Thanatos / fate of blood

未結式

第1話 黒の咎人



――躊躇うな 自らの爪牙を奴の首に突き立てよ



 夜の闇、それに同化する森、その二つが視界を暗黒に染め上げる。

黒の森の中は満月の光が枝葉の隙間から入っているだけで、決して見通しがいいわけではない。そんな漆黒の森の中を闊歩するのは、付近の居住地区を拠点としている自衛組織イグニスの防衛第一部隊。

その最後尾の平木啓吾はその身を震わせていた。勿論冷たい夜風のせい、というだけではない。

 彼が恐れているもの――それはこの森に巣食う怪物のことであった。

 この森には人を食らう凶悪な怪物がいる――今から約十六時間前、この山岳に出向いた偵察隊が全員消息を絶った、十中八九その怪物のせいである。

「おい啓吾、大丈夫か」

 足が竦み、隊列から少し離れてしまった啓吾を心配するのは、啓吾の幼馴染である相原秀であった。啓吾とは違い、いつ怪物が現れるかもわからない状況にも物怖じせず、先輩たちについて行っている――今も昔も変わらず秀の背中を追いかけるしかない自分とは雲泥の差だ。

 秀の背中を見て安心した一方で自分の不甲斐なさを再認識し、溜息をついたその時、一際大きい風が吹き、木々が騒めいた。

――刹那。

枝葉の間から差し込む月光が消え、一瞬辺りが完全に漆黒の闇に覆われた。

木々が一際大きく揺れる。そして無数の何かが折れる音、数多の音が異変の発生を告げている。

「うわああああああああああ!」

 直後、上に向かっていく鼓膜を割くかのような断末魔――突如として降り注いだ巨大な何かが、啓吾と秀の前の隊員を空に連れ去ったのだ。

全員が一斉に空を向くと、そこにいたのは――。

月光を遮っていた巨影の正体、それは巨大な翼だった。骨組みに薄い帆を張った巨大な翼を携えた飛竜――ワイバーンである。

その巨大な口には、さっき攫われた隊員が咥えられていた。

「わああああああああああ!」

 啓吾は連れ去られた隊員にも負けずとも劣らない叫びをあげて、挙句の果てには尻餅をついてしまった。

 御伽噺に出てくる怪物たち――ディスィーストがこの世に蔓延ってから既に半世紀。自分も今まで何度も対峙してきたものの未だにその圧倒的な存在感に縮みこんでしまう。

「総員戦闘準備!」

 隊長の掛け声で、我に返った。

 そうだ怖がっている場合じゃない。何とか立ち上がって、隊列に加わり、臨戦態勢へ。

 各々が身に着けている小さなアクセサリーを手にする。ネックレスを握りこむ者、ブレスレットを天に掲げる者、各々が、様々な方法で、多種多様な装飾品を敵の眼前に晒す、啓吾のはブレスレット。

 共通しているのはどれも艶やかな光を放つ宝石がはめ込まれていることたちが、その宝石が一際大きい輝きを放った。

その光が膨張し、拡張し、形を成していく、やがて光は実体を手に入れ、啓吾の震える手に顕現するのは身の丈ほどの大きさの大砲だった。

 他の隊員たちも光より生み出された武器を手にしていた、秀は刀、他にも槍や巨大な斧、全員が何もない場所から装備を手に入れた。

 神装――ディスィーストの出現と同時に発見された先史文明遺跡、そこから出土した超金属オリハルコンを錬金して製造された兵装。現在、脆弱な人間が人知を超えた怪物であるディスィーストに対抗するための最強の武装である。

