第9話 檄
それは明らかに無謀な試みであった。平日昼の駅前を行き交う人は皆昼飯の確保に忙しく、一瞥をくれるだけで過ぎ去ってしまう。大抵の人間は、他者に無関心なのである。当然覚悟の上での決行であったが、自分が誰の目にも映っていないことは
「聞いてくれ、聞いてくれ。金閣の再建について、僕から決起を呼びかけなきゃいけない状況は、非常に虚しい。なぜなら本来は、何の経験もない、若いだけの僕よりもはるかに優れた人物が気づいて、立ち上がるべきだからだ。だが実際には、一人としていなかった。だから力不足を承知で、立ち上がることにしたんだ。
ヤード・ポンド法は要らない。ヤーポンは要らないんだ。米国内だけで使う分にはどうでも良い。外国にまで干渉する必要はない。だが『日本』にヤード・ポンド法は要らない。あんな粗野なものは持ち込むべきじゃない。
金閣は、昨日、七・二を以て、もはや米国の建築物になることが決定的になってしまったんだ。
去年の再建計画の発表から半年以上、僕は待ってた。諸君のうち誰かが立ち上がるのを。だけどもう地鎮祭もやってしまった。米国の金閣が建ってしまうんだよ。『日本』の金閣が
ヤード・ポンド法に則った再建計画を、どうして受け入れようとするんだ。単位というものの重要性を知らないのか。それならば、今から教えてやろう。一応工学者の端くれの小枝のようものだ。少しは解説できるぞ」
しかし数分が経過しても、解説を求める者は現れなかった。好奇の視線を以て遠巻きに眺める者が数人いる程度である。「この分野は素人なのですが」と言う者さえいなかった。粍野の顔は、土気色に変わりつつあった。やや震えを帯び始めた声で、演説を続けた。
「……聞こうというものはいないのか。諸君の中に、一人でも僕と一緒に立つ者はいないのか。よし! 単位というものはだ、単位とは何だ。それはだな……」
そこまで言った時、飽きたのか嵐電の時刻が来たのか、最後の数人も去ってしまった。それを見た粍野は、深く息を吐くと、こう続けた。
「まだ目が覚めないか。……もう、覚めることも永久にないか。誰も金閣のために、『日本』のために立ち上がらないと、見極めがついた。これで、僕の『金閣再建』に対する希望はなくなったんだ。これにて終わりだ。終了、終了だ! 美しい金閣よ、永遠なれ!」
誰一人いない駅前広場に向かってそう言い放つと、散らばったわら半紙を拾い集めた。ほとんど誰にも読まれることもなく、紙くずとなった物たちを。
始末を終えると。粍野はそのまま歩いて鹿苑寺へ向かった。決起の呼びかけは完全なる失敗に終わった。だがまやかしの再建をこのまま看過することはできない。従って粍野独りの手によって、最終的かつ不可逆的な解決に導かねばならない。
先程、檄文を
粍野は強く決意していた。
「まやかしの金閣を焼かなければならぬ」
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