に進む。死にかけの身体を引きずって。

 ……我知らず、笑みが漏れていた。


「貴様、死ぬぞ……」

「知ってる」


 ――古びたタバコ屋のカウンターを幻視する。

 そこに、来るはずのない客たちが現れる。

 皆……死人だった。みんな死んでいて、過去だった。みんな、みんな。


「だから、やるんだろ」


 失うものがないとは、こういうことを言うのだ。なんて晴れやかな気持ちなのだろう。

 じりじりと、前に。


「よせ、やめろ……」


 カレルレンは青ざめて、アンチ=バベルを背にして震えた。ひどく小さく見えた。

 ヴァルプルギス――ハイドは笑って、更に進もうとした。


 だが、止まる。足首を掴んでいる手があった。

 見下ろすと――そこに、フルゴラが居た。

 血を吐きながら、上体だけを起こして、何かを訴えようとしていた。

 思わず、我に返る。

 ごぼごぼとむせている。目がうつろになっている。

 そんな彼女の口が動いている。身体を抱えてしゃがみこみ、耳をそばだてた。


「何を……『ライル』、一体……」

「かっ、たのは。あいつ、じゃあ、ない……」


 彼女の目線は、ハイドにも、カレルレンにもなかった。彼女が、見ているのは――。

「かったのは……わたし、ですよ……せんぱい……」



「――カレルレンっ!」


 声。ハイドは、それを知っている。

 ……頂上に至る道の終点に、視線を注いだ。

 そこに居て――前方に、カレルレンに銃口を向けているのは。


「ルシィ、貴女……」

「その姿は……」


 ルシィは、ハイドの姿を見て一瞬驚いたが……すぐに前に向き直り、言った。


「やっと、追いついた」


 銃口の先に、すべての元凶。


「……誰かと思えば。いつぞやの」


 うっそりと前に進み、彼は激高した。


「たかが婦警風情に、何が出来るというのだ、あぁぁぁぁ!?」


 だが、ライルはまだ、力なく笑っていた。


「言ったでしょ、先輩。勝ったのは……わたしだって」


 そこで、ルシィは引き下がった。

 後ろから、小さな影が出てきた。


「あ……?」


 ――全身から、力が抜ける。

 ありえない。そんなはずはない。

 今自分が見ているものは幻だ。そうでなければ――。


「貴様。何故、どうして……」


 カレルレンでさえ、信じられなかった。


 小さな影は、前に進んで。

 自分の名前を、かつて背負っていた役割の名を、呼んだ。


「おかあさん」


 小さな影は、レインコートを着た、ルッカだった。



「こわい……こわいよ」


 ロッカーの中に押し込めた少女は、目をさました途端に泣き出した。ルシィは途方に暮れる。


「あああ、泣かないで、泣かないで。バレちゃうからっ……」


 部屋の中を探してみても、おもちゃなんてあるわけがないし、何より目の前の少女はそこまで低い年齢とは思えない。

 この少女を生かすこと自体が作戦のうちとはいえ、あまりにも場当たり的だった。


「こわい人たちが……みんな、みんな……」


 泣きじゃくる少女。ルシィは衝動的に手を伸ばし、彼女を抱きかかえようとした。だがすぐに、そんな資格などないことに気付く。

 少女の中での恐怖、その根源は……自分の同胞なのだから。


「ごめんね。あたし、子供相手にすんの、苦手だから」


 せめて、視線を合わせる。

 向かい側の少女はそこで、しゃくりあげながら、恐る恐る顔を合わせてきた。

 恐怖と不安の中に、確かめるようにして芽生え始めた、向き合うという意思。その顔は、腹立たしいほど、母親に似ている。ルシィは笑いそうになる。


「怖いことに巻き込んじゃって、ごめんね」


 少女は嗚咽を続ける。何を言っても刺激になるだけだろう。心のなかに一抹の罪悪。そんなものが自分の中にあることさえ驚きだったが。


「でも、大丈夫。あなたをこれ以上怖い目には、合わせないから……ここでじっとしていて」

「ここはどこなの」

「あー……ここは」

「……おかあさんは」

「お母さん? あぁ……そう。絶対に会わせてあげる。だから、」


 そこで変化。

 少女が、ぴたりと泣くのをやめたのだ。それこそ、機械が急に停止するように。


「どうしたの? おなか痛いとか……?」

「おかあさんに、あえるの」


 彼女はそう言った。真っ直ぐ問いかける目は、やはり母親由来の色をしている。

 困惑しながら、頷く。その答えを得たところで、一体――。


「それなら、ルッカ、もうなかないよ。おかあさんを、まってる」


 少女は、そう言ったのだ。


「この子は……」


 あまりにも似ている瞳。表情。

 それで悟った。

――母親とは、この少女の全てなのだ。そして、その存在がある限り、この子は決して。


「……ッ」


 ルシィは、先程のためらいなど投げ捨てて、少女を抱きしめていた。


「あの馬鹿っ、こんないい子が居るのに……ほんと馬鹿ッ……」

「おねえちゃん、痛い、いたいよ……」

「大丈夫、絶対お母さんに会わせてあげるからね。それまではあなたを、あらゆる危険から守ってみせる。だから、あたしの言うことを聞いて、おとなしくしていて。いい?」


 少女は少し困惑したが、やがて、その感情の中から、なんらかの了解を拾い上げたらしかった。小さく頷くと、その細い腕を、ルシィの腕に沿わせて、つかんだ。


「あたたかい。おねえちゃん」


 少女――ルッカは言った。

 その一言が、妙に、ルシィの中に残った。

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