#19・・・魔法少女が登りつめる

 ハイドは、階段を登り始めた。それはアンチ=バベルへと続くせり上がった土の円柱の周囲に、溶け、固まった鉄によっていびつに形成された螺旋だった。

 それもコアトリクエの力であるとしたら、彼女は無意識にアンチ=バベルへたどり着くことを考えていたことになる。だとしたら何故。考えられる理由は幾らでもあったが、もう考える必要がなかった。


 彼女は息を荒げ、何度も立ち止まりながら……階段を登り続ける。視界が霞む。足元がふらつく。だが、それでも止まらない。上へ――天を目指す。異形を引きずりながら。

 その後方を、滴った血が追いかけた。それは人の形を取って、彼女に語りかけ始める。


 魔法少女を追う途中、ルシィは生き残った仲間に出会った。至るところに負傷していたが無事だった。彼を抱え起こしていると、備え付けている通信端末に反応があった。


『聞こえるか、聞こえるか――カレルレン氏を見つけた! これより拘束する!』



 溶鉄によってネジ曲がった回廊は、コアトリクエが力を失ったことによりその熱を失い、今は黒ずんだいびつな形だけを残していた。

 無限にも続くような、滑らかなカーブを描くその場所を、息を吐きながら数人の男たちが駆けていく。その先に、長い髪の痩躯の男が見え隠れする――カレルレンだ。


「追え、逃がすなっ!」


 彼は上へ、上へと逃げているようだった。その先で彼を追い詰めて逮捕すれば、全てが終わる。彼が全ての元凶なのだから。自分たちは生き残っている――その思いが、彼らに必死さを与えた。逃げていく、逃げていく。なけなしの武装をした男たちが駆ける――。


 だが。

 その疾走は、不意に終わる。


「がああああ、ああああああっ!」


 先頭を走っていた警官が、不意に身体を痙攣させながらその場で絶叫、倒れ込んだ。

 その異常を知ったときには遅かった。

 『痙攣』が透明に、彼らのはざまを駆け巡り、次々とその体を貫いていった。絶叫し、ビクビクと震えながら倒れていく。パニックで放たれた銃弾が壁面に弾痕を穿つ。

 狂った舞踏会は続く。カレルレンはその先で、姿が見えなくなる――まんまと逃げおおせてしまう。


 ルシィの傍ら、通信端末の向こう側から、割れた絶叫と、何かがバリバリと唸る音。何が起きているのかはハッキリしていた。


「そいつならデータにあったろ! 電気を使うやつだ、逃げろっ!」

『で、ですが……見えませんっ! 奴の攻撃が、動きが、全く見えませんっ!』

「おい待て、そんな力、あの女には――」


 通信は、断末魔とともに途絶した。

 ……沈黙。警官とルシィは、顔を見合わせた。

 その次に、立ち上がったのは……ルシィだった。


「何を……」


 彼女は懐から、拳銃を取り出した。


「私が、カレルレンを捕まえる」


 彼女は、背を向けていた。


「お前、そんなこと出来るのか」


 その声に対し、彼女は銃を見つめ、身体を震わせることで答えた。自信などあるわけがなかった。今まで一度も、手の中にあるそれを、使ったことがなかったのだ。一度たりとも。

 だが、やるしかない。彼女は足元にある黒い布に気付く。どこから飛んできたのか――それは、ヴァルプルギスが、ハイドが着ていた魔法衣の切れ端だった。

 それを口元に巻きつける。黒煙や塵灰なら、予防できるはずだ。

 彼女は、前を向いた。言葉を口に出すことなく、ただ、前を向いた。


 きっと、わけが分からず死んだはずだった。

 黒焦げの男たちが、不可思議な動きを四肢に残したまま硬直して転がっている。

 先の空間に、亀裂のように稲妻が見える。

 その白光のはざまから、一人の少女が這い出てくる。


「はっ、はっ……」


 フルゴラだった。青白い実験衣を着ていた。

 彼女は膝をついて、その場で……嘔吐する。

 何度も咳き込み、肩が揺れる。苦悶の声がしばし続いた。

 背後から足音。声。


「『あの力』を取り込みたいと言ったのは、君の提言だったはずだが」


 悠々と歩いてきたのは、カレルレンだった。フルゴラが後ろを向いて、睨む。


「煩い……っ」


 彼は肩をすくめ、言う。


「まぁ好きにしたまえ。私は君と共に、アンチ=バベルの起動を確認しにいこう。風邪をひくといけない。傘をやろう」


 彼は彼女の近くに、折りたたみ傘を投げた。フルゴラは受け取らなかった。

 立ち上がり、口元を拭い、冷徹な眼差し。


「……優しいのね」

「君は大事な部下だ。命を守ってくれたしな」


 彼女は、カレルレンより先に進む。背中を向けたまま、無意味な問い。


「その優しさを、子供に与えようとはしなかったの?」

「子供? 誰の子供のことだ」


 カレルレンは、心底不思議そうに首を傾げた。

 ……その答えだけで十分だった。


 フルゴラは失望の眼差しを彼によこして、先に進んだ。彼はもう一度肩をすくめて、共にその先へ――アンチ=バベルへ。



 ヴァルプルギスは、回廊を登っていく。

 だが、どれだけ歩みを重ねても、その身は一向に軽くならない。彼女は、聖者ではなかった。吐く息は荒く、足取りは重かった。後方へ、どこまでも血が流れていく……カーテンのように。


