#11・・・『魔法少女』

 ――猿轡は?

 ――舌噛む程度じゃこいつらは死なない。要らないとさ。

 ――化け物が。


 吐き捨てるような声が拡大されて聞こえてくる。そこで彼女の意識は浮上した。

 間もなく、彼らの顔が顕になる。

 黒い上下の幕がフェイドアウトして、こちらを見下ろしている姿が見えてくる。


「おっ、眼え覚めたな」

「相変わらず綺麗な顔してやがる、魔法少女って奴は」


 男のうち一人が、自分の頬をわしづかみにしてくるのを感じた。

 強引な手付き。ごわごわと硬く、冷たい。

 そう、冷たい。

 ……冷たい、水。


 記憶が、激流のように流れ込んでくる。彼女はその顔の群れを知っている。

 激しい雨、光、そして……。

 ルッカ。目の前で。

 ああ、そうだ、彼女は、目の前で、こいつらの……。


「ッ……ああああ、ああああああ!」


 椅子に縛り付けられていることには気付かなかった。

 叫びとともに身体を動かして、激しく暴れまわった。そのまま倒れ込んで、狂ったように這いずり近づく。男たちが目を剥いて動揺する――そのうちの一人に、床上から唾を吐いた。ぎゃっと悲鳴が上がった。目に命中したのだ。後ろに倒れ込もうとしていた。そいつに向けて、ハイドは身体を強引に捻る。椅子ごと体当たり。男とともに床へ。


 そのまま間髪入れず、身体の締め付けが痛みを与えるのにもかまわず、男の胴を登り、首筋に顔を近づけて、噛み付いた。


 ぎゃああああああ、という悲鳴が上がる。血しぶきが迸る。傍に居たもうひとりは痺れたように呆然としていたが、コンマ数秒後に反応、ポケットからスタンガンを取り出す。そのまま、獲物に食らいつく獣と化したハイドの背中に食らわせた。

 ハイドの身体は痙攣しながら反り上がり、男から離れて床に転がった。だが顔を上げて、男を見た。目を見開いて、歯を食いしばった。狂った獣の表情。


「嘘だろ、魔法は封じてるのにっ」


 そこで、声。


「何をしてる、おまえたち」


 男が顔を上げると、バスルームから全裸の男が湯気とともに出てきた。

 カレルレンだ。シャワーを浴びたばかりのようだった。

 病苦が刻まれ、痩せ細った身体……長髪に髭面。苦難の道を行く聖者のような出で立ち。己の裸体を誇るでもなく、ただそこにあるものとして、そこにいた。

 男は彼から目をそらし、呻くもうひとりをなんとかして抱え起こす。首筋から血を流している。痛ぇ、痛ぇ、というか細い声が漏れている。


「目が覚めたら教えろ、とまでしか言ってないぞ」


 非難のニュアンスであることは間違いなかったが、特段怒っているわけでもなかった。


「し、失礼しました」

「もういい、失せろ」


 男たちは床に転がって荒く息をついている獣――ヴァルプルギスを一瞥してから、ふらふらと部屋を出ていった。


 カレルレンは呆れたようなため息をついてから、ハイドのほうを見た。

 それから己の裸体を何の感慨もなく見下ろして、肩をすくめた。


「おっと、失礼。これでは連中と変わらんな」


 ハイドをこの場所へと連れてきた首謀者は、天気の話でもするかのように、言った。



 着換えをすませ、ゆったりとしたバスローブに身を包んだカレルレンは、ハイドの対岸に座り込んだ。無論、その両手は後ろ手に拘束されたままではあるが。

 そこは、彼の私室だった。

 大きく取られた窓からはセントラルの乾いた夜景が広がるが、一転して室内は質素そのものだった。少々のワインセラーと本棚以外は、ほとんどなにもないと言ってよかった。街を実質的に支配している者の居城としては、意外なほどに簡素である。


