#21・・・魔法少女vs雷の魔法少女④
「が、ああああああああああああああああああッ!!」
激しい痛み。ビル壁面によって削り取られたフルゴラの顔面が、再生と崩壊を無限に繰り返しながら、後方に血だけを流していく。たちならぶビルの横一列に、彼女の軌道が刻まれていく。手は止まる気配がなかった。ヴァルプルギスは本気だ、本気で自分を倒しにかかっている。それは嬉しいことだ、望んだことだ。だが――。
だが、それが、こちらが何もしないことを意味していると思われるのは、心底心外だった。
彼女は『準備』していた。皮膚が削り取られて、骨が露出して、すぐに再生して。その繰り返しのさなか。彼女の両手だけは無事だった。故に、それが出来た。彼女の手元には魔法杖――その弓があった。『すりおろし』は止む気配がなく、ヴァルプルギスの疾走は止まらなかったが、その間に出来ていた。一撃を放つ用意が。
「あああああ、あああああああ……」
ダメージを受けながら、激情とともに無防備となっているヴァルプルギスの腹部に、ゆっくりと弓を押し付ける。弦を引く。稲光のエフェクトと共に、雷の矢が形成され、つがえられる。色濃く、巨大に。彼女は待った、耐えた、耐えた……。
――今だ。
「く、ら……えッ!」
フルゴラは、矢を放った。
ただの矢ではなかった。ありったけの魔法力を注ぎ込んだ、凄まじいエネルギーを秘めた雷光のほとばしりだった。ヴァルプルギスの腹部に、それがぶち込まれた。二人は密接していた。その瞬間、威力が飽和した。一瞬、時間が緩慢になった。
……ヴァルプルギスが、フルゴラから離れた。
その体に、雷の球が付着しているようだった。
一瞬あとに、それが爆発した。
その体が、くの字に折り曲げられながら、後方へぶっ飛んでいく。絶叫、悲鳴。それとも……訳のわからない轟音がフルゴラの耳をつんざいたが、ともかく彼女は解放された。ヴァルプルギスは、遠くへ、遠くへと吹き飛んでいく。
「ッ……ッ――」
制御できない。止まらない。
異形の彼女の姿が、空を引き裂きながら吹き飛んでいく。後方にビル壁面。見えた。だが避けきれない――。
轟音。
貫いた。背中に衝撃を感じたと思ったら、また外へと投げ出された。そのまま、ビルを貫通したのだ。眼前に大穴の空いたビルが見えて、それが高速で遠ざかっていく。
そして、再びの衝突。痛みに身体が呻きを上げた。
ヴァルプルギスの身体が、折れ曲がったまま、ビルを次々とぶち抜いていく。そのたびに破片と轟音が無い混ぜになって夜闇にあふれていく。激しい灰色の煙が、ビルの間から連続して立ち上っていく。何度も、何度も――彼女は止まろうとしているらしかった。懸命に、その勢いを殺そうとしていた……だが、続いた。
とうとう、一棟のビルが、支えを失って……雨の中、倒壊した。遠くから見ていた者たちからすれば、訳が分からなかった。何か、ミサイルのようなものが、ビルを貫いて破壊した。真下に居た者たちは、何もわからないまま死んだ。
ヴァルプルギスは、吹っ飛びながらもがいた。様々な魔法が彼女の周囲に現れては消えていった。打破しろ、この現状を、どうにかしろ――後方を見る。再びビルが見えた。
……やむを得ない。
彼女は決断した。
その背中に、再び衝撃が与えられ、壁面に穴が空いた。
ビル内部を貫通していく……そのさなかに、苦悶しながら、ヴァルプルギスは両手を差し出した。そこから魔法陣が現れた。蔦が絡まり合いながら生成され、前方へ投げ出されるようにして射出される。背中が、最後の壁面を貫いた。
もう一つのビル。間近だ。