『何もかもが、おまえのせいだ』


 血は、人の形となって、彼女の傍らで囁いた。それは、かつて殺した人間の姿。


『助けられたのに、助けてくれなかったね……魔法少女なのに』


 また、声。手を伸ばした先で、失った命。

 血の人形共が次々と湧き上がり、彼女の後ろを這ってくる。


『お前のせいだ』

『みんな、お前のせいだ』


 ……ヴァルプルギス――ハイドは、否定も肯定もしない。耳をふさぐことも、しない。

 出来るわけがない。


『卑怯者は……あたしじゃなくて、ハイドちゃんっスね』


 声――カレク。責め立てるような声は、笑えるぐらい本人のものだった。


『あなたがもっと早くに戦っていれば、私も死なずにすんだのに』


 声――セイレーン。ある日、ただ死んだことだけを知った、かつての仲間。


『貴様には失望したぞ――貴様に、私を罰する権利などあるはずもないのだ』


 声――コアトリクエ。そうだ、その通りだ……。

 折り重なって手をのばす。その血が、ベトベトと彼女の頬を汚していく。

 今彼女は、無数の死、その全てを背負いながら歩いていた。


『あなたがもし、もっと早くに動いていれば』

『あなたがもし、今もなお戦場に居たのなら』

『あなたがもし、潔く死を選んでいたのなら』


 無限のイフが、彼女を責め立てていく――そして。


『……君はあの時。何を思って、僕を愛することにしたんだ? 現実から逃げるためか? なら僕は、君の隠れ家にされただけだったのか?』


 ――かつて愛した男の形をした血が、静かに囁いた。


「黙れ……」


 唇を噛む。噛みしめる。血が伝っていく。


『君は思ってるんじゃないのか、僕に出会いさえしなければと。でも君は、自分から僕を選んだんだ――そう、自分から、自分から』

「黙れ…………っ」


 血が――最後の形を作り出す。


『おかあさん』


 幼い少女の声。


『おかあさん――どうして、たすけてくれなかったの。たすけてくれないのなら』

「……っ」


『――どうして、わたしをつくったの』


「ッ黙れェーーーーーーーーーッ!」


 黒い翼が後方に広がって、少女を、男を、血で形作られた者たちを、その全てを吹き飛ばし、ただの血溜まりに戻した。

 ……黒い羽が舞う中で、異形の魔法少女は、再び歩み続ける。

 口元だけではなく。彼女は、血の涙を流していた。


「そちらに行くのは、まだ先だ……その後で、幾らでもこの身体をくれてやる……!」


 ハイド――ヴァルプルギスが、天へと登りつめていく。

 血が、彼女の後方で、さざなみのようにはためいている。



 ルシィは慣れない手付きで拳銃を構えながら、建物上層部のあらゆる場所を駆け巡った。露骨に形が変わっているのは廊下や外壁などがメインで、小さな部屋などは、そのままの形を残している場合が多かった。


「どこだ、カレルレンっ……」


 しばらく彷徨っていると、扉が開け放たれた一つの部屋を見つけた。どうやら、誰かの個室らしい。端に、ベッドが見えた。

 内部は柱などがねじまがり、平衡感覚を失わせるような有様だった。異様な形の窓、斜めになった床。だが、それでいて、元々は整理整頓された部屋であったことが分かった。


 机を見つける。その傍らに、いくつもの写真が貼り付けられている。

 思わず、見入ってしまう。

 その写真に映っているのは――魔法少女たちだった。セピア色で、何年も昔に撮られたものであるようだったが、その中で、彼女たちは笑っていた。

 そこにはハイドも居た。遠慮がちに、小さく笑っている。彼女の部分だけ、まるで昨日撮影されたかのように、綺麗にシワと埃が拭き取られている。


「これは……」


 ここは一体、誰の部屋なのだろう。そして、どうしてここだけが、施錠もされずに開け放たれていたのだろう。

 ……部屋のどこかから、音がした。何か、叩くような音。

 見回すと、その音が、窓際に設えられたクローゼットから響いていることがわかった。

 左右に扉を開けて、中を確かめる。


 ルシィは、絶句した。

 ありえない。こんなことは、ありえない。

 目の前にあるものが。事実と、異なっている。



「嘘でしょ……」

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