#2・・・魔法少女は待っている

 彼女は、ほこりだらけのカウンターに頬をついて、来ない客を待っていた。

 あたたかみがあるとは到底言えない、安っぽい青色の蛍光灯が店内を照らしている。


 そこは煙草屋であるはずだった。しかし、本来の業種をはみ出していた。狭い店内に雑然と配置され、積み上げられているのはジャンクフードや雑誌、酒。たったひとつの製品だけで商売が成り立つような時代ではなかった。彼女はその小さく、汚らしい城の主だった。そして、来客はいつも同じらしい。ホコリの積もっている跡には、規則性があった。

 半開きになった引き戸の奥からは、オートバイの音と虫の声。そして内側からは、切れかかった電気の唸り声。それ以外は何もない。彼女はただ、客を待っていた。それが仕事だから。

 無造作にカットされた黒髪に、ほつれだらけのセーター。目の下には隈、そしてむくみ。顔立ちはそれなりに整っているにもかかわらず、付随する要素が彼女の印象全体を固定してしまっていた。彼女の目は淀んで、ひとつのものだけを見ている。

 視線の先、型落ち気味のレジスターの隣には、小さな写真がある。

 彼女と、一人の若い男。それから、小柄な女性が写っている。それは、過去だった。しかし、セピア色でもいいはずのその写真にだけは、ホコリがついていなかった。


 引き戸がガラガラと音を立てる。

 彼女は頭痛で一瞬目眩を覚えながら、顔を上げた。


「やぁ、姉さん。調子、どう」


 デニムジャケットを羽織った、若い女。


 常連だった。一度も商品を買ったことのない、最悪の客。



 ルシィは可能な限りにこやかな表情を作り、彼女に相対した。

 だが、うらぶれた女店主は眉をひそめ、余りあるほどの拒絶を表情で示していた。

 それを気にせず、店内に踏み込む。色あせたフックトイがデニムに当たる。


「調子どうって、聞いたんだけど」


 ずけずけと言う。女店主は彼女を一度にらみつけ、カウンターに置かれた煙草を一つ手に取り、何を思ったか、火をつけずに後方へ投げ捨てる。


「あなたのせいで、最悪な調子」


 低く掠れた声が、無感情にそう言った。

 嫌われたものだ――ルシィは苦笑する。

 天井の青白い光に集まる羽虫を眺めながら、言う。


「今日はそうはならないと思うよ。だって、注文しにきたもの」


 店主は少し黙り、小さく言葉を返す。


「注文って、何を」

「ここってさ。宅配もやってるんでしょ。だったらそのサービス、使わせてよ」


 無言。否定するならもっと辛辣な言葉が来るはずだ。ルシィは肯定と判断した。

 サイドポケットからチュッパチャップスを取り出して口に咥え、そのままガリガリと齧る。わざとらしく、満面の笑みを彼女に向ける――一番の上客であるかのように。

 顔を近づける。睨みが返ってくる。

 本当に、ちゃんと化粧してれば、美人の筈なのに。実に勿体無いものだ。


「……何を買うの」

「コーラとシュウェップスが1ケースずつ、後はまぁ、ドリトスも3袋ぐらい付けてくれたらいいかな」

「何のために」

「あなたの仕事、それを聞くことなの」


 彼女は再び睨みつけてきた。

 それからすぐ目をそらして、小さく悪態をつく。ぼさぼさの髪を掻いて、小さなトレイを差し出す。


「前払いが原則。それから、住所を寄越して」

「あんがと」


 ルシィは札を数枚――釣り銭はそれなりに出る――と、届け先のアドレスを書いた紙を渡した。相手はそれをひったくるように受け取ると、乱雑な手付きでレジスターを叩き、釣りをカウンターに投げつけた。

