10

10—1



 目がさめると早朝だった。

 全身があぶら汗でグッショリぬれている。生々しい夢だった。ぼくの体を固定する拘束具の感触さえ、まだ手足に残ってる。腕に刺さった針の痛みも……。


「タクミ。タクミ。怖い夢、見たよ」


 ぼくは夢でうなされたとき、いつもそうするように、無意識にタクミの姿を探した。いつものようにタクミの腕のなかに逃げこんで安心したかった。あれはただの夢だから、なんにも心配しなくていいんだよと笑ってほしかった。


 だけど、家じゅうを探しても、タクミの姿はなかった。

 ぼくは途方にくれた。


(あ、そうか。ぼく、タクミとケンカして、ヨアヒムのとこに逃げてたんだっけ……)


 そう思うと、ぼくが困ってるときに、そばにいてくれないタクミに、急に腹が立ってきた。自分から逃げだしたなんてことは、このさい関係ない。


(いいよ、もう。タクミなんて)


 これまでにも何度もそう思いながら、それでもやっぱり、いざとなるとタクミを探し求めてしまう。

 タクミがぼくをこんなふうにしたのに、今さらぼくのことはただの患者だったと言う。


 ぼくは、どうしたらいいのかわからない。今までのぼくなら、とっくにタクミのことは見限って、新しいご主人さまを見つけてたのに。


(タクミのことが好きなんだよ。タクミじゃなきゃダメなんだ)


 涙がこぼれてきて、ぼくは廊下にうずくまった。そういえば、ヨアヒムもいない。朝の見まわりに出かけてしまったらしい。


 ひとりぼっちで泣きじゃくっていると、建物の外で物音がした。人の足音のようだ。エンパシーを広げてみると、誰か知った人の脳波を感じた。


 窓ガラスのむこうの霧が深くて、朝の何時ごろなのかわからない。でも、きっと見まわりを終えて、ヨアヒムが帰ってきたんだろう。


 ぼくはさみしくてしかたなかったので、疑いもせずに玄関までかけていき、戸口をひらいた。


「おかえり。ヨアヒム」と、声をかけたとたんに、誰かが襲いかかってきた。マキ割り用のナタじゃないかと思う。刃物がぼくの頭上すれすれを勢いよく通りすぎる。


 ぼくは悲鳴をあげて、うずくまった。


 コテージのなかに明かりをつけてなかったし、外は霧が濃い。襲撃者の姿はまったく見えない。だけど、ぼくを殺してやろうという強い意思が、頭が割れそうなくらい、ガンガン押しよせてくる。


 ぼくは夢中でふりおろされる凶器をさけて、霧のなかへ走りだした。


『助けてッ。助けて、タクミ!』

 思わず、テレパシーでタクミを呼んだ。


 顔もわからない襲撃者は、よろめきながら走るぼくのあとを、的確に追ってくる。

 一度はうしろから髪をつかまれて、あやうく脳天を割られるところだ。ぼくの髪のさきをブンと風が通って、ひっぱる力から解放された。狙いが狂って、つかまれていた髪を切られるだけですんだのだ。


 ぼくは勢いあまって地面を二、三回ころがった。

 どうにか立ちあがって走りだすけど、追ってくる足音はしつこく真うしろに食いついてくる。


 この深い霧のなかで、どうやって、ぼくの正確な位置を定めてるんだろう?


 そう考えて、ふと気づいた。

 たぶん、こいつ、エンパシストなんだ。ぼくの発するSOSのテレパシーを読んで、場所を特定してるんだ。


 そう気づいて、ぼくはテレパシーを断った。完全に心にブロックをかけて、やみくもに走った。ミルク色の視界のなかで、襲撃者の気配はしだいに遠ざかるようだ。


 ぼくは大きな木の根元にうずくまって、悪夢の続きのような時間がすぎていくのを、ひたすら待った。ずいぶん長く感じたけど、じっさいには五分とたってなかったに違いない。


 そのうち、やや離れたあたりで人の争う物音と罵声が聞こえた。その声が「うッ」という、うめき声を最後に、とつぜん途絶える。誰かが走りさっていく。


(いったい何がどうなったの? 逃げていったのは犯人? それとも別の人?)


 誰と誰が争って、どういう結果になったのか、今すぐにも確認したいけど、怖くて動けない。まだ、そのへんに犯人がいるかも。


 それから、さらに五分もしてからだっただろうか。


「ユーベル! 無事かッ?」


 誰かがかけてきて、ぼくの肩を抱いた。タクミだと思って、ぼくはしがみついた。でも、やっぱり違っていた。ヨアヒムだ。

 考えてみれば、これはあたりまえ。ヨアヒムは赤外線カメラのおかげで、ぼくの位置がわかったんだから。タクミにはぼくの姿は見えないし、今はエンパシーもブロックしてる。


 タクミがやってきたのは、この数分後。ぼくのテレパシーを感じて、ずいぶん探しまわったらしい。


「そこにいるの? ユーベル」


 霧のなかに響くタクミの声を聞いて、ぼくはやっと気づいた。なんで、ヨアヒムとタクミを何度も勘違いしたのか。

 二人は声の質がよく似ている。タクミのほうがちょっと高いけど、ヨアヒムがトーンをあげると、ちょっと区別がつかない。


 ぼくはタクミがかけよってくるのを見て、放心状態からさめた。


 ヨアヒムにしっかり抱きついてるぼくを見て、タクミはひるんだように見える。ヨアヒムはおもしろがるように、いっそう、その手に力をこめてきた。


「何があったの?」とたずねるタクミに、ヨアヒムが首をふる。

「おれにもまだ、わからない。そこに誰か倒れてるみたいなんだが……」


 さっき人が争っていたあたりを、ヨアヒムが指さす。タクミは低くうなった。


「死んでる」

「そうじゃないかと思った」


 ヨアヒムは赤外線の反応でわかってたんだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る