8—2
次の瞬間、茂みの奥から刃物をにぎりしめた男がとびだしてきた。
ぼくは悲鳴をあげた。しりもちをついてると、のしかかるように身をかがめて近づいてくる。この前の怪しい工芸家だ。
出た! 墓場のロミオ。
よく見ると手に持ってるのは工芸用のノミなんだけど、なんだって、あんな怖い目でにらむんだよ。
「君、何してるの?」
それはこっちが聞きたいよ。あんたこそ、何してるんだ?
「ぼ、ぼく……散歩」
じりじり男が迫ってくる。
ぼくは身の危険を感じた。
どうしよう。念動力で、はねとばしちゃおうかな。
ぼくが身構えていると(しりもちはついたままだけど)、急に男がハッとしてあとずさった。ポンとうしろから肩をたたかれて、心臓がちぢみあがる。
「こんなところで何してるのかな?」
その声を聞いて、ぼくは反射的にタクミだと思った。
「タクミ!」
とびついたんだけど、違ってた。ニヤニヤ笑ってるのは、金色のトカゲみたいなヨアヒムだ。
「あ、間違えた」
変だな。なんで間違えたんだろ? 姿も脳波もぜんぜん違うのに。
「残念。もうおしまいか。もっとサービスしてくれてもよかったんだが。ころんだの?」
「う……うん」
ちろりと見ると、陰気なロミオはノミを片手に直立不動だ。ヨアヒムはきさくに工芸家にも声をかける。
「やあ、アレグロさん。こんにちは。お仕事ですか?」
「そうだ。森の歌を聴き、森と一体になる。ジャマをしてはいけない」
ロミオは茂みの奥に戻っていく。しばらくして、また、あのキツツキみたいな音が聞こえてきた。
ああ、そう。ぼくが声かけたから怒ったわけね。殺されるかと思ったじゃないか。
ヨアヒムは笑って、ぼくの肩に手をかけてくる。
「あの人は変わってるから、見かけても、ほっといたほうがいいよ」
「今度から、そうする」
ぼくが走りだすと、ヨアヒムもついてきた。
「来ないでよ」
「だって、女の子一人で危ないよ」
まいったなぁ。こんな女好きと二人きりになりたくないよ。
そのとき、やっと、ぼくは近くにタクミの気配をとらえた。見まわすと、木立ちのむこうに小さなコテージがある。むっ。あれだな。
「あれ、何号コテージ?」
都合よくそこにいる管理人に聞いてみる。
「私の価値って建物の番号以下かな?」
「いいから、早く」
「あれは七号だね。四人用。一階建て」
「誰が借りてるんだっけ?」
「それはプライバシーだから言えない」
「ウソばっかり。パーティーのときはペラペラしゃべってた」
「あれは酔ってたから」
「いいよ。自分でたしかめるから」
「……ああ、君。スパイのマネはよそう」
「ほっといて」
かけよって窓からのぞくと、やっぱりだ。タクミがいた。リビングのテーブルセットに、五十代くらいの男女二人とむきあってすわっている。
そう言えば、中年夫婦が滞在してるって、前にヨアヒムが言ってたっけ。
タクミは興奮して、大きな声でしゃべっていた。おかげで窓の外まで、かすかに聞こえてくる。
「こんなことは中止すべきです! 危険ですよ」
それに対して相手が何やら答えている。タクミは納得いかないもよう。
エンパシーを使うと気づかれちゃうから、ぼくはそろそろと窓をあけた。幸い、カギはかかってないぞ。五センチほどスキマを作ると、声がよく聞こえるようになった。
「そんなこと言ったって、殺人事件が起こるなんて想定外じゃないですか。万一のことがあってからじゃ遅いんですよ。第一、ここにいるってことは、少なからず、あなたがただって危険にさらされてるんです」
「もちろん、私たちは細心の注意をしてる。しかし、こんな症例は初めてなんだ。充分な結果を得てからでなければ中止にはできん。君だって、そのくらい承知のはずだ」
中年男の口調はあきらかに、タクミより上の立場。
タクミは唇をかみしめた。
ぼくは彼らの会話をそこまで聞いて、だいたいのところを察した。
つまり、中年夫婦はセラピスト協会のおえらいさんで、ルナの回復度をチェックしてる監察官なんだと思う。ルナは妙な症状のまま記憶が戻らない。静養だなんて言っといて、本人にナイショで観察してたわけだ。タクミがひんぱんにいなくなるのは、もちろん、この人たちと連絡をとりあうため。
(ああ、そうか。それでタクミ、ぼくが残ることイヤがったんだ。タクミはルナのこと守らないといけないから、ぼくがジャマなんだ)
こんなに必死になって抗議して。それも全部、ルナのため……。
ぼくは窓もそのままにして、七号コテージから離れた。ぼくのあとをヨアヒムがついてくる。
「あれ? もういいのかい?」
「いいよ」
タクミはやっぱり、ぼくのことなんて、どうだっていいんだ。ぼくがタクミを好きなように、タクミも少しは、ぼくのこと好きでいてくれるんじゃないかと思ってたけど、そうじゃなかった。
タクミはお人よしだし、セラピストだから優しくしてくれたけど、それはぼくが患者だったから。今はその気持ちは全部、ルナに移っちゃったんだね。
ぼくが勝手にタクミの優しさをとり違えてただけなんだ。
こんなことなら、ぼく、クローン再生なんてしなけりゃよかった。
「おいおい。今度は急に泣きだして、どうしたんだい? 君みたいな美少女に泣かれたら、男はみんな、なんとかしてあげたくなるよ」
ヨアヒムが言ってたんだけど、そのあと、ぼくは自分がどう答えたのか知らない。
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