エピローグ

エピローグ1



 タクミと相談した結果、この事件のその後は、ぼくが書くことになった。タクミはセラピスト協会の仕事で忙しいからね。ぼくのせいなんだけどさ。


 ぼくはあのあと、試験が中止になった。急きょ、ホスピタルに入院だ。毎日が退屈なので、ヒマつぶしにちょうどいい。


 昨日まで、ナースの目を盗んで、タクミの手記を読んだ。このあとのことを書いとかないと、そのうち何年か経つと、細かいこととか忘れてしまいそうだしね。


 タクミは自分への戒めとして残しておくつもりみたいだけど、ぼくはぼくで、これっておたがいにあてた長いラブレターみたいかなと思う。二人のIDでだけひらくファイルにして、パソコンのなかに封印しておくことにする。


 ファイルの名前は、グラスマーメイド。


 今は四月の終わり。

 ぼくはホスピタルの個室のベッドの上で、これを書いている。


 なんで試験が中止で入院なのかというと、ぼくがイヴォンヌからマインドアタックを受けていた事実が判明したからだ。公正な条件での試験ではなかったと協会が判断した。一週間以上、マインドコントロール状態にあったぼくは、検査とケアのために入院の運びとなった。退院後の処遇は、タクミが協会のえらい人と話しあってる。検査の結果が良好みたいなので、二、三日以内には退院できるだろう。そのころには結果も決まってるって話だ。


 さて、ぼくらがひっそり抱きあってる最中、森のなかでは一大逮捕劇がくりひろげられていた。ダグレスたち刑事で、イヴォンヌとドルルモン監督を、ヨアヒムとインターポールで十三号棟の怪人を。

 タクミがぼくの……というか、ぼくに取り憑いたイヴォンヌの気をそらしてるうちに、捕まえようって計画だったらしい。


 作戦は成功して、彼らは捕まえられた。世間にはレマ・フィッシャー殺害容疑でってことになってるけど、ほんとは違う。ヨアヒムの担当してる任務が、ネオUSAから逃げだした実験体の身柄確保だったのだ。


 もちろん、M酵素のキャリアに外をウロつかれたら、市民が危険だからだ。幸か不幸か、イヴォンヌの本体は五十年間、一歩もこの森を出ていなかった。だから、感染を広めることはなかったんだけど、地球を人間の住めない星にしたウィルスだからね。放置はできない。逃亡者のことが世間に知れ渡る前に確保してほしいと、アメリカ政府から任命されてたみたい。


 ヨアヒムは逃亡した実験体が機械をあやつる能力を持ってたので、この森に目をつけた。しばしば、この第七森林用地のコンピューター回線から、各都市の機密に不正アクセスしてる形跡があったからだ。狙いはお見事、的中だった。


 イヴォンヌの戸籍上の夫フィリップは、ただのアルフレッドの愛人で、彼らの事情をまったく知ってなかった。だから、なんの処罰もないけど、とうぶん、マスコミに追いまわされるだろうなぁ。

 なにしろ、これだけの大事件なのに、当事者の監督やイヴォンヌが公開裁判にかけられることもないし、マスコミは真相を知りたくて、やっきになってる。


 でも、イヴォンヌは五十年のハッキングで得た国家機密をたっぷり抱えてる。それはもう肥え太ったヒルのように、コロッコロ。監督も同様だ。

 なので、二人が衆人の目にさらされることはない。


 二人は自分たちの処刑を望んでいるという。死ぬときはいっしょにというのが、二人の要望なのだそうだ。


 イヴォンヌと監督が抱きあってガス室へ送られるところを想像して、ぼくは少し悲しくなった。


 そりゃ、ぼくだって、あのまま自分があやつられてたらイヤだけど、長いあいだ、あの人と深く感応してたから、わかるんだ。あの人に外の世界を焦がれさせたのが、誰なのか。


 イヴォンヌが生まれつき持ってたのは予知能力だけだった。何度もあの人の見る夢のなかで、ぼくも見た。

 あの人の予知夢。あの人が見た未来のなかには、いつも、ぼくとタクミの姿があった。あの森でぼくたちがすごした二十日あまりを、あの人は研究所の冷たい独房のなかで、くりかえし夢に見たのだ。


 ぼくの発するエンパシーのせいだったかもしれないし、あの人自身がそういう未来に憧れたせいだったのかもしれない。


 明るく笑う、ごくふつうの可愛い恋人たち。


 あの人はほんとは海の魔女ではなく、自分も人魚姫になりたかったのだ。

 深い暗い海の底から解放されて、光の世界へ旅立っていく人魚姫が、心から羨ましかった。たとえその恋は実らず、最期には泡となって消えてしまうとしても、それでも、絶望のくびきから放たれ、思いのままに生きることができるなら、あの人は本望だった。


 それほどに無惨だった、あの人の半生。


 あの人自身はその呪いに捕まって、一生、人魚姫にはなれないことを知っていた。


 もしかしたら、童話の魔女は、王子を恨んで泡になりきれなかった、人魚姫のなれの果てなのかもしれない。絶望と憎悪だけが黒く凝りかたまって、変貌してしまった、もう一人の人魚姫。だから、自分の妹の人魚たちに残酷な魔法をかけていく。


 もし、あの人があんな恐ろしい魔法で、ぼくを苦しめなければ、もし最初から、事情を話して協力をお願いしてくれてたら、ぼくだってナイショで、あの人だけはクローン体へ記憶を写してあげてもよかったのに。


 醜い魔女に変異してしまった姿を、誰にも見られたくなかったからだろうか?

 もしそうなら、誰よりも恐ろしい魔法にかけられていたのは、魔女自身だったのだ。


 あの人は一度でも、研究所の檻のなかから、ほんとにぬけだせたことがあるのだろうか? ただの一瞬でも悪夢から覚めることが。


 ぼくがタクミのおかげで魔法を打ちやぶることができたように、あの人にとって、ドルルモン監督の手が、魔法を解くメリクリウスの杖だったのだと信じたい。


 もうこれ以上、あの人たちについて書くことはない。もしも処刑の日取りが決まっても、ぼくはここには書かないでおこうと思う。思いだすと、きっと悲しくなるから。

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