#18・・・魔法少女vs炎の魔法少女④

 二人は、瞬間的に、ほぼ同時に上空へ飛翔した。熱気でむせ返る上空へ。


 中央に、天へ伸びる柱。それら以外は全て吹き抜けの空間。炎が至るところで暴れ狂っている以外は、お誂え向けの戦場だった。

 ヴァルプルギスは黒い翼を広げ、コアトリクエは背中から、炎の奔流をジェット噴射のように放出しながら舞い上がっていた。そのまま二人は正面から突っ込んでいく――加速。羽が舞い、炎が舞った。二人はそれぞれ魔法杖を構えた。高速で加速。激突する――。


 しかしそうはならなかった。その直前、ヴァルプルギスの姿が霧散した。

 再び、蝙蝠と同化してコアトリクエの視界から消えたのだ。360度全てを見る。がらんどうの空間。その中に見つける。凝集し、再び現れたヴァルプルギス。炎を背景に、上空に居る。彼女は魔法杖を構えてその先に陣を展開――放った。

 それは爆裂魔法――超小型の超新星爆発をいくつも生み出し、解き放った。コアトリクエの前面にミサイルの如く飛来し、そして、弾けた。


 視界が眩しさに染まり、隕鉄の礫が彼女の肌を打った。戦闘機の放つフレアのようだった。だがそれでひるまなかった。彼女は背中から翼のように炎をはためかせて決定打を回避。視界をヴァルプルギスに――彼女は。

 彼女は背を向けていた。そして、吹き抜けを取り巻く回廊の更に向こう側、壁に向けて魔法杖を差し向けていたのだ。爆裂魔法で目がくらんだ。ここからコアトリクエの魔法杖を行使するのは距離が届かない。一瞬の出来事。加速して、回避して――今、そこにいる。

 だが。


「そうだ、お前にとってこの空間は不利でしかない、だから場所を変えようとする――私の力が確実に弱まる、外の世界へ。そうはいくか、愚か者めッ!」


 コアトリクエは怒気を発して叫び、魔法杖を向けた。

 炎が、柱となって荒れ狂いながら噴出した。

 それは壁から吹き出て、すぐそばに居たヴァルプルギスに食いかかった。


「ッ」


 彼女はとっさに魔法杖を行使、狼を現出させた。だが無駄だった。炎の奔流はすぐさま彼を呑み込み、黒焦げの肉体に変えて地面に叩き込んだ。炎の波はそのまま彼女に襲った――。

 ギリギリのところで回避。だが、羽の数割が抉られ、焼け死んだ。行き場を失った炎は回廊に突っ込んで、そこに巨大な漆黒の焦げ目を刻印する。照り返しの中――彼女はいつの間にか、コアトリクエを見上げる位置に来ていた。

 今やその力の全てを開放していた炎の魔法少女は、超然と構えながら――長大な魔法杖を構えて、言った。


「お前が考えていることは、手に取るようにわかるぞ……ハイドっ!」


 その瞬間――吹き抜けの内部のあらゆる場所から炎が噴き上がった。

 巨大な龍のごとくのたうち、濁流のように身悶えしながら、至るところに赤い魔法陣が現れ、炎が鎌首をもたげ始めた。それは勢いを殺さないまま、全て――。

 すべて、ヴァルプルギスに切っ先を向けて、殺到し始めた。


「ぐッ……」


 彼女は再びカラスを集めて、翼を再構成する。そのまま、迫りくる炎を何度も避けていく。耳元で風切り音。がらんどうの吹き抜け。左右、前後、上下。あらゆる平衡感覚が失われ、そこにはただ『空間』だけがあった。いびつに形を変えられ、黒く変色し、そして地獄のように炎が湧き上がる空間。その中を今、死にものぐるいで駆け巡っていた。


 ……炎の波が突っ込んでくる。回避する。するとそこへ、すぐさま別の炎の龍が突っ込んでくる。杖の先端から生物を精製して囮にし、すんでのところで回避。じゅっという音とともにそれは消え去り、何の生物を生み出していたのかも忘れ去られた。鼻先に焦げが臭った。


 炎の奔流は、まるで空間に高速で網目を作るように、何度も脈打ちながら、羽ばたき、戦闘機めいて駆け巡るヴァルプルギスに追従し、回避されるたびに軌道を変え、更に襲いかかる。


