#4・・・魔法少女の、その昔

 彼女は、マザーの声に従って戦った。それが正しいと信じて。そのために多少の犠牲を生むことも、それらの十字架を背負うことも承知して戦った。その先に、彼女たちが原初から目指していたもの……争いのない世界が訪れることを信じて。

 しかし。彼女はその時、死にかけていた。



 雨のなかにあって、身体がひどく熱くなっているのを感じた。

 魔法衣の隙間を流れているのは水でなくて血なのだろうと思った。仲間達は無事に逃げただろうか、もしそうなら、誰も殺さずに逃げてくれ、しかしそんなことが可能なのか――逡巡する思考は混濁し、深い眠りへと誘う。

 それは諦めに似ていた。結局、私はマザーの盲目な人形として振る舞っていただけだった、何が正しいのか分からないまま戦ってきた、それゆえ、多くの命をいたずらに奪っていった。ああ、だからこれは、そのツケなのだ。私はこのまま、何もなしとげられないまま――。

 だが、そこへ、手がさしのべられた。

 濁る視界でとらえたのは、一人の男がしゃがみこんで、こちらを見ている姿だった。彼女は、何も抵抗しなかった。反射的に攻撃を仕掛ける癖がついている自分にとっては意外すぎることだった。しかし、彼女は何もせずに彼をみた。雨に覆われて表情は見えなかったが……気付けば、その手を取っていた。それから、その大きな手が、自分の血で汚れてしまうことを少しだけ恥じた……。


 夢をずっと見ているような日々が流れていった。時間が経過するのがひどく緩慢な気がした。

 カーテンの外に見える世界は、自分たちが守り、壊してきたそれとは、まるで違うように感じられた。奇妙な感覚だった。そして、こうして戦うこともせず、魔法衣を着用することもなく、ベッドに横たわっている自分の有様を、ほかならぬ自分自身が、自然と受け入れている事実に、滑稽さを感じた。

 彼女は皮肉っぽく笑おうとしたが、出来なかった、その前にドアが開いて、彼がやってきた……彼女は、自然に笑うことが出来た……。


 更に時間が流れた。

 彼を手伝っているうちに、知らないことを沢山知るようになった。世界の中にいながら、世界のことをまるで知らなかった。はじめて覚えたタバコは苦くてまずくて、彼をほんの少し恨んだ。

 夜になって、仕事が終わった時、ふらつきを覚えた。魔法を使わずにここまで働いたことはなかった。そうして足元がぐらついた。彼の手が背中を支えてくれた。彼の顔がそばにあった、そうして見つめ合い、そっと顔を近づけた……。


 子供の名を『ルッカ』にしようと言ったのは彼だった。彼女からは言い出せないような名前だった。そんな名前にするのは罪深いような気がしたから。しかし、その重みを、薄い朱の差す柔らかな肌を見ているうち、涙がこぼれた……それから、彼女はその子を受け入れた……。


 彼が病に倒れたのは、それからすぐ後だった。


 助からなかった、あっと言う間だった。

 彼女は何度も自分を責めた。責めて責めて、責めた。

 自分がこんな存在だから、あなたまで不幸にしてしまう。だからこんなことになった、ごめんなさい、私さえいなければ――。

 しかし彼はそれ以上言わせなかった、自分の手を取って、静かに言ったのだ。そんなことを言ったら、あの子が悲しむよ。君のこれまでと、僕のこれまでがあったから、あの子が産まれたんだ。だから君は……この子を、頼む。それが君と僕に課された十字架だから――。

 そうして彼は、死んだ。

 彼女には、その子だけが残った。



「おかあさん……おかあさん」


 声が聞こえて、ハイドは我に返った。

 ……まただ。また、鏡を見ていた。

 首を何度も振って、幻視を追い出す。


「なあに」


 出来る限り優しい、母親然とした顔を向けたつもりだった。しかしルッカは、顔をうつむけて、膝を抱えて両腕をもてあそんでいた。何かを言い出したそうに。


「どうしたの」

「あのね、きょう」


 娘は、ぽつぽつと切り出す。


「きょう、お庭であそんでたの。そしたら、お花のちかくに、ちいさないもむしがいたの」


 声を傾ける。


「でも、そこはコンクリートで、おひさまもつよかったから。いもむしさん、すごく苦しそうにしてた。なんだか、じたばたしてて。だからあたし、おはなのところに動かしてあげようとしたの」

