魔法少女死すべし

緑茶

プロローグ・・・魔法少女が殺されている

 魔法少女が、殺されている。


 水色のドレスで彩られた華奢な身体は、血溜まりに沈んで動かない。

 四肢は、激しい抵抗を物語るかのようにいびつに歪んでこわばっていた。

 加えて――顔面を含めた全身に、夥しい刺し傷。

 その短い髪も、据えられた小さな音符型の髪留めも、何の意味もない。

 そこにあるのはひとつの無残な死骸だった。どこにでも居る少女の死骸だった。


「今年に入って何件目だ、これ」


 太った刑事の男が、皺だらけのフロックコートから三級品の煙草を取り出して、聞いた。死体を見下ろすその目には、何の哀れみも浮かんでいない。ただ、地面を見ているだけだ。


「数えるの、やめましたよ。手当出るならやぶさかじゃないですけど」


 傍らの若い刑事が、その煙草にライターで火をつけて渡す。彼もまた死体を見ていたが、そこにあったのは、明確な嫌悪の感情だった……足で踏んだ虫を見るかのような。

 周囲には鑑識の連中が広がっていて、状況の検分と処理を行っている。こうしている分には、ただの殺人事件と何の変わりもない。それだけ、当たり前の状況であるということ。


「気色悪いっすね」

「吐くなよ」

「そんなんじゃないっすよ。こいつら見ると虫酸が走るんで……丁度いいなって」


 若い刑事が、少女の死骸にしゃがみこんで言った。


「頭がおかしいやつも居たもんだ。女をいたぶるなら、人間にしときゃあいいのに」

「バカ。そういう手合いが、手篭めに出来ると思うか? 魔法少女を……」

「それもそうだ、っと……」


 若い方は立ち上がって、なにかに気付いた。

 バリケードテープをくぐって、首から下げたカードを警官に見せた誰かが駆けてくる。


「おい、おせーぞ新人」


 若い女だった。栗色の髪をバレッタでまとめた、活動的な姿の女。


「ごめんなさい、先輩方。ちょっと話し込んでて」

「また解剖室の連中と? このマニアめ」

「そのへんでいい。おい、ルシィ。こっちに来てくれ」


 小太りの刑事にルシィと呼ばれた彼女は手袋をして、死骸に駆け寄った。

 彼女は――それにしゃがみ込むと、目を閉じて小さく十字を切った。


「……けっ」


 若い刑事が、呆れた顔で唾を横へ飛ばす。


「こいつ、どう思う。どうやって死んだ?」

「うーん」


 彼女は、死骸に寄り添いながら、まじまじと見つめる。嫌悪も憐れみもない透明な瞳。


「少なくとも、性的暴行を受けたセンはゼロですね」

「根拠は?」

「魔法衣が乱れてません。それに……あれ、見てください」


 彼女は、二人の間の空間を指さした。

 ――そこは、路地裏の一角。その突き当り、生ゴミの袋が散乱し、汚水が溝を流れる場所。猥雑な落書きで埋め尽くされたコンクリート壁。その場所で、彼女は死んだ。

 そのいたるところに、小さな焦げ跡がついていた。


「あれ、このコがつけた焦げ跡です。そういう魔法を使ったのかも。つまり、ここで戦闘が起きていた、ってことです。このコは……戦って、殺された」


 存在しないまぶたに触れるようにして、彼女は言った。


「殺された、って。誰に――」


 若いほうが彼女に聞こうとした時、既に小太りの刑事は出口に向かっていた。


「ちょっと先輩、どこへ」

「『戦って殺された』ってことだろ。だったら、やったのはそのへんのクズでもなけりゃ、有閑ぐらしの変態でもない。意味分かるよな?」

「まさか……」

「そういうことだ。言うだろ、『沈黙は金』。ほら、帰るぞ」


 若い刑事は何かを言おうとしたが、すぐ呑み込んだ。顔が青ざめている。

 上司の言った意味を理解したのである――誰が、魔法少女を殺したのかを。

 それを悟って、それ以上何かを考えようとする奴は、この街では生きていけない。

 既に、この事件は……もっと大きな連中の領域へと踏み込んでいるのだ。


「了解……です」


 若い刑事はすっかり大人しくなって、上司についていく。

 ルシィはまだ、死体の傍から離れない。黙って、その肉体と向き合っている。


「またてめえらか、こそこそ嗅ぎ回りやがって」


 若い刑事が、バリケードテープの前で凄んだ。

 彼らの前にいるのは、レインコートとガスマスクを装備した薄汚れた連中だった。そのうちの一人が、大きなトタンで出来たカートを押している。


「そ、そうは言っても旦那。近頃は全然いい『部品』が取れねえんで。見たところありゃ、かなりいい『保存状態』でしょう。そうなりゃ、こっちとしても――」

「ドブさらいは呼んじゃいない。尻の風通しをよくされたいか?」

「で、でも。あんたら警察だって、あいつらのパーツで装備を――」

「お上は我々に、連中を捧げてくださったんだ。お前らにはそれがない。それだけのことだ。ほら、帰れ、帰れ」


 若い刑事が『ドブさらい』の連中を怒鳴りながら追い返している。

 小太りの刑事は振り返って、ルシィのほうに行った。

 彼女はまだ死骸に寄り添って、何かを考えているようだった。


「帰るぞ、ルシィ」

「まだ、見てちゃ駄目ですか。この子の魔法が何か、分かるかも」

「そいつはお前のお友達の仕事だ。とっとと帰って、まずいコーヒーを飲むぞ」


 ルシィは一瞬なにか言いたげな顔を見せたが、結局は立ち上がって、上司の後に付いていった。


 彼女は振り返って、死体を見た。鑑識が近づいて、カメラを向けている。それが終われば、やがてはそこにそれがあったことすら忘れられることだろう。そういうものだ。

 現場から去る前、彼女は振り返って、もうひとつの光景を見た。


 薄汚れたビルの屋上、煤だらけの室外機に据えられた二つの看板。


 

 


 最後の部分は、掠れて読めなくなっていた。

 ルシィはしばらくそれを見た後、上司についていって、その場を離れた。

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