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 兄は口笛をふいた。


「おっと、タクミくん。はりきってます。犯人捕まえるとか言いだす気だな。誰がおまえのスイッチ入れたよ。やっぱ、ユーベルちゃんか?」

「ぎゃあ、兄ちゃん。ユーベルに手出したら、怒るからね」

「もう出しちゃった」

「ウソばっかり! この前だって、兄ちゃんがあんなこと言うから、よけい事態がややこしくなったんだぞ。兄ちゃんのバカ!」

「へえ。兄ちゃんの悪口言うのは……この口か!」


 むにっと両手でほっぺをつかまれて、僕は黙りこんだ。

 この人に逆らうと、ろくなことがない……。


「いやぁ、おれ、あの子だったら本気で結婚してもよかったんだけどな。まあ、せいぜい、がんばって犯人捕まえてくれ」

「あれっ。反対しないんだ。もしかして、兄ちゃん。犯人の目星ついてるの?」

「いや。おれを襲ってきたやつが素人だったからさ。格闘技どころか、まともにケンカしたこともないんじゃないかな。アイツが三件の殺人犯なのかどうかはわからないけどな」


 兄からはこのくらいしか情報を得られなかった。でも、この会話から察すると、殺人事件と兄の任務は関連がなさそうだ。それだけでも多少の進歩だ。


 僕が立ち去ろうとすると、イズミはとうとつに真剣な面持ちになった。


「タクミ。ムチャするな。この事件、見かけ以上に複雑な気がする」


 ISGの勘だろうか?


 僕は兄と別れ、試験官に前日の報告を終えてから、二号コテージに帰った。

 そのあとはユーベルにつきっきりだ。ルナはホスピタルに戻ったし、記憶もハッキリしてきたので治療の必要がなくなった。


 ちなみに、ルナの欠落していた記憶というのは、機材を倒して逃げていく女の姿だ。女は顔を隠していたため、明言はできないが、おそらく、レマ・フィッシャーだろうと、ルナは言っている。

 自分の命がおびやかされていると感じたルナは、記憶障害におちいったわけだ。


 その日の午後、僕はユーベルをつれて三号コテージを訪問した。ルナについて、知らせておくべきと思ったからだ。


 僕らが訪れたとき、三号コテージの住人たちはあわただしい最中だった。解剖から遺体が返ってきたので、午後からウォーレンさんの葬儀があるのだという。その出席の準備をしていたのだ。


「お忙しいところ、すみません」


 付き人と友人を立て続けに亡くして憔悴しょうすいしているかと思っていたのに、大女優はあいかわらず映画のワンシーンに生きている人のように、どこか現実を超越して美しかった。もちろん、ウォーレンさんの死を悼んで涙を浮かべてはいたが、それさえも彼女のための特別仕立ての装飾品のように見えた。


 むしろ、彼女の夫のフィリップのほうが痛手を受けている。ずいぶんやつれて病人のように見える。僕が弔辞を述べると、いきなり、くずれおちるように泣きだした。なんだか、夫を亡くした未亡人みたいだ。


「ごめんなさいね。この人とアルは親友だったのよ」


 めずらしく、イヴォンヌのほうが夫を気遣ってる。

 二人だけでは心配だったからだろう。ドルルモン監督が来ていた。


「すまないね。そういうわけで、我々は急いでいるのでね」

「はい。すみません。手早く話します。ルナですが、記憶が回復しました。あとは最終検査を受けるだけですから、まもなく撮影に復帰できますよ」


 ルナのことには関心の薄いイヴォンヌだが、復帰と聞いて、さすがに反応を示した。


「あら、そう。あの子いったい、なんで、あんなことになってたの?」


 僕はこの人の魔女っぽい妖艶さが苦手なのだが、今日はまともに会話が進んで助かる。


「ルナの事故はフィッシャーさんがしたことだったんです。それで身の危険を感じて、本能的に撮影現場をさけるようになっていたんでしょう」

「まあ、レマったら、そんなことしてたのね」


 女優は黒真珠のように美しい瞳をみひらいた。僕がこの人を苦手なのって、感情表現がオーバーだからなんじゃないかな。現実離れして見えるのも、そのせいだろう。日常のなかでも演技しているように思えてしかたない。


「でも、それもこれもすんだことね。これで安心して撮影できるわ。ねえ、ユーベル」


 イヴォンヌはユーベルのことをあきらめていないらしい。


 僕はユーベルが断るだろうと予想していた。が、ユーベルは小さくうなずいただけだ。ユーベルがほんとに女優になりたいのなら、僕はもう反対しない。でも、手記を読んだかぎりでは、そうではなかった。


「ユーベルは未成年です。ご両親の同意がなければ、出演契約はできません。それにユーベルはセラピスト協会の保護監察対象です。協会の決定なしに就業はできません」


 もっと早くにこう言っておくべきだった。

 ユーベルがまだ保護監察中だということを内密にしておかなければならなかったから言えなかったが、もし、フィッシャーの嫌がらせがなければ、ユーベルの症状はもっとかるくてすんでいたかもしれない。


「あら、まあ。残念。でも、ここにいるあいだは遊びにきてね。また、すぐ戻ってきますから。だって、ねぇ、ユーベル。あたくしたち、友達ですものね」


 いつのまに大女優と友達になったのか。まあ、ここは言い争うほどのことではない。笑って手をふっておく。


 外に出た僕らは、まっすぐ二号コテージに帰ろうとした。だが、ほとんど進まないうちに、コテージとコテージのあいだのまばらな木立ちのなかに人影を見つけた。まるでストーカーみたいに熱心に、三号コテージを見つめている。窓辺にイヴォンヌの姿があった。


 僕は近づいていって、彼の肩をたたいた。


「やあ、ギャラハド。そんなに熱心に何を見ているの?」


 ユーベルの手記に変人として出てくるギャラハドだが、のぞき趣味まであったんだろうか?


 僕に問われて、へんくつそうな表情で、ギャラハドは目をそらした。


「いいだろ。イヴォンヌのファンなんだ」


 ファンというわりには、たったいま三号コテージから出てきた僕らに、イヴォンヌと何を話したのかとか、ようすはどうだったかなどは聞かず、そそくさと去っていく。


 ちょうどいい機会だったので、僕はギャラハドの背中に呼びかけた。


「今から一号コテージに遊びに行ってもいいですか?」


 ギャラハドは迷惑そうな顔をした。が、ちゃっかりと僕はついていく。ユーベルもだまって追ってくる。


 アルフレッドが殺されたのは偶発的なものかもしれない。残るレマとメリンダに、何か共通点があったのかどうか知りたい。殺人犯が二人を襲った理由が、ほんとに若い女というだけだったのか。それ以外に理由があるとしたら、犯人を見つける手がかりになる。学生たちから、メリンダについて聞いてみたかったのだ。

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