第2話 インターミッション


二一一九年、地表にディスィーストが出現し、人間が支配体系から引きずり降ろされて半世紀以上が経過した。人類とディスィーストの終わりのない戦いに終止符は撃たれぬまま――。



 高さ二十メートルはある鋼の防壁に囲まれた町――平木啓吾たちが拠点とする駐屯地と市民が暮らす居住区である。

 理凰と啓吾はワイバーンの討伐したものの戦闘継続は困難となり、撤退して駐屯地へ。幸い何とか帰りはディスィーストに邪魔されることはなく、最短距離で到着できた。

 そして現在、啓吾は防壁に附設されているイグニスの防衛基地、そこにある取調室の前にいた。

「すみません、お待たせしてしまって。何も問題なかったです」

 分厚く重い扉をゆっくり開けて中にいる人物に声をかける、中から出てきたのは、先刻ワイバーンを屠った青年だった。

「神装を所持しているので監視の者はつきますが、基本的に自由に動いてもらって大丈夫ですよ」

「……わかりました、ありがとうございます」

素性の分からない人間に一律で行っている手続きとはいえ、命の恩人に拘束や監視をつけるのは少々心苦しい。罪滅ぼしではないが、せめて彼がここにいる間は、少しでも快適に過ごせるようにしよう。

「あの……じゃあ、ここの案内をさせていただきます」

 監視役兼お世話係となった、平木啓吾の最初の仕事は施設の案内。この基地内を巡回しながら、尚且つ彼を退屈させない――簡単なようで難しい仕事。特に口下手な啓吾にとっては。

「さっきはありがとうございました、皆さんを助けてくださって」

「……いえ」

 こんな風にさっきから、会話が途切れてばかりである。こういうことは秀の方が得意なのだが、今はいないので仕方ない。

 必然的に黙る時間が多くなり、相手をただ見る時間が増える。

 それにしても戦闘中にみたときは気が付かなかったがこの黒の剣士――式波理凰、若い。

今年で二十三歳の自分もよく隊長に若造呼ばわりされるが、それよりもさらに若そうだ。まだお酒も飲めない年齢に見える。

「他の人たちは大丈夫ですか」

「え、ええ、みんな無事ですよ」

 彼の年齢に心が追い付いていない啓吾に対して、助けた他の人たちの心配をする式波理凰。

 実は全員命に別状のない程度の怪我で済んでいた。最も別に奇跡的な事でも何でもないことなのだが。

 人間が人知を遥かに超えた怪物に対抗するための柱は大きく分けて二つある、一つは決戦兵器である神装。

 原理は不明だが神装を起動している間は、身体が未知のエネルギーの膜のようなもの――通称、魔導防壁で守られている。そのため起動していない状態なら致命傷となる怪我も、神装を起動している間なら、軽症で済むことも少なくない。

 故に今回も全員が神装を展開していたおかげで全員生きていた。

 そのことを伝えると式波理凰は「……そうですか」と無表情だが、どこか温かみのある反応をしていた。

「……少しいいですか」

「はい、なんですか」

「……この拠点には貴方たちの部隊以外いないんですか?」

 理凰はふと疑問に思ったことを口にする。

 この居住区は約百人程度の人が暮らしていると言っていた。町というにはあまりにも少ない数。このように少ない場所では配置される戦力もそれ相応だろうが、今の今まで見かけたのは平木啓吾が所属していた部隊だけ、というのはあまりにも彼らの抱える負担が大きすぎる。

「実は最近、ディスィーストの動きが活発になっておりまして、一日前に偵察に出た部隊が消息不明に……」

 平木曰く、約一か月前から、西の方からディスィーストの大群がこちらに向かって大規模な移動をしており、そしてその進攻方向にあるのが自分たちの居住区は邪魔な存在なのだ。

 今はひっきりなしに攻め入られている状況であり、これは元を断たないといけないと偵察部隊を派遣していたのだが、約十九時間前に消息を絶ち、更にその部隊の捜索に派遣された自分たちの部隊も先ほど襲撃に会ってしまい、あえなく撤退してしまったのである。

「今は部隊の再編成をしているところです、その……時間がなくて」

 啓吾の視線の先には、ここの職員に先導され、外から拠点の中に入ってくる人たちがいた。

「奴らは西からこちらに侵攻してきたので、その進路にいた居住区の人たちがこの居住区に集まっているんです」

 増えた人全員を連れて撤退するのは難しく、この防衛力の落ちた拠点に攻め入られたらひとたまりもない。だからできることは「やられる前にやれ」、撤退が選択できないため、早く敵に対処しないといけない。

 ここに辿り着いた他の拠点の人々は皆うなだれ、虚ろな目をしながら、覚束ない足取りで理凰たちの横を通り過ぎていく。こういっては何だが傍目から見たら、亡霊の集団のように見え、その様子が彼らがディスィーストに齎された悲劇を物語っている。