――間に合え。
ヴァルプルギスは、蔦の縄を前方へと投げ込んだ。何にも当たらなかった。ならばもう一度、二度、三度。何度も蔦を生成し、無軌道に前面へと投げ込んでいく。
当たらない、何にも引っかからない。青ざめる――。
衝突。また新たなビルに、穴が空いた。
その瞬間に、すべての力を込めた。
蔦が、ビル壁面の外側を掴み、食い込んだ。そこからコンクリートが、鉄筋がひきつれて、亀裂になっていく。
だが、彼女の速度は急激に緩まった。
何かが破砕された音がした。急に、周囲が明るくなる。彼女は、窓に近いどこかの部屋に投げ込まれたのを感じ取った。蔦はその先の穴の外側周辺へと伸びている。それは壁面を引き裂きながらも、なんとか彼女の吹き飛びを阻止していたのだ。
蔦はビル全体を覆いながら彼女の衝撃を吸収し、倒壊寸前までヒビが入った状態で、全てを支えていた。
……がくん。
身体が落ち込むような、奇妙な反動。
その手から伸びる蔦のせいで、異様な重さを感じる。
だが。
「……」
彼女は、止まった。
足元に、ガラスの破片が散らばっている。前方に、開いた穴が見える。その向こうに、雨の空。
周囲を見る。
青白い、人工の光。パーテーションで仕切られた空間に並べられたパソコン。
「なんだ……」
「何の音……?」
ざわめき。周囲に、人だかり。
スーツ姿の彼ら、彼女らはそこで立ち止まり、青ざめる。
ボロボロの姿になった、血だらけの異形が、オフィスの壁を破壊しながら、部屋の中に投げ込まれている。奇妙な、獣のような肉塊。身体を震わせて、粘性の血を吐いている。
ヴァルプルギスはそこで止まった。周囲に人が溢れている。
その穴の向こう側にフルゴラが居る。蔦が解除されて、真下へと剥がれ落ちていった。闇の底へと。
「……フルゴラ」
「……ふふふ」
カレルレンも、血を吐いていた。
豪雨は、弱っている彼の身体をも蝕んでいた。その精神力も。
だが、彼は笑っていた。
アンチ=バベルの一角に示されたメーター。その数値を見ていた。
「いいぞ……あと少しだ」
アンチ=バベル発動のために必要なイグゾースト・マナは……あとほんの少しだった。
フルゴラが、雨の中、壁の向こうに居るかつてのあこがれの存在を睨みつけていた。そのまま、魔法杖を構える。その先端に魔法陣。
……なるほど彼女は優秀だ。自分のためにここまでしてくれた。だが、それはもはやカレルレンにはどうでもよかった。フルゴラなどという存在は。
彼は、ヴァルプルギスしか見ていなかった。
しかし――だからこそ、その後、知ることになる。
自分が見るべきは、もうひとりの魔法少女であったことを。
◇
「ま、魔法少女……」
人々が、オフィスの端に据えられているテレビと、眼前の女の姿を交互に見比べる。嵐の中、歩いていく女……眼の前で膝をついている異形。まるで姿が違う。周囲の者たちもそう認識している。だが、それでも分かる。彼女は。
「魔法少女だ、みんな逃げろ――」
その瞬間、人々は一気に行動を開始した。叫び、悲鳴を上げながら彼女から遠ざかっていく。オフィスの出口に向かって殺到していく。アレは化け物だ、逃げろ、みんな逃げろ――。
「逃げろ、殺されるぞっ!」
「何をしにきたんだあッ!」
滝のように、人々が遠ざかっていく。転倒した者は容赦なく踏み倒されていく。
ヴァルプルギスは、そんな彼らを一顧だにせず前を向く。両腕を構える。
……穴の向こう側、豪雨の中に浮かび、こちらを見つめる者。フルゴラ。
彼女の魔法杖が、構えられる。斧のような形状となっていたそれは、前方に突き出されると鋭角な弓へと変形する。その先端に魔法陣――その周囲にも、同様に。
