第3話 Hecatoncheir


――奈落より這い出た醜き巨人

――その腕は森羅万象を覆い

――その掌は数多の命を略奪していく

――かつて神と肩を並べた者の成れの果てによって

――全てが崩れ落ちていく



「はあ」

 基地の屋上で一人、溜息をつく男が一人――平木啓吾は誰もいない屋上で、二酸化炭素排出装置になっていた。

 啓吾は先程の戦闘のことを思い出していた。怯懦でまるで動けなかった自分の情けなさ、頭にへばりついた負のイメージを吐き出すかのように息を吐く。

 いつもそうだ、肝心な時に自分は何もできない。ディスィーストに直面すると足が竦み、動かなくなる。視界の焦点は合わなくなり、引き金にかける指が重くなるのだ。

 そんな自分を周りの人たちは「まだ次がある」と失敗した自分を咎めようとしない。

 強くなりたい――一人で敵を倒せるぐらい、みんなを守れるぐらいに――そんな願いからかけ離れている自分の姿を自覚して、再び気を吐いた時――

「なーにしょぼくれてんだ」

 沈んだ背中越しに、闊達な声を掛けられた。振り向くとそこに秀がいた。

「別にしょぼくれてなんかないよ」

「まあそんなに気にすんなよ」

「……何も言ってないんだけど」

「さっきの戦闘のことだろ」

 誰かに凹んでいるところを見られたくないから、こうやって人目のない場所で一人で自己嫌悪に陥っているところに、秀はいつも現れる。俺がどこにいても見つけて、肩を叩く。いつも変わらない笑顔で、昔からそうだ。

「おめーの考えていることなんて、お見通しなんだよ」

「あ、うん、なんかごめん」

「何で謝るんだ」

「あ、いやいつも失敗ばかりして」

「心配すんな。次は失敗しねえよ」

「根拠は」

「知らん。失敗しない根拠なんて自分で考えろ」

「無茶苦茶だよ」

 突飛な理論だが真っ直ぐに物言いに、溜息を忘れて笑みが零れ落ちた。

「ようやく笑ったな」

 さっきの沈んだ気分は、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。

「でもよくここにいるってわかったね」

「はっ、何年幼馴染にやっていると思ってやがる」

 幼馴染とは本当に恐ろしいものである。

「おめーが朝早く訓練場で射撃の練習をしてるのも知ってるし、みんながいなくなったころに食堂を掃除しているのも知ってるし、あと――」

「ちょっと待って」

 俺のプライバシーが消息不明になっている。幼馴染とはいえちょっと怖くなってきた。

「引くなよ、これみんなこの基地にいる全員知ってるぞ」

「ええ~」

 秘密にしていると思ったのは自分だけだったのか。

「お前分かりやすいからな、ほら見てみ」

 そういうと顎で後ろを指すと、建物の影からこちらを覗いている隊長と副隊長がいた。

「あ、やっべ」

 こちらの視線に気が付いた隊長と副隊長は建物の影に消えた。

「他の人は治療中だからいないけど、いつもはみんないるぞ」

「まじで?」

「うん、お前が凹むとみんな陰で見守っている」

 優しい人たちに囲まれて自分は幸せだな、と思えばいいのか複雑である。

「……勘弁してくれ」

 気恥ずかしさを感じながらも、つい口元に笑みが浮かぶ。

――今度こそ、この人たちの期待に応えられるように。



 眼下の森をゆっくりと進む怪物の群れ――巨人ヘカトンケイルとその仲間たちである。

 それを見下ろすのは自衛組織イグニスの部隊であった。

「真っ直ぐに拠点に向かっているな」

 このままだと夜明け前には到着してしまう。

「時間はない、さっさと親玉を倒してしまおう」

 司令塔であるヘカトンケイルを倒せば、回らを失った獣の軍隊はただの群れになる。

「でも、やっぱり周りの奴らが邪魔ですね」

 秀の指摘通り、取り巻きのディスィーストたちが壁となっており、肉薄するのも容易ではない。

 時間もさほどない中、たった五人で二百近い数の敵を相手取りながら標的を討ち取るのはほぼ不可能である。しかもその中の一人とは出会って一日しか経っていない。

「大丈夫だ、こっちには切り札がある」

――もっとも敵の数は偵察の段階で確認済みである。それを想定済みで自分たちはここにいる。

「平木隊員」

 この状況を切り開く切り札――平木啓吾が、隊長の言葉で一歩前に出て、神装を起動させる。

 光の中から顕現する大砲を手に取り、狙いを定める。

 作戦の第一段階として、まず遠距離から周囲のディスィーストを着実に減らす。おそらくあの大量の腕で覆われたヘカトンケイルはこの神装で狙撃しても倒せないし、地道にやるしかないのだ。

その先制攻撃という大役、額に変な汗が滲み出る。

できるのか自分に、いやできるかどうかじゃない、やらなきゃいけないんだ。

輪廻の輪のように巡る負の思考、どのタイミングで撃てばいい? 狙いは?

