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 なので、僕はその日、一人で三号コテージを訪ねてみた。アルフレッドの葬儀のあと、ドルルモン監督がずっと、そこに泊まりこんでいることを知っていた。監督と話してみたかったのだ。


 十時なら、まだイヴォンヌとその夫は眠っている時間帯だ。そのころを狙って僕が行くと、思ったとおり、監督だけがウッドデッキでコーヒーを飲んでいた。


「おはようございます。監督」


 声をかけると、きさくに手をふってくれる。

 じつを言うと、僕はこのときまで監督と、ろくに話したことがなかった。イヴォンヌといるときの彼は、おとなしく目立たないおじさんだ。仕事をしているときは、また違うのかもしれないが。


「散歩かね」

「ええ、まあ」


 てきとうに話をあわせておいて、僕はあたりさわりのない世間話から、捕まったニコラのことへ話題を移していった。知った人が犯人だなんて怖いですねとウワサ話をしたあと、ようやく本題だ。僕は「監督の映画、見ましたよ」と、ミーハーなファンのふりをして切りだした。


「監督の映画の多くは、ヴェラさんが主演ですね。ほかの俳優が主演の作品もあるけど、ヴェラさんの主演作にくらべたら、作品に対する愛情が違いますね」


 世界を代表する大監督に失礼なセリフであったが、彼は笑っていた。


「そりゃ当然さ。私はイヴォンヌを愛しているからね」


 今はもう妻ではない人に、屈託のないラブコールを送っている。


「それはもう作品を見たらわかりますよ。ときには映画としての出来を二の次にしても、ヴェラさんの魅力をひきだすことに専念されてますよね?」

「君はなかなかするどい批評家だね。そうだよ。そこが私の映画の欠点だ。だが、長所でもあると、私は思ってる」


 はははと笑いながら答える。

 少し話しただけだが、人のいいおじさんだ。作品の感じから言って、もっと厳格で、しかつめらしい人かと思っていた。どっちかって言うと、彼が初期に撮っていた笑えるSF映画のほうが、本来の監督の人柄をよく表している。イヴォンヌの妖艶な魅力をきわだたせるために、今のような映画を撮っているのかもしれない。


 僕は調子に乗って、もっとふみこんだ質問をしてみる。


「監督はヴェラさんと出会ってから、とつぜん正反対のタイプの映画に路線変更されましたね。やっぱり、ヴェラさんを見て感性に響くものがあったからですか?」


 ドルルモン監督は、当時のことを回想するように目を細めた。

 僕はモラルあるセラピストとして、無断で人の心を読まないように、いつもマインドブロックを形成している。でも、ほんのときおり、相手の思念が強すぎると、まれにブロックをやぶって、その思いが届いてくることがある。そんなことはめったにないが、監督の思いがそれほど強かったのだろう。監督の心にあふれる衝撃にも近いような、ヴェラへの深い愛情が伝わってきた。


「彼女は悲劇の王女だった。傷ついて一歩もふみだせない瀕死の遭難者だ。秋風に舞う木の葉のように、今にも崩れてしまいそうだった。だが、同時に私は彼女の持つ美の片鱗に打たれた。この人は美しい。この人を輝かせることができるのは、私だけだと」


 監督の脳裏に浮かぶ、吸いこまれそうな魔力を秘めた黒い瞳が、僕のなかにまで流れこんできて、視界いっぱいをふさいだ。霧にぬれたような漆黒の髪……。


 僕は怖くなって、監督の思念から逃れることに全力をつくした。僕の努力の賜物と言うよりは、監督が我に返ったので、妖しい映像は消え失せた。


 ほっとして、僕はなんとか気のきいたセリフを口に出そうと努める。


「大女優ともなる人は、無名のときから特別な魅力があるんですね」


 監督は微笑してコーヒーを飲みほした。


「私はイヴォンヌの願いを叶えてあげたい。ミス・デュランヴィリエの出演の件、いずれ、ご両親にごあいさつに行くつもりだ。君にも了承してもらいたいものだな。トウドウくん」


 困った話になってきたので、僕は生返事でごまかし、二号コテージへ逃げ帰った。


 それにしても、さっきの監督の回想。霧のなかのヴィジョンだった。もしかしたら、監督とイヴォンヌが初めて出会ったのは、この森だったのかもしれない。だから二人は思い出の場所へ休暇をすごしにやってくるのだろう。


 僕が二号コテージに帰ったとき、二人の客が来ていた。ジョナサンとギャラハドだ。

 もうじき四月が終わる。出資者のニコラが逮捕されたので、四月いっぱいでひきあげるからと、お別れを言いに来てくれたのだ。

 ギャラハドはいつもどおりの憂い顔だが、ジョナサンは浮かれて、こう言った。


「いやぁ、まいったなぁ。もうちょっとで、おれらの研究まとまるとこだったのに、代表者のニコラがいなくなるんじゃ、卒論、まにあうかなぁ」


 よっぽどニコラに恨みを持ってたんだろうな。喜びがにじみ出て隠せない。


 僕は苦笑した。


「刑事さんは許可してくれたの? 森から出ていいって?」

「その点はおれらが学生だから、早かったですよ。みんなアテネの寮住まいだし、見張りやすいんでしょ。卒論が仕上がるまで、大学と寮の往復だしね」

「監視つきならオッケーなのか。僕らも四月末までの予定なんだよね。今日はもう二十五日か」


 月末までに事件が解決するだろうか? いや、させなければならない。でないと、ユーベルの生存権が剥奪はくだつされてしまうかもしれないのだ。

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