第6話 喰らうモノ

――それは闘争というにはあまりにも矮小だった

――信念、理想論、そんな気高き意志は介在せず

――ただ目の前の仇敵を討つためのもの

――人という理性的な生物の衝突ではなく

――人の形をした獣たちの饗宴だった



 十二時――星空に坐す満月に照らされて、漆黒の森の中に浮かび上がるのは――闇の王、殺戮を司る吸血鬼。

相原秀を、傍らに従えながら待ち構えていた。

「よう」

 まるで知己の間柄のような気やすい喋り方だが、理凰と啓吾は険しい顔をしており、秀は白目をむいてまともな状態ではない、この場で一人楽し気な吸血鬼はまさに異端。

「じゃあ……とっと始めるぜ、カスども」

しかし楽し気で無防備な状態から一転、一瞬で目の前に距離を詰められる。

理凰の眼に飛び込んできたのは、鞭のように撓る吸血鬼の右足。

 その蹴りをバスターソードで受けるが、その威力で後ろに下がる。理凰はそのまま背を向けて、奥の森に飛ばされた。

 平木啓吾と引き剥がされたのだ。

「あいつらには、あいつらに相応しい舞台を用意したぜ、だからこっちはこっちで楽しもうや」

 臨戦態勢に入った吸血鬼、こちらも切っ先を向ける。

「さあ、極上の絶望を見せてくれよ」



「秀!」

 攻撃をいなしながら全力で彼の名を呼ぶが、返事はない。

「秀! 目を覚まして!」

 諦めずにその名を呼ぶが、前の時のように意識を取り戻す気配がない。時間が経ったことによって吸血鬼の能力による縛りが強くなったのかもしれない。

 秀は森の中を縦横無尽に駆けまわり、刀を振るう。

神装を構えて、狙いをつける。しかしその砲身が秀に向くと激しく動いて射線上から外れる。

何度照準をつけても、引き金に手を掛けるころには、その場所にはいない。

――速い、人間のものとは思えないぐらい。

 相原秀はまごうことなき人間である。確かに昔から身体能力が高かったが、ここまでではなかった。

 これは自分の知っている秀の能力ではない、ここに来る前に式波理凰が話した予想通り、「眷属になったものは、あの吸血鬼と匹敵する能力を手に入れる」ということなのか。

「歩くのもままならなかった相原秀さんが、奴に血を吸われた後から何事もなかったかのように戦闘を行っていたから、恐らく」

 そしてその言葉通りであることを目の前の光景が、嫌というほど教えてくれる。目にもとまらぬ速さで、木の幹から幹まで飛び移りながら、こちらに攻撃を仕掛けてくる。

 気が付いた時には秀が目の前に、刀から放たれる斬撃を神装で受け止める。

――重い、力も増しているようだ。

 目でとらえるのも速さと力強さの二つを兼ね備えた秀、隙がないように見えるが、しかしその激しい動きに体が耐えきれないのか、一撃一撃を撃つたびに体震えて、各所から血が噴き出している。

このままでは秀の理性を取り戻したとしても、体が再起不能になってしまう。

「向こうは恐らく、貴方たち二人に殺し合いを演じさせると思います」

 これも式波理凰の予想だった、吸血鬼は自分と啓吾が殺し合うという悲劇を描いている。この悲劇には必要のない役である式波理凰は吸血鬼が相手をするはず、だと。

 だが悪いニュースばかりではない。式波理凰曰く。

「吸血鬼を倒すことができれば、あの人を取り戻せるかもしれない」

 どうやら奴を倒せば、秀を正気に戻せる可能性が高いらしい。正直なぜそうなのかは分からないが、今は式波理凰のもつ『タナトス』の知識を当てにするしかない。

「あの吸血鬼は俺が倒します、だから」

 秀の足止めは僕の役目、式波理凰は足止めだけでいいと言っていたが、そうもいかなくなった。

 これ以上、秀が壊れないように何とかして足と止めないと、

「……今度は、僕が君を助けるよ」

 胸の決意を吐露するが、実際問題これがかなり難しい。

 神装は基本ディスィースト用の兵器である、そんな兵器を人に使えばどうなるかは、想像に難くない。ただ殺すことより、殺さず無力化するほうがよっぽど厳しいのである。

「くっ!」

 砲身で刀を受け止める。距離を詰められるとこちらが圧倒的に不利。攻撃をしのぐのに精一杯、防戦一方に陥る。

 だがここで秀の動きが止まる、蓄積したダメージがそうさせているのか。

 秀の腹に蹴り入れて距離を取る。

 啓吾は大砲を撃った、狙いは秀ではなく周りにある木々。撃ち抜かれた木々は音を立てて倒れ込む。

 これで少しは機動力が落ちるはず。

相も変わらず速いが、木を蹴って空中を動けなくなった分、移動が少し二次元的になり、読みやすくなった。

秀が地面を蹴ってこちらに一直線に、突撃してきた。

――来た!

