9
9—1
何かがおかしいという気はあった。でも、何がおかしいのかって言えば、説明がつかない。
タクミが部屋の外で何か言ってたけど、ぼくはその日、夕食も食べずに部屋にひきこもった。
(ぼく、もしかして、殺人犯に狙われてるんだろうか。さっきのあれ……)
ぼくがヨアヒムと歩いてるときから尾行して、一人になるのを待ってたんだろうか? それとも、まさかと思うけど、やっぱりヨアヒムが犯人で、いったん帰ったふりをして忍びこんできたの? もしそうなら、ぼくが彼といたとき、とつぜん記憶が途切れたのは、催眠術でもかけられたからなのかもしれない。
(もう誰も信用できないよ)
やっぱり家に帰ろう。イヤな妹はいるけど、それくらいガマンできる。ここで、こんな怖い思いするくらいなら、ワガママな妹のヒステリーの十や二十は安いもんだ。
ぼくは急いで荷物をまとめた。服なんか全部はなくてもいい。とりあえず、いるものだけ持って帰れば、残りは誰かに荷造りして送ってもらおう。
ぼくはペカチュウのお腹のなかに、とりあえず財布や、すぐに使う日用品をつめた。動きやすいショートパンツを浴室に置きっぱなしにしちゃった。どうしようかと思ったけど、部屋の前に食事の盆とならべて、たたんで置いてあった。タクミがなんか言ってたのは、これのことだったか。食欲はなかったから、服だけ部屋のなかにとりこんで着替えた。
時間は十時すぎのようだ。
タクミたちは一階のリビングに集まって、ぼそぼそと話してる。内容までは聞こえないけど、たぶん、今後のことを相談してるんだろう。そもそも、この場所で撮影を強行しなければならない理由はないわけだし、中止しようと誰かが言いだして不思議はなかった。
ぼくはひと足さきにディアナシティーへ帰るために、ペカチュウをお供に二階の窓からとびおりた。外は月重力だから、二階くらいならチョロい。
ふわっと着地したあと、用心深くエンパシーのアンテナを張りめぐらして、夜の森のなかを歩いていく。
ほんとはそこを通るのもイヤなんだけど、今朝、メリンダが見つかった裏手のほうから、電磁シールドをつっきってデメテルに入ったほうが、正門ルートを使うより近い。
裏庭をよこぎって、ちょうどメリンダの死体を見つけたあたりまで行くと、樹間に人影があった。
さ、殺人鬼? それともメリンダの霊?
思わずあとずさった。けど、むこうもぼくに気づいて呼びとめてくる。
「待ってよ。ユーベル」
声を聞いて、少なくとも霊でないことはわかった。ニコラだ。彼女が死んだ場所で感傷にひたっていたらしい。
「最後はあんなことになっちゃったけど、大切な友人だったからね。メリンダの死んだ場所で冥福を祈ってたんだ。君はこんな時間にどこ行くの? 一人で危ないじゃないか」
うう。めんどくさいヤツに会っちゃった。
ぼくは無視して走りだす。ニコラも追ってきた。シャクだけど、男の足のほうが速い。すぐに追いつかれちゃった。前なら逃げきれたのに、こういうとき、女って不便だな。
「ダメだよ。危ないって。あッ、まさか、僕が殺人犯だなんて思ったんじゃないだろうね? 誓って違うよ。怖がらないで」
別に信用したわけじゃないけど、逃げきれないからあきらめた。
「ついてこないでほしいんだけど」
「そんなこと言ったって、一人にできないじゃないか」
ニコラはしつこく危険を訴えたあと、急に心配そうな顔になった。
「荷物背負ってるけど、もしかして自宅に帰るのかい? 悩みごとがあるなら聞くけど」
うっとうしくなってきたので、ぼくは言葉のストレートパンチをあびせてやった。
「そんなんじゃないよ。ぼく、ヨアヒムと結婚するから、準備のために帰るんだ」
「えッ? ヨアヒムって管理人だろ? なんでまた彼なんかと。だって、君、あの東洋人のこと好きなんじゃないのか?」
この人、エスパー選民思想だけじゃなくて、人種偏見もあるみたい。
「ヨアヒムのことが好きになったの。だから、しつこくしないで」
このパンチはきいたみたい。
ニコラは茫然自失で立ちつくした。
ぼくは急いでその場から逃げだした……んだけど、デメテルに行くことはできなかった。次の瞬間、なぜだか、ぼくはベッドのなかにいた。朝になってる。前のときと同じ。切りとられたみたいに記憶がなくなって、時間と場所が移ってる。
(いったい、ぼく、どうしちゃったんだよ)
ぼくは不安のあまり、ベッドから出ることができなかった。九時ごろにはタクミがようすを見にきて、ドアを叩いた。
「ねえ、ユーベル。起きてる? ちょっと入ってもいい?」
寝たふりしようと思ったら、勝手にドアをあけて入ってきたので、ぼくは怒った。
「入っていいなんて言ってないよ」
「ごめん。でも、昨日から変だったし……何かあったの? それとも、どっかぐあい悪いの?」
タクミの心配そうな顔を見ると、ぼくの心は彼にすがりつきたくなって、グラついてしまう。なんとも思ってないなら、そんなに優しくしないでよ。
「タクミはルナのことだけ心配してればいいよ」
「何? ルナのことで、すねてたの? でも、ルナなら、昨日、ディアナのホスピタルに帰ったよ」
ああ、そう。タクミの説得が功を奏したわけね。よかったじゃない。
ぼくは、そっぽをむいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます