#1・・・魔法少女が穢されている

「1990年代、世界各地に広まった武力紛争ならびに民族紛争……無軌道な人命の損耗、絶えず語られていく国家の窮乏。世界は、それらを一気呵成に解決する手段を欲していました。その時生み出された、あるいは『出現』したのが……『魔法少女』です」


 ファフニール・コーポレーション代表取締役会長……カレルレンの語る言葉は、まるでイージーリスニングのごとくその場に広く浸透していく。低いバリトンの声。

 聴衆の男たちは黙り込み、その声に耳を傾けていた。黒と、極彩色の間接照明。段状になった講聴席の合間を、PVC製のタイトな水着を着た女たちがしなを作りながら歩き、カクテル類を配っている。男たちはそれを手に取りながら、彼女たちの尻を人撫でする――そして、粘ついた目つきと緩んだ口元のままで、再び前を向く。

カレルレンは手元でリモコンのキーを操作した。巨大なスライドが画面を映し出す。

 広がる光景は荒唐無稽。悪夢のような幻想。だが、紛れもない現実。

 魔法少女。

 色とりどりの装束に身を包んだ、妖精の如き少女たちが……天を割るように、荒廃した紛争地帯に、あるいは赤茶けた砂漠へと降臨する。そして、驚き、恐慌する武装兵たちに向けて、差し出す。荘厳な装飾の施された錫杖、槍、十字架。

 先端がほの明るい光を放ち、円周状に幾何学模様の陣を展開。コンマ数秒後……。

 地上は、裁きを受ける。

 降り注ぐいかづち。レーザービームにも似た光。大地が揺れ、穿たれ、その裂け目に人々が……悪魔の群れが呑み込まれていき、悲鳴とともに消えていく。

 そして、煙が晴れる。

 そこに居るのは――少女たち。

 物陰に隠れて、攻撃をやり過ごしていた現地の人々が、薄汚れた衣装のまま這い出てきて、彼女たちを見た。それから……膝を付き、祈りを捧げ始めた。

 黒焦げになり、物言わぬ肉塊に成り果てた兵士たちの傍らで。

 彼らは――天使に祈りを捧げた。魔法少女に。


「誰もが懐疑的でした。倫理的側面から猛烈な抗議を寄せた者たちも少なからずおりました。しかし、彼女たちが現実世界にもたらしたものを見ると、皆一様に黙り込んでいきました。なんせ彼女たちは皆、可憐な姿をしていますからね」


 そこで、小さく笑いが起きた。

 湿度の高い、下卑た笑い。輪のように広がって、拭いようのない湿気を残していく。

 カレルレンはそこで、映像を止める。


「誰も彼もが、彼女たちを崇拝しました。あの魔法少女たちは、終わりのない世界の争いを解決するために神が遣わした者たちなのだ――そんな言説が、平気な顔をしてまかり通っていた時代です。実におおらかじゃありませんか……」


 そこでもまた、少し笑いが起きる。侮蔑のニュアンス。


「ですが時代が変わり、彼女たちも変わっていきました」


 彼はそこで、声の調子を変えた。ピアニストが音色を変えるように。

 低く――淀んだ声音。


「皆さんは、覚えていますね。『グランド・マザー』の存在を」


 そこで映像は、一人の女を映し出した。

 ――魔法少女に相違なかった。

 だが、『格の違い』が、ひと目でわかった。

 雪のように白い装束、白銀の長い髪。凍てついた双眸――そこにあるのは、冷厳さと無慈悲さ。魔法少女が天使であるとするならば……彼女は。


「総ては――2001年、彼女が『神』を名乗った時から変わっていきました。魔法少女たちを統べる存在であった『グランド・マザー』は――突如としてそう名乗り、人類に対する裁きを活動の中心に置くと宣言したのです」