 こちらも突撃する。

秀の刀が届くよりも先に、啓吾神装を構えて、そして。

「さっさと……目を覚ませ馬鹿野郎!」

 殴った。大砲で秀の胴体を思いっきり。

「ぐ……あっ」

 衝撃を受けて、秀が刀を取り落とす。高速移動で体に傷がはいいていた辺り、防御力は人並みのままである。

 だからこのまま気絶させる、次の一撃を――しかしその一撃は止められた。

 強化された秀の力に押し返され、神装が弾き飛ばされる。

 まずい純粋な肉弾戦だとこっちに勝ち目は――動揺で思考が定まらない中に、叩き込まれる拳、全身が揺れる。

「ぐうううううううううう!」

 意識が飛びそうになる――またなのか、さっきはいた言葉も全部嘘になるのか。

 今度は顔面に一撃、そのまま仰け反る――意識が、飛ぶ。ここで立ち上がらなきゃ終わってしまう。

 絶対に負けられない、負けない。残った根性で何とか体を引き戻し、秀の顔面に額をぶつける。

 秀の鼻が折れた、こちらも脳が攪拌されるかのような衝撃が脳を抜ける。だが気つけにはちょうどいい。

 秀が怯んだ隙に、狙いを定める。

 今まで君に勝てた例はなかったけど、今日は僕が勝つよ。

 最後に繰り出されるのは会心のアッパーカット、その一撃は秀の脳天を駆け抜け、意識をさえも天に飛ばしていく。

――そうか、僕はやったのか。

 大地に大の字に寝転がる秀を見て、急に体に力が入らなくなった。自分も大の字に寝転がり、荒い息を吐く。なんだかやけに眠い。

「……あとはお願いします」

 疲れた、そういえば碌に眠ってなかったっけ。ああ、遠くで巨大な音が聞こえているが、それもまどろみの中に消えていった。



 巨大な破壊音、それは啓吾と秀の対決と勝るとも劣らない大きさだった。

 まるで弾丸のような蹴りをバスターソードで受ける。

 その速さもさることながら、読みにくい攻撃の挙動が理凰の判断力を狂わせていた。

 戦闘における格闘術というのは基本的に効率的に体を動かすためにあるもので、逆に言えばその無駄のない動きは読みやすかったりする。

 だが奴の動きは格闘術というのはあまりにもお粗末なもので、完全なる我流の、というより拳に速さを乗せて威力を高めた乱暴な攻撃。自分自身に合った動きは知りうるどの格闘術に当てはまらない。

加えて、素人にありがちな直線的な攻撃が多ければ読みやすいのだが、緩急のつけた攻撃が予測を困難にしている。

 仮に反撃が通ったとしても――奴の攻撃の隙を見計らってバスターソードが奴の首を弾き飛ばす。

「甘えんだよ!」

 弾き飛ばされた首が空をかけ、体と首が合体し、やはり再び五体満足の新品に戻る。

 全く効果がない、普通に戦っても駄目なようだ――ならば次の手だ。

 理凰の闘志に呼応するかのようにバスターソードが燃え上がる。

 蒼い炎を纏った、バスターソード。燃え盛る炎の剣で吸血鬼を再び全身を解体する。

 今度は先程とは違い、切り落とした腕、足、胴体、そして首が蒼い炎に包まれた。

 今度は肉の一片も残さず灰になる。先ほどまで死闘を繰り広げていた吸血鬼の灰が風に乗ってに流されていった。

 やったのか――一瞬そう思ったが、風に流されていったはずの灰が収束する光景を目の当たりにし、剣を構えなおす。

 肺はやがて人の形になり、再び青白い体が形成される。

「ヒャアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 あの甲高く脳内まで響く哄笑も。

 どれだけの命を吸ってきたのだろうか。首を撥ね、胸を貫き、それこそ五体全てを四散させたが、その度に再生している。

 いったい何回この男を殺したのか、あと何回殺せばいいのか――いや、考えるな数字に拘泥すると己が限界を認知してしまう。

 今自分のやるべきことは、こいつが死ぬまで殺し続けるだけ。

 再び首を狙い、剣を振るうが、今度は躱された。

「ヒャアハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 吸血鬼は再びやかましい高笑いを上げながら、自らの領域である黒の森を疾走する。

