#17・・・魔法少女vs炎の魔法少女③

「お前、綺麗な顔してるな」


 裸にし、縛りつけ、汚い律動を送り込んできた男は頬を掴みながらそう言ってきた。その時点で、尊厳などあったものではなかった――カレルレンのもとに行くまでは。

 ずっと、自分と違う何かを見つけようとしていた。そうすれば、そいつに感情を仮託すれば楽になれるから。

 彼は、それから――彼女を見つけた。彼は狂喜した、筈だった。

 その感情も、無駄になった。

 こうして、自分たちが一緒だと知ってしまった以上は――。


「くだらねぇ……」


 ケネスは小さく吐き捨てる。炸裂する爆発、何度も、何度も。

 スクリーンの中では、小高い丘の上で、死神が旅芸人の一団を連れながら踊っている。それも炎の中で揺らめいて見える。コアトリクエは、爆発の応酬にまるで抵抗が出来ない。


「くだらねぇよ、カレルレン……あんたのやってることはただの自慰だ、魔法少女を作り出したのがあんたなら、そいつをもとにする理想の世界も、ないに等しいんだ……だから俺は、」


 その先に、彼が何を言おうとしたのか――少なくともその時には、その視線はコアトリクエに向けられていた。以前と違う、どこか、哀れみの混ざった複雑な眼差し。

 だが、彼の視線は、移った。


「ケ、ネェェェェェー……ス。何をしているんだ? こんなところで」


 すぐ近くの客席、映画のエンドロールを背景にしながら拳銃を向けるカレルレンに。


「――父、さ……、」



 爆裂の連鎖が、ホールを紅蓮に染め上げていく。

 今やスクリーンは引き裂かれ、炎の中に消えた。ヴァルプルギスが撃ち、コアトリクエがその攻撃に身を晒す。それだけの状態が延々と繰り返され、とうとう完全に形成が逆転していた。

 今や、ヴァルプルギスが、敵を壁際に追い詰めていた……炎の中で、彼女の足音。何度も響き、近づいていく。魔法杖を構えて、最後の一撃を撃つために。


 魔法陣の光は赤色ではなかった。爆裂魔法は、壁際の彼女をすっかり疲労させていたが、トドメにはなり得ないのである。その色はセピア調で、どこか優しい色だった。

 ――コアトリクエが、袋小路で吠え叫ぶ。白目を剥いて、歯をむき出しにしながら。ヴァルプルギスがそれを見て、わずかに表情を変えた。


「コアトリクエ……」


 変わり果てた仲間の姿に、何を思うのか。炎を背景にしていても、彼女の背中には冷たさがあった。しかし、やらねばなるまい、この先に進むには。

 光が収縮し、間もなく発射される。


 銃声がどこかから聞こえたのは、その時だった。それと同時に、誰かの悲鳴が聞こえた。男の声。それはハッキリと、「コアトリクエ」と叫んでいた。


 彼女は、声の方を向いた。ヴァルプルギスが、そのスキをとらえようとした。

 だが、足元に違和感。動けない。下を向く。

 死者が、そこに居た。生気のない表情のまま、足にしがみつき、彼女の動きを封じていた。

 ――あのゾンビ兵達だ。いかなる手段を使ってか、たどり着いていたのだ。


「……っ」


 その中には――警官も混じっていた。

 僅かな狼狽……それが、間隙となって。

 コアトリクエが鎖を用いて、その場から離脱するのを、とらえることが出来なかった。



 非常用扉を出てすぐの廊下に、ケネスは倒れていた。血を流し、それがフロアマットにシミを作っている。コアトリクエはそれを見つけた。


「ああ、ああああああ……」


 彼女は駆け寄る、そしてその頭を自分の膝上に。上体を抱え起こす。彼は血をさらに吐いた。

 胸が、撃ち抜かれている。それをやった者は、もうここには居ない。


「あああ、あああああ……だんなさま、だんなさま…………」

 