その先に、紫電が浮かび、空を裂く残響とともに凝集し、ひとつのエネルギーの塊へと変貌する。いわば、雷そのものの凝縮。彼女の周囲にそれらが浮かんでいく。いかづちの球。
弓が引き絞られる――目標は、ヴァルプルギス。
彼女の目が、細められる。
手は離されて、弓は放たれた。
一斉に、雷の球が裂け、無数の稲妻の蛇となって大穴へと群がっていった。腐肉に食らいつく獣のごとく。避けられるはずはない――その穴の中に、相手がいる。
「……ッ!」
ヴァルプルギスは後方を見る。人々の姿。すぐに決断する。
突き出された異形の両腕は魔法陣を展開し、前方一面をたちどころに覆い尽くす。緑色のグリッド線――防御魔法。
まもなく、雷撃が到達、着弾。
視界が真っ白に染まり、激しい衝撃が翠の網を叩く。稲光はぶつかると弾けて四散し、新たな光を生み出す。その繰り返し。次々と到達し、防御膜に激突していく。手前側すべてが光に打ち据えられていき、尋常ではないきらめきが空間を覆い尽くしていく。
後退りする。防御魔法はたわみ、球技のネットの如く雷撃を吸収していくが……その数は夥しいものだった。光の裂け目の向こう側にフルゴラが見えた。彼女は弓を引き絞り、何度もこちらに向けて撃ってくる。そのたびに、大量の光条が襲いかかる、襲いかかる。
「くッ……」
徐々に、後ろへ、後ろへ。そのたび足元が削れ、前方から押し寄せる衝撃を感じ取る。
後方を見やると、人々が恐慌状態になりながら暴れまわっていた。オフィスの部屋から出ようとしているらしい。だが多くは、それもかなわず、ただ、迫りくる稲光の白色に怯えている。
「私を倒すためだけに、これだけ多くの人間を巻き添えにする気か、フルゴラッ!」
叫ぶ。
攻撃の中でも、声は、聞こえていた。
それはハッキリと、フルゴラの神経を逆なでする。
ぎりぎりと歯をきしらせる。砕けたエナメルが吐き出されるのも構わず、怒りのままに叫び返す。
「うるさいッ、逃げたくせに、逃げたくせにッ! あんたが逃げなければ、こうはならなかったんだっ! あんたが! あたしの前から姿を消したからッ!! 死ね、しねえええッ!」
それを合図に、彼女の周囲に更に多くの魔法陣が出現し、雷撃の応酬が加速した。
一斉に光条が穴の向こう側へと伸びる――もはや、彼女だけではあきたらず。目の前すべてを破壊せんばかりの、白光の群れ。発生し、怒りに反応するかのように身を捩りながら、鼻先を突っ込んでいく。大量の灰色の煙が舞い上がり、爆発の如き破壊音が連鎖して起こる。
雷の樹が、逆立ちしながらビルの壁面に生えているようだった。
その中で、フルゴラは叫んでいる――。
光。包まれる。耳を潰すような音の壁。気を緩めればすぐにでも破壊され、この体を黒焦げにして、跡形もなくしてしまうだろう。
それが分かっていながら、ヴァルプルギスの脳内には、違うものが浮かんでいた。
「先輩」
彼女はいつもそう言って、自分の後ろをついてきていた。特に、何か嫌な思いを下記憶はない。ただ、信頼できる仲間だと思っていた。だが、何度か頭をよぎったことがあるだろうか。彼女は自分を見つめてくる視線は、敬意以外の何かが籠もっている可能性があるのではないか、ということ。もしそうなら、自分は――何をすれば。雨の音。雨の音。ざあああああああ。ざあああああああ。ざあああああああああああ。叫び。名前を呼ぶ。銃弾。目の前で失われた命。ざあああああああ。洗い流される。後悔。その後は? 怒り――怒りだ、今、自分には、怒りしか、ない!