 そしてこちらが攻撃を認識した時には既に、肩口から脇腹にかけて、切り裂かれていた。認識したのと同時に痛みがやってくる。

 全く見えなかった、初めて遭遇した時も速かったが今はその比じゃない。

 自分も速さには自信があったが、上には上がいるものだ。

 その姿の全容を捉えられない、瞳に映るのは奴の残像のみ。残像が駆け抜けたかと思うのと同時に、再び体が引き裂かれる。

 さっきから首や胸、顔面といった急所を外しながら攻撃している、奴の加虐的な趣味の表れか。しかし戦いの中でさえもその趣味に没頭できるほどの実力がある。

 事実、全力疾走しても、あの吸血鬼には追いつけないだろう。

ならば狙うのは――カウンター。奴が攻撃してきたところを返しで、切り裂く。

 しかし奴の速さは五感でとらえるには早すぎる。挙動は読めないし、足音などを認識は認識した時には既に攻撃されている。

 ならば、何をもってして奴に反撃するか――答えは出ている。

 相も変わらず、森の中を駆けまわる吸血鬼、捉えられるのはその残像だけ。

 だが捉えた――奴の振るった腕に合わせて、こちらもバスターソードで薙ぐ。

 攻撃のために突き出した腕が、理凰の描いた弧と重なる。切り口からは血が噴き出した。流れ出す真紅の激流に吸血鬼は動きを止める。

「……ああ?」

 どうやら吸血鬼はあの速さを捉えられるとは思っていなかったらしい。

 簡単に言えば理凰は速さに合わせたわけではなく、そのリズムに合わせていた。

 吸血鬼はギアを上げたことによって、動きが単調になった。その攻撃の隠れた法則性を読んだのである。

 最初は意表を突かれたことに目を丸くしていたが、やがて堰を切ったかのように笑いだした。

「まさか――俺の速さについてこれるなんてなあ」

 自らのアドバンテージを奪われたのに、楽し気に。

「これを人間に見せるのは初めてだぜぇ」

 裂けんばかりに吊り上がった口から、吸血鬼の体全身から奴の肉体から黒い霧のようなもの吹き出す。

 森を侵食していく黒い靄、それが付近の大木に触れた瞬間――天空にそそり立った命が枯れた。

 次から次へと木や草が、漆黒の森が朽ちていく。

 背中が痺れるかのような衝撃、身の危険を感じ後ろに退こうとするが時すでに遅し、吸血鬼の領域から外れる前に足が折れた。

 奇しくも吸血鬼の前に跪いてしまった。

 靄のかかる意識の中で何とか思考する。

 身体から力が抜けていく、視界が蜃気楼のように揺れる。何とか立ち上がるが、足元が覚束ない。

「これで終わりだなあ」

 朽ちていく理凰の様子をみて、吸血鬼は勝利を確信する。

 この森に漂う見えない霧――自らが作り出したナノマシンが、式波理凰の命を吸いつくしていく。

 直接触れたり、血を吸った時よりも吸収率は低いものの、着実に命を奪っていき、自らが吸い上げてきた百万の命の中に加えていく。

 もう奴は動くことさえもままならないだろう、ゆっくりじっくりと死の恐怖を与えてやる。

「さあ存分に死の恐怖に晒された表情を見せろ」

 残響のようにと奥に響くのは吸血鬼の声、意識の外から木霊する、楽しげな声。

 体の奥底から何かが流出していく感覚、それが放流されていくのに反比例し力が抜けていく。

 やがて指一本動かせなくなった、しかし心の中は炎が燻っている。

――何とかするって、約束したからな。ここで全てを懸けてあいつを……討つ。

 理凰の覚悟に呼応するかのように、生まれる前に埋め込まれた獣の魂が咆哮する。

 体の奥底から燃え上がる命の火。それは奴の放った死の細菌では食いつくせぬほど燦然と煌めいているのがわかる。

――灯だった炎を、今解き放つ。

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 その生命を表すかのような大気が鳴動させる絶叫が駆け抜けた。

 そこに顕現するのは――漆黒の肌に漆黒の刃が織りなす翼を携えた異形、蒼く輝く瞳には強い光を讃えている。

 人の姿を失ってもなおその意思は死せず、ということか。

 しかしナノマシンが体内に入り込んでいるはずなのだが、命を吸われているにも関わらず目の前に獣に成り果てた男は――漆黒の領域の摂理を置き去りにする速度で突撃してきた。

