第4話 闇の王

――かつて人は夢を見た 

――魔物蔓延る大地に生み出された禁忌の萌芽

――摂理の埒外に生まれた者

――数多の夢の残骸の上に立つ人類の守護者だったものが

――牙を剥く


黒の森を駆け抜ける三つの影――式波理凰、平木啓吾、相原秀である。

 先頭を走る理凰の横顔は、敵の首魁を討ち、勝利者となったとは思えないほど険しいものだった。彼に続く二人の表情も不安で満たされている。

「くっそ! さっきの話はマジなのか⁉」

「……恐らく」

 先程発見した二つの穴はヘカトンケイルの眷属の証――そう思っていた。

しかし、その眷属の証は奴の首にもあった。つまり奴も例の覚醒物質を注入され、傀儡と化していたのである。

――つまりヘカトンケイルのよりも上の存在、本当の首魁がいる。

 だが問題はそれだけではない。

「くそっ、基地と連絡がつかねえ!」

 秀が手持ちの端末で何度呼びかけても応答がない。最低限の職員がいたはずなのに、全く音沙汰がないのだ。

「くそっ、何でだ!」

「恐らく、陽動だ。ヘカトンケイルは陽動で、本命は恐らくもう――」

「拠点に攻め込んでるってのか⁉」

 残っている戦力の全てでヘカトンケイルの討伐に出ていたため、残っているのは怪我をして動けない隊員たちだけ。

早い話、実質防衛力はゼロに等しい。そんな拠点にヘカトンケイルよりもさらに上位の存在が攻め込んだら――。

「くっそ!」

「急いで戻らないと!」

 その焦りが功を奏したのか、普通に移動するよりも早く拠点に到着した。

「嘘だろ」

 そこには目を疑う光景が広がっていた。

 天に向かって聳え立つ鋼の防壁、それは秀と啓吾が生まれる前から存在している防御機構、そんな人類最大の守護者である防壁に大穴が開いていた。破砕された壁の一部が瓦礫となって辺りに散乱している。

