6—3


 苦いような笑みが、あどけなさの残るユーベルのおもてに宿る。


「機械なら、あやつることができるから」

「ここで出会ったんですよね? あなたとドルルモン監督は」

「そうよ。ほかの誰もがわたしを化け物だと罵った。なのに、あの人だけは違っていた。アンリは変わり者ね」


「今なら、監督が僕に言ったほんとの意味がわかります。瀕死の悲劇の王女。美のかけら。あなたの美を生き返らせたいと、監督は願った。友人のDNAデザイナーであるウォーレンさんの助けを借りて、突然変異したあなたの塩基配列を正常に組みなおし、クローン体を作成した。だが、記憶を写すことはできないから、自分自身の専門技術で人工知能を作って、クローン体にロボトミー手術をほどこした。あなたは今、同時に三体をコントロールしてますよね? あなたの本体、クローンのイヴォンヌ、ユーベルの体」

「さすがに疲れるわ」


「そうでしょうね。そんな苦労をしてでも、あなたはユーベルの体が欲しかった。ユーベルの能力がね。あなたは機械を統べる力でハッキングもできるんでしょう? この森にいながらにして、国家機密を手に入れられる。あなたは以前から、ユーベルがエンデュミオンだと知っていた。トリプルAランクのエンパシストだから、その動向に気をくばっていた。すると、彼は不慮の事故で亡くなり、同時にクローン体が目覚めた。しかも、そのクローン体はオリジナルの記憶を持っているらしい。自分のエンパシーで記憶を複写したんじゃないか。その疑念は、ユーベルの能力を知っている人間なら、そくざに思い浮かぶ。

 だから、あなたはユーベルをこの森へ呼んだ。ユーベルはエンデュミオン事件のときのことでもわかるように、所有する能力の強大さにくらべて、精神は未成熟だ。自分より強い個性に感応したとき、そのパーソナリティに容易に感化し、主導権をあけわたしてしまう。あなたは自分になら、ユーベルをあやつれると確信していた。ユーベルの能力を使って、あなたのオリジナルの記憶を、新たなクローン体に写しとるためではなかったですか? オリジナルの体をすて、今度こそ、完全に生まれ変わろうとしていた」


 彼女は答えない。

 消え入りそうな笑みを、ほのかに浮かべる。


「もう少しだったのに、いじわるね」


 彼女の悲惨な半生を思うと、僕は自分がどれほど残酷なことをしているのか痛感される。心苦しい。でも……。


「すみません。だけど、僕にとって、とても大切な人なんです。ユーベルを返してください」

「イヤよ。返さない」


 そう言ったとき、彼女の顔は、ふたたび魔女になっていた。


「この子の人魚姫、ほんとにチャーミングだったわね。儚く海の泡となって消える、あわれで美しいお姫様。わたしも、こんなふうになりたい」


 僕の胸に爆風のような衝撃波が襲ってきた。念動力だ。ユーベルの能力で攻撃してきたのだ。


 真正面からそれを受けた僕は、二、三メートルもふきとばされた。体術を会得していなければ大ケガをしてるところだ。とっさに僕は受け身をとって、しのいだ。受け身の態勢から一回転して立ちあがる。


 彼女は展望台の柵を乗りこえて、とびおりるところだ。地面まで十メートルはあるが、月重力だ。念動力でバランスをとって、難なく降り立ち、そのまま木々のあいまへ走っていく。


 月重力でなら、僕にだって十メートルくらい跳躍できる。ユーベルの白いワンピースが木立ちのなかへ消える前に、柵をこえて飛んだ。いったん、五メートル付近にある枝を足場にし、そこから二度めの跳躍をして着地する。緑陰に吸いこまれそうな白いワンピースを追っていく。


 彼女がどこへむかっているのか、想像はついた。彼女の本体がいる場所だろう。


 昨日、イズミに管理人室のデータを調べてもらってわかったのだが、十三号棟をこの五十年間、借り続けているのは、ドルルモン監督の顧問弁護士だ。保養所と銘打っているが、誰かが泊まりにきた形跡はない。そのくせ、月に二度、契約農家が缶詰やレトルト食品を大量に運びこんでいる。衣類などの日用品は、おそらく監督かイヴォンヌ自身が森に遊びにきたとき、持ちよっていたのだと思われる。


 イヴォンヌの本体——番号で呼ばれていたその人は、まちがいなく、そこにいる。魔の十三号棟のウワサは根も葉もないデマではなかったのだ。


 今、そこへ、ユーベルを呼びよせて、どうしようと言うのだろうか? まさか、自分の望みが叶わないなら、ユーベルを道づれにして死のうとでも言うのか?

 それとも、ユーベルのPKを武器に、本体ともども逃亡するつもりか。

 どっちにしろ、そんなことさせるわけにいかない。


 僕は全力で彼女のあとを追った。


 木立ちのなかは光をさえぎられ、まるで海底をただよっているような気分になる。けんめいにユーベルを追いながら、妙な錯覚におちていく。


 ユーベルは王子を殺すことができず、海に身をなげた人魚姫で、僕はそうなって初めて自分のあやまちに気づいた、まぬけな王子だ。今にも泡になって消えそうな人魚姫をつかまえようとしている。


 でも、なぜか、彼女は立ちどまらない。呼んでも、呼んでも、ふりむきもせず、海藻や珊瑚の森の奥深く逃げていくばかり。


 そうだ。僕がまだ、彼女の呪いをとく呪文を言っていないから——


 ようやく、手が届く。

 僕は人魚姫にとびつくと、そのままの勢いで叫んだ。


「君を好きなんだよ! ユーベル、聞こえてる? 戻ってきてくれよ!」


 二人の波長が重なりあう。エンパシスト同士だけが感じることのできる深い共感。


 僕は一瞬で、ユーベルの内世界に立っていた。


 ゆらめく水。


 人魚姫は悪い魔女に囚われて、海底の岩屋に閉じこめられていた。水色の瞳からこぼれる涙が、真珠の粒となって、ころがりおちていく。

 フジツボだらけの鉄格子のすきまから、僕は彼女にむかって手を伸ばした。


「お願いだから、帰ってきて。君がいない毎日なんて、僕には耐えられない」


 声を失った人魚姫の唇が、言葉を形作る。


 ——ぼくを好きって、ほんと?


 そう告げている。


「君が大人になったら言うつもりだった。君は僕の特別な人だって。患者や友達としてじゃなく、君が君だから、好きなんだって」


 微笑したユーベルの手が、僕の手に重なる。


 その瞬間、二人のあいだをさえぎっていた鉄格子は、溶けるように消えた。


 幻想の世界は去り、現実の森のなかに僕らは立っていた。

 滝のように涙をあふれさせながら、ユーベルは僕の首に腕をからめてしがみついてくる。感情の奔流が言葉を奪い、ユーベルは小さな子どものように泣きじゃくる。


「……おかえり。ユーベル。悲しい思いをさせて、ごめんね」


 あの人とユーベルのあいだの感応は解けていた。

 もう大丈夫。つらくて苦しい悪夢をふりきって、ユーベルは自分でふみだしてきたのだ。


 泣き続けるユーベルを、僕はただずっと抱きしめていた。

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