 命が消え去っていく。

 最早亜音速に到達した理凰。駆け抜けた轍が焼け焦げ、過ぎ去った後の衝撃波(ソニックブーム)が木々を薙ぎ倒す。

その神速の速さから放たれた拳は受けただけで腕が消し飛び、振るわれた剣は触れただけで灰燼と化す――一回一回に命を奪われていく。

漆黒の破壊神、その一挙手一投足が触れるだけで、付近に散布したナノマシンは吹き飛ばされ、自らの命の貯蔵庫が減っていく。

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

引き倒され、引き裂かれ、戦闘というよりは捕食、蹂躙。一方的な死を与えられ、勝ち誇っていた一秒前の自分は行方不明になる。

腕が引き裂かれる、神経の一本一本が切れていくのが分かった。薄弱な人間なら、これだけで魂を冥府に叩き落されることだろう。

「もっと! もっと! もっと! もっともっともっともっともっとお!」

 嗤った――煽った――求めた。

 圧倒的な力を目の当たりにし、危機的状況なのは理解しているが、極上の愉悦に満たされていた。

「ハハ、ハハハ」

 初めて見た、自分の命に叛逆しようとするものを。

 初めて見た、自らの速さに到達しうる強者の存在を。

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 かねてから――俺以外の生物は食餌であった。

 万のディスィーストを狩り尽くした豪傑も、海の外の都市を二日で崩壊させた怪物も、我が歯牙にも届かぬ脆弱な存在。

どんな戦いだったかなぞ、記憶の残りかすにも残っていない。心に張り付いているのは、どれもこれも最期に浮かべた、自らの死を想う表情のみ。

 だからこれが初めての戦い。初めての感情だった。

 圧倒的高みから人を踏みつける一方的な狩りの中では味わえない、血沸き肉躍る感覚――生への執着がそこにある。闇が深ければ深いほど光が輝きを増すのと同じ、死が近ければ近いほど、「生きている」ことが実感できる。

「俺は今、生きている!」

 それにさんざん失敗作の烙印を押し、誹ってきた奴らの希望である“成功作”を俺が殺すことで、あいつらの夢が完全に無意味になる。

 衆愚が求めた最強の守護者、飽くなき欲望の終着点。

 地獄で見ているか。てめえらの救世主は、てめえらが愚鈍と罵った屑に踏み潰されるぞ。

俺はその命を吸って、更なる領域へ行く。

「てめえと俺、どっちの命が先に尽きるか勝負しようかあ!」

 最期に――曇りなきのその眼差しが、絶望でどう歪むのかが楽しみだ。

「てめえの死骸を未来への階にしてやるよお!」

 峻烈に続く一撃によって全身が解体される。しかし分解された腕と足が四方八方から、暴虐を繰り返す男に巻き付き、奴の無尽蔵に供給される命を吸い上げ、式波理凰の動きを止める。