 聴衆の間から、吐息が漏れる。

 それは怒りと憎しみ。彼女が、彼女たちが、この十年でもたらしたもの。


『ここに宣言する――我々魔法少女はこれより、人類全ての罪を裁く、我ら自身の力によって! 我々の力はそのために与えられた。罪には罰を。我々は不変の戒律を、あらためて諸君の頭の上に叩き込む! だが安心しろ――我らが裁くのは『悪』のみ! 『正義』を信奉する者は……我らに続けッ!』


 画面の中で、彼女が叫んだ。

 続いて映し出されるのは――先程と変わらない光景。

 だが、決定的な相違がそこにあった。


「彼女たちの行動は過激化していきました。紛争への介入、武力による鎮圧。その角度は明らかな独善と化していったのです。それがもたらしたものは……皆さんもご存知のはず。はじめ、世界を暴力から救うとして崇められていた彼女たちは、僅か十年で……人々にとっての恐怖の象徴と化したのです」


 そこから映し出された光景。

 残虐なモンタージュ。

 天から降り注ぐ少女たちが、人々に光を放ち、撃ち貫いていく。

 呪いをかけられた人々が、喉をかきむしりながらのたうち回り、倒れていく。

 凶暴化した動物たちが意のままに操られ、飼い主に牙をむく。

 荒れ狂う自然が、意思を持つかのように村を、街を襲い、呑み込んでいく。

 ざらつき、揺れる不鮮明な映像――それらが必死に捉えるのは、死にゆく人々ではなく、それをもたらすもの。常に、彼女たちはそこに居た。

 ――魔法少女が。


「かつて軍の研究職に居た私も標的にされましてね。私の研究が、彼女たちには『平和を脅かすもの』に思えたのでしょう。実際は、私の研究成果よりも、彼女らの行動によって生み出された犠牲者のほうが、よほど多かった筈ですが」


 皆――黙り込んでいた。

 共有しているのだ、この十年ですっかり転換された価値観。その途方もない衝撃と徒労を。

 誰かがぼそりと何かを言い、身体を揺さぶった。

 ……何かが、はちきれそうになっていた。この暗黒の空間で。

 彼は、頃合いを見た。

 そろそろだ――彼は、この演説に幕を引くことを決めた。


「しかし。我々はいつまでも黙り込んではいませんでした。立ち上がる時が来たのです。そして、あちこちで燻っていた怒りは……一つのスローガンとして爆発し、世界中に広まっていったのです」


 一つの標語。

 それこそが、皮肉にも、世界をひとつにした。

 魔法少女が介入していたときよりも、ずっと強く。


「『魔法少女、死すべし』――その言葉が、トリガーとなった」


 映像が、切り替わる。


「……おお」


 誰かが、感嘆の声を漏らした。


 魔法少女が、殺されていた。

 並べられた銃火器が一斉に火を噴いて、路地裏に追い詰められていた二人の魔法少女を蜂の巣にした。彼女たちの前に展開された蛍光色の魔法陣も食い破られ穴が空き、そのまま華奢な2つの肉体は血しぶきを浴びながら崩れ落ちる。二人は姉妹らしかった。


 クリップが切り替わる――別の場所では、暴徒と化した人々が、一人の魔法少女を取り囲み、まるでパスを回すように殴り倒している。そのたびに彼女の顔は腫れ上がり、無残なまでに青ざめていく。人々は笑いながらその様子を楽しんだ。彼女の武装は既に叩き折られ、地面の隅で土煙に汚れている。やがて彼女は魔法衣をずたずたに引きちぎられた挙げ句に、男たちの肉体の中に埋もれていった。その間から、鶏のような甲高い悲鳴が聞こえた。首を切り飛ばされる際、引き伸ばされた声帯が出した声だろう。


 クリップは断片的に続いた――魔法少女達は、殺されていった。

 かつての神聖なる姿は、どこにもなかった。ろくな抵抗もできずに死んでいった。なぜなら、人間達の反抗が想定外であったからだけではない。彼女たちには理解できていなかったのだ――『怒り』という感情が。