 炎はヴァルプルギスを捉えるのに失敗すると、そのまま回廊に鼻先から突っ込んで、しばしそこを焼き尽くし、形状をすっかりと変えた後、気を取り直して再び彼女にまっしぐらに突撃していく。それが何度も繰り返されていく。今や、吹き抜けの空間いっぱいに――炎が激しく駆け巡っていた。


 ヴァルプルギスは炎の追跡から逃れながら、次々と生物を召喚、空間の真ん中に佇み、指揮棒を振るようにして炎を行使しているコアトリクエに差し向ける。だが全て、目前で炎に灼かれ、消滅する。それが、何度も繰り返される。

 揺れる、揺れる――破壊が、炎が、世界の形を変えていく。


「お前の生み出すものは、生物であろうが無機物であろうが全て『物質』……『現象』を生み出す私には、絶対に勝てないっ!」


 自身の有利を声高に宣言するコアトリクエ。しかし、響くその声には、一遍の驕慢も滲んでいなかった。それどころか、それは――ヴァルプルギスを叱咤しているようでさえあった。

 だが、今……彼女は、それに返答することが出来ない。ろくに呼吸さえままならない。焼け付く空気を吸い込まぬように、飛行を続けていく。

 ……ヴァルプルギスは、疲弊し始めていた。


 炎が回廊に食い込み、そこに居た警官たちを巻き込んだ。


「た、退避しろ、はやく――はやくッ!」


 叫んだその男は、何度も転倒しながら、後ろに逃げていく事ができた。

 だが、目の前で――見た。仲間が、社員と共に、炎の直撃を浴びて、壁や床の瓦礫とともに溶けて、その体が赤子のように縮退しながら、散っていくさまを。

 ……炎は鼻先を回廊から抜き取って、再び魔法少女の方へ向かった。警官を、仲間が抱え起こした。目の前で仲間が死んだことも、実感がなかった。今や、どこも安全ではなかった。いたる所の形が、いびつに歪んでいたし、そのどこからも炎が噴き上がっている。おまけにいつ、戦闘の巻き添えを食らうかも分からない。警官は炎の残滓と黒焦げの空間を背後にして、立つ。

 それから、仲間たちや、助けた社員の人間達と共に、呆けたように吹き抜けを見た。

 目も、身体も、熱かった。吹き抜けの中で、一つの影が炎から逃げ回っているのが見えた。しかしその全容も、橙色のゆらめきの中で判然としない。全てが非現実的で、夢想的だった。


「コアトリクエ……死と、再生の女神……」


 誰かが、ぽつりとつぶやいた。炎の中心に、動かない一つの影があった。それこそが炎の魔法少女。もはや先程までの戦いとは次元が違うことはハッキリしていた。

 しかし、その中にあっても、変わらぬことを抱いている者が居た。


「……ハイド」

 仲間たちのずっと後方で、ルシィただ一人が、炎の中で、ヴァルプルギスから目を離さなかった。


 ――疲労が蓄積し、熱気に頭をやられ、一瞬意識が遠のいたのが決定だだった。


「ぐ、ああッ!」


 激しい痛み。熱さ。

 ヴァルプルギスは、背中をやられた。炎によって、翼の全てが焼き尽くされたのだ。

 そのまま、落下していく。

 なんとか姿勢を制御しなければ――四肢を動かす。

 そこへ、炎が手を伸ばした。

 ……彼女は、捕まった。

 炎の奔流は、そのまま灼熱の荒縄と化して、四方から現れて、彼女の全身を拘束する。無論それは本当の炎である。その中で、ヴァルプルギスが――灼かれていく。


「か、あ……」


 炎で焼かれると、悲鳴さえ出ない。身体を締め付けられながら、彼女は白目を向き、身体を痙攣させる。黒い装束が焼け落ちて、その下の肌を痛めつけていく。

 魔法少女の超回復でさえ、その激烈な熱さは耐え難いものらしかった。ヴァルプルギスは口をぱくぱくさせながら四肢をばたつかせ、苦しみから逃れようとした。だがそのたび、炎の縄はより強固に彼女を締め付けていく。


