ひまわり



 足が速い。頭がいい。学級委員長をしている。


 小学生にとって、人気者になるために必要なことはいたって簡単だ。外面さえ良くしてれば良い。中身がどれだけどろどろしていても、かわいい笑顔を振りまけばそれは浄化される。紅茶に溶ける角砂糖のように、その独特な味を含みながらも見た目にはわからない。そもそも、小学生はそんなものの奥の奥まで理解出来ない。


橋本真優は人気者だった。足の速い瀬田敦希のように、常にクラスの中心にいるわけではないけれど、真優の周りには人が集まってきた。


「真優ちゃんしか、生徒会長はいないと思うの。」


実際、真優は頭が良かった。この町の小学校の子は、そのまま町立の中学校に進学するが当然の流れとなっているが、真優は周りから町外の公立中学を受験してはどうかと勧められている。実際、真優もみんなと離れるのはさみしいが、そんなに背中を押してくれるならと、隣町の学習塾に週に二回通い、受験対策をしていた。

真優という名前をそのまま表したように、真優は優しさにあふれた子だった。困っている人がいれば手をさしのべ、二人三脚のように一緒に走ってくれる子だった。クラスのまとめ役も引き受けるが、一人一人の意見を尊重し、決して独りよがりなリーダーではなかった。だから真優を悪く言う人はいなかった。


 夏休みがはじまる少し前。隣町から転校生がやってきた。


 西ありさは、透き通るくらい顔が白く、心配になるくらいほっそりとしていました。しかし、小さな顔に大きな黒い瞳が二つ存在を主張していて、少し子どもっぽいツインテールも彼女にはしっくりきました。彼女はとてもかわいかったです。だから、すぐにクラスの人気者になりました。休み時間の度に彼女の周りには人が集まっていました。笑うときゅっと細くなる目も、顔の大きさに合わない大きな口も、口元に持ってきた細すぎる指も、彼女の一挙一動にクラスのみんなは目を奪われていたことでしょう。ありさは、夏だというのに淡い色の薄手の長袖のカーディガンを羽織り、体育には参加しませんでした。身体が弱いそうです。それも彼女に箔をつけていました。放課後にクラスメイトが遊びに誘っても、ありさは兄弟の世話があるからとすぐに家に帰っていました。年の離れた弟がいるそうです。

 ありさは教師達にもすぐに好かれていました。ありさはあまり頭が良くないらしく、休み時間などに若林先生が図工室でつきっきりで教えている姿を何度も見ました。聞いたところによると、病気がちで、病院にいる期間が長く、そのためあまり学校に通えなかったそうです。若林先生とありさが一緒にいるのをみると、どこか心の奥がキュうっと締め付けられる気がしました。

私に公立中学を受験することを勧めたのは若林先生だったのに。


「ありさちゃんは向日葵みたいだね。そこにいるだけで周りを明るくする。」


 みんなが口々にそういうのを休み時間に聞いて、なんとなく教室に居場所がなくなった感じがして、真優は一人トイレにこもりました。おなかが痛みます。涙は出ないけど、気付いたら歯を食いしばっていたようです。授業中、ぼぅっと考えました。ありさが向日葵なら私は何の花なんだろう。


「真優、、真優!」


気付いたら、若林先生が名前を呼んでいました。どうやら私は授業で当てられたみたいです。でも全然話を聞いていなかったため、何を聞かれているのかわかりません。困っていると、


「頑張るのも大事だけど、ほどほどにな。」


そういって、若林先生は他の人を指名しました。


「真優、体調大丈夫?」

「先生、この部屋熱いよ~」


 みんな気を遣って、声をかけてくれます。本当は全然体調なんて悪くないです。ただただ、ぼうっと考えてしまうのです。


「たしかにな、でもそういうのは校長先生に言ってくれ!先生も熱いけど、冷房なんてこの学校ないんだよ~」


若林先生もおどけて答えるので、クラス中が笑いに包まれました。私は笑う気分じゃなかったけど、少しだけ口角を上げて、口だけで笑っているふりをしました。教室の一番前、ありさが大きく笑っているのを見ると、またおなかがキュうっと痛みました。


「真優、大丈夫か?」 

「すみません、ぼんやりしていて。」

「もし悩みがあったら先生聞くからな。何でも言ってくれ。」


なんでもいっていいのでしょうか。私の願いを先生は叶えてくれるのでしょうか。


「私は何の花に似ていますか。」


口から出たのは、思いもしない言葉でした。でも、先生はうーんと考えて、


「真優はマーガレットだな。常に優しく周りを見守っている。白くて純粋な花だ。」


そういって、先生はぽんぽんと頭を軽く撫でて、職員室に戻っていきました。


 あまり塾に行く気分ではなかったのですが、教室でも居場所がじわじわと侵食されていき、私に残っているものは頭のよさだけです。なんとか公立の中学校に合格しないと。私と先生を繋ぐものは公立中学校でした。

