#12・・・魔法少女が激情する
崩壊の音が聞こえた。
彼女は反応ができず、息もできなかった。
頭の隅が白くなって、それが全体に広がっていく。
ゆっくりと……炎の焦げが、紙を侵略するように。
「私がとある少女に出会い、彼女の持つ自然の形式変化、感情の具現化の力を知ったとき……全てを得ることが出来ると思った。祈りが、願いが、実現すると知った。この機を逃すものか――私は彼女を最初の魔法少女に仕立て上げ、そして、すべての母として祀った。もっとも最後に彼女は枯れ落ちたがね。後は遠回りをして、魔法少女という存在を『量産』し、栄華から破滅へと導く作業。気が遠くなりそうだったよ。イグゾースト・マナを回収するためだけに、お仕着せの英雄物語を大量に用意する必要があったからね」
彼は部屋のボタンを押して、カーテンを開けた。
大きな窓があらわになり、外の光が入り込んでくる――まだ、日は落ちていない。
部屋を歩きながら、彼は語る。
彼女の耳に言葉が入っているが、反応はなく、その頭の中で止揚されている。そして……煮凝っていく。
「君達の信じているものは最初からありはしなかった。君達の願いは全て、私という祭壇に捧げられる供物だ。産婆に過ぎない。だが君達は実にいい働きをしてくれた。そして私は、人の身で神となる」
乾いた彼女の相貌に変化が現れた。
泪を流し始めたのである。まるで、塑像のひび割れのように。
「く、ははははは……足元が崩れるのを感じているか? 全てが徒労と知り絶望しているか? 安心したまえ、君達の存在には意味がある。魔法少女は、存在する意味があったよ……私と、私たち人間のためにね。もっとも、君達の『行動』に意味があったとは、あまり思えないが」
「――んだと」
「……何?」
「なんだと」
そのとき。彼女の中にいくつもの顔がよぎった。
――魔法少女。魔法少女。魔法少女。魔法少女。
セイレーン。コアトリクエ。メジェド。フルゴラ。
――グランド・マザー。
無駄と言ったか。
――彼女達を、無駄と言ったか?
「――なんだと?」
彼女は顔を上げた。
その眼には光が宿っていた。
しかし、その瞬間カレルレンは見誤っていた。
その光の正体を。
「憎むか? 私を。もしそうなら、この私に宝玉を――」
「私は……煙草屋だ」
彼女は淡々と語る。
――窓の外には、血のような夕焼けが広がっている。
雨が晴れて、太陽が満ちるはずだった。
ならば、この光はなんだ?
足元に伸びる、この異様な長さの影は何だ。
原色に染まっていく。
赤、黒――彼らの居場所が。
「何を――」
「必要なものを売り、それ以外は売らない。そいつが、多すぎるというのなら――」
「君は何を言っているのか……」
彼は歩み寄ろうとした。皮肉な笑いを浮かべようとした。
だが、そのどちらもうまくいかなかった。
――空気が、蠕動している。
彼女の周囲を包んで、地面から這い上がっていく。何かが。得体の知れないざわつき。
「ほかのものは。全部、ぶちこわしてやる――――!」
◇
その瞬間カレルレンは、己の間違いを悟った。宿った光――力を持つものの光だ。
何かを叫ぼうとしたが、その瞬間に発動した。
彼女は首を思い切り後ろに振り切り、前に倒した。その瞬間、彼女の首がガクンと痙攣して、俯いた口からごぼりと血が流れ出る。ペンキの缶を倒したかのように。彼女の身体を這うように垂れていき、地面に滴り落ちる。
そして、自らが意思を持つかのように後方へ伸びていく。幅が広がり、床が血に塗り込められていく。彼女は顔を上げた。
その瞬間、何かがボトリと口から床へ落ちた。小さな肉塊。彼女は口の周りを血まみれにして目を見開いていた。忘我の境地。彼はそれが何かを知った。
舌だ。彼女は今、自分の舌を噛み切ったのだ。
血は、彼女の内部から、後方へ、後方へ――。
「まさか、自らの血をマナとして、」
そんなことが。
だが、ありえないなどとは言えるはずもなかった。彼女は取り憑かれたような目をして、ただ前を見ていた。カレルレンを……いや、その先にあるはずのなにかを。
彼は一瞬、戦慄を覚えた。彼ほどの者が。その数秒で、血は彼女の後方で濁流のように広がり、形を作った。