 深淵の中でもがきながら、照準を合わせる。あとは引き金を引くだけ。

 いいのか? 本当に?

 最後の一歩が踏み出せず、指先まで制止してしまう――。

「しっかりしろ! 俺たちが付いてる!」

 そんな自分の肩に手を置いて発破をかける隊長。

「外してもフォローするから大丈夫」

 重圧を駆けまいと、優しい言葉を駆ける副隊長。

「お前ならやれるぜ」

 いつも通り雑な鼓舞をする秀。

「……はい!」

――自分の中で何かが軽くなった。

 最後に大きく息を吸った。

「行きます!」

 震えはない、確信した。この一撃は外れないと、溢れ出る確信とともに引き金を引いた。

 大筒から発射された。天空を切り裂く一つの閃光。それが上空に弾け、夜の闇を照らし出す。

 ヘカトンケイルたちに降り注ぐ光の雨、その無数の光の線が夜を駆ける怪物たちを貫いた。

 広範囲に拡散した光に体を灼かれ、断末魔を上げながら次々と絶命していく怪物たち。ヘカトンケイルの無数の腕も四分の一ほど焼け落ちた。

 焼野原になった森林に残ったものは半分に焼き払われた取り巻きとヘカトンケイル。

「よっしゃ! タイミングばっちりだったぜ!」

 ガッツポーズをする秀。

啓吾は最初の仕事を終え、ひとまず安堵の息を漏らす。

 広範囲に拡散する強力な光線だが、その代償として一発撃てば約一時間弱はこの大砲が動かなくなる。正真正銘の切り札であった。

 それがこの状況で最高に作用した、相手の戦力は壊滅した。

「よっしゃあ、あとは任せときな!」

 そしてこの混乱に乗じて奇襲をかけて、駆逐するのが今回の作戦である。

「よし行くぞ!」

 号令とともに、部隊の全員がヘカトンケイルに突っ込んでいく。

 敵もこちらに気が付いたのか、残存した眷属たちが突撃を阻む壁となる。

 押し寄せる魔獣の群れ、啓吾が放ったビーム砲に焼き払われたとはいえ、いまだにその戦力は健在であった。

 ここで部隊の前に躍り出る人影が一人、式波理凰が手下たちに突っ込んでいく。

 先行した理凰は一瞬で囲まれた、獲物を見つけた獣どもは本能に従ってその爪牙を突き立てんと、飛びかかる。

 式波理凰はバスターソードで薙いだ、間合いにいた全ての畜生たちが一瞬にして絶命する。

 残った敵に更なる追撃、眷属たちを端から鏖していく。眷属たちの注意は完全に式波理凰に注がれた。

 作戦の第二段階、撃ち漏らした敵を理凰が引きつける。

 出会ったばかりの自分と彼らでは連携は取れない。連携とは経験、個々の癖、互いの理解、数多に重なる要素を積み重ねることで成り立つものなのだ。

だから自分のできることは残った雑魚の掃討もとい遊撃を担当し、彼らの邪魔をさせないようにすることである。

 目の前の狼の頭を持った獣人――ライカンスロープの首を撥ね、更に向かってくる。牛の頭を持つ巨人――ミノタウロスを返す刀で一閃、胴が真っ二つになる。

「こっちは任せてくれ」

 五十はいる並みいる怪物を相手取り、獅子奮迅の立ち回りで次々と配下のディスィーストを葬っていく式波理凰に背中を預けて、秀を含めた三人はヘカトンケイルに向かっていく。

「俺と秀は右から行く」

 まずは二方向に分かれて、ヘカトンケイルを撹乱する。

そんな秀たちを迎撃するために、奴の白い腕が伸びてくる。いつも飛び道具が飛んでくると啓吾が撃ち落としてくれるのだが、再装填中であるがゆえに、この身一つで躱さないといけない。