「もう侵入されている!」

「早くいかないと!」

 矢継ぎ早に飛来してくる凶報が、全員の足をさらに回転させる。

 壁にできたクレーターから中に入り、最初に目の当たりにした光景――そこにあったのは山だった、数時間前にはなかった約五メートルほどの山。

「おい……」

 そのふもとは真紅の池だった、水位はくるぶしにも満たないがかなり広範囲に広がっており、その源流は無数にあり、山の到る所から流れ出している。

 啓吾は地面に突っ伏して、腹の中身を吐き出した。胃の内容物をどころか腑そのものが体内から流れ出すのかと錯覚するぐらいに。

その山の正体は――人間。折り重なる肉と肉、血と血、死の直前の恐怖の表情を切り取った顔が積みあがっている。その中には知っている顔も多数あった。

 この場に存在する全ての命が根こそぎ奪われた――しかし、そんな数多の死の山の頂点に立つものが一人――転んだ男を起こした、冷酷な目の青年だった。

その瞳は変わらずに冷たい光を湛えている。

 違うのは、その口元が裂けんばかりの邪悪な笑みを浮かべているところ。

 全員が理解した、この惨状はこの男が引き起こしたものだと。

「よう」

 この死山血河を作り上げた張本人と目が合った。前の時は虚弱な印象を与える白髪だった髪も、今は対照的な金の髪となっている。

 いや変わったのは髪色だけではない、さっきの冷たい眼差しは殺意で爛々と輝いている。

 氾濫する悪意を感じ取り、全員武器を構える。

 男が山の上から飛び降り、血の池に立った。血飛沫がさらに広がる。

「……0点」

全員の顔を見渡すとこちらを値踏みしてきた。

「何言ってんだてめえ」

 秀が唸り声のような声を上げた。

「なに、決意に満ちた顔してんだよ」

「はあ?」

「アジトは壊滅、住民は全滅、そして残っているのはお前らだけ――なあどんな気持ちだ下等ども、今お前の目の前に広がっているのは絶望だぞ」

「……てめえの鼻っ柱に一発ぶち込みたいと思っているよ」

 男の理不尽な言葉に対する秀の啖呵に全員が同意し、自らの武器を握りこむ。

「じゃあ――これから絶望させてやるよ」

 こちらをほくそ笑んでいた、唇がさらに吊り上がる。

 次の瞬間男が消えた。次に轟音が鳴り響いた。

 秀と啓吾は目を疑った。式波理凰がいた位置に、あの男が立っていた。

式波理凰は吹き飛ばされ、基地にぶつかり、基地が崩壊して降り注いだ瓦礫に圧し潰される。

一瞬だった。

二人とも立ち尽くし、まるで反応できなかった。しかし驚嘆している場合ではない。

 一番近くにいた秀が刀を抜いた。早さが敵ならばこちらも速さだ。

 繰り出される高速の抜刀術が、奴の首目掛けて放たれた。

 しかし、その必殺の一撃を繰り出そうとした腕が急激に鈍くなる。

「……なっ」

 男が転がっている死体の頭を掴んで持ち上げ、盾にしたのだ。

「……っ!」

 刀が死体の前で止まり、死を目の当たりにした双眸を開いた顔面が、愉悦に満ちた笑みを浮かべた男のものに変わる。それと同時に腹部に打撃、内臓がまぜっかえされる。

「……がっは」

 体の中で何かが炸裂した、行き場を失った熱が腹からせりあがり口から吐き出される。

「秀!」

 体内から赤の激流を吐き出した秀に対して男は更に続けて一撃を繰り出そうとしている。

 秀はそれを阻止せんと神装の引き金に指を掛ける。

「はっはははははははははは!」

 吸血鬼は落ちている死体の腕を投げた。

投げられた腕が神装がに勢いよくぶつかり、狙いをつけた砲身がずれた。そのまま勢い良く放たれた光線は夜空に上っていく。

 何とかあらぬ方向に向いた大砲を引き戻し、二射目を放とうとしたときには、既に目の前にいた。

「オラァ!」

「ぐはっ!」

鞭のような蹴撃が脇腹を抉り、そのまま吹き飛ばされる。

なす術なく宙に浮かされた、視界が二転三転――そして夜空に重なる金の髪。

今度は腹を踏みつけられた。そのまま地面に急降下。

そのまま啓吾は地面に直撃する。打撃の威力で地面を破砕されるほどの勢いで。

 一撃一撃が速く、そして重い――本当人間なのか……?

大地に縫いとめられたまま、赤く狭まる視界に映る奴の顔は――嗤っていた。

「おいおい、まだ寝るのは早えよ」

 意識が落ちる瞬間、髪が引き千切られそうになるくらいに引っ張られ、意識を手放すことさえも許してはくれない。

 無理矢理起こされ、最初に目に入ったのは、人の山、地面に伏している親友、さっきと同じ目を背けたくなる光景。

「どんな気持ちだよ、おい」

 ひどく楽しそうな口調で、男は啓吾に感想を訊いてくる。

「憎いか? 悲しいか? 怖いか? それとも……絶望したか?」

 この地獄を認識して数分、今自分の中で渦巻く感情を表す言葉を啓吾は持ち合わせていなかった。

 早く秀と理凰を助けないといけない、痛いすごく痛い、誰か助けて、隊長やここにいる人たちがいなくなったらこれからどうなる? 今自分は何をしているのか? 今自分はどんな表情をしているのだろうか?

