#19・・・魔法少女が登りつめる
ハイドは、階段を登り始めた。それはアンチ=バベルへと続くせり上がった土の円柱の周囲に、溶け、固まった鉄によっていびつに形成された螺旋だった。
それもコアトリクエの力であるとしたら、彼女は無意識にアンチ=バベルへたどり着くことを考えていたことになる。だとしたら何故。考えられる理由は幾らでもあったが、もう考える必要がなかった。
彼女は息を荒げ、何度も立ち止まりながら……階段を登り続ける。視界が霞む。足元がふらつく。だが、それでも止まらない。上へ――天を目指す。異形を引きずりながら。
その後方を、滴った血が追いかけた。それは人の形を取って、彼女に語りかけ始める。
魔法少女を追う途中、ルシィは生き残った仲間に出会った。至るところに負傷していたが無事だった。彼を抱え起こしていると、備え付けている通信端末に反応があった。
『聞こえるか、聞こえるか――カレルレン氏を見つけた! これより拘束する!』
◇
溶鉄によってネジ曲がった回廊は、コアトリクエが力を失ったことによりその熱を失い、今は黒ずんだいびつな形だけを残していた。
無限にも続くような、滑らかなカーブを描くその場所を、息を吐きながら数人の男たちが駆けていく。その先に、長い髪の痩躯の男が見え隠れする――カレルレンだ。
「追え、逃がすなっ!」
彼は上へ、上へと逃げているようだった。その先で彼を追い詰めて逮捕すれば、全てが終わる。彼が全ての元凶なのだから。自分たちは生き残っている――その思いが、彼らに必死さを与えた。逃げていく、逃げていく。なけなしの武装をした男たちが駆ける――。
だが。
その疾走は、不意に終わる。
「がああああ、ああああああっ!」
先頭を走っていた警官が、不意に身体を痙攣させながらその場で絶叫、倒れ込んだ。
その異常を知ったときには遅かった。
『痙攣』が透明に、彼らのはざまを駆け巡り、次々とその体を貫いていった。絶叫し、ビクビクと震えながら倒れていく。パニックで放たれた銃弾が壁面に弾痕を穿つ。
狂った舞踏会は続く。カレルレンはその先で、姿が見えなくなる――まんまと逃げおおせてしまう。
ルシィの傍ら、通信端末の向こう側から、割れた絶叫と、何かがバリバリと唸る音。何が起きているのかはハッキリしていた。
「そいつならデータにあったろ! 電気を使うやつだ、逃げろっ!」
『で、ですが……見えませんっ! 奴の攻撃が、動きが、全く見えませんっ!』
「おい待て、そんな力、あの女には――」
通信は、断末魔とともに途絶した。
……沈黙。警官とルシィは、顔を見合わせた。
その次に、立ち上がったのは……ルシィだった。
「何を……」
彼女は懐から、拳銃を取り出した。
「私が、カレルレンを捕まえる」
彼女は、背を向けていた。
「お前、そんなこと出来るのか」
その声に対し、彼女は銃を見つめ、身体を震わせることで答えた。自信などあるわけがなかった。今まで一度も、手の中にあるそれを、使ったことがなかったのだ。一度たりとも。
だが、やるしかない。彼女は足元にある黒い布に気付く。どこから飛んできたのか――それは、ヴァルプルギスが、ハイドが着ていた魔法衣の切れ端だった。
それを口元に巻きつける。黒煙や塵灰なら、予防できるはずだ。
彼女は、前を向いた。言葉を口に出すことなく、ただ、前を向いた。
きっと、わけが分からず死んだはずだった。
黒焦げの男たちが、不可思議な動きを四肢に残したまま硬直して転がっている。
先の空間に、亀裂のように稲妻が見える。
その白光のはざまから、一人の少女が這い出てくる。
「はっ、はっ……」
フルゴラだった。青白い実験衣を着ていた。
彼女は膝をついて、その場で……嘔吐する。
何度も咳き込み、肩が揺れる。苦悶の声がしばし続いた。
背後から足音。声。
「『あの力』を取り込みたいと言ったのは、君の提言だったはずだが」
悠々と歩いてきたのは、カレルレンだった。フルゴラが後ろを向いて、睨む。
「煩い……っ」
彼は肩をすくめ、言う。
「まぁ好きにしたまえ。私は君と共に、アンチ=バベルの起動を確認しにいこう。風邪をひくといけない。傘をやろう」
彼は彼女の近くに、折りたたみ傘を投げた。フルゴラは受け取らなかった。
立ち上がり、口元を拭い、冷徹な眼差し。
「……優しいのね」
「君は大事な部下だ。命を守ってくれたしな」
彼女は、カレルレンより先に進む。背中を向けたまま、無意味な問い。
「その優しさを、子供に与えようとはしなかったの?」
「子供? 誰の子供のことだ」
カレルレンは、心底不思議そうに首を傾げた。
