9—2
「ユーベル。朝ご飯、食べようよ。みんは君のこと心配してるよ」
「いらない。食べない」
布団のなかにもぐりこむと、タクミのため息が聞こえてきた。
「ユーベルってさぁ。どうしていつも肝心なところで、僕に相談してくれないの? いつも一人でかかえこんで、ムチャするよね」
「タクミには関係ない。ぼくはもうタクミの患者じゃないんだから」
「だけど、友達だろ?」
ぼくは布団をはねとばして起きあがる。
「タクミは八方美人! ぼく、タクミの大勢の友達のなかの一人なら、赤の他人のほうがマシ!」
もしかしたら、ただの友達じゃない、君のことが一番大事な友達だよ、くらいのことは言ってくれるかなと思ったけど、タクミは難しい顔をして黙りこんだ。
ああ、そう。やっぱり、タクミはぼくが患者だから親切にしてくれてただけなんだ。ぼくがかわいそうな生い立ちだから、友達のすみっこにいさせてくれてたんだね。
「もういいよ。ぼく、ヨアヒムと結婚するから」
「へッ?」
タクミは綿菓子のつもりでかじりついたのが、ふわふわの毛のスピッツだったみたいな、ものすごい顔をした。
「何言ってんの?」
「ぼくねぇ、ヨアヒムとやっちゃった。彼、ぼくのこと愛してるって言うから、結婚することにしたんだよ。だからもう、タクミはいらない」
タクミがどんな顔したのか知らない。
ぼくは二階の窓からとびおりて、森のなかを走っていった。コテージ村の端にある管理人の住居まで走っていくのは、十代のぼくでも息が切れた。
もうヨアヒムが殺人犯でもなんでもいい。よく考えたら、変な記憶喪失はヨアヒムのせいじゃないって、昨夜の状況が証明してるけど、そのときはそこまで考えてられなかった。誰かにやけっぱちの相手をしてもらいたくて、必死に走った。
管理人のコテージは平屋建てだけど、けっこう大きい。ふつう管理人は家族と住むことが多いから、部屋数が多いんだそうだ。
ぼくは窓辺によって、ヨアヒムがいるかどうか確認しようとした。
ヨアヒムはいたけど、一人じゃなかった。大木を使ったテーブルセットをはさんで、四人の男が話してる。
一人はもちろん、ヨアヒム。二人は知らないけど、あとの一人はダグレスだ。
なんだって、こんなところに、ダグレスがいるんだろう。真剣な顔で話しあってるから、退屈しのぎにお茶会してるわけじゃなさそう。
ぼくが窓辺に立つと、さっそく、ダグレスが気づいた。ふりかえって、こっちを見る。
やっぱり、勘がいい。というより、エンパシーを全開にしてたのかも。
ダグレスたちはぼくが来たのを機に立ちあがった。
「では、おジャマしました」
ぞろぞろと玄関から出ていくのを待って、ヨアヒムが手招きする。
「よく来たね」
「あの人たち、なんだったの?」
「たいした用じゃないよ」
「でも、ダグレスは刑事だよ」
「ああ。今朝、曲者に襲われてね。刑事さんたちに事情を説明してたんだよ」
「襲われたって、なんで?」
「さあ。それは犯人に聞いてみないと。ちょうど巡回に出るときだったから、防犯グッズを持ってたからね。撃退できた」
「ふうん。殺人犯は若い女しか狙わないんじゃなかったの?」
「それは五十年前のやつだろ」
そう言われればそうだ。手口は似てるけど、同一犯と決まったわけじゃない。
「それにしても、ダグレスは刑事だけど、あとの二人は違ったよね?」
「うん。あれは記者だ。イヴォンヌが付き人の葬儀で留守だから、ヒマなんだろ。殺人事件の取材してるみたいだよ」
あの厳格なダグレスが、よく記者のいるところで事情聴取したなぁ。
「そうか。イヴォンヌ、いないんだ。どおりで、となりが静か」
「今日あたり帰ってくるってことだったな。よっぽど、ここが気に入ったのかね。もしかしたら、君がいるからかもしれないよ」
こっちは女優になる気なんてないんだけどね。あの問題も早いとこ解決しなくちゃ。
「とにかく、いいところに来てくれたね。ちょうど、君に会いたかったんだ。いっしょにブレックファーストなんてどう?」
口がうまいなぁ。
君に会いたかっただなんて、お世辞だとわかってても気分がいい。
ぼくはヨアヒムが手際よく作ってくれたイングリッシュブレックファーストを美味しくいただいた。恥ずかしいくらい、がっついた。我ながら、お腹へってたんだね。
「ぼく、タクミに言っちゃった。ヨアヒムと結婚するって」
ヨアヒムは声をあげて笑う。
「へえ。彼氏、なんて?」
「知らない。言い逃げしてきたから」
「そのときの顔、私も見たかったなぁ」
あんまり派手に笑うから、ぼくは気づいてしまった。
「ヨアヒムって、タクミのこと、からかって喜んでるでしょ? もしかして、以前から知ってるの?」
ヨアヒムは口の端に笑みを残して、イタズラっぽく、ぼくを見る。
「いや、そうじゃないけどね。ああいうタイプは、イジメてみたくなるんだよ」
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