 とうとう魔法杖がその手からこぼれ落ち、はるか下の地面に突き刺さる。

 彼女の目の前に、コアトリクエが降りてくる。腕を組みながら、厳しい視線を向ける。

 悲鳴すら上げることの出来ないかつての後輩戦士に対して、彼女は叫んだ。苛立ちと、もどかしさと、怒りと憎しみと――哀れみと。


「さぁ。やってみろ、蝙蝠に身体を変化させろ、氷で全身を覆え、足掻け、抵抗しろ……そのたびに炎がお前に食い込む! その時こそ、お前の力を見せる時だ……さぁ、ヴァルプルギス! かつて共に戦ったお前の力は、その程度かッ!!」

「こあ、と、リクエ……ッ」


 小さなかすれた声が、ヴァルプルギスから漏れた。

 彼女を見上げる、力のない瞳――交錯する。

 一瞬の、沈黙があった。そこでかわされるはずだった感情のやり取りはしかし、次の一言でかき消えた。


「そして、回復魔法が追いつかない一瞬で、お前を焼き尽くす」


 彼女の後方に揺らめく紅蓮が、日輪のように見えた。

 長い魔法杖が、天に掲げられ――その先端に、巨大な火球が生成される。

 アレが振り下ろされたら、いよいよ終わる。

 ヴァルプルギスの中で、予感が過ぎった。

 ……コアトリクエが、それ以上の追想を許さないであろうことも。


「――とどめだ、ヴァルプルギスっ!」


 叫び、振り下ろされた――。


その時である。窓ガラスが破壊された回廊から――弾丸が放たれたのは。

 ……直撃する。

 コアトリクエの身体に着弾したそれは炎の弾丸に相違なかったが、彼女はあっさりと払い除けた。全てが『本当の炎』によってかき消えた。


「……」


 コアトリクエは鬱陶しそうにススを払いのける。頬に、僅かに傷がついていた。それは炎の弾丸の中にあった鉄の弾丸がつけたものだった。要するに、それだけのことである。


「あ……あ」


 撃った警官は、自分のやったことに今更気付いたとでもいうように、その場で座り込んだ。

 手に持っていたのはロケットランチャー……ヴァルプルギスがコアトリクエとかち合った際、弾き飛ばされたものである。


「お、俺……どっちを撃ったんだ」


 ルシィは彼と、炎の魔女を見比べてから、怯える彼に歩み寄って……言った。


「きっと……あなたが、倒したいと願った側です」


「……くだらん」


 コアトリクエが、小さく呟く。掲げられた魔法杖は降ろされ、巨大な火球も消えていた。


「――くだらんぞ、貴様らッ!」


 胸に湧き上がった怒りが、そこで爆発したらしかった。

 魔法杖が天に掲げられ、そこから無数の炎の矢が放たれ、ほうぼうへと流星の如く伸びた。

 ヴァルプルギスを襲っていたものと同等、あるいはそれ以上の炎の奔流。

 彼女の激情を載せながら、周囲全てに放たれた。

 ……その時点で、ヴァルプルギスは拘束から自由になっていた。

 だがそれは、再び炎の激流全てを回避していく、あの時間が再び始まることを意味していた。


「人間がこの私に牙をむけるのかっ、この私に――ああ哀れな畜生どもだ、全てを焼き尽くしてやるッ!」


 吹き抜けにの空間を、炎の濁流が埋めていく。縦に、横に、縦横無尽に。苦しみに暴れるようにして、床を、回廊を穿ち、焼き尽くしていく。そのたびに塔の形状が変化し、果てのない地獄を生み出していく。


「くッ……」


 蔦を伸ばして、床に刺さっている魔法杖を拾う。そこまではいい。だが、ヴァルプルギスは全身に強い痛みを感じた。あの炎で負ったダメージは深い。

 この回避が再び始まって、次に捕まれば……もう、勝機は巡ってこない。


 炎が、再び空間を直撃した。

 今度は、一階だった。地獄の釜の底のように、フロアが燃え上がっていく。


「なっ……」


 ルシィはその時、複数の悲鳴と、くぐもった断末魔を聞いた。見下ろす形で、一階の現状が見える。そして、回廊からいびつに伸びるように、スロープ状の瓦礫が積層していた。

 ……嫌な予感がした。彼女は一階に滑り降りた。

 逃げ遅れた者たちが、焼け死んでいた。

 風穴のように空いた扉の奥には、逃げ去っていく何台もの車が見えた。それには助け出した社員達が乗っているのだろう。それはいい。では今目の前で黒焦げになっているパトカーには……。