「凄く良いことじゃない。偉いわ」


 少女は首を振った。話に続きがあるらしかった。


「でも、あたしがはこんでる途中に。いもむしさん、死んじゃった」


 それから少女は、ちいさな手のひらをぎゅっと握って、ぽろぽろと涙をこぼしはじめた。パジャマの生地にシミが出来る。


「ねえ、おかあさん」


 彼女は顔を上げて、聞いてくる。


「いもむしさん、あたしがしなせちゃったのかな。あたしが、強くもちあげたから……だから、いもむしさん……」


 そこまで聞いて、ハイドは我慢が出来なくなった。

 こみ上げてくるものが、行動に変わった。


「そう。それはつらかったね、悲しかったね」


 ハイドは、涙する娘を、優しく抱きしめた。

 それから、そっと語る。背中をなでながら。


「なにかが死んじゃうって言うのは、本当に悲しいことだものね」

「うん、あたし……」

「でもね、ルッカ。あなたは、その子を助けようとしたんでしょう。その子のことを思って、助けようとしたんでしょう」

「……うん」

「それは本当に、大変で、凄いことよ。確かにその子は死んじゃったかもしれないけど。あなたが、その優しい心をこれからも持ち続けるなら……もっと多くのものを、これから助けることが出来るわ」

「本当に? お母さん」

「本当よ、信じて」

「……うん」


 背中をなでる。鼻をすする声が聞こえる……泣いているのだ。それでもかまわない。どれだけ自分の服が汚れてもかまわない。

 ハイドは娘の背中を撫でながら、ふっと微笑した。

 それから余った方の手をそっと開いて、天井に向けた。

 ――小さく、言葉をつぶやく。連なりを持った詩句。

 ……静かに、魔法陣が展開される。

 それから、奇跡が起きた。

 蒼く、どこまでも優しい光が、二人の周りを包んで、やがて、部屋中にあふれ出した。

 それは薄暗く狭い二人の寝床を様変わりさせる。床に広がった光は一面の花畑に変わり、まるで風に流れるようにそよいでいく。そこから光の粒が舞い上がって、形が変化。無数の蝶になって、部屋中に舞い始めた。ゆっくりと、妖精のように。

 それは、彼女にとってはごく単純な魔法だった。だが、とても大切な、決しておろそかにしてはいけない魔法だった。本来、魔法とはそういうものだった……幻想を遊び、夢を、希望を与える――。


「きれい」


 ルッカは顔を上げて、その光景に見とれた。涙はもう流れなかった。彼女にはちいさなほほえみが浮かんだ。そっと差し出された指先に、光の蝶が留まる。

 光の世界はたゆたい続ける。夜の闇を包むように――二人の世界を守るように。


「とってもきれい、おかあさん」


 それは確かに、彼女の作り出した夢だった。しかし、その美しさだけは、誰にも否定できないはずだった。

 夜は更けていく。どこまでも柔らかく優しい幻想とともに。


 建物の影、窓の外側から、その会話を見ている者――ルシィ。ここまでつけてきて、その光景にぶち当たった。そしていつの間にか、見とれていた。その光に。

 窓からそっと離れ、中の二人に聞こえないように携帯を取り出す。


「こちらルシィ。彼女の家まで来た」

『おお、それでどうだ。付け入る隙はありそうか』

「それがさ、もう、やめよっかなって」


 膝を抱えて、夜空を見る。

 どこかつまらなさそうな声音。だがそこには、あきらめと、ほんの少しの満足感も滲んでいた。


『はぁ!? 何言ってんだ、“ヴァルプルギス”に接近したのはお前の発案で――』

「そうだよね。だから、諦めないよ。さっきのは冗談。だけど……」


 彼女はそっと、建物から離れた。するすると、上ってくるときに使ったロープで。


「なんだか、凄く卑怯な気がしてね。眠っている子を起こすような、そんな気がして」


 暫くして彼女は、通話を切った。

 それからも、ルシィの中には、ちらりと見えた彼女の表情がこびりついていた。

 ヴァルプルギス。各地に残る凄絶な戦いの記録が、その名を永遠のものにした。そのはずなのだが。

 ……いったいどれが、本当の彼女の表情なのだろうか?



 彼は夢の中で、女性を絞め殺していた。

 もう何度見たか、数えるのを忘れていた。細い首が自分の腕で青あざを作るたび、彼女は拒絶もせずそれを受け入れていた。彼女は、笑っていた。

 そこで彼は悲鳴を上げて、飛び起きる。

 荒く息をつく。シャツがじっとりと汗ばんでいる。

 そこでまた咳き込む。血がにじむ。肺の奥が、嫌な音を立てて震えていた。


「大丈夫?」


 女が、すぐそばで顔を覗き込みながら聞いてきた。心配そうな声音。


「ああ、うなされていたらしい。だが、大丈夫だ。目が覚めたよ」


 カレルレンは、かたわらの女に、そう答えた。


 ベッドの上で、ブランデーに少しずつ口をつけ、つぶやく。


「私は、間違っていたんだろうか」


 悔恨。あの聴衆たちにも、ケネスにも、ましてやフルゴラにも聞かせたことのない声。

 彼女は傍らで首を傾げ、続きを促した。抱き寄せて、零すように続ける。


「私はね、彼女たちから『魔法少女』という役割から解放してあげようとこれまで動いてきた。彼女たちが大人しく力を返してくれれば、彼女たちは普通に結婚して子供を生んで…老いていくことができる。しかし彼女たちの大半は、私の提案を蹴ってきた。だから、このような『解放』のやり方しか選べない。だからこそ、私は……」


