#20・・・魔法少女vs雷の魔法少女③

 雨と風が吹きすさぶ。どす黒い雲が、すぐ真上に見える。

 ヴァルプルギスは、『屋上』に到達した。

 本来は、ヘリポート以外なにもない筈の空間。今は、その真中から、床を突き破りながら、巨大で無骨な鉄の塔が空の裂け目に向けて生えている。麓の複雑な機械群は、触手のようなコードと絡まり合いながら、そこにある。まさに――巨大なファフニールの樹。


「やぁ……ひどい姿じゃないですか、先輩」


 向かい側から、声がかかる。

 その姿が見える――互いに、豪雨の中に吹きさらされている。


「そういうあなたの姿を見るのは、久しぶり」


 彼女は、肩をすくめた。

 フルゴラ――いかづちの魔法少女。

 雷鳴のような色合いに染め抜かれた魔法衣は、彼女の力の凶悪さとは裏腹に、半透明のフリルを随所にあしらった、随分と可愛らしいものだった。その色彩は、雨風の中でもよく目立った。その手には、先端に二振りの刃が取り付けられた戦弓。それが彼女の魔法杖であった。


 かたや、全身が異形と化した、白髪の魔女。かたや、可憐な黄色の魔法少女。どちらも、人の枠をはみ出た存在であることは間違いがなかった。

 そんな二人を見守るように、アンチ=バベルの影で雨をしのいでいる男。カレルレン。そこにいた。はっきりと、ヴァルプルギスから見えた。

 その姿を見た瞬間、彼女の中で強烈に煮立つ感情があった。だがそれを、鋼鉄の決意で抑制する。


「そこをどきなさい、フルゴラ。私はアンチ=バベルを破壊する」


 獣の腕を前に突き出す。

 するとフルゴラは、くくっと笑いながら肩をすくめた。


「やっぱりそうですよね。それが目的。でも……不可能ですよ」

「何故、そう言い切れる」

「あの木偶の坊はね、先輩。一定以上の攻撃を受けると、自動的に作動するようになってるんですよ」


 ひどくあっさりと、真実を露呈させる。


「出力は控えめでも、第一射には問題ないですし。何故か分かります? アンチ=バベルの最初の標的……あなたの衛星なんですよ」


 つまり。それは、魔法少女としての力の大半を失うということ。魔法杖と一体化しているような状態のヴァルプルギスがそうなれば、何がどうなってもおかしくない。実に考えられている――そうしてフルゴラがヴァルプルギスを制し、もはや誰も止めるものはいなくなる。


「……そう」

「あれ?」


 フルゴラの思っていた反応と、違った。

 最初の決断があっさりと折られたはずなのに。それとも何か、別の……。

 ……ヴァルプルギスが前かがみになり、ゆらりと、揺れた。

 次の瞬間、彼女の後方に――煉獄が広がった。

 ずっと後ろに追従してきた血の河が、再び形をとったのだ。

 ぼこぼこと沸き立ちながら、次々と人の姿を得て、彼女の後方に生み出されていく……血の人形。雨が通るたび、その形は崩れる……だが、すぐ再構成される。腕を左右に大きく広げるヴァルプルギス。そのさまは指揮者のようにも、人形遣いのようにも……あるいは、自らの臓物をさばき、さらけ出す殉教者のようにも見えた。

 血の人形たちはゆらめきながら、痙攣するように一定の動作を繰り返す。フィルムを何度も再生するかのように。


「これは、私の中に溜まった憎しみ。怒り。かなしみ。そのあかし。こいつが欲しいんでしょう、あの男は」


 そう言った。

 すると、傘をさしているあの男は、いやらしいまでに余裕の笑みを浮かべて、頷いた。二人がここに居る以上、彼にとっての目的は最終段階に入っているのだ。


「それで、どうしようってんです?」

「アンチ=バベルは私のイグゾースト・マナを糧とする。なら、もし……一瞬で、一度に大量のイグゾースト・マナを注ぎ込まれたらどうなる? 腹一杯になっちゃうんじゃないかしら」


 ……フルゴラは一瞬きょとんとした顔になったが、すぐ吹き出した。


「まさか、本気ですか? 確かにそうすればアンチ=バベルはオーバーロードして、機能を停止するかもしれない。でもそれは、自爆みたいなものです。先輩も無事じゃ済みませんし……なにより、憶測じゃあないですか。百パーセントじゃないですよ」