 白濁した目から、彼女は涙を流す。譫言のようにその名前を呟き続ける。

 ケネスとしては、その光景は実に滑稽なものだったが――その思いは届かないだろう。


「誰が、誰が……こんなことを……」


 彼が答えようとした時、扉が開いた。


「禍根は絶った……ははは、アンチ=バベルは依然健在、私はまだここに居るぞ……」


 カレルレンが拳銃を懐にしまいこみ、廊下をふらつきながら歩いていく。彼の口元にも血がついていた。

 視界はかすみ、歩行もおぼつかない。内臓がひどく痛む。彼にも時間が近づいていた。

 だが――彼はまだ、希望を捨てていなかった。無数の少女たちが、彼の足元でかしづいて、生気を分け与えているかのようだった。


 黒い装束を血に染めたヴァルプルギスが、そこに立っていた。血は全て返り血だった。

 彼女は、感情を込めずに、ただ静かに……コアトリクエに言った。


「もう、終わりにしましょう。私達は、この世界に居るべきじゃない」


 男を抱きかかえて沈黙している彼女に、魔法杖を突きつける。

 彼女は答えない。こちらを見てすらいない。


「誰が……こんなことを」


 何度も繰り返された言葉。それに対して、男の目が……わずかに生気を取り戻す。

 その上体を少し起こす。ごぼごぼという呼吸の音。


「へ、へへ……」


 そのまま、彼は――ヴァルプルギスに、指をつきつけた。


「あいつだ、あいつが、おれを、ころした……」


 真実ではなかった。だが、彼女には――コアトリクエには、関係がなかった。


「……!」


 彼女の目が、ヴァルプルギスを見た。狼狽に見開かれる。こちらも。

 それから、男の身体から、力が抜けていく。命が。


「あいつが、あいつがあなたを――」

「ぶちこわしてやれ、なにも、かも……」


 その言葉を最後に、男は事切れた。身体が軽く、冷たくなった。

 ヴァルプルギスは、とっさに、「違う」という言葉を言おうとした。しかしすぐ、無駄に終わることを悟った。


 コアトリクエが、彼女を見ていた。そして、小さく言った。


「……きさまが」


 絶命した男の目を閉じ、静かに横たえて。言った。


「きさまが、やったのか」


 彼女の身体を覆っていた拘束具の残りが、剥がれ落ちた。

 内側は、溶けていた。

毒ではなく――炎だった。



 止まった時間を強引に動かすように、床が揺れ始める。ビリビリとした振動をじかに感じる。周囲の瓦礫が、炎が動揺するように動く。何かが、地の底から沸き上がるような音――。


 コアトリクエは、緩慢に立ち上がる。だらりと四肢を垂れ下げながら。


「許さない……」


 顔を上げる。



 次の瞬間であった。

 床のあらゆる場所から、炎の柱が、一斉に噴き上がった。


「なんだ……!?」


 人々は、窓の外からそれを見た。豪雨の中でもはっきりと視認できた。

 ――ファフニール・コーポレーションの、あの尖塔が……橙色に輝いている。


 生き残った警官達は、社屋のあらゆる場所へ散開し、社員の避難誘導を行っていた。何も知らないスーツの男女を戸外へ押し出している最中だった。その変化を、じかに感じ取った。そして、巻き込まれた。

 地面が揺れる――そのひび割れの隙間から、警官の死体と、動かなくなったゾンビ兵の間から……間欠泉のように炎が噴き上がり始めた。


「逃げろ、逃げろ……外に、とにかく外にッ!」


 怒号しながら部下たちを逃していく者。逃げていく者。その中で狼狽する者。


「な、なんだこりゃッ……」


 炎は噴き上がるだけではなかった。

 今やそれは壁をつたい、柱をつたい、あらゆる場所へ伸び、腕のように絡まり、浸潤していく……艶かしく。

 そして、壁面が赤く飴細工の如く歪み、高温になり、形をぐにゃりと変え始めた。その変化は一階ホール全てで、あるいはそれより上の全てで起き始めている。焼け付くような高温の中で、炎の腕が……鉄で出来ている筈の壁を、床を、地面を、変化させていく。

 炎が、建物を、再構成していく――新たな形へと。


「おいルシィ、こいつは誰の仕業だッ!」


 上司が怒鳴ってくる。なかば呆然としながら――答える。


「コアトリクエ……『炎の魔女』……――」


「これは……ッ、コアトリクエ……」


 それが錯覚でなければ、床も波打ち、歪み始めていた。そこにも炎が伝う。避けて、這いつくばって、姿勢を保持するだけで精一杯だった。周囲の世界が、炎により変貌していく。


「まさか、貴女は……今、この時になって、正気を取り戻すのかっ!」


 紅蓮の炎の世界で、叫ぶ。相対する彼女は、顔を上げる。

 もはや白濁していなかった。決意に満ちた表情がそこにあった。

 鋭い、凛とした瞳。引き結ばれた口元。

 ……かつて知る、コアトリクエの姿。それが今、目の前にあった。だが、答えない。


「答えろ――答えろッ!!」


 しかし、答えはなかった。

 間もなく、床そのものが高温の炎で覆われて、絨毯のように波打ちながら、引き攣れの如き轟音を打ち鳴らし、その血脈の内側に彼女を飲み込んでいった。床が沈み、彼女が見えなくなっていく――落ちていく。

 入れ墨の男の死体も、その崩壊と再構築に巻き込まれ、消えていった。誰も気づかない。


 魔法少女の恐怖から室内に閉じこもっていた者たちも、その異常には反応せざるを得なかった。豪雨の中、人々が窓から顔を出し、驚きを口に出す。


「お、おい。あれ、見ろよ」


 今、ルームシェアをしている若い学生の一人が、それに気付いた。

 室内の机が、その上の鉛筆削りが揺れて、落ちた。振動は、塔からもたらされたものだった。

 今、それはさらなる変化を迎えている。

 塔の先端から、赤く燃える、更に細長い何かが、地響きと共にせり出している。


 内部で起きた変化だった。

 炎は鉄を溶かし、橙色のゼリーに仕立て上げて、その上で塔の形状をいびつに捻じ曲げていく……悪夢のように、その形状にはとらえどころがない。全体像は分からない。それは麻薬中毒者の見る夢だった。

