第5話 五十七フィート四インチの金閣寺

オンス氏との面会に当たって、粍野みりのは英語の復習を始めた。指導教官からの情報では、オンス氏は簡単な日本語を話せる以外は基本的に英語で意思の疎通を行っているようだ。日常の打合せは常に通訳を通しているとのことだが、英語を理解しておいた方が何かと便利であろうとの判断である。戦中は敵性語として排斥したものをたった数年でありがたがるようになったことに、粍野は世の移り変わりの速さを感じていた。

 また図書館に行き、収蔵してある金閣寺関連資料の全てに対し、再度目を通した。何の実務経験もない自分が太刀打ちできる相手ではないことを彼自身予想してはいたが、話を噛み合わせられる程度の準備はしたいと考えていたのである。


 そして迎えた訪問当日。粍野はふつうに嵐電らんでんと呼ばれる京福電鉄に乗り、オンス氏の作業場へ向かった。地図の読み取りが不得意な粍野であったが、充分に時間を取って向かったので予定時刻に遅れることなく到達した。

 府の担当者は既に到着していたようで、粍野は彼らと合流するとすぐに奥の部屋へ通された。

 雑然とした空間であった。書籍や写真などは棚に並べられているものの、背丈や分類は一見まちまちであり、どのような意図を持って陳列しているのか彼には分からなかった。机の上は製図道具が点在し、背丈ほど高く積まれた英字の書物で奥が見えない。

 その書物の奥から現れたのはこの作業場の主、パイント・オンス氏である。来訪者一人ずつに目を合わせ、握手をしていった。


「私が目指す金閣は……決して元の金閣ではありません。焼失直前の状態に戻すのではなく、創建当時の姿に極力近づける構想です」

 模型を前に、オンス氏は自らの構想を説明し始めた。彼の考える「金閣の再建」とは、本当の金閣、すなわち足利氏が最も繁栄した時期の富と権力を象徴する黄金の寺を再び興し、後世に残すことであった。通訳を通してはいるものの、粍野でも聞き取れる単語も所々あった。あのほとんど装飾の落ちてしまった名ばかりの金閣ではなく、大部分が煌めく本来の金閣。それこそが、オンス氏の描く金閣像であった。説明と共に氏が指さした模型は、何十分の一に過ぎない小さな伽藍堂がらんどうはこであるが、それは粍野にとって、慣れ親しんだ実物の金閣、記憶の中の金閣よりも美しかった。その箱庭の中の方が誠の金閣に近いように、彼には思えた。オンス氏の描く世界にこそ純然たる金閣が存在するのかもしれない。そんな思いがちらとよぎった。氏に対し抱いていた不安は、何の根拠もない、空虚な妄想であったのかもしれない。何か破滅的なことが起きようとしているなどという考えは、何やら勝手にそう思っているだけであって、実は初めからそんなものはどこにも存在しなかったのではないか? 少しずつ、粍野はそう思い直し始めた。


「では観念的な話はここまでにして、ここからは技術的な話をしましょう」

 そう言って、オンス氏は大きな紙を広げ始めた。それは果たして、金閣の全体図であった。


 図面全体が明らかになった時、粍野は、自身の心臓が破裂するかと思われるほど大きく鼓動したのを知覚した。それから、呼吸の仕方さえ忘れたかのように、体の全てが止まった。ふつふつと湧いてくる怒りは、このまま憤死しかねないほどの熱量を帯び始めた。


 彼の身に起きた突然の変化は、無論図面に起因するものであった。

 図面には金閣の全体図が描かれており、各部に対し明確な寸法指示が与えられていた。例えば正面図縦方向に伸びる線は金閣の全高を示しており、その値は、57´4´´であった。


 五十七フィート四インチ…………


 四十五尺九寸七分であるべき金閣が、五十七フィート四インチに書き換えられてしまった。このことが、粍野にとって大いなる衝撃を与えたのである。彼の不安は空虚な妄想などではなく、現実に起きている事象であったことが明らかになってしまった…………

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