第2話 金閣は未だ死なず

 一週間ほど経つと、大学の近くでも募金を呼びかける者が散見されるようになった。もっともそのうちどれだけが本当に役立てられるのかは、たいそう怪しいものであったけれど。

「何て奴らだ。金閣を自己満足の材料にしてやがる」

 大学からの帰り道、大通りを歩きながら、粍野みりのが言った。

「随分な言い方だな」

 尺田しゃくたが、半ば流すように言った。

「奴らを見給え。今通り過ぎた奴らだよ。敗戦国だというのに、きれいな服を着てやがる。それを買う金がありながら、金閣の支援金は人に出してもらおうという考えなのさ。本心からやりたきゃその服を売るが良いさ。あくまで遊び、一時の流行に過ぎないのさ。自覚があるのかないのか分からんがね」

「じゃ、あっちは」

「あれか? 道向こうのあの集団か? 反対にみすぼらしい格好をしているな。ぼろぼろじゃないか。あれじゃ食うや食わずだろう。集めた金を本当に金閣に使うか怪しいもんだ」

「偏見が過ぎるな、君は。それに、どっちにしたって文句しか言わんじゃないか。じゃ君は再建をどう考えるんだ。君の言う通り金閣は生き返るかもしれんが、ひとりでに現れはしないぞ」

「僕だってそんなことは信じちゃいないさ。建築物である以上、人が動かなきゃあ何も進まない。今日の講義でも言ってたろ。ただ、もっと大きいもの、お上がやる必要があると考えているんだ。あれだけ見事なものだ、個人の微々たる喜捨ではどうにもならんさ。それに喜捨が集まったところで、然るべき船頭がいないと、山にも登れず、ただただ野原で分解するだけだ」

「それはそうだ。あれだけの建築物だ。府や国が再建費用を出すだろう。貧乏な我が国にそんな余裕はないが、何とかして出さねばならん金だ」

「最もだ。あれは日本にとって大事なものだ。負け戦から五年……日本は随分変わってしまった。何もかも急速に変わった。あらゆることが変わってしまった。飯だってそうだ。今度米国の小麦でパンを作って給食に出すって話だぜ。暮らしの中から、昔の日本がどんどん失われるんだ。日本は未だ貧しいが、これからどんどん伸びる。米国仕込みのやり方でだ。そうすると経済的には向上するが、元の日本は永久に失われてしまう。負け戦で丸焼けになったこの国が、今まさに立ち上がろうとしている。一見するとそれ自体は喜ばしいように見える。だがそのやり方で出来上がるものは断じて『日本』ではない。何か別の物になってしまうんだ。美しい日本が永久に失われようとしている今、金閣も失われてしまった。だが金閣だけは昔と変わらぬ美しさで、また甦るんだ。そしてそれはいつまでも変わることがなく、永遠に続く。あれこそが、俺にとって唯一の希望なんだよ」

 

 突如として滔々と喋った粍野に対し、尺田は少々戸惑った。彼の前で粍野が二百字を超える言葉を発したことはなかったからだ。けれど、その主張の中にひずみのあることに気が付いたので、問うてみることにした。

「粍野君。ちょっと気になったのだけれど、君の言う『日本』とは何なんだろう。君は何を恐れているんだ」

 これは予想外の質問だったようで、粍野は目を少し大きくした。

「古来からある日本が外国風に変化してしまうことを君は恐れているようだけれど、それはこの前の戦争以前からあったじゃないか。黒船が来て以来、日本は間違いなく西洋化してきた。ずっと遡ると中国の文化が入ってきていた訳だ。遣唐使や文明開化は良くて今度のはだめだというのは、どこかちぐはぐな気がするね」

 この問いに対し、粍野は少し考えてこう答えた。

「確かに、今説明した内容だけではそこにひずみがあるように見えるけれども……旧来の文化を駆逐するか否か、また我が国が主体性を持って取り組んだかどうかが問題だと俺は考えているということなんだ。まず前者だが、例えば漢字の導入はそれ以前の日本の文字を駆逐した訳じゃない。それまで文字を持っていなかったとされているからな。このように、既存文化を破壊するものでなければ、外国文化だからといって直ちに否定するべきものではない。次に後者だ。遣唐使にしても幕末の開国にしても、他国が直接我が国の内政に手を出したわけじゃない。あくまで一旦は独立国家である我が国の中央部が判断してやったことだ。外国の人間が国内に直接手を下したわけじゃない。一方で現在の我が国は連合国軍に占領されている。従って敗戦後入ってきた新しい文化は、我が国主体というよりは外部によって導入された、と見るべきだ。この点が重要だ。我が国が内容を吟味して取り入れたものじゃない。従ってこれらの中には、我が国古来の文化を駆逐し得る有害なものがあるかもしれない。俺が恐れているのはそこだよ」

「……なるほど。君の考えは何となく分かってきたよ。そうすると、日本が主体性を失い外国化されつつある現在において、日本人が自らの意志を持って、昔と同じ姿に金閣を再構築しようとしてることは喜ばしいことだと。数少ない、残された『日本』の象徴だと。そう考えているということか」

「まあ、だいたいそうだな。金閣に死は訪れない。従って、少なくともあの場所には『日本』は永久に存在し続けるんだ。たとえどんなに小さな領域であろうとも」

 彼らの小さな脳みその中でこしらえたこれらの見解は、甚だいびつでありちっぽけなものであった。だがそれを臆することなく他者に伝えたという点において、この議論は若い彼らにとって十分に有益なものであった。

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