「さて、こうして向かい合って話すのははじめてかな」

「……殺せ」


 ハイドは顔を虚ろに俯けたまま呟いた。

 譫言のように、何度も。


「殺せ、なんのために私を生かしている。何の意味があって。ころせ、殺せ……」


 何度も繰り返す――殺せ、と。それによって彼女の何かが高められることもなく、掻き立てられることもなかった。彼女はただ繰り返していた。壊れた人形のように。


「それは出来ない」


 きっぱりと言い放っても、ハイドの反応は薄かった。


「何故」

「君が生きていて、私が君と話す。その理由があるからだ」

「私にはない。娘を殺したお前らに、話す理由なんか――」

「殺される原因を作ったのは、君じゃないか。馬鹿だなぁ」


 そこで。


「……」


 ハイドに、感情が蘇った……というよりも、弾けた。これまで溜め込んでいたものがすべて。目の前の男に向けて、野放図に放射される。


「――この野郎、死ね、くたばれ、死んじまえ、ゲス野郎、タンカス野郎、ふざけるな、ふざけるな――この野郎、この野郎っ!」


 彼女は涙を流しながら叫び散らし、その勢いで椅子ごと転倒した。そのままカレルレンの方に向けて這いずりながら、何度も同じような文言を叩きつけた。まるで、針を刺されて悶え苦しむ芋虫だった。唾が彼のところに飛んだ。声がかれても彼女は叫び続けるだろう。このままずっと……カレルレンは、疎ましそうな表情で彼女を見下ろした。

 指を鳴らす。闇の中から、何人かのシルエットが忍び寄ってきて、床の上で暴れ回るハイドにまとわりつく。

 それは少女たち。十三歳ほどの、似たような姿をした少女たちだ。ゆっくりと優しい手付きで、暴れる彼女を抱き起こし、椅子に元通り座らせる。ハイドは彼女たちを見ていない。かき回された感情の目で見ているのはカレルレンだけだ。しかし少女たちは、そのままハイドに語りかける。


 ――痛くなかった?

 ――大丈夫よ。あなたは何も悪くないわ。悪いのはカレルレンよ。あんな物言いしかできないの。

 ――さぁ落ちついて、深呼吸をして。

 ――ゆっくりと……あなたは冷静に話ができるようになる……。


 知らずのうちに、ハイドはその言葉に従っていた。凶暴な光が目から消えて、荒かった呼吸が徐々に静かになっていく。それを確認すると、少女たちは闇に消えていった。


 ハイドは、元の憔悴した様子に戻った。しかし、いくらかの冷静さと理性を得ていた。それは諦観がもたらしたものだろう。


「お前たちは」


 ゆっくりと、問いかける。


「お前たちは、何のためにファフニールを作った。その先に何を目指して、魔法少女狩りを続けてきた」


 そこに、怒りはなかった。

 ハイドはただ、知りたかった。

 それは、起きてしまった火災現場の目の前に立ち尽くして、自分の火の不始末について延々と自問自答を繰り返しているような心境だった。

 彼女は、枯れ落ちていた。


「それを聞いて、何になると言うのかね。ヴァルプルギス」

「何にもない。私の問いかけは、何も産まない。それでも、知りたい……あなたを」


 彼女は、顔を上げた。

 カレルレンの眉が、ぴくりと反応する。

 それは、『不快』。

 向かい合う女の顔に滲んでいる感情は、慈悲のようにさえ見えた。

 疲弊し、何もかもを燃やし尽くしてしまった彼女に浮かんでいるのは、一人の人間として自分を見る眼差しだった――まるで、聖女のように。


「……くくく」


 カレルレンはおかしくてたまらなかった。

 怒りを失ったからには、慈悲深き魔法少女としての責務を、せめて最後の一欠片でも果たそうというのか。

 あぁ、なんて涙ぐましいのだろう。なんていじらしいのだろう。

 彼は目頭を抑えて、ひきつけを起こしたように笑った。

 そして。


「人間を舐めるなよ、淫婦め」


 彼女の頬を、平手打ちした。

 短い苦悶が漏れて、口元から血を流す。

 しかし彼女は、されるがままだった。唇をかみしめて、なおもこちらを見てきた。

 その目に宿るのはやはり、慈悲。

 カレルレンの中で、欲求が膨れ上がる。『真実』を、一刻も早くぶちまけてしまいたいという欲求。だが、まだだ、まだ……。


「ファフニールを作った理由、そんなもの、決まっているだろう。『幸福』だよ。人類の幸福。真の人間社会の設立、そして世界の恒久的平和。私の手がけてきた事業の全てはそこに帰結する。魔法少女狩りも、アンチ=バベルも、総て、総て」