 そういえば、シャープペンシルの芯を切らしていたのでした。塾の前に、八十九十近いおばあちゃんが一人で切り盛りしている小さなお店があります。文具や駄菓子が、スーパーより何十円も安く置いてあります。一つ難点をあげるのならば、店主のおばあちゃんは耳が悪く、レジで大きな声でこれをください!と呼ばないと、レジをうってくれないのでした。そのお店で見てしまったのです。ありさが万引きをしているのを。おばあちゃんいるレジからは見えない棚にある駄菓子をさっと掴んでポケットに入れています。声をかけなくては。そう思いました。こんなことは良くない。と。でも、私は声をかけられませんでした。どうして、こんな意気地なしなのでしょう。自分で自分がいやになりました。ぼうっとしていると、店から出て行くありさとすれ違いました。


「、、、真優ちゃん」


 ありさの口調はクラスでいつも聞いているような明るいものではなく、おびえや困惑、いろんなものが混じったか弱い声でした。彼女は私がここで一部始終を見ていたことがわかったのでしょう。私は何も言わず、その場を離れ、塾に行きました。


「真優ちゃん!」


 ありさが後ろで名前を呼んでいます。でも振り返りません。自分の心臓がばくばく言っているのがわかります。私の持っていた正義感や勇気は、現実では全く役に立たない張りぼてでした。泣いているのか怒っているのかわかりません。ただ、熱く、何か激しいエネルギーが身体の中でぐるぐると回っています。ありさは追いかけては来ませんでした。


 次の日から、ありさは「真優ちゃん」と私と一緒にいるようになりました。私はどんな顔をしていいのかわからないけれど、クラスのみんなも周りに来るので、いやな顔はできませんでした。


「人気者二人がそろうと一気に華やかだね。」

「ありさちゃんも真優ちゃんもそれぞれ違う魅力がある」

「ありさちゃんは華やかだけど、真優ちゃんは落ち着いていてキレイ」


 みんな私のこともありさのことも褒めてくれているのですが、どうしても私は引き立て役なのではないか。彼女の輝きには勝てないのではないか。マーガレットは所詮恋占いの道具に過ぎないのだ。と思うようになりました。それと同時に彼女の罪を自分の中でとどめておくのが苦しかったのです。ぼうっとすることが増えて、勉強にも身が入りません。


「真優、本当に大丈夫か?」


放課後、若林先生が心配してくれました。もういっそ、こんな苦しいなら若林先生に打ち明けても良いのではないのでしょうか。言ったあとに起こるであろう、いろいろなことを考えました。悪い方向には行かないそう思いました。


「先生、、、あの、、、」


私が口を開いたとき、後ろから「真優ちゃん!」と私を呼ぶ声がしました。ありさです。


「探したんだよ。もう、一緒に帰ろうって言ったのに。」


そんな約束していないです。彼女の顔をまっすぐ見ました。彼女はわかっているよね。といいたそうな顔でした。でももう無理です。決めたのですから。


「先生実は!」

「帰るよ、真優ちゃん!」


そう言って、ありさは強引に私の身体を階段の方に向かわせました。病気がちな彼女からは信じられない強さでした。それ以上に、少し湿った薄手のカーディガンごしに彼女の腕の骨を感じました。すっと寒気が来るのがわかりました。ぐいぐいと引っ張られて、踊り場で私は手を振り払いました。


「なんで邪魔するの?」

「真優ちゃん、言おうとしたでしょ。若林先生に。」


当たり前です。だって悪いことですから。


「真優ちゃん、好きなんでしょ。若林先生こと。だから、悔しいんでしょ。」


訳がわかりません。ありさはこんな状況で何を言っているのでしょう。でも私はじわじわと追い詰められている気がしました。私の方が優勢に立っていたはずなのに。


「そんなことない。もう決めたから。先生に言うから。」

「なんでそんなことするの!」

「悪いことは悪い、悪いことをするから罰があたるんだよ。」

「なによ、優等生ぶって。良い子ちゃん面して。」


 普段のありさからは信じられないくらい、激しい言葉です。もう何を言っても無駄だ。そう思って、階段をずんずん上ろうとしました。しかし、私の身体をありさが掴みます。


「はなしてよ」

「やだっ」


 足場の悪い階段で、ありさは必死に私を止めようとします。私はもう、絶対にこのことを言わなくては。彼女が必死になればなるほどそう思うのでした。


「もうはなしてっ」

 

そう思って思いっきり身体を前に出したとき、

 

