#3・・・魔法少女はたばこ屋に居る
『メンバー』の一人らしい若い男が、彼女の前に現れた。それから得意げな顔をして紙に書かれた文章を読み上げる。
「魔法少女『ヴァルプルギス』、本名は不明だが、現在は『ハイド』と名乗る」
声が続ける。
「生物、自然現象問わず、あらゆる『物質』を操作できる『統一魔法』を収めた存在として、『グランド・マザー』に最も近い魔法少女として圧倒的な実力を示し、数多くの民族紛争や武装組織の鎮圧に尽力。しかし、『マザークライシス』の際大きく負傷。戦場を離脱。それからは影のように、人間に紛れ込んで暮らしている……ってところか」
『ハイド』は答えない。鉄のような無表情を保っている。
「お前、ラッキーだな。伝説の魔法使いとスキンシップだ」
そう言われた男……今しがたハイドに腹を殴られた男は、露骨に顔をしかめた。
ハイドは彼らのやり取りを無視して、周囲を見回した。
それなりの広さがある、ガレージのような空間。墨には木製の箱が積み重ねられており、前面に銃器や爆発物を示すラベルが貼られている。奥まった場所はトタンで覆われた工作スペースのようになっており、大型の工具が据え付けられている。さらにその奥――空間の最奥には、何か大きな絵画と標語のようなものがあるらしいが、よく見えなかった。
諸々を、察することが出来ていた。ハイドは大きなため息をついてから、早々にここを立ち去るための前段階として、ルシィに言った。
「ご注文の品は?」
「ああ、そのへんにおいといて」
「そう。じゃあ帰る」
カートから箱を運んで乱暴に床へ置くと、彼女は身を翻した。
「ちょっと待ってよ、ハイド。私達の活動を察してるんじゃない、何にも感じないの」
ルシィが、声をかけてきた。
「何も。今のわたしには関係ない。巻き込まないで。勝手にやってなさい」
そっけなく答える。本当に、それが真実だから。
「そう、じゃあこれを見ても、そう思える?」
ルシィが、指を鳴らした。
彼女の後方で、光。
空間の最奥が、照らされた。
壁面を覆い尽くすほどの巨大なタペストリーが立てかけられていた。
画風は中世のイコン画のようだった。そこにあるものは、天使のごとくに振る舞いながら、天上の光とともに地上へと降り注ぐ魔法少女たち。彼女らの手からは幾つもの光が放たれて、赤茶け、ひび割れた地上を焼く。そしてそこには、古代からの民たち。魔法少女たちを見上げ、崇めている……絵画の天頂には、荘重なフォントで一つのスローガンが書かれている。
――『夜をもう一度』。
さらに、その絵画の下部には、幾つものラックがあり、複数の武装が厳重に立てかけられている。目を凝らすとそれは既存の武器・装備から大きく逸脱したものであることが分かる。どれ一つとして、地上に出回っているものではなかった。
ハイドには、それらがなにか、すぐに理解できたようだった。
――魔法少女の装備の、改造品。
「驚いたでしょう。これ、実際に使えるのよ」
ルシィが言って、男の一人が動いた。
ラックに立てかけてある銃器の一つを取り出す。既存の機関銃を趣味の悪い装飾で包み込み、その上で俗悪なイミテーションを施したような外見。とてもではないが、武器には見えない――そして、魔法を使えるようにも見えない。
しかし、男が構え、下部に取り付けられたスライド機構を動かすと、銃器側面に据えられた液晶画面に、電子音とともに文字が流れた。魔法の詠唱――機械に肩代わりさせている。男は構えたそれを、何もない空間に向けて、トリガーを引いた。
すると銃口はオレンジ色の光とともに魔法陣を作り出し、そこから輝く何かを高速で射出した。男は反動で後ずさり、銃口は煙を吐き出す。
壁が穿たれ、轟音を立てる。そこは橙色に輝いて、内部から焦げ臭い匂いを放つ。
ごく初級の、火炎魔法だ。
「ま、人間が使うとこんなものだけど。あなた達が使うと、もっと効果があるかも。他にもあるけど、見る?」
男は反動で痛めた肩を回しながら、改造銃を収納し直している。ルシィはハイドに聞く。
かつての魔法少女は、言葉に答える代わり、全く別のことを聞いた。
「これで、何をするつもりなの」
問いには感情が混じる。だが、聞かれた側は気付いていない。
「決まってるでしょ。魔法少女の力の、復権よ。私達はこれで思い知らせてやるの。今の世の中には、魔法少女が再び必要なんだってことを」
ハイドは何も言わない。それをいいことに、ルシィは彼女に向き合って、言葉を並べ立てる。
「ねえ、思うでしょう。あなた達がアレだけ戦ったのに、この世界は何も見返りを用意しなかった。それどころか、世界は魔法少女を排斥し……よりひどい世界に巻き戻しさせた。そのうえであいつらは『アンチ=バベル』なんてものを作り上げてる。私達はそんなひどい世界の被害者なの。見てよ、こいつらを」
ルシィは、『神聖同盟』のメンバーを一人ひとり紹介する。
――まずこいつは、魔法少女を擁護するフォーラムをネットに投稿しただけで住所を割り出されてリンチに掛けられた。更にこいつは、かつて魔法少女をかくまっていたことから職場で居場所を失った。さらに彼女は、目の前で魔法少女を殺された。自分を救った魔法少女を。更にいえば、私はかつて……。
ハイドはそれらを、ただじっと聞いていた。その奥には感情の澱があったが、決して表には出さなかった。彼女はただひたすらに耐えていた。その声に。気持ちよさそうに流れていくその大演説に。拳を握り、唇を僅かに噛んで、ひたすらに……。
「ねえ、ハイド」
ルシィが、両手を広げて言ってくる。演説の、仕上げだ。
「あなたはホコリまみれの煙草屋の主人なんかで収まっていいやつじゃない。もっと大きな事ができるはず。だから、」
……ハイドは、動いていた。
「私達と一緒に、」
話が、終わらぬうちに。
――彼女は、誰も気づかない一瞬のうちに、僅か先にあったナイフを引き寄せ、次の瞬間には、言葉を宙に浮かべたままのハイドの胸ぐらを掴んで、自分の真正面に向き合わせた。抵抗はなかった。本当に、一瞬のことだったからだ。
……周囲の仲間たちが気付いて、一斉に自分に対して改造銃を向けてくる。
「ちょっと、冗談、」
ルシィは笑顔を作ろうとしていたらしかったが、ハイドはまるで気にせず、ただ彼女に聞いた。
「人を殺したこと、ある?」
……静かに、低く、重く。呪詛のように言葉を並べて、ただ問うた。その目をルシィに向ける。彼女は戸惑いと不安から、目をそらそうとした。だが、ハイドがそうはさせない。その両目は――隈で覆われて淀んだ瞳が、彼女を捕らえて離さない。
自分を取り囲む銃器を全く気にもとめず、ハイドは問い続ける。
「恐怖に泣き叫び、母親の名を呼び続ける若い兵士が、効きもしない銃をこちらに向けてきて撃ってくるのを無視して、とどめを刺したことは? そのあと、ザクロみたいに広がるそいつの死んだ肉を見つめたことは? ちょうちょでもいいわ」
ルシィは答えられない。息が詰まったような顔をして、首を横に振るだけ。
「子供を殺したことはある? 老人を殺したことは?
そして質問を変えるわね。『魔法少女』という名前を背負ったことで、一生十代後半のままでとどまった肉体が奇異の目で見られ、男たちの下卑た視線に晒されながらも戦い続け……敗北し、捕らえられた仲間が陵辱され、介錯を求めてきたのを、男たちごと消し炭にしたことは?
そのさまはまるでテレビには映らず、単なる『敵を滅ぼした英雄』としてヒーローインタビューを受けたことは?