「……」

「とめどない戦乱に環境破壊。今更語るまでもないそれらが世界を食い尽くし、結果として全てが滅ぶなどクソくらえだ。それが自然の摂理だと、運命だというのなら私が破壊する。私が天を手懐ける。人類を永久に永劫に存続させる。そのための痛みも悲しみも、必要な血であり、汗……」


 そこで、自分の手が興奮で震えていることに気付く。

 彼は肩をすくめて、笑ってみせた。

 いまさらその仕草をしたところで、にじみ出てくる情念を誤魔化せはしないことに、彼は気付いていない。


「すまないね。あの愚民どもに対する名調子を披露してしまった。君にはもっと格の高い話をすべきだった。だが、君も理解できるだろう。痛みを伴う平和というものを。それが、魔法少女としての戦いだった……違うかね」


 彼女は、顔をうつむけた。

 悲しみ憂い、乾きに染まった顔が沈み込み……再び正面を向くまで、しばしの時間を要した。


「……違う。それは違う、カレルレン」


 彼女はそう言った。


「ほう」

「犠牲のもとに成り立つ平和など、私は、私達は……はじめから望んでいなかった。少なくとも私は、守りたかった。そばにある、小さな命を。私達の戦いは、そこから始まった……」


 彼女の中で回想が流れているのが、カレルレンからもはっきりと分かった。

 彼女は今、自らの起源を追憶しているのだ。懐かしんでいる。

 そして、悔悟している。そこからずいぶんと離れてしまった自分を。


「だが、君達は道を過った、力に溺れた。違うか」

「そう。私は……私達は、多くの命を奪ってきた。大義名分に呑み込まれて、いつしかその力に、心を支配されていった」


 最強の魔法少女――ヴァルプルギス。

 あらゆる魔法を使いこなす存在。彼女が戦場を通り過ぎるたび『夜』が起きる。

 その後には、灰燼だけが残るのだ。

 彼女は幾度となく繰り返してきた。何度も、何度も。


 栄光など、一欠片もなかった。

 あるのはいつも、砂上の城だけだった。

 最後まで振られることのなかった白旗と、人形を握る小さな手。

 彼女は覚えている。忘れたことなど、一度もない。


「今頃後悔しても、遅いんじゃないか、ヴァルプルギス。現に君達にはもう、何も守る力など残っていない。君の娘は死んだ。そして君も今や、我々に最後の力を搾取されようとしている。君達の存在は、最初から無意味だったということにならないかね」


 その挑発的な問いかけにも。

 彼女は、怒りを見せなかった。


「そうだ。私達が、無駄な犠牲を出さなければ……何も、何も」


 その時、彼女の脳裏を、人々が駆け抜けていた。

 ……その力で、命を救ってきた名もなき者たちの笑顔。守りきれなかった者たちの面影。愛するに至った、唯一の人間。店を訪れた、知らない客たち。娘を守ってくれていた、あの保育園の人々。

 ――ルシィ。そして、あのおろかで、無知で。何も知らないガキども。


 だが、彼らは何も、何も背負っていなかった。

 魔法少女の事情など、因縁など、まるで無関係のところで生きていた。そのはずだった……。

頭の中の映像が飛んで、炎が情景を包む。

 深夜のダイナー。突如として起こった惨劇。名も知らぬ人間が、死んだ。恐怖したまま。その先にあるはずの人生を、宙吊りにされたまま。

 ハイドは、膝の上で拳を握った。


「ならばどうする。君にはもう何も残っちゃいないぞ。どうする? 私の首を絞めに行くか? それともこめかみを撃ち抜くか? そうすれば娘の敵討ちは出来るぞ。フルゴラに介錯を頼んでもいいぞ。彼女は君に特別な思いを抱いているようだからな。それもやぶさかではないかもしれない。さぁ、どうする……」