 男たちは身体を揺すり、奇妙なうめき声をあちらこちらで出した。

 彼らは――欲情していた。

 極彩色の光の中で、神聖なるものがけがされていく。

 その状況そのものが、愉悦だった。


「そして今――離散し、僅かに生き延びた彼女たちは、逃げ惑いながらこの街に潜伏しています。憐れにも、かつて支配していた人間におびえて。もはや尊厳など、ありはしない。追い詰められ、彼女たちはようやく知ったのです――『死の恐怖』というものを」


 そこで、明かりが付けられる。

 青白くまばゆい光がフロアを満たしていく。


「恐怖に支配された彼女たちを支える矜持は、もはやありません。ある者は特攻同然の攻撃を人間に仕掛け惨殺。ある者は、自らその身を人間の前に晒し、されるがままになった。そして、ある者は――」


 演壇の袖から怒号が聞こえて、そこから一人の女が転がり込んできた。

 うめき声――姿が顕になる。

 目のさめるような真紅と、粗末な実験用の装衣。長い髪はほつれ、乱暴に刈り取られている。長身がその場で崩れ、倒れ込む。昆虫のように痩せ細っている――かつては美しい容姿であったことを思わせるその相貌も、今や恐怖に青ざめ、震えている。

 彼女は震えながら上体を起こして、聴衆を見た。その目が見開かれ、怯えが走る。


「ある者は、命以外の全てを、投げ捨てた」


 顔中にピアッシングを施した若い男が袖から現れて、女を蹴り飛ばす。彼女はうめいて、げえげえと喉を鳴らす。だが何も出てこない。悲痛な呼吸音のみ。そして抵抗しない。ただ震えながら、その暴力を受け入れる。男は懐から金属の棒を取り出して、その青白い肌を打った、打った。そのたび彼女は悲鳴を上げ、崩れ落ちる。だがすぐに上体を起こす。そうすることを運命づけられているかのように。若い男はにやにやと笑いながら肩をすくめ、ギャラリーの方を見た。それから、目配せ。彼は頷いて、映像を切り替える。


 映像――真紅の騎士が、長大な槍を振るいながら、戦場を蹂躙する。口元をスカーフで覆った兵士たちは為す術もなく灰燼と化していく。兵力を超えた、『武力』。魔法少女の姿――そう、誰もが目を疑った。

 自分たちの目の前で震えている惨めな女と、スクリーンの魔法少女は、まるでそっくりでありながら、もはや別人のように変わり果てていたのだから。


「無慈悲かつ、高潔。そう語られていたこの女ですが、我々のもとに落ち延びた今現在は、もはや見る影もありません」


 若い男は再び、女に暴力を叩きつける。

 そのたびに彼女は悲鳴を上げ、身体を震わせる――紫に朱の線が走った痣が全身に広がっていく。そしてその脚が震え、はざまから、生暖かい黄色の液体が流れた。

 彼女は表情を見せない。それが最後の矜持であるというのなら、実に滑稽だった。

 観客達の反応を見ないようにするための、逃避でしかないからだ。


「彼女は全てを失いました。力も、仲間も。そうして最後は、魔法少女として死ぬのではなく、このように惨めな姿で生き延びることを選んだのです。哀れな――実に哀れな姿です」


 スクリーン上の姿との、激しい乖離。滑稽にさえ見えてしまう光景。

 実際、聴衆の中からは僅かな含み笑いが聞こえた。


「その、質問なのだが」


 ギャラリーの中から手が上がった。

 眼鏡を掛けた壮年の男性。カレルレンは、問いを許す。


「そ、その。反抗される心配はないのかね。彼女は、その。まだ魔法を捨ててはいないのだろう」


 周囲の者たちも同じ事を考えたらしい。不安のようなものが滞留していた。

 カレルレンはうなずき、大仰に両手を広げ、言った。


「ご安心ください。彼女は決して我々に牙を向けることはありません。その理由を今から、実演させてみましょう……ケネス!」


 彼はピアッシング男――ケネスに対して指を鳴らした。

 男はにやりと笑い、女の耳元に顔を近づける。

 彼女は哀れなほど身体を震わせたが――そこで、男から発せられた囁きに、釘付けになった。


 変化は、言葉が終わった瞬間に始まった。

 彼女はのけぞり、天を仰いだ。ナナフシのごとく痩せ細った身体が引き伸ばされ、ガクガクと痙攣を始める。そのまま彼女は、ぶつぶつと何かを呟き始める。

 そこで、状況を察した者が居た。

 ……詠唱だ。魔法の、詠唱。

 マナと呼称される、万物に宿る元素にコネクトし、その力を引き出すための契約と誓約。

 彼らは離席し、言葉の裏切りを咎めようとした。

 しかし。数秒後彼女が見せた姿に対して、その気勢を削がれた。


「くうううううううーーーーーーーん、へっ、へっ、へっ、わう、わう、わうわうっ……」


 女は――足を開いて中腰になった。

 それから、舌をだらりと垂れ下げさせながら、甲高い間抜けな声を出した。

 口の端からよだれが垂れる。その目から光が抜け落ちる。

 彼女は細い体をくねらせる――まるで、媚を売るかのように。


「これは……」


「我々による尋問の末、彼女は自らに動物化の魔法を掛けました。そうして今は、言葉がトリガーとなって……このような無様な姿へと変貌します。もちろん、どのような動物にも、彼女はなります。なると、思い込みます」


 最後の言葉に含みをもたせて、彼は言い切った。


「……おお」


 眼鏡の男は、身体をわずかに震わせて、座った。

 嘆息が漏れる。あちらこちらで。

 粘ついた視線が――痴態を晒す彼女にまとわりついて行く。

 股間を弄る男も居る。だが、それらに気づかず、彼女は哀れなショーを続ける。

 ケネスは興味がなさそうに、金属の棒で肩をたたいている。


「さぁ、もはや神は、神聖なるものは、彼女たちのものではありません。我々のものです。我々人間のものです。この女はまだ、完全ではない。どうか、皆さんのお力添えのもとで、この女に、教え込んでやりましょう。主人が……誰であるのかを」


 ざわめきが、広がった。聴衆達は、雄たちは、互いの顔を見合わせた。それはさながら自らの良心を誇示し、罪悪感をアピールしているかのようだった。カレルレンは……僅かに口を歪ませて、笑った。


「わ……私が。その女を、魔法少女を買い付ける」


 先程の男が立ち上がり、言った。


「いくらでもだそう。欲しくてたまらない……スイス銀行に、口座がある」


 カレルレンは肩をすくめる。そして、別の男が食いつく。


「何を言うか、それは私のモノだ、お前にはやらん」

「なにを、」

「おい、君ッ。ここは正式なオークションの形にすべきではないのかね」


 ざわめきが広がり、一つの思想が蔓延する――ほしい、あの女が、ほしい。あの女を、聖なるものを、穢し尽くしたい!


「私は、介入しません。どうかあなた達の公正な議論によって、決定していただきたい」


 彼は両手を差し伸べた――選択肢を、与えた。


「わ、私だ……あれは、私のものだっ」


 一人の男が段を降りて、女のところに駆けようとした。そこに誰かが足を引っ掛けた。男は転倒する。そのすきを突いて、別の誰かが女のところに急いだ。阻止しようとした別の男が、怒号と共にその男を殴った。反撃。さらなる怒号。揉み合い、欲望と怒りを叫んでいく男たち。女は手すきのままだ。腰を振り、手を犬のように構えたまま、操り人形のように虚ろな目でそこに在り続けている。男たちの乱闘が、続く。