 真相を展開した途端、自らの命を脅かす存在だと認識したのか、ワイバーンが大きく口を開いた。咥えられていた隊員が落下していく。

「いくぞ!」

 隊長の掛け声とともに、全員で攻撃を仕掛ける。

 ワイバーンは常に滞空しているため、こちらの攻撃手段は限られる。間違いなく接近戦は翼でもない限り届くことはない。

 しかしこの中で唯一、遠距離装備を持っているものがいる。

「頼むぜ、啓吾」

 そう自分である。

「平木隊員頼むぞ」

「……はい」

 自分を信じて吶喊する他の隊員たちのために、狙いをつけて、引き金を引いた。放たれた自らの神装から放たれた光線がワイバーンの翼を掠めた。

 掠めただけだったが、敵の飛行能力を奪うには十分だった。今まで天空を支配していた飛竜が墜落する。

「よくやった!」

 墜落したのと同時に落下点に近づいていた秀と他の隊員たちが、刀を、斧を、槍を振るった。

 だが三つの刃がその命に到達する前に――ワイバーンが吠えた。木々を揺らすほどの咆哮に一瞬全員たじろぐ。

 一瞬――そう一瞬である、それこそ瞬きの程の時間。しかしその一瞬は戦闘においては致命的。

 ワイバーンが翼を広げ、飛び立った。さっきの一撃では奴の翼を完全に手折ることはできなかったようだ。

再びワイバーンを墜とさんと、啓吾は狙いをつける。

だがそれよりも先に大きく開いた口腔が光輝を纏う、そして一秒も間を置かずにその光は放たれた。

「危ない!」

 異変にいち早く反応した啓吾は叫ぶが、時すでに遅し。

「ぐあああああああああ!」

 ワイバーンの口から放射される夜闇を照らす炎、逃げ遅れた隊員たちが橙の奔流に呑まれた。その火力は離れた位置にいる啓吾にも熱気が届くほどで、思わず顔を覆う。

 最終的に残ったのは自分だけになった、辺り見回せばさっきまでともに戦っていた部隊の先輩方が、死屍累々の地獄絵図の一部と化し、幼馴染の背中も燃え盛る火炎の中にいる。

 もう戦えるのは自分その事実を再認識した時、全身の震えが再発する。

炎に呑まれた隊員たちは苦痛に顔を歪め、立ち上がることさえもできないようだ、しかしみんな生きている。

全員を助けて、この局面を打開するには奴を一人で倒すしかない。

――できるのか、いややらなきゃ。

覚悟はある、だが足が動かない。踏み出そうとはしているのに、まるでセメントで固められたかのように前に動かない。

 踏み出せ、右足から。構えろ武器を、あいつを撃つために。

 思いとは裏腹に心音が加速し、比例式のように増えていくのと同時に、嫌な想像も増幅している。

 立ちすくんだ啓吾に対して――畳みかけるように茂みが搔き分ける音が聞こえる。しかもどんどん近づいてくる、また別のディスィーストだろうか。

 周りの茂みからから現れる敵に対処するのが先か、ワイバーンを優先して攻撃すべきか、どちらか決めあぐねているうちに、ワイバーンはこちら目掛けて降下し、森の茂みの中を疾走する音が接近している。

 二つの脅威に自分を板挟みにされ、判断能力が削がれる。だが逆に頭が真っ白になったことが逆に功を奏したのか、震えながらも反射的に大砲を構えた。

 啓吾がとった選択肢――それは最初にワイバーンを撃ち落とすこと。姿の分からない敵よりも、目の前の飛竜を撃ち落とすことを優先したのだ。

 何とか狙いをつけて、引き金を引いた。

 巨大な砲身から放たれる一直線の光は――ワイバーンの脇をすり抜けた。

 二射目、ワイバーンが身を翻して、難なく躱す。

 攻撃が当たらない、焦燥が啓吾に新たな焦りを生み、放つ攻撃から精緻さを奪っている。

 ワイバーンの口内が再び輝く、もう一度火炎の吐息を放とうとしているのだ。

 躱さないと。いや駄目だ、もしここで逃げたら、倒れている隊員たちに標的を変えるかもしれない。

 狙いをつけるためにワイバーンは急降下し、こちらに近づいてくる。ここで撃ち落とさないといけない、三度狙いをつけて光線を発射する。

だがワイバーンは大きな翼で光線を払いのけた。

「そんな……」

 ここでさっきまで遠くにあった、茂みを突き進む音はすぐそこまで迫っていることに気づいた。

 ワイバーンを倒せず、新たな敵の登場、この局面を覆す奥の手もない――気が付いたら森の中で膝を折っていた。

 身体が敗北を認めてしまったのだ。絶望が啓吾の足を縫い留めている。

 自分は目の前の飛竜も殺されるのか、それともこれから森に出てくる何かに襲われるのか。

 際限なく流出する負の未来を描いてしまう――だがその予想は大きく外れることとなる。

 茂みから飛び出したのは――人だった、片刃の大剣、バスターソードを背負った、黒衣の人間。

 その男は飛んだ、咎人が背負いし十字架にも似た大剣を背負っていることなど微塵も感じさせない軽やかな跳躍で、空中のワイバーンにいとも簡単に到達する。

 だがその切っ先が届く前に、発射体勢に入っていたワイバーンが火炎を吐き出した。夜闇に紛れそうな黒、しかし力強い黒点が炎に呑まれた。

 夜闇をいとも簡単に照らし出す光は黒衣の男を焼き尽くした――かに見えた。

 男は炎を目の前に逃げることもせず、そのまま真っすぐ突き進んだ。やがて赤の奔流を突き抜け、再びワイバーンの鼻先に到達する。

 一瞬――そう一瞬だった。ワイバーンは本能的に理解していた、この炎で、無謀にも夜空の支配者たる自分に挑んできた男を撃ち落とせると。

 しかしその未来は来なかった。今この場にいるのは自分の最高の攻撃を攻略した人間、そして必勝の一撃であると確信もとい過信していた自分。

――完全に虚を突かれ、本能が敗北を認めた。その証拠に体が金縛りにあったかのように動けなかった。

 男は背中の剣を振るった。たった一撃、無駄のない洗練された一撃は、ワイバーンの脳天から尻尾まで切り裂き、その生命に終焉を与える。

 ワイバーンの巨体が重力の軛に逆らえずに墜落し、大きな地鳴りと轟音を奏でる。

「うわっ!」

 舞い上がる土煙に思わず、啓吾は目を覆う。

 何が起こったのか。目の前の情報量が多すぎて、思考がかき混ぜられ、動揺を隠せない。

やがて土煙が晴れ、現れたのは――墜落した翼竜の上に立つ、黒の剣士。

 まるで名画のような光景に、思わず立ち尽くしてしまう。

 呆然とその姿を見つめていた啓吾に黒の剣士は振り向いた。

「……大丈夫ですか?」

 目の前で起こった光景と余りにも乖離した穏やかな言葉だった。

他人を突き放すような冷たさを纏っているものの、こちらを気遣うような物言いに一瞬戸惑いを覚える。

「は、はい……あの、貴方は」

 絵の中の人物に話しかけられ思考がてんやわんやになったまま、何とか絞り出した啓吾の言葉に、剣士は答えた。

「……俺は式波理凰です」

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