「私は」


 彼女は、答える。

 それは、カレルレンにとっては。


「私は、何もしない」


 ――あまり愉快ではない答えだった。


「何……?」

「散っていった仲間達には、守るべきものがあった。やがて道を誤る者たちも、はじめはみな、理想を持って闘っていた。人間を守るために」


 それが、ヴァルプルギスとしての結論なのだろう。彼女は今、これまでの全てを懺悔しながら、その言葉を吐いている……健気にも。


「私が今、怒りと憎しみで戦ってしまえば。私の中にいるあの子達は、皆、死んでしまう。そうなったら、私が、殺したことになる……ルッカを。だから……私は今でも信じている。かつてのマザーの教えを……」

「ッ、くくく」


 カレルレンは、笑う。


「くくくくく、はは、はっはっはっはっは、はははははははははッ、ははははははははは! ははははははははは、はははははははははははははははははは、はぁーッ……ははは……」


 狂ったように笑う。身体を折り曲げて、腹を抑えながら絶叫するように。

 ハイドは戸惑いとともに言葉を停止させる。

 彼は笑い続ける。顔をかきむしりながら、部屋中に当たり散らした。


 ベッドが乱れ、ワイン棚から酒が幾つもこぼれ落ち、割れていく。

 ――狂態。彼の拳が、姿見のミラーを殴りつけた。

 ……ヒビが入り、血がモザイク状に流れていく。


「これだから、女ってのは救いようがないんだ……シーツにこびりついた穢らわしい粘膜でしかない……白く汚れる肉、肉だ。ああ、まったく素晴らしいよヴァルプルギス……本当にバカで、愚かだ。真実でなく、感情を優先してしまう。バカ、バカだ。愛しきバカだよ……君は」

「何を……」

「若い頃から、青春のすべてを費やして、見たくもない女どものファッション雑誌を買い込んで……何度も吐きながら生理学と生物学を学んだ……その私のこれまでを、君は徒労に終わらそうとしている。君は本当に最低だぞ、ハイド」

「何を……何を言っている?」

「だから私は今から、君の全てを否定してやる。いいか、いいかねヴァルプルギス。よく聞け、目をそらすんじゃないぞ。君の中には、マザーの教えが未だに生きている。だが私は、あんな愚かな女はこれまでで一度も出会ったことがない。奴は本当に最低の淫売だ」


 闇が、迫る。

 ハイドはその気配を、鋭敏に感じ取った。

 彼が近づいて、目の前に立った。


 そして、目を合わせてくる。

 ぞっとするほどに深いブルーの瞳。

 彼女は、その色に見覚えがあった。その理由、分からない。何故だろう、何故――。


「マザーを否定するな、カレルレン。彼女は……」

「マザー、マザー、マザーマザーマザーマザー! ああうんざりだ、何度も聞かされたよ、今まで狩ってきた魔法少女から、延々とね! さぞご立派な女なんだろうな、だがもうそれもおしまいだ、ははは、何故か分かるか? いいか、よく見ておけ、ははは、まず聞くが、君は本物のマザーには会ったことがないよな? そうだよな? そう……よしわかった。でなければ困る」

「何が、言いたい――」

「いい加減に気付けよ。つまり、こういうことだ、ヴァルプルギス」


 彼の後方で、映像がうつしだされる。巨大なホームシアター。

 そこには――ああ、そこには。


『ここに宣言する――我々魔法少女はこれより、人類全ての罪を裁く、我ら自身の力によって! 我々の力はそのために与えられた。罪には罰を。我々は不変の戒律を、あらためて諸君の頭の上に叩き込む! だが安心し、ししししししししししししししししししし、システム再起動、システム再起動――プログラム名“ヤルダバオト”』


 そこには、はっきりと『居た』。

 グランド・マザーが、画面の中で。

 意思を持たぬ、二進数の塊として。



「確かにグランド・マザーは生きているさ。ここにな。何故なら、私が彼女と、魔法少女のシステムを生み出したからだ」

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