それはのたうち、這い回る腕だった。無数の腕のように形を変えて湧き立ち、悶え苦しみながら後方へ後方へ伸びていく、広がっていく――。
今、彼女の、ヴァルプルギスの後方には、巨大なセフィロトの樹が形成されていた。それを止める暇はなかった。
次の瞬間。夕焼けを映し出した窓ガラスにヒビが入り、一斉に砕け散った。
彼女から生えた無数の血の腕が、後方の窓に張り付き、水中から空気を求めるかのように己の身を叩きつけたのだ。
ガラスの欠片が千々にくだけ、前方へと吹き荒れる。彼女の髪も前方へと吹いて、その表情が見えなくなる。彼は後ずさり、腕で体を守った。がらんどうになった夕焼けの空へ、彼女は血の腕で外側に運び込まれ、そして、ゆっくりと落ちていく。その姿が、消える。
同時に、部屋のドアを踏み倒して、武装した部下たちが流れ込んできた。状況の異常に狼狽しつつ、カレルレンのそばを通り抜けて、開け放たれた窓に向けて走り込み、その銃器を夕映えの中に向ける。そこに居ない――彼らは探す。そして見つける。下だ、敵は下にいる。
幾千のガラスの欠片と共に彼女は落ちていく。今や椅子の拘束は断ち切られ、彼女は身一つで空の中に踊っていた。彼女の背中から、異形の血の羽が広がる。
「撃て、逃がすなッ!!」
怒号。閃光。銃撃――落ちていく彼女に向けて。
……血の腕が、天に向けて示された彼女の腕に追従し、前方に展開する。それは彼女を覆うように広がった。
銃弾が彼女の間隙をすり抜けていく。当たらない。マズルフラッシュの連続が虚しく宙を明るく染めるが、撃たれるのは輝く破片ばかり。
腕が、ビルディングの壁面に無数に突き刺さる。削りながら、轍を刻んでいく。火花――彼女は減速に抱きとめられる。腕が壁を引っ掻いて、落下が緩慢になった。そしてその姿が、銃弾の及ばない遥か下へと。小さく、見えなくなっていく……ガラスの欠片が、その姿を完全に隠蔽していく――。
もう一つの足音が後方から聞こえてきた。兵士たちは『彼女』に気付くと道を開けた。彼女は窓のそばに立ち、その腕を地上へと向けた。
だがその先に、もう彼女は見えない。
フルゴラは後方を向いて、カレルレンを見た。
彼はバスローブについた埃を払いながら、首を横に振った。
そして彼女は彼から視線を外し、再び下を見る。
結ばれていない金髪がたなびき、もう見えないハイドの痕跡をしばらく追っていた。
◇
彼女をつなぎ留めていたのは意志の力だった。しかしそれも一時しのぎのものだった。
緩やかになった落下が終わりを告げる頃、彼女の背中から伸び、壁面に爪を立て続けていた血の腕の統制が切れた。そのまま、形が崩れ……ただの血に戻った。
……空からバケツを返したような血の雨が降る。それと一緒に、最後の落下を終えた彼女が地上に到達した。
――駐車場。何度も転がりながら、ようやく停止する。周囲に落ちたガラスの欠片が散らばり、雨のしずくがざばりと彼女に覆いかぶさった。
芋虫のように身体を丸めた状態で、彼女は落下の衝撃に苦しんだ。そして、ゆっくりと身体を起こす。
震えながら四つん這いの姿勢。その状態で彼女は口を開けた。中に残っていた血がごぼりとアスファルトにしみを作る。すると、半端な長さで突き出された舌に変化が起きる。徐々に肉が再生し、完全な形へと戻るのだ。彼女はその一動作を、ひときわ大きな苦痛の表情で耐えた。荒く息をつく――彼女は、生還したのだ。
そこで、遠くから音。
反射的に、彼女は身をこわばらせる。音の方角を見る。
――タイヤの削れる悲鳴のような音と共に、ボディの到るところに凹みを作った黒いボックス車が、彼女の目の前へと滑り込んできた。半月状の轍をアスファルトに刻んで、停車する。
ドアがおもむろに開いて、運転手がやおらその姿を見せる。
「乗ってッ、また追手が来るかも……その前にここを離れなきゃ」
ルシィだった。
その身に無数の傷と、そして、血の飛沫を浴びていた。
彼女は手を伸ばした。
ハイドは、その手をさしたる抵抗もなく受け取った。
……震えと、身体の中で沸き立つ激情を抑え込むのに苦労しながら。
◇
「ッ、ああああ、あああああああっ!」