……その答えだけで十分だった。
フルゴラは失望の眼差しを彼によこして、先に進んだ。彼はもう一度肩をすくめて、共にその先へ――アンチ=バベルへ。
◇
ヴァルプルギスは、回廊を登っていく。
だが、どれだけ歩みを重ねても、その身は一向に軽くならない。彼女は、聖者ではなかった。吐く息は荒く、足取りは重かった。後方へ、どこまでも血が流れていく……カーテンのように。
『何もかもが、おまえのせいだ』
血は、人の形となって、彼女の傍らで囁いた。それは、かつて殺した人間の姿。
『助けられたのに、助けてくれなかったね……魔法少女なのに』
また、声。手を伸ばした先で、失った命。
血の人形共が次々と湧き上がり、彼女の後ろを這ってくる。
『お前のせいだ』
『みんな、お前のせいだ』
……ヴァルプルギス――ハイドは、否定も肯定もしない。耳をふさぐことも、しない。
出来るわけがない。
『卑怯者は……あたしじゃなくて、ハイドちゃんっスね』
声――カレク。責め立てるような声は、笑えるぐらい本人のものだった。
『あなたがもっと早くに戦っていれば、私も死なずにすんだのに』
声――セイレーン。ある日、ただ死んだことだけを知った、かつての仲間。
『貴様には失望したぞ――貴様に、私を罰する権利などあるはずもないのだ』
声――コアトリクエ。そうだ、その通りだ……。
折り重なって手をのばす。その血が、ベトベトと彼女の頬を汚していく。
今彼女は、無数の死、その全てを背負いながら歩いていた。
『あなたがもし、もっと早くに動いていれば』
『あなたがもし、今もなお戦場に居たのなら』
『あなたがもし、潔く死を選んでいたのなら』
無限のイフが、彼女を責め立てていく――そして。
『……君はあの時。何を思って、僕を愛することにしたんだ? 現実から逃げるためか? なら僕は、君の隠れ家にされただけだったのか?』
――かつて愛した男の形をした血が、静かに囁いた。
「黙れ……」
唇を噛む。噛みしめる。血が伝っていく。
『君は思ってるんじゃないのか、僕に出会いさえしなければと。でも君は、自分から僕を選んだんだ――そう、自分から、自分から』
「黙れ…………っ」
血が――最後の形を作り出す。
『おかあさん』
幼い少女の声。
『おかあさん――どうして、たすけてくれなかったの。たすけてくれないのなら』
「……っ」
『――どうして、わたしをつくったの』
「ッ黙れェーーーーーーーーーッ!」
黒い翼が後方に広がって、少女を、男を、血で形作られた者たちを、その全てを吹き飛ばし、ただの血溜まりに戻した。
……黒い羽が舞う中で、異形の魔法少女は、再び歩み続ける。
口元だけではなく。彼女は、血の涙を流していた。
「そちらに行くのは、まだ先だ……その後で、幾らでもこの身体をくれてやる……!」
ハイド――ヴァルプルギスが、天へと登りつめていく。
血が、彼女の後方で、さざなみのようにはためいている。
◇
ルシィは慣れない手付きで拳銃を構えながら、建物上層部のあらゆる場所を駆け巡った。露骨に形が変わっているのは廊下や外壁などがメインで、小さな部屋などは、そのままの形を残している場合が多かった。
「どこだ、カレルレンっ……」
しばらく彷徨っていると、扉が開け放たれた一つの部屋を見つけた。どうやら、誰かの個室らしい。端に、ベッドが見えた。
内部は柱などがねじまがり、平衡感覚を失わせるような有様だった。異様な形の窓、斜めになった床。だが、それでいて、元々は整理整頓された部屋であったことが分かった。
机を見つける。その傍らに、いくつもの写真が貼り付けられている。
思わず、見入ってしまう。
その写真に映っているのは――魔法少女たちだった。セピア色で、何年も昔に撮られたものであるようだったが、その中で、彼女たちは笑っていた。
そこにはハイドも居た。遠慮がちに、小さく笑っている。彼女の部分だけ、まるで昨日撮影されたかのように、綺麗にシワと埃が拭き取られている。
「これは……」
ここは一体、誰の部屋なのだろう。そして、どうしてここだけが、施錠もされずに開け放たれていたのだろう。
……部屋のどこかから、音がした。何か、叩くような音。
見回すと、その音が、窓際に設えられたクローゼットから響いていることがわかった。
左右に扉を開けて、中を確かめる。
ルシィは、絶句した。
ありえない。こんなことは、ありえない。
目の前にあるものが。事実と、異なっている。
「嘘でしょ……」
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