「構わない。私にはもう、失うものなど、なにもない」


 そうだ。自分はここにいる時点で、全てを終わらせに来ている。

 何もかもが結末に辿り着いた時点で、自分が生き残っていることなど、まるで考えていない。

 そうするに足る理由を、彼女は目の前で、二度も失ったのだから。


「ああ、そう……なら、戦うしかないってわけですね」


 肩をすくめ、フルゴラは言った。

 最初からそのつもりのくせに……ヴァルプルギスは小さく呟き、言葉を継いだ。


「最後に一つ。あなたが魔法少女を滅ぼす側についた、その理由を教えて」


 言葉は槍のように。鋭い語気が、フルゴラに刺さった。ヴァルプルギスが、彼女を見ていた。まっすぐに……赤く滲んだ瞳。その色。

 フルゴラは、しばらく考えこむ動作をした。その間も、先輩は待ってくれる。分かっている。そういう人だ、昔から……。

 顔を上げて、口を開いたときには、既に答えは出ていた。だから、言った。



「んー。そうだな、アレなんですよ。私、ほら。先輩のことがめちゃくちゃ好きなんですよ」



 ……ヴァルプルギスが、ぽかんとした表情になった。先程まで張り詰めていたものが消えた。

 それが面白かったので、彼女は一気に続けた。


「私、ずっと憧れてましたし。でも先輩、結婚なんかして、子供も出来て。いっしょに人間殺したりしなくなっちゃった。すげーつまんなくて。なんか先輩をとられちゃった気がして。それなら私が先輩を、今までいやな思いしたぶん、思い切り困らせてやろうと思って」


「それが……理由?」

「うん。それが理由」


 ヴァルプルギスは、僅かに口元を緩める。全身をゆすり始める。


「もしかして、怒っちゃいます?」


 そうではなかった。


「っくく……」


 彼女は……笑みを漏らした。口元から広がり、やがて。


「っはははは、あははははははははっ!」


 腰を折って、大きな口を開けて、笑い始めた。心底愉快でたまらないと言うように。

 フルゴラはそんな彼女の姿をはじめて見たから、戸惑った。だがすぐに、自分も楽しくなった。だから、一緒に笑った……向かい合って。


「っははははは、先輩、ウケすぎだって。ははははははっ……」

「くくく、ははははっ……そんな理由で、そんな理由で大勢殺したんだ、へええ、くっだらない、あはは、ははは…………」

「じゃ、じゃあ先輩が現場抜けたのはなんですか? 子供出来たから??」

「そう、そう、その通り。くっだらないでしょ」

「そーですよ。ほんとにくだらない、あはは、あはははは………」


 二人は、豪雨の中、向き合いながら笑い転げた。どこまでも無邪気に。

 その声が、空に向かって響いた……。


 ――後方に、鎌のような風が奔った。

 雨粒の塊が弾け飛んで、二人は消えた。

 前方に駆けて――そして、衝突した。


 獣の腕と、紫電を纏った刃が激突する。周囲に突風。雨風が散っていき、衝撃波はカレルレンの足元をやや揺らした。傘の布が波打った。

 火花が散る。互いが互いの顔を至近でにらみつける。


「口が過ぎたな、フルゴラ……私はもう、自分を抑えられない……!」


 今度こそ――その顔には、感情が浮かんでいた。願っていたものだった。フルゴラは歓喜する。


「あはは、そう、その顔……その顔、ずっと欲しかった……さあ、もっと見せてよ、あなたの憎悪を!」

「――許さないッ!」


 叫び。

 ヴァルプルギスの爪が、フルゴラに押し込まれた。

だが彼女の姿は、一瞬でかき消える。幻のごとく。周囲をぐるりと見回す――雨が至るところで『はじけて』いる。撹拌されている――。

 稲妻が、彼女の身体を貫いた。鋭い一撃――。

 だが、消える。ヴァルプルギスは断末魔の雄叫びを上げる直前の表情で固まり、その姿のまま四散した。それらの肉片は一片一片、一瞬で蝙蝠になっていった。

 フルゴラは着地する。雨が弾ける。そのまま、再び稲光。姿が消える。

 上空へ。

 蝙蝠。稲光。異なる軌道を描きながら、空中でぶつかり合う。そのたびに肉片が四散し、黒い塊への変化を繰り返す。そのたびに稲妻が雨を斬り裂いて、一瞬だけフルゴラの姿が見え隠れする。何度も、上空が光り――雨の轍が形成される。

 そして、雷の弓と獣の爪が、衝突する。

 二人の姿があらわになって、雨の中にらみ合う二人の魔法少女の構図が出来上がる。


「どういうこと……あなたの力は確かに、圧倒的速度と比例する力を生み出す。だけど、姿が消えるなんていう芸当は出来るわけがない。一体何をやった……フルゴラっ!」

「あはは……聞きます、聞いちゃいます? 答えは……これですよっ!」


 フルゴラは、まるで誕生日を聞かれたかのように狂喜を表情に浮かべ、胸元を露出させた。

 そこには、翠色の宝玉が埋め込まれていた。周囲の肉が裂け、血管が異様な奔り方をしていた。

 その色の輝きを、ヴァルプルギスは知っている。


「『メジェド』かっ……!」


 唖然として――その次に、憤怒の形相。それを見たフルゴラは、更に嬉しそうな表情になった。


「そういうことです。あたしは、先輩が戦った跡に残されたあの子の遺体から、宝玉を回収して……自身に埋め込んだ」

「そんなことは不可能なはずだ、魔法は一人ひとつまで――」

「マヌケだなぁ、鈍感だなぁ、その前例を覆してくれたテストベッドと、さっきまで戦ってたじゃないですか……」

「まさか……!」

「そぉーーーーーーーーーーーーう。コアトリクエですよ。あいつが、複合的に魔法系統を使うための実験体になってくれた。だから私はここにいる、こうして、あなたと戦っている」

