#8・・・魔法少女vs雷の魔法少女①
雨は、街を陰鬱な灰色に染め上げる。
花屋で、紫の小さな花を買った。街路を去っていく。
しばらく歩いていると、長い坂道にたどり着く。反対側の斜面を子供らがレインコートを着て駆け下りていく。その後ろから、母親が笑いながらついていく。
それから、大きな古びた門の前へ。きしんだ音を立てながら開けると、小高い丘の墓場が見えた。ぬかるんだ地面を踏みしめながら、入っていく。
墓石の一つの前に、傘をさしたまましゃがみこんで花を手向けた。記名は掠れて読めなくなっている。だが、その名を知ろうとする者も、他に献花する者も居ない。
「クレマチス……花言葉は『高潔』。先輩らしいチョイスですね」
声がかかる。祈りを打ち切って顔を上げる。
傘をさした女が、こちらに近づいてくる。ラフな黒いニットとジャージ姿。
「『フルゴラ』……いや、『ライル』」
そう呼ばれると、彼女は肩をすくめて笑った。
「その名前を使うのも、先輩ぐらいしか居なくなっちゃった」
ハイドは立ち上がって、かつての仲間に向き合う。
「マザーの命日に呼びつけるなんて、なかなか粋な計らいじゃないですか。無骨で鳴らしたヴァルプルギスが、いつあこぎを覚えたんですか?」
彼女の問いかけには、挑発的なニュアンス。懐かしい口調だった。
「カレルレンは」
「持病が悪化しちゃって。ベッドから出られないんですって」
彼女の後ろには、黒い塊のように見える大勢の男達が控えている。皆、胡乱な眼差しをこちらに向けている――何かおかしなことをすれば、すぐさま飛んでくるであろう。
「しかし、先輩も律儀ですよね。毎年毎年、来てるんでしょ。この日になると」
沈黙。
「――そんな奴。花を手向ける価値もないのに」
彼女は、声を荒げて吐き捨てた。蹴り飛ばした小石が、ハイドの置いた花に当たった。
その位置を戻しながら立ち上がる。それから、諭すように答える。
「マザーには、正義があった。それを信じて戦っていた。皆、そうだった」
それを聞くと、ライルは更に苛立ったようだった。
「でも、それがもたらしたものは何? 暴走と、そのさきの破滅でしょ。結局あいつは、そして私達は、裁きを下す側に回って悦に入っていただけ。正義の味方を演じている自分たちに酔っていただけなのよ。そんなの、馬鹿らしいと思わない?」
挑発するような、上ずった声だった。口元に、皮肉な笑み。
わずかに感じるものがありつつも、それを抑えて問う。雨音が強くなっていく。
「だからお前は、かつての仲間を狩る側に回ったの」
ぴくり、と。一瞬、彼女の動きが止まった。
だがすぐに、笑みを浮かべ直す。
「そうよ。もう、何もかも馬鹿らしいのよ。魔法少女なんて、存在すべきじゃなかった。マザーなんてものは、居るべきじゃなかった」
それはきっと、嘘偽りのない本心なのだろう。
だが、考える。
あの時メジェドは……カレクは言った。マザーは生きている、と。にわかには信じられない話だ。だからこうして、自分も墓場に来た。
しかし、この話を目の前の彼女にすれば、どんな反応が返ってくるのだろう。無性に気になった。一体何が、彼女をここまで絶望させてしまったのだろう。
「ねえ先輩。私達の側に来てよ。そうすれば、誰の言葉に振り回されることなく、自分の意思でこの力を使える……この体も、かわいい服も。全部、自分の意志で着られるの」
彼女はこちらに歩み寄った。2歩、3歩。自らの言葉に、感じ入るものがあるようだった。傘をさしながら、こちらに手を差し伸べて言った。
しかし、その誘いに対する答えは、決まっていた。
「――断る」
再び、彼女の動きが止まる。戸惑いと……苛立ちが浮かぶ。
「……どうして」
「私には守るべきものが出来た。自分たちがどれほど恐ろしいことを行っていたのかを知った。そして――あなた達ファフニールが、何を企図しているのかを知った」
「だから、この力から逃げるっていうの? ふざけないで。甘い、甘いよ先輩。あたしの知ってる先輩はもっと無慈悲で容赦がなかった。そんな先輩だからこそ、私は慕ってこれたのに」