 生命の吸収が全く追いつかない。ナノマシンに加えて、直接触れている四肢のからもエネルギーを還元しているというのに。

ただの蛇口でダムの水を全て抜こうとしているようなものである。

 自らの理性を捨て去り、勝利を求めた獣。それに対抗するにはこちらも覚悟が必要ということか。

――ならば最初で最後の覚悟をすることにしよう。

 決意とともに加速、奴に攻撃が届いた。遅れて風を切る音が聞こえてくる。

「ガアアアアアアアアアアア!」

 獣が断末魔を上げる、もはや音さえも置き去りにする領域に到達した自らの一撃は、奴の体の内部を粉々にしていく。

 さらにさっきの攻撃の打撃音が聞こえてくる前に次の一撃を叩きこむ。

 縦横無尽に駆け抜ける体が悲鳴を上げている、骨が軋み、肉は裂ける。移動だけで発生した衝撃波(ソニックブーム)が吹き荒れる。

 流石に強靭なタナトスの肉体であっても、この速さで動くと流石に肉体が崩壊する。そのため崩壊していく肉体を瞬時に修復し、新品に、そしてもう一撃を放つ。

 再生と破壊の二拍子が繰り返される。

 その度に命の貯蔵はなくなっていくが、この男を倒すのにいくら命を代価にしようと安いものだ。

その覚悟の代償は大きく、亜音速に到達していた怪物さえも遥かに凌駕した極地から放つ一方的な連撃が、奴の命を急速に奪っていく。

「ガアアアアアアアアアアア!」

 そして最後に獣に組み付き――

「俺の血肉となれやああアアアアアアアアアアアアアアア!」

 頸動脈に思いっきり、噛みついた。

 最後は吸血鬼らしく、直接奪いつくしてやる。

 首筋に牙を突き立て、ナノマシンとは比にならない速度で、全身の力を吸い上げる。

「ガアアアアアア……アアア……」

 化け物じみた、いや怪物そのものの膂力でさえも引きはがすことはできない。

 ついに獣は片膝をつき、奴の巨大な命に徐々に限界が見え始めた。

 奴の体から白煙が噴き出し、深淵の如き黒い皮膚が白に戻る。黒の翼は消え去り、何のこともない何の変哲もない青年の体に戻った。

 理性なき怪物は、人間として地面に落ちたようだ。

――勝った!

 脳髄から何かが染み出し、延髄から震える。

――これが闘いか! これが勝利か!

 今まで感じたことのない充足感、勝利への喜びに打ち震える。

 それとともにこの最高の時間を享受してくれたこの男に、感謝を。

 最初で最後だ、俺がこれほどまでに他者を賛美することなぞ――

「じゃあな、黒の剣士――楽しかったぜ」

――しかし、最後の言葉を言いきったのと同時に、拳が顔面を抉った。

 そのまま吹き飛ばされる。

「ククク……ハハハハハハハハハハハハハ」

 吹き飛ばされ、鼻が折れてにも拘らず、笑みが溢れ出す。

「さあ、また殺し合おうかあ!」

 命をほとんど吸い尽くされてもなお、立ち上がった男に再び向かっていく。

 何とか立ち上がった男のバスターソードが先に届く、胴体を切り裂かれた。しかも先程のように再生しない。

 次の一撃を受けた左腕を切り飛ばす、命が風前の塵ほどしか残っていないせいか切り飛ばされた腕が元に戻らない。灯のごとく、その斬撃が繰り出されるたびに命が消えていく。

 しかし奴の命も残りかすほどしか残っていないようで、剣の軌跡に精緻さがない。

 互いに理解していた、終わりが近いことを。放たれる一挙手一投足が自らの命を終わりに近づけるということを。

 星は終焉の時に、最も美しい輝きを放つ。この戦いも最後は鮮烈な輝きを放つのだろうか――。

 渦中の二人は、そんな輝きとは程遠い戦いを繰り広げていた。血反吐を吐き、骨を折る、ただただ目の前の仇敵を撃つためになりふり構わず切りかかり、殴り掛かる。

 先に届くのはバスターソードである、相対しているのが人の腕なのだから当然だが。

 だが深刻な負傷を抱えた式波理凰の剣を躱すのは容易い。こちらも先程の速さは出せないが、十分だ。

 自らの爪が式波理凰の肩口に刺さり、彼の象徴であるバスターソードを取り落とす。

 反撃の左のストレートが頬を抉る。頭蓋が割れた、そして互いに鎬を削り合う。

今度は式波理凰の左肩が切り裂かれた。さっきのダメージの蓄積によって、もう両腕が上がらない。

――終局。

「これでぇ……終わりだああああああああああああああああああ! 死ねやあああああああああああああああああああああああああああ!」

 今出せる最高速で放たれた、貫手。

顔面に向かって放たれた、一撃。

壊すことが困難な間合いで放たれた、手槍だった。

――しかし、残り全ての力をかき集めて、必殺の一撃を躱したのだ。

 顔に繰り出された右の貫手が頬を掠めた。だが奴はもう両腕が使えない、反撃の爪牙はもう――否。

牙が残っている――式波理凰は吸血の喉に噛みついた。

 理凰の牙が食い込み――そして勢いよく喉笛を噛み千切った。夥しい量の血が噴水のように噴き出す。

 同時に全てを出し尽くした二人は、同時にそのまま倒れ込んだ。

 だがこの場に立つのは、唯一の勝利者――式波理凰。

 敗北者である吸血鬼は勝利者の顔を見上げていた。

――百万の命は狩り尽くされた。

 勝利者はたった一つの命、その強大な命を盾にして、ただただ百万回殺した。

 命が終わる――最後の一振りで、一撃で百万あった数多の命を食らいつくした命に終止符が打たれる。

 何故だろうか、あれだけ固着した生というものに悔いはなかった。

 勝利者は震える手でもう一度バスターソードを天に掲げる――その巨大な剣が十字架に見えなくもない。



この日俺は――傲慢なる殺戮者、吸血鬼ブラムは――

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