無いわよね。何もない。あなた達は、何も知らない。何も知らないからこそ、簡単に私達を崇めることが出来る。マザーの叛意に異を唱えた魔法少女達が少なからず居たことも、その後内戦が起きていたことも、何にも知らない。
だから、こんな学芸会じみた馬鹿なことをやって、私達に幻想を押し付けることが出来る。そして、私の仲間の残骸を……あんな醜い姿に改造することだって出来る。羨ましいわね。なんにも知らないもの」
「そんなことを、言って……どうする気……」
「ひとつ。私に二度と関わらないで。二つ目も、三つ目も同じ。ここで何もせず英雄願望を振りかざしたまま燻っているのなら好きにして。でも、今後も私に接触して、バカなことをさせようというのなら。あなた達の存在は全てセントラルに洗いざらいぶちまける」
「そんなことをするなら、あんたの居場所だって……」
苦しげな反応。だがハイドは、微塵も動じない。
「どう、試してみる? 少なくとも私には、今ここであなた達を全員殺すことが出来る程度のマナは残ってる」
それが、とどめとなった。
……ルシィは、おもむろに両手を上げた。降参だ。
ハイドは、彼女を開放した。
よろめきながら後ろに下がるのを見つめる。周囲の仲間たちも銃を下ろす。
ルシィは咳き込みながら、服のホコリを払う。
それから、ハイドに向き合った。
「どうやら、諦めたほうがいいみたいね」
肩をすくめて。
彼女は笑顔を作ろうとしていたが、それよりもまだ驚きと不安が上回っていたらしい。実に奇妙な表情になっていた。
「そうね。それに」
ハイドは手を開いた。
そこには水色の宝石が埋まった小さなブローチ。
「あっ、」
ルシィが気付く。自分のポケットにあったもの。いつの間にか、彼女に……。
「これ、警察から取ったでしょう。特殊清掃員になりたくなければ、大人しく元の場所へ返しなさい」
投げ渡し、身を翻す。
仲間たちが魔法少女に銃を向ける。ルシィは、それを下げさせる。
彼女は進んでいき、重い鉄のドアに手をかける。
「待って。貴方は本当に――今の生活のままでいいの?」
問われて、ハイドは暫くの間黙っていた。
だが、やがて半分だけ顔を向けて、答える。髪が目にかかり、表情が見えない。
「ずっと、あの店の主人になりたかった。だから、私はそれでいい。あなた達も、家に帰りなさい。そして……両親に優しくして。ちゃんと食べて、しっかり寝なさい」
反応を待たずして、煙草屋の主人はドアを開けた。
それから、出ていった。
仲間たちが追おうとするのを、ルシィは手で制した。
ドアが閉じ、大きな音が反響する。
その余韻の中、皆立ち尽くしていた――しばらくの、沈黙。
「おい、アレでいいのかよ」
仲間の一人が、戸惑いながら聞いた。
「まさか。追いかけるよ」
ルシィは閉じた扉を見ながら、小さく言った。
「そう簡単に諦められないよ。だって私達には、彼女しか居ないんだもの」
◇
「ですから、そちら側の要求には答えられないと何度も……ええそうです! ここは子どもたちを守るための場所ですから、あなた達の道具にはなりませんよ!」
その女は叫ぶように言い切って、受話器を置いた。
「また、セントラルですか」
若い女が聞いてきた。
「そうよ。こっちに『魔法少女の子供は居ないのか』なんてことを何十回も聞いてくる。いい加減に疲れたわ。神経がおかしくなりそう」
うんざりした顔で答えて、インスタントコーヒーを入れて牛飲する。
職員室には、その女と、若い女の二人だけが居る。
他は皆日中のシフトだ。夕方を超えて子供たちを預かる担当は彼女たち。それと同時に、この場所は『保育園』から『託児所』へと変化する。
ハードで、厭になる仕事だ。しかし、絶対に必要な仕事。セントラルはちっともこちらを楽にはさせてくれないが、楽をしようとしないのは、彼女たち自身の意地とプライドでもあった。日に日に治安が悪くなる中でここに居ることは、誇りでもあったのだ。
「もし、ほんとに居たらどうします、そういう子供が」
「それでも関係ないわよ。子供は関係ないもの」
会話は、それで終わった。お互いに、その回答で納得していたからだ。
しばらくして、遠慮がちに、扉を小さく叩く音がした。半透明のすりガラスの向こう側に、小さな人影が写っている。
