第7話 元曉と髑髏
その後どのようにして作業場を辞したか、
数日経ち、ふと、
「オンス氏の所で何か見たんだな」
粍野が何も言わぬうちから、尺田は確信を持って尋ねた。
「そうだ。見た結果、彼は心から誠意を以て金閣を再建しようとしている。それが分かった。ただ……誤りがあったんだ。重大な誤りだ。氏自身は全く気がついていないが」
「ほう」
「米国慣用単位、世に言うヤード・ポンド法だ。あれを全面的に使うつもりなんだ。『日本』の象徴に対する冒涜だ。彼はそれに全く気がついていない。むしろヤード・ポンド法で再建することが、本当の再建だとさえ考えているんだ。あれでは全く駄目だ。駄目なんだ」
「なるほど、それは少し厄介だな。換算ミスによる食い違いが起きそうだ」
「そんな呑気なことを言っている場合じゃないぜ、決して許されざる暴挙だ。米国は日本のほとんどを焼き尽くし、自国流に作り替えてきた。残った寺社仏閣さえ、平気な顔で塗り替えようとしている。ヤード・ポンド法で作られた金閣は、もはや金閣ではなくなってしまう。米国式の、金閣にそっくりな何かが代わりに鎮座することになるんだ」
尺田は、話を聞く間、ずっと粍野の瞳をまっすぐに見ていた。羊羹の如く分厚いレンズを二枚も通した瞳を見て、果たして心の内が読めたかどうかは甚だ怪しいものだったが。眼鏡を外せばそんなものは映ってもいないような、見当違いのものを見ているかもしれぬ。遠くのものを近くに見せているのだから、満更あり得ないことではない。
「君の言う本当の金閣ではなくなるとして、じゃあ何が変わるんだ。君は金閣がヤード・ポンド法で建てられたのを知ったから、君の目には偽物と映るかもしれん。しかしそれと知らぬ人が見て、果たして気付くだろうか」
「それは……誰も気付きやしないだろうな。創建当時とほぼ同じに再現するんだから。見た目が違ってたら再現とは言わない」
「そして創建当時の姿を見た者もいない。ということは、再建された金閣が本物かどうか、つまり足利氏が見たものと瓜二つに仕上がっているか保証できる者も、誰一人いないんだ」
「…………まあ、そうだ」
「とすると、図面にフィートやインチを使ったからと言って何が変わるんだ。別に君を責めているのではなく、単純な疑問なんだが。例えば僕の背丈は六尺であり、百八十二センチメートルであり、六フィートだ。どれで呼んだところで僕の身長は
その言葉を聞いて、粍野は不思議な気分になった。面前に座る男は、尺貫法で測ると尺田であり、メートル法で測ると尺田であり、ヤード・ポンド法で測ると尺田である。いずれの度量衡で測ろうとも各々数値化でき、かつ実体は何も変わらない。彼自身は何も数字を持っていないにもかかわらず、である。更に考えるならば「測る」行為自体が、人間側の勝手な行為かもしれない。何も数字を持っていないところに、無理矢理物差しを当てて答を押し付けただけではないか。元来数字を持たないものに当てはめた数字に何の意味があろう。
単位もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと粍野は思った。しかし、それでも、何か無理にでも返答しなければならぬと彼は思った。それは酷く即物的な返答となった。
「…………換算過程で生じる誤差はどうする。四捨五入なり切り捨てなり、繰り返せば無視できなくなるかもしれん」
「オンス氏がやっているのは尺貫法からヤード・ポンド法への換算だけだろう。片道切符だ。相互に繰り返し換算しないなら、誤差程度に収まるだろう。何より、尺貫法で作ったところで温度・湿度で時々刻々と寸法は変化する。どのみち振れ幅はあるんだ。とすると、ヤードポンド法で建てたところで何が変わるんだ。何も変化しないんじゃないか。無論、尺貫法やメートル法の方が簡便だとは思うがね」
この問に、粍野はしばし考えた。確かに、尺田の言うように、それと知らなければ何もおかしなところのない『金閣』に仕上がるはずだ。恐らくオンス氏はそれだけの技量を持っている。しかし……。
「変化、するさ」
粍野はそう言った。半ば諦めたように。
「君の言う通り、ヤード・ポンド法で建てたところで見た目には何も変わらん。知らなければ、誰もが本当の金閣と信じて疑わないだろう。そういう意味では何も変わらないさ。しかし……」
粍野はそこで言葉を区切り、水を口に含んだ。
「しかし……君にはただの意地としか映らないだろうが、間違いなく変わるんだ。あれがヤード・ポンド法で建てられたと認識してしまった人間に見える景色を、まるっきり変えてしまう」
「認識は、世界を変えるんだ。認識は世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。世界は永久に不変であり、そうして、永久に変貌するんだ」
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