 人体が複雑に絡まりあった象形へと、壁が、床が溶けて、変形する。その中で、ひときわ激しい変化がそれだった。塔の中央部――ガラス張りの吹き抜けになった『アンチ=バベル』。


 今、その装置の根本が、一段と強く揺れていた。そのまま、炎が殺到。徐々に、地面が持ち上がり始めた。周囲の床材を破壊しながら、天へと登っていくように。床下ごと、上へ、上へと……アンチ=バベルそのものが、周辺機器ごと持ち上がっていく。ついに、塔の天井を、突き破る。轟音――羽の如くガラスが落ちていく。


 外部カメラで見れば、その変化は一目瞭然だった。無機質な塔に過ぎなかった社屋は、今やどす黒く形状変化し、ねじまがった金属が幾重にも折り重なったことで完成した不定形の『怒りの蕾』というべき外観に変わり果てていた。

 地獄から湧き上がった亡者たちの手が重なり、それがそのまま一つの形になったような――それは怒りだった。怨念だった。真の力を露わにした、一人の魔法少女の。


 白衣を着た社員が、恐慌状態になりながら、今や茨のような鉄檻に囲まれているコンソールルームから逃げようとした。しかし、銃弾が撃ち込まれた。

 カレルレンだった。彼は、青ざめる周囲の部下たちに告げる。


「忘れていたわけではあるまい、あれが魔法少女だ……見たいだろう……あの力を、我々のものとする瞬間を!」


 誰も、何も言えなかった。彼はそれを気にしなかった。再び咳き込んで、口元に血がついたが、拭うことすらせず、目を見開いて笑っていた。


 暗闇の中で、フルゴラは小さく呟く。


「本当に狂っているほうが、幸せかもしれないのにね……『先輩』」


「くっ……」


 ヴァルプルギスは、何も抵抗の出来ぬまま、何も無いところに投げ出されていた。

 空中――ちょうど、塔の真ん中をぶち抜いている吹き抜けである。まさに今アンチ=バベルがせり上がり、塔の上部へと動いている最中だった。地面がまるごと円柱と化して、視界を覆っている。それが、上へ、上へと。正気を疑うような光景だった。これを、コアトリクエが。

 彼女はそのまま落下するに任せているわけではなかった。背中にカラスを集めさせ、再び翼を展開。ホバリングしながら、悪夢の如き背景の中をゆっくりと降下していく。

 そうして、降り立つ。吹き抜けの麓。かつてアンチ=バベルがあったはずの場所を中心にして、天井までがらんどうの空間が取り巻いている。そのあらゆる場所に、炎によって形を変え、その後急激に冷え固まった造形が刻まれる。

 炎が、彼女を出迎えるように、聖火の如く、至るところから噴き出している。


 向かい側に、コアトリクエが居る。

 彼女は腕を前に差し出し、手を握り込んだ。

 血がぼたぼたと下に垂れ、それがセフィロトの樹を刻む。

 光が放射され、彼女の目の前に形状を生み出す。その中に、手を突っ込む。

 取り出されたのは、身の丈ほどもある巨大な戦槍だった。それが、コアトリクエの魔法杖だった。

 そして彼女は、対峙する彼女は、もはや完全に『かつての姿』だった。

 赤い魔法衣に、紅蓮色の長い髪。乱れてほうぼうに散ってはいるが、多くの仲間を魅了した色は本物だった。そして、その眼差し。彼女は今――生きて、ここに居た。


「コアトリクエ……」

「正気かどうか疑っているのか。生憎だが私はここだ。ここに居て、お前を見ている。他のものは目に入っちゃいない。私は、お前を、見ている」


 落ち着いた声音で、彼女はそう言った。

 ――一瞬。ヴァルプルギスは、僅かに期待した。ここで語りかけ続ければ、彼女は戦いをやめてくれるのではないか、と。その声は、あまりにも当時のままだったから。

 しかし、次の一言が……その期待を打ち砕き、覚悟を与えた。


「往くぞ、ヴァルプルギス。全てを賭けて、戦おう」


 皮肉にもそれが……彼女に、多くのものを思い出させた。

 ――そうだ。自分には、やるべきことがある。そのためにここに来た。

 自分がもし、コアトリクエなら。ここで躊躇はさせないだろう。絶対に。


 ならば――遠慮はいらない。理由もいらない。後悔さえも。

 すべてのことが、目を瞑って、開いたときには、頭から消えた。

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