「愚図りだしたかな」
若い保育士がドアに向かって、そっと開けた。
少女がそこに居た。
ぬいぐるみをもって、彼女を見上げていた。眠たげに目をこすっているが、疲れているわけでも、憔悴しているわけでもなかった。
「あら、どうしたのルッカちゃん。おなかいたい?」
「あのね、せんせい」
若い彼女が予測した次の一言は、『おかあさん、まだなの』だった。
しかし、違った。
「おかあさん、もうすぐ、くるよ。あたし、わかる」
少女は……屈んで目線を合わせた彼女に、その瞳を向けた。まっすぐで、無垢な瞳。
「……あら」
若い彼女は、なんと言うべきか分からなかった。
しかし、そのまっすぐな瞳がすべてを物語っている気がしてならなかった。この子は、この街の中に居ながら、どこまでも純真で、そして、愛を受けて育っているのだ。こんな時間まで子供を預けている母親に対しても、ここまで……。
若い保育士は少女――ルッカをぎゅっと抱き締めたくなるのをこらえながら、ただ頭をなでて、そっと言った。
「ルッカちゃんは優しいわね、じゃあ、先生と一緒にお母さんを待ちましょう」
「その必要、なさそうよ」
職員室の奥で、もうひとりの保育士が行った。
顔をあげると、彼女は肩をすくめながらくすりと言った。
「ほら、外見て。はやく行って、どやしつけてやりましょう」
暗い夜を割くように、スクーターのヘッドライトの光がこちらに流れてくるのが見えた。
ルッカの母親が、ここに来たのだ。
◇
彼女はコートを着込み、セキュリティ付きドアの向こう側で、所在なげに立ちすくんでいた。
年かさの保育員はその姿を見るとロックを解除し、彼女に笑いかけ、敷地内へと誘った。彼女は遠慮がちな歩みで、手前へ。
「すっかり、遅くなってしまって。ごめんなさい。注文が入っていて」
その通りで、夜はとうに更けていた。
彼女は深々と頭を下げた。心底からの詫びでなければ不可能な姿勢。
「謝らなくていいですよ。そのかわり、あの子に会ったら、すぐ抱きしめてあげてください。あなたを、待っていたんですから」
優しい口調に、彼女は頭を上げる。
それから静かに、言った。
「本当に、いつもごめんなさい。私は、母親失格の人間です。いつもあの子をここにやって、それからはずっと自分の店で……」
「これ以上、謝らないでくださいな。だって入園手続きのとき、あなた自身が言ったでしょう。あの子をここに入れるのは、あの子の安全のことを考えてのことだって。私はねハイドさん、あなたの言葉がうれしかったんですよ。あなたは正直でまっすぐで、私たちなんかのことを信じてくれたんですから」
「……」
「だから、さぁ。今夜は一緒に帰って、うんと抱きしめてあげてくださいな。ほら」
保育士は奥を見るように促した。
すると、少女が若い保育士に促され、歩いてやってきた。
「おかあさん?」
少女は、母親を見つけると早足になり、駆け寄った。
それから、頭からつっこむようにして、母親の懐に埋もれた。
「おかあさん、いいこにしてたよ」
ハイドは一瞬、戸惑ったような顔をしたが――すぐ、彼女を抱きしめた。それから、柔らかな笑みを作り、ちいさな子供の温もりを胸一杯に感じて、しっかりとその身体を両腕で守った。
「えらいね、ルッカ、本当に……さあ、お母さんと一緒に帰ろう」
「うん、かえろう。あたしたちの、おうちに」
保育士たち二人は、顔を見合わせた。
それから、安堵したような笑顔になった。
そこには、安心感と達成感がにじんでいた。
その様子を、ゲートの外側から見ている者が一人。
ルシィだった。
なるほど。この保育園ほど、この街で安全な場所はない。街の要人の子息も、ここに預けられるからだ。一種の聖域。確かに、街のタバコ屋なんかより、よほど安全だろう。
それでも、果たして彼女は、自分たちの求めているような魔法少女なのだろうか?
「絶対に、見極めてやるんだから」
ルシィは物陰に隠れた。
そして、娘を乗せたスクーターが夜の闇に消えたのを、そっと後ろから追跡した。
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