彼女の言葉は鋭く、苛烈だった……だからこそ、心にずぶずぶと突き刺さる。
それでも、ハイドは答えねばならなかった。その言葉に対し、はっきりと突きつけねばならなかった。口の中に、苦いものが広がる。ライルは、傘を放り投げそうにも見えた。
「もう、私達は、一緒じゃない。世界は、魔法少女を求めちゃいない」
ライルはなおも、何かを言おうとした。そこで、彼女の後方から声。
「――ライル。『時間』だ」
彼女は小さく罵倒を零す。それからハイドを睨みつけて、後方の男たちから黒いトランクケースを受け取った。
「ほら。お望みの、取り引きの時間といきましょ、先輩」
重さがあるはずのそれを軽々と持ち、目の前で揺らしながら彼女は言った。
「先に、そちらのものを渡して。こっちは後」
そう言うと、鼻を鳴らす。
ケースを地面に置いて、端を強く蹴りつけた。泥を跳ねながら、ハイドの足元に到達。
しゃがみ込んで蓋を開ける。中身を確認する。
札束。ぱらぱらとめくっても、細工は確認されない。底にも、何もない。
ハイドは立ち上がって、胸元から対価を取り出した。
……赤い宝玉が収まったペンダント。鎖の音が鳴る。
彼女はライルにそれを見せつけて、投げた。
受け取ろうとする……。
その瞬間、ペンダントが光に包まれた。一瞬、聖句の刻まれた円陣に囲まれた。
まばゆい発光。ライルの目がくらむ。後方の男たちが視界を覆う。
同時にハイドは両手を構えた。魔法陣を展開。男たちに差し向ける……。
「……!」
気配。足元のケースの上部に魔法陣。そこから稲光が奔って、蛇のようにのたうった。
思わず後方へ引き下がる。雷撃が、周辺の地面を焼く。ライルは視界の喪失から回復していた。腕を構えてハイドに向ける。向かい側の彼女も同様。こちらを向く。構える。ケースは黒焦げになり、原型を留めていなかった。札束の全ては、はじめから無かったかのように消失している。
2つの傘がばしゃりと跳ねて、ぬかるんだ地面に転がる。魔法少女は――向かい合う。
そして睨み合う。ライルの後方で男たちが進み出ようとしたが、片腕で制止する。
それからハイドを注視する。思わず、笑みが漏れる。
「先輩の宝玉、どこにしまってたんだっけ。すっかり忘れちゃってた」
ハイドは、ライルを見つめたまま、口内から何かを吐き出した。
……ずるりと、唾液とともに引き出されたのは、もう一つの宝玉だった。
というよりも、そちらが本物だった。先程投げ渡したのは、マナを込めたフェイク。
「っ、ははは」
ライルの笑い声を聞きながら、ハイドは片腕で宝玉を首にかける。
身体が、髪が、肌が濡れていく。冷たさが、奥まで染み渡ってくる。
「どこで気付いてたの?」
「最初から」
「そりゃ参った。で、それならどうしてここに来る気になったわけ?」
――分かっている癖に。
ハイドは言葉を呑み込んだ。
「セイレーンが殺された後、現場に行ってみた。そうしたら、一人が死んだにしては多すぎるぐらいの血痕が周りに散っていた。それから、不自然な焦げ跡も」
「……」
「彼女は電撃魔法が効かない体質だった。だから、すぐに格闘に切り替えたんでしょう。そして、時間を掛けて殺した。自分が殺さなければならない、とでも言うように」
ライルは聞いていた。その先の言葉を知っているかのように。
「その後にメジェドが殺されたときは、一撃だった。そして、あの子の死骸からも、焦げた匂いがした。それで確信に変わった。ここ数年で殺されてきた魔法少女たちの死因。すべては、一つだったのよ。つまり、ライル。貴女は『魔法少女殺しの魔法少女』としてファフニールに所属している。そして、最高にして替えの利かない唯一無二の戦力」
そう、そのとおりだった。
ゆえに、ライルは喉を鳴らして笑った。
「それで……何が言いたいわけ? せ・ん・ぱ・い」
ハイドの表情が、決然としたものに変わっていた。