 前に進んでいた初老の男の足が縺れて、目の前で転倒する。

「……大丈夫ですか」

「……ええ」

 転んだ男の横顔は魂を抜き取られたかのように顔面蒼白であり、心配して駆け寄ってきた理凰の顔を見ようともしない。

 そのすぐ後ろからを歩いてきた若い白髪の男が乱暴に腕を引っ張る。そこに他者に対する慈悲など微塵のない。

「ほら、立て」

 蹲っている男に冷酷な眼差しを向けながら、若い男は転んだ男を無理矢理立たせて、奥に進んでいった。

次から次へと生気を失った横顔が通り過ぎていく。

「次の作戦は必ず成功させないといけない」

平木の言葉は力強かったが、その手は震えていた。

ここまで見てしまった以上、見過ごすわけにもいかない。幸い自分には戦えるだけの力がある。

「俺にもできることがあれば手伝います」

「ありがとうございます」

 ここでまた会話が途切れ、互いに沈黙する。

「おーい!」

 そんな気まずい沈黙に横入りする明るい声。声のした方を同時に見ると、そこにいたのは大きく手を振りながらこちらに向かってくる男が一人。

「啓吾ここにいたのか、探したぜ」

「ああ秀、ごめん。この人案内してて」

「え、ああ、そうだったのか」

 ここで男は理凰に向き直る。

「相原秀だ」

「……式波理凰です」

「話は聞いているぜ、ありがとう。あんたのおかげで五体満足で帰ってこれたぜ」

 怪我はさっき啓吾の言った通り、心配するほどのものでもないようだ。

 ディスィーストと戦う人間の武器の一つ、二つめはワクチン。

約二十年前までディスィーストが増殖する方法は二つあった、一つは単為生殖での増殖、そして二つはディスィーストが体内で生成するウィルスに戦闘中などに感染、人間をディスィースト化させて、その数を増やしていた。

 しかし二十年前に開発されたワクチンにより後者での増殖することはなくなった。

 そしてそのワクチンは思わぬ副産物があった。それはワクチンの打ち込んだ者の体をディスィーストの身体機能に近づけるといったものだ。

早い話、身体能力と自然治癒力が向上された。流石に千切れた腕が生えたりはしないが、骨折程度なら完治に一週間もかからない程度の治癒能力を手に入れた。

 この闊達な相原という男も、自然治癒で復活したようだ。

「そういえば秀はもともと何の用でここに来たの?」

「あ、忘れるところだった。啓吾、作戦会議があるから集まれってさ」

「あ、うん分かった」

「……ここだけの話、結構やばい」

 さっきの明朗快活だった秀は鳴りを潜め、真逆の深刻なトーンだった。明るくなった空気が一瞬で重くなった。



「現在、およそ二百のディスィーストがこちらに向かっている」

 隊長らしき人物がモニターの前で説明している。どうやら彼も軽症で済んだらしい。

 そんな無骨な隊長らしき人物が紡ぐ言葉は、さっき啓吾と秀の二人に聞いた内容と同じ、逼迫した状況を伝えるものだった。

「次にこれを見てくれ」

 そういうと映し出されたのは、ワイバーンの死骸であった。その首の部分に空いた、二つの小さな穴。

「この穴が開いているディスィーストの体内からありえない量の覚醒物質が検出された。どうやらここから覚醒物質を注入されたディスィーストが狂暴化するようでな、そして、ディスィーストを狂暴化させ、その群れを率いているボスがいる」

 次にモニターに映し出されたのは、まず目を行くのが白い細腕、女性のようなしなやかで、雪のように白い美しい腕がある。

 だが問題はその数、人に例えると頭の部分に無数の腕が生えている。他にも背中から頭の腕よりも大きな腕が二対生えている。

 人の尺度で見れば生理的嫌悪感を催しかねない奇怪な姿の怪物、無数の腕を携えた巨人――。

「……ヘカトンケイル」

 この中の誰かが発した言葉に、隊長は頷いた。

「つまりこいつを倒せばいいんですね」

 秀の言葉通り、指揮官を倒せれば敵は烏合の衆となる。意志疎通が可能な人間ならいざ知らず、本能のまま動き続けるディスィーストならば、首魁を失った途端に戦術を取れなくなるという公算は高い。

「三時間後、残りの戦力でヘカトンケイルの討伐を開始する!」

 隊長の言葉で、完全に作戦方針が決まり、気合の入る一同。

それに対して、顎に手を当て深く思案に落ちている人物が一人――式波理凰である。

 理凰は自らの記憶を掘り起こしていた、ヘカトンケイルとは何度か戦ったことがあったのだ。

 あの腕は伸縮自在でかなりの射程がある上に、量も多い。また厄介なことに脳や心臓部などの器官は腕に覆われており刃や銃弾を届かせるのも一苦労、そして極めつけはあの細腕から繰り出される熱さ五十ミリの鉄板を引き裂く圧倒的膂力、他にも手から炎を吐くなどと全身が闘うために特化した、いわば天然の生体兵器。そこに下手な小細工は存在しない。

 理凰が知っているのはここまでだった。

故に周りのディスィーストを狂暴化させる能力は見たことがなかったのだ。単に自分がその光景を見るタイミングを逸したのか、はたまた突然変異した個体なのか分からないが、心に棘のようなものが刺さったかのような引っかかりがある。

 いずれにせよ、目の前でそう言った現象が起こっているのだから、信じるしかないのだが。

 心にわだかまりを抱えながら、理凰は出ていく隊員たちの後を追った。

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