 ルシィはそれを笑ったまま受け取ると、ウインクを寄越した。

 女店主は既にうんざりしていたらしく、手をひらひらと振って彼女に別れを告げた――用が済んだなら、とっとと帰って。


「明日中なら、いつでもいいよ。じゃあね、姉さん」

「誰が、」


 相手の言葉が返ってくる前に、ルシィは身を翻して、店を出た。

 それで十分だ。

 押して駄目なら、引く――あの女をこちら側に持ってくるには、それぐらいはする必要があるだろう。


 『彼女』は、その後もカウンターに座っていた。

 あの客が来た時に感じていたものは、もうどうでも良くなっていた。

 外のあたたかな風、羽虫の音。その中にしばらく身を浸して黙り込む。修行僧のように。

 それからしばらくして、時計を見る。

 彼女はやおら立ち上がって、カウンターの奥……広がる室内の闇を見た。

 しばし、見つめている。なにか、赤い光がチカチカと点滅している。


 彼女はそこに腕を伸ばし、指で銃の形を作った。それから数秒、その光と見つめ合うと……腕をおろした。

 闇に背を向けて、青白い光の中に戻ると、今日はもう店を閉めようと決めた。



 次の日。

 彼女は、注文を受けたことを後悔していた。

 口の中が寂しくなったので、久々に煙草を吸いたくなった。


「なぁ、姉ちゃん。俺は昔から国語が苦手でよ。説明するものされるのも苦手で、『空気を読む』ってえのがなによりの美徳だと思ってんだ。つまりどういうことか分かるか?」


 目の前に居るのは、ミリタリージャケットを着たツーブロックの巨漢。

 顔をぬっと近づけて威圧してくる。普通の人間であればとうに怖気づいているだろう。


「ただの地下駐輪場の入り口に、俺みたいなのが居るかどうかってのを考えてほしいんだ。それで考えりゃ、普通は居ねえってことが分かるはずだ。ここはただの地下駐輪場じゃねぇってことだ。要するにだ、今すぐ失せな、姉ちゃん」


 彼女は答えない。そして、男に目を合わせない。そらしているわけではない。はなから眼中にないのだ。見えているのは、男の背中にある階段とドアだけ。


「やっぱり、あいつ」


 髪をかきあげて、ため息をつく。

 なるほど、狙いが読めた。あの少女恒例の訪問が、珍しくあっさりと終わった挙げ句、殊勝にも客としての責務を果たした理由。こんな場所に呼びつけるためだったのだ。一瞬引き返そうかと思ったが、カートにくくりつけて運んできた荷物の重みを考えると、それも癪だと考えたので……やはり彼女は、その先に進むことにした。


「聞こえねえのかよ、姉ちゃん。俺の言ってることが分かるか、それとも耳くそが……」


 男はかがみこんで、胸ぐらを掴んできた。大した脅しだ。


「……けな」

「あぁ?」

「下に降りて、ドアを開けな。それが出来ないなら、国語の勉強をし直しなさい」


 そう言った――男はその瞬間、顔が真っ赤になった。


「てめえこの女、調子に乗ってんじゃ、」


 男は拳を振りかざして、彼女に差し向けた。

 ……だが、それは空を切るだけに終わった。彼の拳は振り抜かれた。疑問符が浮かぶ。

 

 彼女は既に、そこに居なかった。

 居るのは彼の懐だった。

 いつの間にか彼の拘束を抜け出して、そこに居たのだ。

 そして。


「ごふッ……!?」


 男のみぞおちに、拳を突きこんでいた。

 ゆっくりと、だが確実に……その華奢な腕が叩き込まれる。鈍器のように。

 彼女は彼を、見てすら居なかった。ただ攻撃を避けて、やり返しただけだった。

 だがそれだけで、男の体はゆっくりと後方に倒れていく。彼は自分が何をされたのかをよく理解していなかったが、少なくとも、既に。


 女に対して、舐めた口を聞く気は無くしていた。


「お、お前……ただの、女じゃ、何者だ……」

「煙草屋よ。タバコ以外を売ってる」


 女は意趣返しのごとく彼の胸ぐらを掴んで引き寄せる。巨大な身体が、小柄な女に意のままに操られている。男はそれに屈辱を感じる暇もなかった。彼は口周りの胃液を舌で少し舐め取って、恐怖のままに呑み込んだ。彼女の声が、吐息とともに至近で聞こえた。


「注文の品を届けに来たの。その下に行って、扉を開けて頂戴」

「……ッ」

「お願いね」 


 数秒後。

 男は、階段を降りて、ドアを開けた。


「やぁ、来たね、姉さん」


 両手を広げて、仰々しく彼女を出迎えたのはルシィだった。

 彼女以外の数人の男女が顔を上げて、見つめてくる。

 そこにあるのは驚き、あるいは憧憬。

 思う。かつて、そのような眼差しを一身に受けていたことがある。

 記憶が混濁し、過去へと飛翔する。


「ようこそ、私達『神聖同盟』のアジトへ。歓迎するよ、煙草屋さん。いや、違うか」


 ルシィの狙いは、とっくに読めていた。

 やはり、注文を受けるべきではなかった。


「ようこそ――魔法少女『ヴァルプルギス』」

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