 ルシィは、見つけた。その車体により掛かるようにして座り込んでいる、半身を焼き尽くされた、死にかけの男。彼女の上司であった男。


「ああ、そんなっ……」


 上空では未だに炎が席巻し、それらをヴァルプルギスが避けていく。遠い残響のように聞こえる。


「無意味、なのか、俺達の行動は、すべ、て……」


 男は、そう言って、がくりとうなだれた。死んだのだ。

 現状維持と見て見ぬ振りを処世術と心得てきた中年太りの刑事が、一人、気まぐれとやけくそで引き起こした蛮勇の末に、くたばった。

 それだけのことだった――だが、ルシィは叫んだ。床に、拳を叩きつける。


「ああああああッ……そんなことあるもんか、無意味だなんて、言わせてたまるもんかッ……私達も、魔法少女も、その区別も、何もかもッ……」



 そうだ。無意味などではない。拾い上げろ、意味を、勝機を。


 ヴァルプルギスは再び、炎の奔流を回避し続けていた。だが、その精度も速度も、ずっと先程より劣っていた。

 炎が間近に迫り、何度も彼女の肌を焼いた。

 その痛みに耐えながら、彼女は飛び続ける――黒い羽をはためかせて。


 ……なにかがある。心に引っかかっている何かが。

 それを考えている。

 自分が、拘束から逃れた時。炎が失われた時。

 人間が、一撃をコアトリクエに食らわせた一撃。徒労に終わった。しかし本当にそうだったのか? 本当にあれは徒労だったのか? ならば何故、彼女は頬に傷を……――。


「……そうかっ!」


 閃いたことがあった。

 だが、同時に、背中に炎が直撃した。

 カラスたちが焼き尽くされ、黒い羽の残骸と共に、彼女は落下した。


 再び一階へ。残った者たちが、ヴァルプルギスから離れていく。

 炎に包まれた空間。瓦礫と死体、僅かな生き残り以外、オーディエンスは誰も居ない。

 ゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。

 ……向かい側に、コアトリクエが降下してきた。着地。

 長槍の魔法杖が、自分に向けられる。鋭い切っ先が、頭部へ。

 だが、ヴァルプルギスはそれに対して何もせず、立っていた。


「ハイド……?」


 ルシィは息を呑んだ。

 ヴァルプルギスは何をするつもりなのか。あのままコアトリクエの正面に居たら、直撃を食らっておしまいだ。もう彼女は満身創痍だった。まともに回復も追いついていない。黒い優雅な魔法衣はずたずたに裂けて、痛々しい焦げた肉が見える。一体何を――。


「とうとう、諦めたか」


 コアトリクエは言った。勝利を確信した笑み。だが、僅かな哀れみも混じっている。


「いいえ」


 ヴァルプルギスの返答。コアトリクエの表情が、こわばる。


「……なんだと」


 理にかなっていない返答は、彼女の最も嫌うものだった。現役時代からそうだ――それを分かっていながら、ヴァルプルギスは、続けた。


「もう逃げる必要はない――私は、あなたに勝つ」


 まともに立つことすらままならぬ姿勢のまま、そんなことを言う。不可解だった。


「何を、どうすれば勝てるというのだ、その体たらくで。ハッキリこっちを見ろ。瞳が白濁しているぞ。死の兆候だ。そのざまで何が出来る――」

「人間達が、教えてくれた――あなたに、勝つための方法を」

「……ほう」


 神経を逆なでする返答だった。コアトリクエの中で苛立ちが募る。次にふざけた答えが返ってきたら、すぐに焼き尽くしてやろう。二度と戯言が吐けぬように……。

 だが、彼女の行動は予想を外れた。

 魔法杖を構えて――自身の腹部に向けた。そうして、大きく息を吸い込む。


「何を――」


 困惑する。言葉が続かない。予想を外れた。

 サイトは、何かを言おうとした。だが、続かなかった。

 ヴァルプルギスは、宣言した。


「私は――領域を、越える」


 そして、彼女は……その魔法杖で、自身の腹部を刺し貫いたのだった。


 炎の照り返しが、影絵のようにヴァルプルギスの姿を覆う。

 差し込まれた刃がその先端に突き刺し、背中から天に向け示しているのは――心臓だった。規則正しく脈動しながら墨のような血を滴り落としている。彼女は祈り子のように跪き、その貫通を胸に抱く。心臓からは血管の群れが背中に向けて電線のように垂れ下がっている。まもなくそこに変化。ぼこぼこと、内部が蠕動し始めていた。