ハイドは防火用の斧を振りかざし、商品棚に叩きつける。大きな音がして砕け、商品が周囲に散らばる。そのまま振り抜いて、左右にかざして切り裂く。別の棚がぐしゃりと潰れて倒れる。彼女は勢い余って転倒しそうになる。それが更に彼女の感情を掻き立てたのか、奥へと進んでさらなる破壊を続行した。
すでに、暴徒の手によって店内の半分以上は破壊されていた。だから頓着する必要はなかった。かといって、その行為に意味があるようには思えなかった。だが、背後に控えているルシィは何も言わなかった。
ハイドは店内を破壊し続ける。
幾つもの棚が倒れ、商品が散乱し、踏み潰されていく。ガラス片が周囲にばらまかれ、足の裏に刺さっても、意に介さない。彼女は叫んでいた。雑音に潰されぬよう、自らに言い聞かせるように。
「終わらせなければ……私が終わらせなければッ! この、私がッ!」
斧を振りかざし、振り下ろす――そのはざまの一瞬。
いくつもの声が蘇る。
……時を、遡る。
――何もかも知ってるからよ、真実を……。
――にげて、ハイドちゃん、運命が、追ってこない、とおくへ、とおくへ……。
店内に埃と共に積層した思い出を、粉砕していく。自らの手で。
――コアトリクエが……投降したって……。
――そんなバカな、あの子がそんなふうになるわけがない。
――私達、なんのために戦ってきたのっ――。
――頂点捕食者、そう、私達こそが頂点捕食者よ……マザーはそれを言ったのよ。
――そんな馬鹿なこと言わないで、私達がなんのために戦ってるか忘れたの!? ふざけんな――。
記憶を振り払う――過ぎ去りし栄光の日々。今となっては滑稽な笑劇でしかない。
騙されていた、すっかり騙されていた。
糸に操られて、ピエロのように踊っていた。みんな、わたしたち、みんな。
――ああ……ありがとう……あなた達こそ神の使い……。
――そんな、私達、そんなんじゃありません。ただ、私達が戦うのは……。
――今日、男の子から手紙を貰ったの……僕もなれるかなって。どう答えれば良かったのかしら。
――なれるって答えればよかったのよ。だって、私達は――。
はじめから、間違っていた、狂っていた。気付かなかった。今の今まで。
――これからあなた達は魔法少女になります。その名が示す通り、あなた達は性別を超えた『少女』という永遠に留め置かれることになるでしょう。それでも良いのなら、この宝玉を手に取りなさい。さぁ、あなた達に、祝福を。
ならばせめて、最後に得たものだけは失いたくない。
――お母さん。おかあさん――。
明るい笑顔。柔らかな頬。あたたかいその手。
せめてそれだけは、守りたかったのに。
何もかもを切り裂くように、その声が覆いかぶさる。豪雨が大地を染める如く。
――君達の信じているものは、最初からありはしなかった……。
彼女は、破壊を終えた。
その手から斧がこぼれ落ちて、床に転がった。
ルシィは店内に入る。それが可能なほどに、何もかもが平らに押し潰されていた。
「ハイド……」
敷地の中心に、空洞があることに気付く。
彼女はその前に立っている。
しゃがみ込み、そこに積もった破片と埃を払いのける。
すると、床の一部に扉のようなものが据え付けられているのが見える。
ハイドは、そこを開けた。
中から出てきたものに、ルシィは足を止めた。
彼女は、これを隠していた。ずっと隠していたのだ。
黒檀の、棺の如きトランクケース。床の底で、主を待つように鎮座していた。表面には、ルシィには読めない魔法文字で何かが刻印されている。ハイドがその表面に触れると、かちりと音がして、封印が、解かれた。
「二度と使わないつもりだった」
ハイドは後ろを振り返らずに、言った。
「待っていて。すぐに行く」
その言葉の意味を汲み取れぬほど、ルシィは愚かではなかった。絶望に覆われていなかった。
その動きが見えないと分かっていながらも、彼女は頷きを返した。
すぐさま身を翻し、藍色が支配しつつある外へと出ていった。
あとは、魔法少女の時間だ。
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