 次々と浮かんでくる自らの感情を処理できない。ただ荒い息を吐くだけで、何かを言い返すことも。

「はっはははははははははは! いいなあ! いいじゃねえか! お前今俺が一番好きな表情をしてるぜ!」

 眦が熱を持ち、流れ出す。

「うっ、うっ、ううううううう」

 嗚咽が止まらなくなる、自分の身近な世界は完全に崩壊した。一番近くにいた親友を含めた人々、その全てがもう取り戻せない過去となったのだ。

 そしておそらく自分のもうすぐ――諦めかけた、その時。先程の男の一撃を上回る轟音が鳴り響いた。

 その音の源流は先程式波理凰が埋まった瓦礫の方向、瓦礫が吹き飛んで、土煙が待っている。

つまり音の主は――。

 土煙を振り払い、出てきたのは式波理凰。大剣を大きく振りかぶった。

 男は理凰の攻撃に即座に反応、掴んでいた啓吾の髪を離し、後ろに大きく跳んだ。

 理凰も加速する。跳び回り後退する男を逃がすまいと駆け抜ける。

後ろに退いた男を追い詰め、自己の間合いに入ったのと同時に一閃――稲妻の如き切っ先が男の首を捕らえた。

骨の硬い感触を感じたが、そんなことお構いなしにそれごと真っ二つにする。切られた頭部が金の髪をたなびかせながら飛んでいく。

 刎ね飛ばされた首は愉悦に満ちた表情を浮かべたまま、彼方に飛んでいった。脳という名の核を失った男の肉体が倒れ込む。

 その光景を見ていた啓吾を言い知れぬ絶望から解放され、急に力が抜けた。

 涙が止まらなかった、恐怖や不安から解放された安心感か、いや違う。

「……大丈夫ですか」

 そんな自分に手を差し伸べる剣士。情けなさで顔を上げられない。

「……僕より、秀の方を」

「……彼ならこっちに向かっています、それよりも立てますか?」

「……はい」

 涙を拭い、顔を上げる。

そこには――後方から何者かに締め上げられている式波理凰がいた。

 服装を見る限り、さっきの男だ。だがさっきの一撃で首を落とされたはず。状況が呑み込めずに身動きができなくなってしまう啓吾。

 理凰は自らの後方肘を当てると、首を絞めていた腕が緩み、離れた。

 突如として現れた敵――その正体はさっきの男、その体であった。

 頭部を失った男の体が機敏な動きで後ろに下がる。

「ヒャアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 彼方から聞こえる耳障りな哄笑。

そこにはさっき自分が討ち取った男の顔があった。男の顔面が空中で笑っている。

そして男の頭が空中を縦横無尽に舞い、体と合体する。

 繋がった首を鳴らす。まるで何もなかったかのように笑いながら。

「一回殺したぐらいで、勝った気になってんじゃねえぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 男が消える、そして一秒も立たずに再び攻撃が開始された。今度は何とかバスターソードを盾にして、衝撃を拡散する。

 反撃で放った一撃は、男が防御のために挙げた左腕を両断した。

「ヒャアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 地面に落ちる腕を蹴り上げ、理凰の顎にぶつかる。

 一瞬で怯んだのと同時に腹部を殴打され、喉元にまで粘度を持った鉄臭い何かがせりあがってくる。

 だがそんな痛みや不快感を押し殺し、剣を振り上げる。

 理凰の剣に対抗してなのか、男も手刀を作り上げた。

 先に理凰の斬撃が斜めに入った、裂傷から血が噴き出す。

しかし返す刀、男の鋭利な爪が同じように理凰の身体を切り裂く。

 互いに命に届く苛烈な一撃を受け、攻撃の手が止まる。

だが男の傷がみるみる塞がっていく。そして十秒ほどで完全に塞がった。

Dウィルスのワクチンで人類の再生能力が向上したとはいえ、このレベルに到達することはない。

そして人間とは思えない並外れた身体能力――。

 式波理凰は知っていた、この男の正体を。

「……あんた、タナトスだな」

 理凰の言葉に一瞬、男が虚を突かれた表情した。図星のようだ。しかしそれもすぐに喜悦に満ちた笑みに変わる。

「てめえも“深淵”触れたクチか! いいじゃねえかいいじゃねえか!」

 タナトス、そう呼ばれた男は嗤っている。その名の通り、死を司るものに相応しい狂笑を讃えながら。



 かつて人は夢を見た。

 タナトス計画――遺伝子の段階で人間の遺伝子とディスィーストの遺伝子を結合させた生体兵器、人類の盾となり仇なす魔獣を討ち滅ぼす守護者を生み出す計画――人間の傲慢さと果てなき欲望の最終到達点。

 そして生み出されたのは生命の輪廻から大きく逸脱した、神々の作り出した摂理に刃を向けるモノ。

その名は――タナトス。

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