「……」

「どうしました? どうしました? 絶望しました? それとも怒ってますか?」

「――ない」

「え? なんですか?」

「語るに――及ばないと、そう、言ったぞ。馬鹿な後輩ッ!」


 つまり。準備ができていたということだ。


 はっとして、フルゴラは後方を振り向いた。

 そこには、おびただしい数の氷の槍が形成され、静止したまま、全てが彼女の方を向いていた。まわりの、すべて。雨が変化したものだと分かった。正面を向く。ヴァルプルギスが獣の指を器用に鳴らした。


 氷の槍が、発射された。フルゴラにめがけて驀地に。彼女は動けない。直撃。殺到してぶつかり合い、次々と砕け、その場所からすぐに雨へと戻り降り注いでいく。水の爆炎が形成、姿がかき消える。

 そこにフルゴラはいない。既に、ヴァルプルギスの眼前から消えていた。

 彼女の場所はそこではなかった。


 ヴァルプルギスの後方に、一瞬だけ雷が光った。フルゴラが、光を切り裂きながら現れる。弓を構えて、飛びかかるようにして放つ。黒いカラスの翼の境目に見えるフルゴラの背中はがら空きだった。そこに打ち込めば――。


 だが。息を呑む。

 彼女の背中に、魔法陣。ヴァルプルギスは振り向かなかった。最初から分かっていたのだ。

 爆裂が、フルゴラに向けて飛来。一瞬手を覆う。だが、遅かった。

 ……着弾。

 轟音、痛み。彼女はダメージを負った、後方へと吹き飛びながら、血を流していく。雨とともに流れ落ちる。一瞬視界が曇る。どこだ、ヴァルプルギス。再び姿を消して、探ろうとする。


 だが爆炎はそこにあった。目の前にあった。そこから手が伸びた。やけに長く感じた。フルゴラはふせぐことが出来なかった。

 その手が、腕が、フルゴラの顔面をがっしりと掴んだ。


「っ……!」

「とどめを刺すには、結局実体化するしかない……身を隠すことを知れ、愚か者がッ!!」

「ゔぁ、ルプルギスううううううッ」


 彼女は応じない。フルゴラの顔面を掴んだまま羽ばたいて、飛翔した。


 夜闇を、黒い翼が斬り裂いていく。

 後方に風の軌道を刻みながら、ヴァルプルギスは飛んでいく。その腕に、胴に、稲妻。抑え込まれたフルゴラは、身体を雷にして逃れることも出来ない。

 耳元に激しい風を感じる――ビルの狭間を縫いながら、音速で飛翔しているのだ。感じる。何度も殴打する。だが、離れない。この拘束から、逃れられない――。


 何度衝撃と痛みが与えられても、ヴァルプルギスは揺らぐことがなかった。そして彼女の目の前に、林立するビルの群れが現れる。彼女の目の前に立ちはだかるように。そこに突っ込んでいきながら、羽を曲げた。

 風の向きが変わって、その黒いシルエットが急旋回する。ビルにはぶつからなかった。その腕はビルに伸びていた。

 爪の先を、そこに掴まれているフルゴラを、そのままビル壁面に押し付けた。


「ッああああああああああああああああーーーーーーーーーーッ!」


 ヴァルプルギスは叫んだ。そして、駆けた。ビル壁面を。

 ガリガリと火花を散らしながら、フルゴラの顔面が、ガラスを、コンクリートを削り取っていく。激しいダメージが彼女自身にも与えられていく。

 ヴァルプルギス――フルゴラを壁面に押し付けたまま、ビルの合間を疾走していく。そのたびに夥しいビルの破片が生み出され吐き出され、真下に舞い降りていく。激しい火花。後方に軌道。

 ろくに抵抗すら出来ず、フルゴラの頭部はガリガリと削られていく。その間も何度も雷によるダメージがヴァルプルギスに与えられているはずだったが、お構いなしだった。

 ヴァルプルギスは叫んでいた。彼女は今正気だった。だが、怒りの渦中に居た。その中で完全に感情と同化し、ひとかたまりになって疾走していた。


「うわああああああ、な、なんだ、なんだッ……」

「逃げろ!!」


 ビルの中に居た者たちが、その激突と疾走によって割られていく窓ガラスに恐慌し、叫び散らす。鋭い風が起きて、様々な室内のオブジェクトが飛んでいく。


 オフィスビルの一角――彼らはその一瞬で、見ることになった……二人の魔法少女を。

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