 彼はテレビをつけた。

 それは、とあるビデオ映像を再生する。

 高精度のCGグラフィックで描かれた巨大な尖塔。その先端が天へと伸び、なんらかのエネルギーが登りつめていく。

 そして、発射。それは天を切り裂く稲妻であり、神の裁き。インドラの矢。

 光はレーザーのように空に吸い込まれ……その直後、雨のように細分化され、降り注いだ。

 尖塔からはるか彼方の世界に矢は降り注いでいく。炎に包まれ、灰燼と化していく。

 そのさまが、鮮やかに荘厳に描かれていく。

 カレルレンは、涙を流した――なんと美しいのだろう。

 これこそが、自分の目指している光景。この世界の辿るべき在り方。破壊と裁きを通じての、世界の統一――真の人間社会の到来。

 『アンチ=バベル』。ファフニールの全てはそのためにあったし、彼の全てもそこに注ぎ込まれていた。無論、魔法少女の存在も。それを目覚めさせ、世界に対して働きかけることこそが、彼の真の目的だった。完成し、動き出すのを見届けるまで、死ぬわけにはいかないのだった。


「私は、間違っているのかな」


 カレルレンは懺悔するように呟いた。傍らの女は、首を振った。

 それから、愛する男に優しく囁きかける。


「いいえ、あなたは間違っていないわ。たとえ誰かがあなたの言葉を拒絶しても、それはまだあなたに追いついていないだけ。あなたは誰よりも先に進んでいる」


 それを聞いて、カレルレンの身体が震えた。感極まっていたのだ。そして、彼女を抱きしめる。その胸に顔を埋めながら、言った。


「ああ……ありがとう、私のマリア。そして、その、今夜も……頼めるか……?」

「ええ、分かった……わかったわ、『パパ』……」


 そして彼女は――髪を括った。

 ……まだ十四歳にもならぬ少女だった。女の、顔をしていた。

 ベッドの上で、薄く笑う。上記した頬を、彼の髭に寄せていく。


「パパ、」「お父さん」「お父様」


 暗闇の中から、少女たちが這い進んできた。

 名前を呼びながら、少しずつシーツの上に這い登り……彼の身体にすがりついていく。一人ずつ、一人ずつ。


「……あぁ」


 カレルレンは声を震わせて、うっとりと目を閉じた。

 繰り返し描かれる『裁き』の炎の前で、細い影が、彼の影に折り重なっていく。

 大樹から伸びる、枝のように。



 暗闇の中の小さなか細い寝息。それを割くように、携帯機器のランプが光った。

 ハイドは娘を起こさないようにゆっくりと上体を起こしながら画面を見る。

 彼女は目を開き、信じられないものを見たような反応をした。

 それから、娘の顔を見る。

 母の傍で、安心しきって眠っている。小さな体が、布団の下で上下する。

 彼女はしばらくその様子を見て思案する。


 それからたっぷり時間をおいて、ハイドは布団から出た。

 その時、ルッカの頬を撫でて、一言つぶやいた。


「ごめんね」


 十分後、彼女は外套を羽織って部屋のドアを閉め、施錠した。

 外は身を切るような寒さが溢れており、思わず襟を立てる。

 それから、ドアに手を当てた。

 柔らかい光とともに、サークル状に魔法陣が展開。そのまま小さく、詠唱となる箴言を呟いた。

 指先から格子模様の蛍光グリーンが広がり、ドア全体に敷衍し、やがてその内側へと浸透していった。

 魔法少女であれば、誰もが最初に習得する魔法――防御魔法。

 手の甲で小さくドアを叩くと、翠色の光が反響し、衝撃を押し戻した。

 彼女は身を翻し、店に続く一階へ、そして街路へと向かった。


「……やばっ」

 ルシィは居眠りから目覚めて、彼女を見失うところだった。

 気付かれぬよう、そっと尾行する。

 間もなく、目的地が見えた。


 ハイドは、深夜営業のダイナーへと足を運び入れたのだった。



 彼女は、ずっと目を覚ましていた。

 出て行く母親に声をかけなかったのは、単に身体だけが動かなかったからだ。

 意識だけが浮遊し、漂っている感覚だった。そしてそれは、母の軌道を追っていた。

 母親は、どこか明るい場所へ行く。そしてコーヒーを頼んで、誰かを待つ。はっきりとした確証もないのに、彼女はそれを確定した未来として感じていた。

 当然ながら、それが彼女の中の眠っていた力だということは知るはずもなかった。


 ただの人間だった。今は、まだ。

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