「穢れているのは、どちらなのだろうな」


 カレルレンは口元だけで笑い、彼らから視線を外した。ケネスのところに近寄り、その肩を叩いた。

 彼は頷いて、演壇の中心へ。カレルレンは、その影から消えていった。

 男たちは、歪んだ欲望に引きずられながら揉み合っている。

 魔法少女はそこに居て、ありもしない何かを見つめながら幸せそうに笑っている。


 狂騒の坩堝と化したフロアから離れた彼は、暗闇の中から夜の景色を見つめた。点在する光は星よりも暗かったが、数はこちらのほうが多かった。彼の目には満足感と同等の疲労感が浮かんでいる。

 ――咳き込む。口元を抑えると、その端から血が漏れた。時間はない。

 ……足音。彼は振り返る。

 廊下に、一人の若い女が立っている。

 ダークグレーのコートを目深に被った姿。容姿はよく見えない。


「『セイレーン』を。殺したか」


 彼が聞くと、コートの女は頷く。


「苦戦しましたけどね。まぁ、わけはありませんよ」


 軽薄な口調。彼は眉をひそめるが、何も言わない。そのかわり、懐から一枚の紙片を取り出して、彼女に投げた。

 写真。

 黒い髪の、まるで印象に残らないような、地味な面持ちの女。

 街を歩いている最中に撮影されたらしい。服装は、魔法衣ではなかった。


「先生。こりゃまた難儀な相手ですよ」

「次の獲物だ。『力の返納』を交渉しても、何度もはねつけてきた」

「そりゃそうだ。こいつは、そういう奴です」

「頼めるか」

「やりますよ。お膳立てして、その気にさせるのが面倒なだけで」


 男は頷く。


「ならば、行って来い。魔法少女を、殺せ」

「……りょーかい」


 彼女は――フードを脱いだ。

 そこに現れたのは、まばゆい金髪をサイドテール状に留めた少女。

 魔法少女であった。

 不敵に笑う彼女の、標的。

 写真の女も、紛れもない魔法少女だった。

 だがその女は、この街の片隅で、ひっそりと暮らしていた。人間達と同じように。

 ……亡霊のごとく。


「アンチ=バベルには……」


 カレルレンは彼女に背を向けて呟いたが、その瞬間……咳き込んだ。

 苦しげな、ゴボゴボという声。彼は震えながら口から手を離した。そこには、赤黒い血。

 女は何の同情も彼に寄せることはなかった。カレルレンもそれで構わないようだった。

 彼は歩く――彼女は後ろを歩く。回廊はやがて、社屋の内側を覗く窓に到達した。


「アレには、彼女の力が……絶対に必要なのだ」


 そこからは、威容が覗いた。

 ……それは、巨大な尖塔だった。

 そのふもとで白衣を着た人々が虫のように蠢いていることから、そのサイズが窺える。根本には巨大な天球のような装置が据え付けられており……塔の中心部には可動するシリンダーの如きものが奔り、先端は天に向けて伸びていた。空を威圧するかのように。

 建物の中心部をまるごと吹き抜けとして、その中心を貫くように存在するさまを、カレルレンは眺めた。それまで決して浮かばなかった何かが、彼の表情に浮かんでいた。


「アンチ=バベル。ファフニール・コーポレーションの誇る『真の目的』……究極の兵器」

「そうだ。魔法少女狩りなど……愚民どもを釣る甘い餌に過ぎない」


 自分の言葉に酔うような、熱に浮かされた調子が声に混ざり始める。その拳が吹き抜けを覗く窓に押し付けられる――女はそれを、冷めた目で見つめていた。外側の窓から差し込む夜の光が、二人を隔てている。


「会長、奴らとうとう、流血沙汰をおっぱじめやがった」


 ……間隙の静寂を割くように、ケネス。


「全員、お帰りいただけ。魔法を使わせても構わん。『買い取り手は現れなかった』」


 その命令に、ケネスは下卑た笑みを浮かべた。そして引っ込んでいく。

 