「あっ」と小さな声が後ろから聞こえました。無視して階段を上ると、下の方で大きな何かが落ちる音がしました。吹き抜けから下を見ると、ありさが倒れていました。


「ありさ!」


私は階段を急いでおりました。私がありさにつく前に、若林先生がやってきました。


「大きな音がしたから来てみたんだけど、どうしたんだい。」


優しい、大きな顔がこっちを向きます。こういうときはどう言えばよいのでしょう。大きく肩で息をします。


「一緒に階段を上っていたら、ありさがバランスを崩して階段から落ちた。」


言っていることに嘘はありません。私が必死で息をしている中、ありさはうんともすんとも言いません。


「先生、どうしよう、ありさ」


私は慌てます。だって、私は彼女と最後に一緒にいた人間なんだから。いろんなことが頭の中をぐるぐるしています。


「先生に任せなさい。」


そういって、先生はありさをお姫様だっこしました。


「このことは他には言ってはいけないよ。」


そういって、また先生は私の頭を撫でました。少しだけ、お姫様だっこをされたありさがうらやましいかった。そう思ってしまう自分がいやなのでした。


次の日からありさは入院することになりました。みんなはありさが学校に来ないことを口々に悲しんでいました。お見舞いに行きたいという生徒もいたのですが、しばらくは一人でゆっくりさせておいてあげておいて欲しい。ということで、どこの病院に行ったかもわかりませんでした。私は若林先生の顔を見ることが出来ませんでした。今日は終業式だったので、午前中で帰れたことが唯一の救いでした。


終業式から五日後、塾から帰るとお母さんから「真優のクラスの子が行方不明らしいのよ。」といわれました。名前は聞かなくてもなんとなくわかっていました。「ありさちゃんって子らしいよ、転校生の子だっけ」心配ね。というお母さんはどこか上の空のようで、夕飯のコロッケを揚げるためにキッチンに戻っていきました。

 学校の水やり当番にいくと、クラスの子だけでなく他の学年の子もありさの心配をしていました。花壇の向日葵をみるとありさを思い出しました。どこにいるのだろうか。どこかほっとしたような気もします。桜の木の下には死体があると言います。死体を栄養にした桜は、異様な美しさをもつようです。例年にもなくキラキラと輝く向日葵の下に、ありさはいるのでしょうか。私は根元に水をかけて、土の色を変えていきました。

 

しかし、向日葵の輝きはあっという間に台風によって奪われていきました。そんなものなのです。きっと。そして、ありさが見つかりました。学校の近くの花壇の用水路に遺体となって発見されたようです。そして、若林先生が逮捕されたというニュースが流れました。


 ニュースを聞いた次の日、全校集会が開かれました。校長先生は詳しいことは言わなかったけれど、世間では正しい情報が出回っていました。ありさから若林先生のDNAが見つかったそうです。そして、ありさは虐待を受けていたようです。


 先生と私は互いに秘密を持っていて、何の罪かはお互い言っていないけれど、罪を共有している気分になりました。


「真優も辛かったでしょ。」

家に帰るとお母さんが、抱きしめてくれました。おなかがキュうっと痛みます。トイレに行くと、血が出ていました。そのことを母に伝えると、またお母さんは私を抱きしめました。


 そこからのことはあまりしっかり覚えていません。変わりの先生が来て、知らない大人が来て、ぐちゃぐちゃになっていた花壇はさらにぐちゃぐちゃになって。向日葵とは違う、落ち着いた色の花がたくさん学校に来ました。私は、特に何も聞かれることはありませんでした。クラスの子と同じように、悲しんで、泣いて、黙祷を捧げていました。


 そして、私は町外の公立中学を受験して、そこに通うようになり、町から離れていました。確かに事件のことは聞かれます。でも、心ここにあらずの返答をします。そうしていくと少しずつ、少しずつそのときのことは忘れていったのです。


 正義感が幸いしてか、私は県の職員になり、児童福祉課に所属されました。通報のあった現場に向かったり、県内の学校で親向けにセミナーをしたり、ネグレクトという言葉では片付けられないような、もっと大きな黒いどろどろしたものと向き合ってきました。


 運命というものはあるものです。私の卒業した小学校でセミナーをして欲しいと頼まれました。普通は町の職員が対応するのですが、卒業生の活躍と言うことで私に白羽の矢が立ったのです。

 卒業してから二十年近く経ちますが、障害児用の教室が出来たり、バリアフリー化したり、教室数が少なくなった以外は小学校は変わっていませんでした。パソコン室に向かう階段では、踊り場から花壇が見えました。ちょうど夏だったので、向日葵が綺麗に咲いていました。そしてその横に小さな石碑がありました。私達が建てたありさのための石碑です。あのとき、生徒会長だから。という理由で、私が宣言を述べることになりました。あのとき私は泣いていたのでしょうか。九月の暑い日。まっさらになった茶色い花壇。ありさはどこかで私の宣言を聞いていたのでしょうか。


 夢を見ました。階段を上る夢。踊り場の窓からは黄色い大輪の向日葵が見えます。向日葵は見られるものではなく、向日葵が見守っているものなのです。私は向日葵に見られているのです。そこにはありさもいたのかもしれません。一人で階段を上ります。上っても上ってもちっとも上に上がらない。息だけが上がります。


次の日、明るい朝日が差し込む階段の踊り場。冷たくなった県の職員が発見されたようです。

職員は踊り場の窓の方を向いて倒れていたようです。

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