タクミの手記

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 ついさっき、ユーベルの手記を読みおえた。

 これ以前にも、いずれ提出しなければならない報告書のために、ユーベルの行動を観察した日記は書いていたものの、ここからはより直感的な機微まで記しておけるよう、僕もユーベルのように手記にしておこうと思う。そのほうが将来的に公にできないことが起こったとき、容易に破棄できる。


 それに、いつか、これをユーベルに読んでもらわなければならないかもしれない。彼の身に何が起きつつあり、それについて僕が何を感じていたのか理解してもらうために。

 そう。これはユーベルにあてた記録だ。


 まず、最初に断っておかなければならない。

 ユーベルの手記にあった僕の優柔不断な態度についてだ。今さら言いわけがましいが、僕にはどうしても、それを内密にしておかなければならない理由があった。

 しかし、そのために、ユーベルをここまで追いつめることになるとは、当初の僕には、まるで想像もできていなかった。


 彼が(彼女と書くべきなんだろうが、あえて僕はこの手記のなかでは彼と書く)僕を慕ってくれてることは知っていた。彼は主人的立場にある保護者に依存することで生きてきた。僕から引き離されたとき、多少の弊害は生じるだろうと予想してはいたが、ここまで深刻な症状を発症するとは思わなかった。


 いくつかの不幸なぐうぜんが重なったためとは言え、結論から言えば、彼をもっとも追いつめたのは僕だ。それについて、今はひじょうな悔恨をいだいている。


 正直に言えば、ぼくがユーベルを森に誘ったのは、彼を自立させるためのセラピスト協会の試験だった。ユーベルはルナの監察だと思ったようだが、じっさいにはユーベル自身の処遇を決める最終試験だったのだ。


 ユーベルが僕と生活するかぎり、正常な生活を送れることは、オリジナルの彼の監察期間に、すでに証明されていた。ただし、誰の目から見ても、彼が僕に依存していることは明白だった。


 セラピスト協会はオリジナルの記憶をとりもどしつつあるユーベルに対して、このような試験を望んだ。

 つまり、彼が僕から遊離されたとき、正常な精神状態を維持しうるかどうかだ。以前のような事故を起こさず、困難に対処できるか。


 これはユーベルほどのESP能力を持つ者にはさけられない命題だ。かつてのような事故を、もしまた一度でも起こせば、ユーベルは危険能力者として幽閉されることになる。一生、鉛の部屋から外へ出ることは許されず、誰とも会うことすらできない。そんな状態が生きていると言えるだろうか?


 ユーベルに残されたチャンスは、今回のこの試験がラスト一回だ。だから、この試験を成功させるために、秘密を守りとおさなければならなかった。

 この森で一ヶ月を何事もなくすごせば、試験は合格。晴れて監察期間を終了するはずだった。


 もちろん、この事実はユーベルの両親には告知してある。でなければ一ヶ月ものあいだ、未成年を親元から離して、訪問もさせないなんて、承諾してもらえない。ユーベルが自分にとって不愉快な事態を、自力で解決できるかどうかの見きわめのためでもあったのだが。


 それにしても、通常なら、ユーベルは難なく今回の試験に受かったはずだ。すでに、そのくらいの社会性を、ユーベルは身につけていた。


 最大の誤算は、イヴォンヌ・ヴェラの存在だった。大女優の住む特殊な世界の明暗が、フィッシャーの死やその後の事件を招いた要因であることは想像にかたくない。


 これを書いている現時点では、レマ・フィッシャー、メリンダ・ジェンキンス、アルフレッド・ウォーレンの三人を殺害した犯人は、まだ捕まっていない。


 しかし、僕はユーベルの手記のなかに事件を解決する手がかりが隠されているように感じた。


 やはり、ユーベルはトリプルAランク者だ。これまでも事件のたびに、彼のするどい直感が役立っていた。


 僕はニコラをエセ好青年だなんて一度も思ったことがなかったし、ダグレスがユーベルを疑っていることも知らなかった。ましてや、アルフレッドがゲイだったなんて気づきもしなかった。


 ユーベルの手記を検討すれば、僕が見すごしていた事実をもっと得られるかもしれない。


 ともかく、僕がこれを記すにあたって、時間の経過がわかりやすいよう、ユーベルが手記を終えた時点から書きだすことにする。


 現時点は四月二十一日の真夜中。いや、零時をまわってるから、二十二日未明だ。ユーベルが手記を終えた翌々日の夜明け前である。


 これから試験官に報告に行かなければならないから、その前に手早く書きとめておく。今後については、随時、ヒマを見て追加する。


 この前夜、僕がユーベルの手記を見つけるまでのことを記す。


 昨日、僕は思い悩んで寝不足で朝を迎えた。手記を読むまでもなく、ユーベルに何かしらの障害が起こっていることは感じていた。記憶が混乱するようだし、被害妄想ぎみに気が昂っている。


 これ以上、放置するわけにはいかない。誰がなんと言っても、こんな試験はやめさせるべきだ。でなければ、ほんとに入院が必要な状態に逆戻りしてしまう。今一度、交渉して、中断が認められなければ、ユーベルをさらってでも逃げてやろう。そのためにセラピスト協会を除名されてもかまわないとすら考えていた。


 ユーベルが勘づいていたとおり、僕は早朝に協会の試験官のもとへ行き、前日の報告をしていた。


 なぜ早朝かと言えば、友人たちには試験のことをいっさい伏せてあるからだ。

 昨日も報告が終わり、二号コテージの前まで帰ってきたやさきに、霧のなかへかけていくユーベルを見かけた。僕のあげたペカチュウを背負っていたから、ひとめでわかった。


 このとき、ユーベルは書きあげた手記を隠しに行ったのだ。霧にとけるように消えていくペカチュウのあとを、僕は追った。


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