だがしかし先程の一撃で腕を失っているヘカトンケイルの腕、しかも狙いは三つに分散しているため、掴みかかろうとしている腕を見切るのは容易い。

足元を狙う腕を跳んで躱し、着地を狙ってきたものを切り伏せ、接近していく。

式波理凰の言う通りだった。ヘカトンケイルの武器は腕、人の腕など一本矢を折るがごとくへし折り、そんな凶器のような腕が無数にある。

 しかしその腕の数をあらかじめ減らすことができれば、討伐難易度は格段に落ちる。

「はあっ!」

 隊長も大きな掛け声とともに視界に映る腕を叩き切る。残った腕もほとんど 腕で覆い隠されていた頭部が垣間見えそうなくらいに数か減った。

「捉えた!」

 全員が自らの間合いに入った瞬間、三方向からの放たれる必殺の一撃。

「これで、終わりだ!」

 隊長を言葉通り、三人の攻撃は本体に直撃し、この戦いに終止符が打たれる――はずだった。

 ヘカトンケイルは残っていた背中の他の腕に比べて一際太く、大きく、逞しい腕を地面につけて、バネのように跳ねた。

三人の渾身の一撃は何もない空間を切り裂く。

「くそっ!」

 副隊長が悪態を突きながら、空を見上げた。月と重なる無数の腕を携えた巨人が重力の軛から逃れられずに垂直落下。

 着地と同時に降り注ぐ、その巨躯を飛ばした太い腕から繰り出される鉄槌が大地を叩いた。

「くっそ、出鱈目じゃねえか!」

 その衝撃の余波で地面が割れて、秀は体勢を崩してしまった。他の二人も同様、立つことさえもわからないままである。

 そんなまともな状態ではない三人にヘカトンケイルは追撃する。体勢を崩した秀は近寄ってきた腕を、崩れた体勢のまま切り払う。

「くそっ!」

「離せ!」

 隊長と副隊長が捕まってしまった。二人を捕らえた腕が天高く昇っていき、急降下。

 為す術なく地面に叩きつけられた二人の頭部が割れて夥しい量の血飛沫が地面に飛び散る。

「隊長! 副隊長!」

 秀の呼びかけに二人が応えることはなく、少しの間痙攣していた二人の体は動かなくなった。

「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 悲嘆にくれた慟哭を上げるが、その悲しみに向き合う時間も与えてはくれない、今はこの悲哀を怒りに換えて、刀に乗せて、相手にぶつけるしかない。

「てめえの脳天をぶった切ってやる!」

 啓吾はまだ再装填が終わらない、奴を倒すことができるのは自分だけだ。

――まだか、まだなのか。

 啓吾は窮地に陥った秀の背中を見ながら焦燥に駆られ、何度も引き金を引いていた。

しかしそんな思いとは裏腹に、自らの大砲型神装はうんともすんとも言わない。

「……僕は……また」

 ただ立ち尽くす啓吾。その光景は恐怖で動けなかった時と何も変わらぬ光景だった。

「うおおおおおおおおおお!」

 雄叫びを上げながら、一直線に猛進する秀に無数の腕が降り注ぐ。

 その腕が肩を直撃した、触れただけで肩が砕け散ったかのような衝撃。

「ぐっ、ずああああああああああああああああ!」

 絶叫で痛みをなんとか掻き消し、踏み出す。何とかもう一度、秀はヘカトンケイルに肉薄する、さっきは外したが今度こそ。

 秀の刀身が光を帯びた。高温となり刀身の伸びた光の刀を創造する。

この光の刀で頭を防御している腕を薙ぎ払い、本体である頭部ごと切り裂いてやる。

なみいる腕の切り伏せ、秀は跳んだ。ヘカトンケイルの頭を飛び越えるほど高く。

「獲った!」

 光の剣を思いっきり振り下ろす。

最後の一撃が頭を捉えたと確信した、次の瞬間――生えた。

 撃ち落とし、切り裂いて数を減らした腕が再生し、まるで枝葉を広げる大樹ように腕を伸ばした。

 振り下ろされた光の剣、その熱量は触れたものを焼き、溶解させる。しかしその全てを懸けた一撃も、折り重ねられた腕に阻止され、奴の命に届かなかった。

「そんな……馬鹿な」

 逆転の切り札が封殺され、一瞬自らを失った。一瞬完全に無謀になった。

 だめだ。躱せない。そう悟った時、体が硬直して、動かなくなった。

 視界を埋め尽くす白い細腕が、隙間のなく敷き詰められた。束ねられた腕が一気に降り注ぐ。

 こちらに届く前に、二人の間に何かが割って入ってきた――気が付いた時には大剣を携えた黒衣の少年、式波理凰の背中が目の前にあった。

「すまない、遅くなった」

 式波理凰が滝のように押し寄せる腕の潮流を次々と切り伏せる。更に白い腕が飛んでくる、飛んできた腕を横に薙いで切り落とし、続く第二波も剣を振り下ろして、両断する。

 次の攻撃が来る前に、理凰はバスターソードを振り上げる。

天に掲げた剣が蒼の光輝を帯びる。そのまま振り下ろし、空を裂く光の一閃を放った。

 一直線に進んでいく光刃に気づいたヘカトンケイルは伸ばそうとした腕を手元に戻し、抱きしめるかのように腕を自らの体に纏わせた。

 蒼の光とヘカトンケイルが衝突した――競り勝ったのは理凰が放った蒼の光の一閃、幾重にも重なったヘカトンケイルの防御を切り落とされた。

 ヘカトンケイルが声にならない悲鳴を上げ、今まで腕に隠されていたヘカトンケイルの本体が露わになった。

「見つけたぞ」

 本体が見えた、止めだ。

更に踏み出そうとするが、疾風怒濤の連撃が一瞬止まる。まるで何かに足を引っ張られているかのような。

 足元を見ると切り落としたヘカトンケイルの腕が足に絡みついた、それも一本や二本ではない。

 どうやらあの無数の腕だけでなく、切り落とした腕も操れるようだ、自分と秀が切り落とした腕がそこら中に転がっており、それらが一斉に集結する。

 最初に下半身を封じ込められた、次に上半身に纏わりついて最後は、顔面を覆い隠そうとする。

「はあっ!」

 完全に拘束される前に、気合で自らに巻き付く数多の腕を強引に振り払う。

 しかし振り払っても無数に散乱している腕が次から次へと、襲ってくる。

――このままでは勝てない。

一気に畳みかけるしかない。攻撃するのが一秒でも遅れれば、切り落とした腕に封じ込められ、秀たちが減らした腕を再生する時間を与えることになる。

地面が抉れるほど踏み込み、加速する。

 足を止めるな、剣を振り続けろ、視界を覆うほどの腕の群体、時に薙ぎ、振り下ろし、跳んで、躱して、でも一直線にヘカトンケイルに向かって疾走する。

 だがヘカトンケイルも残った腕、再生した腕を総動員して、目の前の敵の足を止めようとする。

「――っ!」

 ついに捌き切れなかった腕が理凰の右肩に直撃、体の芯まで響く爆発のような衝撃が走る。

 体の内側からこみ上げる痛み、どうやら骨が砕けて、その破片が体内ではじけ飛んだらしい。

 一瞬体が仰け反った――しかし瞬時に体勢を立て直し、さらに強く足を踏み込む。

 0.1秒の遅れを取り戻すために、さっきよりも加速する。体を走る痛痒なんて物ともせずに、ただ真っ直ぐに突き進む。

 ここでヘカトンケイルは、背中の太い腕で地面を蹴った、その勢いで一気に後ろに下がる。

 逃がさない、さらに強く踏み込む、急加速する。それはまるで弾丸のように。

後ろに下がりながら放たれる攻撃を全て切り落とし、もう一度追いつく。

 そしてその瞬間は訪れた――腕の壁を切り裂くと、まだ残る腕の隙間から除く黒色の頭がそこにあった。

 立ちふさがる幾多の壁を切り伏せ、到達した場所――そして叩き込まれる最後の一撃、巨大な切っ先が顔面に突き立てた。

 バスターソードが頭部を貫通し、生物の核である脳を破壊され、刺突の勢いでヘカトンケイルは後ろに倒れ込んだ。腕という武器のほとんどが剥ぎ取られ、剥き出しとなった巨体が地面を鳴らす。

 無限に生えていた腕が干からびていく、そしてヘカトンケイルの本体――黒い肉体を持った巨人の姿が露わになっていく。

 肉体は人間に似ているが、サイズは五メートル近くあり――極めつけは目と鼻はなく、口だけの顔面。

 身を守る武器が完全に消失したヘカトンケイル、誰がどう見ても残の戦闘の勝者は明らかであった。

「あの人、本当に人間かよ……」

 余りにも壮絶な戦いっぷりを目の当たりにした秀は思わず苦笑する。

「終わったんだな」

「そう、みたいだね」

 秀と啓吾も黒の巨人のそばに駆け寄る。

 剥き出しになったその肉体、あれほどの強敵だったのだ。まだ生きているかもしれない、警戒心剥き出しにして、しげしげとその巨体を観察する。

 動く様子はない、どうやら本当にしているようだ。秀と啓吾は胸を撫で下ろし、理凰も構えていたバスターソードを下す。

しかしその死体のある部分を見た瞬間――一転、全員の背筋に悪寒が駆け巡った。

「……おいこれ」

 全員が言葉を失った。

 肌が真っ黒ですぐには気が付かなかったが、確かにそれはそこにあったのだ――二つの穴が。

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