 ……ケネスが去ると、カレルレンは再び咳き込み始めた。


「私には……時間がない。完成を急がねば……」


 ――彼はそれでも、尖塔に執着する様子を見せていた。

 魔法少女はそんな彼の様子を、冷ややかな目で見つめている。

 その視線はやがて、手元の写真にうつる。


 金髪の彼女は、そこに映る存在に対して、はじめて感情の綾を見せた。

 旧友に再会するかのような、ゆっくりとした笑みを浮かべたのだ。



 ルシィは、自分が警察に入ったことの利点は二つあると考えていた。

 ひとつは、『解剖室』から『お土産』をくすねることが出来るということ。これは彼女の副業に役立つ。

 そしてもう一つは――広がる街の光景に対し、怒りを職務意識によってある程度抑えることが出来るということだった。


 青い髪の魔法少女が殺された次の日、夜の九時を過ぎて、彼女はようやく帰路につくことが出来た。デニムジャケットに両手を突っ込みながら、うらぶれたストリートを歩く。そこにはセントラル・シティの縮図が映し出される。けがれをごまかす明るい光はここにはない。見えるのは真実。

 到るところに浮浪者が横たわり、骨の浮いた身体をかきむしりながら、虚ろに宙を見つめている。彼らは鉄格子のように見えるシャッターの前に居て、風景と同化している。

 アスファルトの上をタブロイド紙のくずが舞っていき、通り過ぎていく。商売女が煙草を吹かしながら、スプレーのグラフィティだらけの壁を背にして立っている。何人も。会話はない。   

 通り過ぎる者たちは皆、襟を立てて、誰も見ないようにして通り過ぎていく。喧騒はどこにもありはしない。光はある。見上げれば、卒塔婆のように並び立った集合住宅が見えて、そこから青白い幾つもの光が見える。だが、そこから出てくる者は誰も居ない。人工の光に溺れ、引きこもるか……それとも、孤独に身をやつして、夜の中に意識を浸すか……そのどちらかだった。


 これが。『人間の都市』の真の姿。

 省庁の集まるメインストリートから離れれば離れるほど、その荒廃は加速する。

 誰も未来など見ていない。誰も希望など見ていない。だからこそ、怒りの対象を欲する。

 だからこそ――魔法少女に、怯え、隠れ住む彼女たちに、憎悪を向ける。そうして内側にあるものを昇華する。そうすることでしか、彼女たちの存在を解釈できないのだ……人間達は。

これが、この世界が手に入れたかったものなのか。

 『魔法少女狩り』は、あまりにも多くのものを消耗しすぎた。その結果がこれだ。

 もはや後悔さえ身に余る……そして、無為で無価値な人生を送り続ける。

 そして、それら全てを象徴するのが、『アレ』だ。


 顔を上げて夜に目を向ければ、すぐに見えてくる。

 ファフニール・コーポレーションの社屋。その中心に居座るものを、ルシィは知っている。セントラルが未だに『魔法少女狩り』の名目だけを理由に、世界を牛耳れるハズがない。あの巨大な……荒唐無稽なレーザー兵器の存在があるからこそ、周辺国を威圧し、従わせることが出来るのだ。『真の人間の国家』などとはよく言ったもの。

 あんなものは、去勢しなければならない。すぐにでも。


 ルシィは、苛立ちから早足になっていた。

 一刻も早く、目的地に急ぐ必要があった。

 彼女は下戸だったから……この感情を衝動に変化させて、職を奪われないようにするには、もはやひとつの手段しかなかった。

 彼女は、先を急いで、『目的地』に向かった。

 青と赤で彩られたネオンサインが幾つも通り過ぎていった。


 その先に、彼女の行くべき場所があった。


 シャッターにまみれたストリートの中で、そこだけが開いていて、あわい光を放っていた。彼女は少しだけ浮足立ったようになって、そこへ向かった。

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