勢いを増し、地面を強く打つ雨に負けることなく、前を向いている。
「今日、貴女をここに呼んだのは。貴女と決着をつけるため。そして、貴女を倒し、ファフニールのすべてを壊す。そうして私は……私達は、この街から出ていく」
そう、はじめからそれが狙いだった。
ハイドにとっては、あのダイナーでの戦いが分水嶺だった。
振り続ける雨が、決断を促したのだ。
「そう簡単に……いくと思う?」
ライルが――『フルゴラ』が、低い声で言った。
向かい合う。両者とも動かず、にらみ合う。双眸が交錯する。
轟音という名の静寂――。
やおら突風が吹き付けて、雨の槍を身体の側面へしたたかにたたきつけた。墓に添えられた花が空中に持ち上げられ、引き裂かれて花びらとなって青と灰の中へと散った。
それが、合図だった。
◇
「ヴァ・ル・プ・ル・ギスウウウウウウウーーーーーっ!」
見開かれた目。叫びとともに両手を左右に鎌のごとく広げる。
その瞬間、ぬかるんだ地面にまばゆい魔法陣が現れて、ささくれだった稲光を現出。地面をジグザグに駆けて抉り、焼き尽くしながら、高速でハイドの喉元に飛びかかる。
彼女は腕を地面へ。土気色の魔法陣が展開。
――稲妻が、炸裂する。
泥と煙が舞い、雨の中で色褪せた煙を立てる。轟音。視界が晴れたときそこにあったのは巨大な土壁。雷光を受けて帯電。一瞬のち、崩壊。その時には既に。
その真後ろにハイド。両腕に赤黒く熱い火球。爆裂魔法。だが手を下ろす。彼女の目は見た。煙の向こう――彼女はいない。
背後に、気配。
フルゴラはそこにいた。正確には彼女を象った稲妻だった。今身体の輪郭が現れ、実体となった。その両腕が再び輝いて、獰猛な笑みとともにハイドに急襲をかけようとした――。
ハイドの背中に、穴が空いた。
いや、違った。無数の小さな魔法陣が現出したのだ。
――しまった。
フルゴラの中で、戦慄がスパークする。
無数の蝗が、魔法陣の中から濁流のように噴き出した。それは空中に居たフルゴラを明確に認識し、襲撃した。彼女の身体が、黙示録の害虫にまとわりつかれながら墜落し、地面の上でばしゃりと濁った音をたてる。
ハイドはさらに、間髪を入れなかった。
その両手にまだ爆裂魔法は残っていた。
「くそっ、この、バッタごときが……」
フルゴラが蝗をはねのけて、その視界がわずかに空いた瞬間。
爆発が彼女に向けて二つ飛来した。逃げねばという思考が閃いたが、間に合うわけがなかった。それは彼女の眼前で膨張し、はじけた。
彼女は一瞬視界がゼロになり、何も聞こえなくなった。
丘の墓場の中心で爆発。だがそれは遠くからではただの多量のほこりにしか見えない。だから、誰も気にもとめなかった。それはただの木枯らしに過ぎないと判断したのだ。雨が、何もかもを覆い尽くす――。
「がはッ……!」
身体に煮えたぎるような熱さを覚えながら、フルゴラは泥濘の中に倒れ込んだ。
熱さはすぐにじくじくと全身をさいなむ痛みへと変わる。周囲には焼け落ちた蝗の死骸の群れ。物言わず、据えたにおいを放つ。
震える脚を殴りながら、なんとか上体を起こす。焦げと裂傷にまみれた腕を支えにして顔を上げ、ハイドを、ヴァルプルギスを見た。
彼女は、斜面のやや上にいて、こちらを見下ろしていた。
その周囲には、数種類の物の怪が舞っていた。蝗、蛙、蝙蝠。彼女の周辺をぐるぐるとまわり、自らを生み出した主人にかしずいている。
そのさまはまるで、なんらかのオーラをまとっているかのようだった。並の力を寄せ付けない、不可侵の力の壁。
「ヴァルプルギス……やっぱりけた違い」
泥をぬぐい、雨でべったりと頬にへばりついた髪を後方へ。血の塊を泥の中に吐き出して、彼女は裂けるように笑った。
「だけどね……ッ」
ハイドは、腕を前へと差し出して、指を手前に動かした。
その挑発には、乗った。
ライルは再び吠えて、泥を置き去りにしながら駆けだした。
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