 そして心臓の鼓動が、明らかな強迫性を持って強まった。マグマのように。

 影の中で最初に飛び出したのは……イナゴだった。

 次に、ゴキブリ。

 そう――それは、背中から伸びる心臓から、次々と生き物たちが湧き出てくる光景だった。蛙、ゴキブリ、イナゴ……それだけじゃない。影の中で鼻先を見せながらもがく狼。翼を突き出す蝙蝠とカラス。それらが、心臓から這い出てくるのだ、呼吸を求めるように。そのまま彼らは、あるじの背中に向けて突っ込んでいく。食らい込むように。だが、肉に食いつくことはなかった。彼らは、心臓から生まれ――そして、背中の中に消えていく。矢継ぎ早に。

 眷属達が、彼女より生まれ、再び、彼女の中に還っていく。

 そうしてヴァルプルギスの身にも、変化が現れる。

 露出した肌には甲殻類のような装甲がびっしりと浮き出始める。

背中が泡だって、いくつもの毛羽だった腕が生える。髪は真っ白になり、その眼は赤く染まり、額に第三の眼がわく。


「うう、うううう……」


 黒い魔法衣は、影絵の中で、滴った血によって編み込まれて再生する――だが、その出で立ちはかつてと決定的に違う。その胸部の中心に、赤黒く脈動する巨大な水晶。

 それが、彼女の力の中心であることは明白だった。

 やがて、彼女の背中から生えた魔法杖が朽ち果て、残骸となって地面にぱらぱらと落ちた時、その変化は完了した。

 ――人の姿すら失った、ヴァルプルギスの姿だった。


「なんて姿……あれが、ハイドの覚悟」


 ルシィは、ぞくりと震えた。ああ、もはや彼女は戻れないし、戻る気がないのだ。

 あの、寂れたタバコ屋の主人という居場所には、二度と、二度と。


「魔法杖の力そのものを取り込んだというのか……ヴァルプルギス」

「覚悟なら、ある」


 戦慄の混じったコアトリクエの言葉に、彼女は返した。ひどく冷徹な声音。不退転の決意が宿った声だった。

 ……彼女はしゃがみ込む。その背中から、幾つもの生物の影が見えた。

 ――ヴァルプルギスの夜。


「征くぞ」


 小さく、呟いたときには。

 既に、彼女は駆けていた。

 正面で構えるコアトリクエに向けて疾走。真っ直ぐに、真っ直ぐに。

 その影に、数多の眷属が追従し、彼女と重なっているように見えた。そして、それは間違いではなかった。

 コアトリクエは苦々しい顔を向けて、魔法杖を行使した。

 炎の熾烈な波が、ヴァルプルギスに迫る――正面から。直撃。橙色の光りに包まれて見えなくなる。

 だが……止まらない。身体を覆う装甲が、生物が燃え落ちていく。その足が、腕が、様々な動物の意匠が次々に焼け落ちていく。羽毛も、翼も。全て、全て。

 駆けていく、距離が縮まる。そのたびに炎は容赦なく彼女を打ち据えていく。しかし、止まらない――止まらない!


 炎の縄が、彼女をとらえる。

 だが、それは今度こそ無駄に終わった。彼女は自らの身代わりを身体の外側に用意した。炎が火柱となって噴き上がり、その姿を焼き尽くした……が、実際にその場で黒焦げになっていたのは、彼女の姿をした別のなにかだった。火の粉と黒煙の中から、真の彼女が飛び出してくる……さらなる加速。


「貴様、いったい――」


 そう、それこそがヴァルプルギスが得たもの。

 炎から逃げるのではなく、正面から向かっていく。痛みを、ダメージを回避するのではない。全てを受け止めた上で、前に進む。そうして、焼けて焼けて焼け落ちて、最後に残ったものこそが、勝敗を決する。彼女は進んだ、進んだ。炎は次々と『外側』を焼き尽くしていく。そのたびにヴァルプルギスの外皮は薄くなっていくが、疾走を、吶喊をやめない。


「死ね、ヴァルプルギス、死ねっ……!」


 あれほどの痛みを受けながら、まだこちらに向かってくるのか。なぜそれほどまでの力を、何が違う、私と奴の、何が違う……。

 戦慄はいつしか恐怖となってコアトリクエを包んでいた。激情の乗った炎がヴァルプルギスを焼いた。だが、叫びはもう意味を持たない。


(まだ死ねない――私は、まだ、死ねない!)


