10—3
「でも、ほんとに、あいたんだよ……」
「ユーベル。君は怖いことがあったから、神経質になってるんだよ」と言ってから、タクミとヨアヒムは顔を見あわせた。二人だけで意思が通じてるみたいに見えたので、ぼくは憤慨した。
「ぼくの頭がおかしくなったとでも? まさか、今朝のこともウソっぱちだと思ってるんじゃないだろうね?」
ああ、いや——とかなんとか、タクミは口のなかでモグモグする。
「だって、アルフレッドは殺されてた。錯乱して、ぼくが殺しちゃったんだとか言わないよね?」
「わかってるよ。誰もそんなこと言わないから。落ちついて」
優しく言われても、むしょうに悲しい。
なんだか、ぼくだけが現実の世界から切り離されて、異次元に迷いこんだみたい。薄い膜みたいな異質な世界が、ぼくを包みこんでいて、ぼくからはその膜が見えるのに、ほかの誰にも見えてない。そんな感じ。
ぼくが絶望した瞬間に、あれが来た。
それも今度は一時的に記憶が消えただけではない。記憶がないあいだ、ぼくは夢を見ていた。合金の壁にかこまれた、あの暗くて陰惨な夢。
ぼくの体は炎に焼かれるように熱かった。
一瞬、十七歳で死んだ、あの炎のなかに戻ってきたのかと思った。あのときは煙を吸って失神したから、ほんとに炎で焼かれるまでの記憶はなかった。それでも迫りくる火炎の熱気だけで皮膚がこげつきそうなほど、たまらなく熱かったことだけはおぼえてる。
その数倍もの熱さに襲われて、ぼくはせまい床の上をころげまわった。なんで、こんな苦しい思いを何度もしなければならないんだろう。体じゅうが炎のなかで軋んで悲鳴をあげている。
「十四号のようすは?」
「劇的変異の最中だ。だが、もうじき収まるだろう。そろそろ二十四時間だ」
どこからか声が聞こえる。
ぼくは全身を炎であぶられて目もあけられない。声のぬしが誰で、どこにいるのかもわからない。
「まだ生きてるのか。たいしたもんだな」
「今回は成功しそうだ。歪みも少ない。ミタライファイルにあった変異の慣性ってやつだな」
「やっと変異慣性までこぎつけたか。しかし、可愛い顔は台無しだな」
「しょうがないさ。あのくらいならDNA形成で治せる。クローンには影響しない」
声が小さくなっていくのは、ぼくの意識が夢から遠のいたからだ。
目がさめると、午後になっていた。
ぼくはヨアヒムのシャツをぬいで、自分の服に着替えてた。森のなかで、タクミと歩いてる。散歩しながら二号コテージへ帰る途中らしい。いつのまにか、ぼくはタクミと仲なおりしていて、恋人みたいに腕なんか組んでる。
ぼくは悲しくなって、その腕をふりはらった。
「なんでなの? ぼくはタクミのこと許してないよ。ヨアヒムと結婚するんだって言ったじゃない!」
タクミはショックを隠せないような顔で、ぼくを見る。
「さっきの話、おぼえてないの?」
「おぼえてない!」
「だって、君が言いだしたんだよ。この前、ヨアヒムといたとき、服をぬいでたのは、コーヒーをこぼして汚れたからで、なんにもなかったんだって。ヨアヒムだって認めた」
「そんなこと知らないよ!」
ぼくは走って逃げだした。
たしかにタクミの言うとおりなら、あのときのヨアヒムの変な態度も納得できる。服が洗濯されてた説明もつく。ヨアヒムはタクミをからかいたかったみたいだし……。
(この前のときも、今も、ぼくが記憶をなくしてるあいだだ。そのときの記憶を、ぼくじゃないぼくが持ってる。誰かが、ぼくの時間を盗んでるんだ)
怖い。あの夢を見る頻度も急激に増えてる。このまま、ぼくはあの夢のなかに取りこまれてしまうんじゃないだろうか。永遠にさめることのない夢の世界に囚われて。
そうして、ぼくが悪夢のなかで苦しんでるあいだ、ぼくの体を別の誰かが我がもの顔で使ってる。そのことを誰も気づいてくれない……。
ぼくは恐怖にかられて、二号コテージへかけもどった。
そのあと、ぼくは自分の寝室にこもり、この手記を書いた。勉強用のペンタブレットと筆記ボードを持ってきてたから、それを保存モードにして、ファイルをためていった。
ここまで書きあげるのに朝までかかった。とにかく書ききるまでは油断がならないから、手直しもせずに書きなぐった。いつまた、ふいにアレが襲ってくるかわからない。
あれは研究所の夢だった。
最初は刑務所かと思ったけど、昼間の夢でわかった。劇的変異、変異慣性、ミタライファイル——みんな、聞いたことのある言葉だ。
あの夢は、かつてネオUSAで行われていた、人体実験の研究所のことだ。強い超能力者を造るために、人体を変形させる酵素を使って、遺伝子を人為的に突然変異させていた。
ぼくがエンデュミオンの夢に取り憑くことで、世界中に暴露された、あの残虐きわまりない実験。
あの実験はすでに中止されてる。実験をさせていた大統領は弾劾裁判にかけられ更迭された。たしか、死刑になったはずだ。研究員たちも捕らわれ、施設は封鎖された。当時の研究データは、ようやく最近になって、じょじょに公表されるようになった。
今になって、なぜ、あんな夢を見るんだろう。もしかしたら、それが、この森で数十年前に起こった殺人事件と関係あるんだろうか?
だとしたら、その事件と今回の一連の殺人事件はつながっている?
ぼくは恐ろしい。
睡魔がぼくを襲う。
眠っちゃいけない。
今度、あの夢に落ちたら、もう二度と目覚めることはできない気がする。
ぼくの体が死ぬまで、何年も、何十年でも、夢の世界で苦しみ続けなければならない……そんな気が。
ゆいいつの希望をたくして、ぼくはこの手記を残す。
データをペカチュウに入れて、森の木のどこかに隠しておこうと思う。
タクミがそれを読んで、ぼくの異変に気づいてくれることを願って……。
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