「ッああああああああっ!」
ヴァルプルギスの新たな魔法が発動したのは、その時だった。
その瞬間防御魔法がすべて砕け散って、その光の残骸が、彼女のこちら側に向けて飛んできた。雷光がすべて、入り込んでくる。彼女めがけて。彼女の居る空間すべてを破壊するために、その光で包むために――。
だが。
魔法陣。ヴァルプルギスは展開していた。前面に。砕け散った翠が再構成されて、新たな文様を描く。前方に。巨大な2つ――何度も作り上げてきた。何度も行使して、練り上げてきた。守るためではない。戦うための力。彼女の魔法。生命を生み出す魔法。
その、新たな力。
雷が――その鋭角を保ったまま彼女の前面で止まったように見えた。だがそうではなかった。
発動が起きた瞬間より。
……その稲光が、緑色に――形と、質量のある蔦へと置き換わり始めたのである。
たちどころに、その侵攻が始まる。
「……!?」
違和感。フルゴラは眉をひそめたが、更に攻撃を加える。
だが、すぐに逆効果だと知ることになる。
蔦による浸食は、稲妻の殺到速度よりもずっと、ずっと速かった。雷が彼女に向かってくるより早く、その軌道が蔦へと変貌していく。そのまま、空中で固定されていく。あれだけ明滅していた光が消えていき、ヴァルプルギスの前方には、ただモザイク状に入り組んだ蔦だけが生み出されていく。
「行けっ」
フルゴラが短く叫んだ。
同時に、絡まりあった蔦の先端が、弾かれるように、穴の外側へ、自分たちを生み出したフルゴラの方向を向き、そちら側へと軌道を変えて放たれた。
「なにッ」
反応した時には遅かった。
ヴァルプルギスの居る場所から、蔦が絡まり合いながら、まるで腕と手のように伸びてきた。実態を消して逃れようとしたが無駄だった。その足にガクリと重さを感じる。縛られた。
手、それから足。胴。ビルから吐き出された蔦が、彼女を拘束していく。容赦なく、欠片のスキもなく。
間髪入れず、次の事態が起きた。ヴァルプルギスは攻撃の手を休めない。
周囲を見る。氷の矢。一斉にこちらを向いている――放たれる。
魔法を集中させる。自身を雷と変貌させて、霧散させる。蔦の拘束が無意味となってその場でほどけ落ちる。氷の槍はそこにぶつかって終わる。
……には、ならなかった。
氷の槍は――蔦に向かう軌道の途中、静止。その姿を変えた。翼が見えた。だが、その狭間から現れたのは獣の身体。氷の槍は、そのまま翼の生えた狼へと変貌。それらは空中で湧き出し、無軌道に吠えながら空中を駆け回りはじめた。
雷が、どこからともなく現れて、彼らを打ち据えようと暴れ狂う。
だが彼らはおぞましい叫びを上げながら空中を駆け、その雷の発生源を追った。彼らの間を白光が奔り、何度も彼らを叩く。だが動じない――一つの殺意に突き動かされた獣。その口が開き、突き出した舌の先端から小さな爆裂火球を生み出し、放つ。
空中に、爆発の花が咲く。
狼は空を駆け、フルゴラを探し回った。稲光は何度か人形のシルエットを取りながら、彼らの合間をすり抜け攻撃が当たらないようにして、更に攻撃を放つ。
雷と爆裂が衝突し、激しい衝撃が広がる。
狼が撃ち落とされ、黒焦げになって地面に落ちていく。
そのうちの一つが、駐車されていた車の真上に落ちた。慌てて外に出た運転手は、その黒焦げの死体が、狼でもなければカラスでもない異形の化け物であることを認めると、すぐさま嘔吐する。
ヴァルプルギスの魔法はそれだけではなかった。
塔の真下――闇の中、街路のいたるところから、ゴキブリが、鼠が、蛙が這い出てきて、人々の歩く道を埋め尽くし始めた。幸い豪雨の中、ほとんど人は居なかった。
それは濁流となって塔のふもとに到達し、駆け上る……一気に頂上へ。悪夢のような光景。けだものたちが、光にあふれていた街の象徴を汚し尽くし、不気味にうごめく真っ黒な闇へと変えてしまった。
塔の頂部に到達したゴキブリ達はすぐさま空の中へ放たれていき、狼と稲光が駆け巡っていた空間を埋め尽くしていく。
飛び回り、駆け巡りながら、もののけ達は次々と灰になり落ちていく。見上げる先が、雨以外のもので覆われている――それは、夜ではない。ましてや、空でさえなかった。
やがて……逃げ惑っていた稲妻が、徐々に姿を見せ始めた。
透明になる力が弱まっていたのだ。同時に、雷となって移動できるのも限界に近づいていた。すべては、何もかもを浸食しつくすこの化け物達のせいだった。
「しまったッ……」
とうとう、フルゴラの姿がその場に現れる。
すぐさま彼女は周囲に雷を放って、自分に食らいつこうとする者たちを消滅させた。だがその時には、ヴァルプルギスがこちらに向かってきていた。豪雨と、悪魔の使いをかきわけて。
漆黒の翼を広げて、魔法少女は飛び去った。
オフィスビルには穴が空いたままで、そこから雨風が容赦なく吹き込んでくる。割れたガラスも散らばったオフィス用品も、元には戻らない。
だが、その空洞を、立ち去った彼女を呆けたように見つめている者たちは、皆、無事だった。
「大丈夫?」
「守ってくれた……」
「魔法少女が、俺達を守った……」
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