 そして。

 ヴァルプルギスが翼を広げ、その姿を包み、一つの巨大な槍のようなフォルムとなり、加速し――……。

 コアトリクエの、目の前に。


「この、ヴァルプルギス、貴様……」


 がら空きの、胴体。これまできっと、一度たりとも接近を許したことなどないのだろう。しかも、相手は、その装束の殆どが再び焼け落ち、裸同然となった丸腰の魔法少女。


(私が、魔法少女を終わらせるまでッ!)


「ッ……」



 少女は、自らを慕う幼い彼女に言った。現実に対処するのはいい、だが理想を持つことは決してやめるな、と。

 彼女は高潔であろうとし続けた、し続けた……失った、失った。私は夢を失った。私の夢は、どこに行った? 



「ッはあああああああああイ、ドぉぉーーーーーーーーーーーッ!」


 長槍の先端が紅蓮に染まり、袈裟懸けに振り下ろされた。

 激突。

 ひときわ激しい炎がはぜた。

 ルシィは、顔を覆わざるを得なかった。


 だが、その劇的な瞬間が過ぎ去ったときには、既に決着がついていた。

 コアトリクエの刃は、ヴァルプルギスの半身を袈裟懸けに斬り裂いていたが、同時に彼女の胴体には、猛獣の爪を宿らせた拳がめり込み、風穴をぶち開けていたのだった。



 長槍をその場で取り落とす。間抜けなほど乾いた音。

 コアトリクエはその場で崩れ落ち、膝をついた。同時に、ヴァルプルギスは肩口から血を迸らせながら、後ずさってたたらを踏んだ。その拳にも、べっとりと血。コアトリクエの血。そして――赤い宝玉。


 彼女は、手の中にあるそれを、力を込めて破砕した。

 ヴァルプルギスの魔法衣が、ゆっくりと再構成されていく。その異形ごと。

 ……膝を付き、がっくりと項垂れるコアトリクエ。その傍らを歩き、通り過ぎる。


「何が、違う……私とお前では、何、が……」


 答えなかった。そのまま背を向けて、歩いていく。上に向けて。

 足音が響く。そこに影のように、血が追従した。回復が追いついていなかった。

 ヴァルプルギスは、遠ざかっていく。コアトリクエから。


「――危ないッ!」


 サイトは叫んでいた。

 コアトリクエがやおら立ち上がり、その腕にひとかけらの炎をまとい、ヴァルプルギスに向けて駆け出したのだ。ぶち抜かれた腹の向こう側に、彼女が見えた。


「ガアアアアアアア、ああああああああああああっ!!」


 今一度獣に戻ったように咆哮し、コアトリクエは――背を向けたヴァルプルギスに飛びかかった。

 まもなく、その一撃が降りかかる――。


「この……大馬鹿がぁッ!」


 叫んで振り返ったのはヴァルプルギスだった。

 そして、彼女のほうが早かった。炎は当たらなかった。


 その代わり、振り向きざまに、爪の一撃が放たれた。コアトリクエに向けて。

 それは彼女の瞳を、横一文字に斬り裂いた。夥しい鮮血が迸った。


 ……残身して、背を向ける。コアトリクエが、地に伏す。彼女はその場で絶叫しながら悶え苦しみ、ばたばたと暴れた。


「ぎゃあああ、あああああああ……ヴァルプルギス、貴様、貴様ぁぁ…………っ」


 ヴァルプルギスは苦悩するように眉をひそめ、目を瞑る。蔦を伸ばして、コアトリクエの魔法杖を掴むと、手元に引き寄せる。そのまま、膝で叩き割る。

 ……かつての戦友の絶叫を背中に聞きながら、ヴァルプルギスは歩いていく、歩いていく。 

 その歩みはよろよろと頼りなく、後方に血の川が流れていたが、止まることはなかった。


「殺してやる、殺してやる、殺してやるゥーーーーーーーッ…………」


 声が、残響のように空間に爪を立て続けている……。


「……」


 ルシィは、一瞬、コアトリクエにとどめを刺すべきかどうか考えた。だが、彼女はもう戦えないという確信が宿った。

 彼女は目を押さえながらばたばたと暴れる魔法少女の残骸を横目に歩き、ヴァルプルギスの背を追った。



 彼女は既に、吹き抜けの向こう側へ消えていた。

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