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 翌朝。

 ミシェルとノーマとダニエルは仕事に出ていった。

 残ったメンバーはカフェオレなど飲みながら、昼までアンニュイにすごした。二日酔いからまぬがれたのは、タクミだけだったらしい。


 両手でこめかみを押さえて、ジャンはうなるように言う。


「イヴォンヌ・ヴェラか。会ってみたいなぁ。どうする? あいさつに行くか?」

「そうだね。大女優だから迷惑かなとも思うけど、ルナの担当医として僕は行っとくよ」と、タクミ。


 ルナはなんか知らないけど、昨日、体調をくずしてから、別人みたいにおとなしくなった。暗い顔つきで物思いに沈んでいる。

 そんな顔したって、ぼくは同情してやらないぞ。


「先生。わたし、頭がズキズキして、ぼんやりするんですけど……」

「君はいいよ。ちゃんと僕が伝えとくからね」

「すみません」


 すると、満月の夜の変身中の狼男みたいにうなってるくせに、ジャンがプロ根性をしぼりだした。


「じゃあ、おれが代理で行く」


 なんとしてもシネマの女王にお目通りしたいらしい。

 そう思うのは、ジャンだけではないようだ。製作に来たはずなのに、昨日からいっこうにそれらしいことをしないマーティンも続く。


「おれもつれていけよ。銀幕の女王ってのは、どんな人種なのか興味ある」


 というわけで、タクミたち三人が立ちあがったので、ぼくもついていった。女優なんてどうでもよかったんだけどね。ぼくって、ほんと、親鳥について歩くヒナみたい。


 女優は思ってたよりキレイだった。キレイっていうか、いわゆるオーラってやつだろう。ルナなんか足元にもおよばない華やかさがあって、物腰がいちいち洗練されてる。黒髪に黒い瞳が魔女っぽい妖しい迫力で、ちょっと怖いくらい。


「あら、可愛いお客さまね。あたくし、キレイなもの、好きよ」


 さらに、女優はめんくいだった。訪ねていったぼくら四人をながめたあと、好みの度合いで歓待も違った。

 グシャグシャの赤毛でがさつなマーティンには、なれた仕草で手をさしだし、キスを強要。背の高い美青年のジャンには、ほっぺの片方に彼女みずからキスを与え、小柄で女の子みたいにすべすべの肌のタクミには、そのキスが両頬。


 でも、なんでか一番お気に召したのは、ぼくだったみたい。ほっぺの両側に三回ずつチュッチュッと音をさせたあと、最後の仕上げに、おでこに、もひとつキスをした。


「なんて可愛らしいの。お人形さんね。いらっしゃいよ。今、アンリが来てるのよ。ぜひ紹介したいわ」


 アンリというのは、アンリ・ドルルモンのこと。かつて一度、女優の夫だったこともある大御所の映画監督だ。今でも元妻のよき友人で、仕事上ではずっとパートナーのままだ。


 監督の映画はほとんど歴史大作。重厚で圧巻な映像を作る人だ。王道なんだけど、息がつまる感じで、ぼくは苦手。繊細で幻想的なマーティンの映像のほうが好きかな。まあ、興行成績では、大御所監督に遠くおよばないけどね。幻想的すぎてストーリーわかりづらいからなぁ。


 女優のコテージは六人用なので、リビングは八人用より、ひとまわり小さい。そなえつけの素朴な木のテーブルセットをかこんでるのは、若い男女三人と、タレ目のおじさんだ。


 おじさんは、もちろん映画監督。若いほうは昨夜、ヨアヒムが言ってた夫、友人、付き人。

 十九世紀のイギリス紳士みたいなノーブルな俳優と、地味で暗い感じの女の付き人。

 夫の名前はフィリップ・ヴェラ。奥さんの姓を名乗ってる。男装の女かと思うほどかよわい美男子だ。

 なるほどね。どおりでジャンではなく、タクミだったわけだ。もしかしてギャラハドなんて、もろ、女優の好みなんじゃないかな。


 これでいくと、監督との結婚には打算が感じられる。でっぷり太ったタレ目のおじさんが、女優の審美眼にかなったとは信じがたい。もっとも三十年前には、おじさんも風に飛ばされそうな芸術家肌の青年だったのかもしれないけど。


 それにしても気になるのは、アルフレッド・ウォーレンっていう美男俳優のタクミを見る目だなぁ。この目つき、ぼくは知ってるぞ。


「とつぜん、おジャマしてすみません。じつは僕、ルナ・ターナーさんの担当医です。ルナの療養をかねて、昨日から友人たちと一号コテージに泊まっています。管理人のコンラッドさんから、ヴェラさんがお泊まりだと聞いたので、あいさつに来ました」

「あら、そう」


 タクミが告げても、イヴォンヌはルナの容態には興味ないみたいだ。しきりに、ぼくを褒めそやしたり、ジャンのドラマを見たとか、演技に光るものがあるとか言って喜ばせたり、マーティンの職業を聞いて見る目を変えたりしていた。一時間も語らってから、やっと思いだしたようにたずねてくる。


「それで、ルナはどうなのかしら。あの子、撮影に復帰できるの?」


「快方にむかってるのはたしかです。でも、事故のことを思いだすことに苦痛を感じるようですね。昨日も頭痛を起こして、まだ気分がすぐれません。今回の映画はルナにとってビッグチャンスなので、早く復帰したいと思うことがプレッシャーになっているのかもしれません」


 大女優は妖艶な流し目をタクミになげてから、何やらふくみ笑いをする。

 むっ。イヤな予感。


「ねえ、アンリ。あの子、もういらないわ。前の映画で新鮮だったから、いいかと思ったけど、じっさいに演じてみたら、さほどじゃなかったものね。それより、あたくし、この子がいいわ。ね、アンリ。あなたもそう思うでしょ? この子、これから絶対、光ってくる。あたくし、気に入っちゃった」


 ぼくの両肩にマニキュアしたキレイな指をかけてくる。

 ぼくはあせった。


「ムリだよ。ぼく、演技なんてできないよ」

「あら、いいじゃない。経験はしとくものよ。若いんだから、いろいろやってみましょ」


 そんなこと言ったって、ぼく、自信ないよ。


「ね、アンリ。カメラテストだけでもさせてあげてよ。あたくしからのお願い」


 監督は元妻に頭があがらない。


「うーん、まあ、そうだねぇ。それもいいか。映りはよさそうだ」

「じゃあ、さっそくスタッフ呼んでね」


 と、ここで会話にマーティンが割りこんでくる。


「それにはおよびませんよ。おれたち、ホログラフィックスの撮影に来ていましてね。機材はそろってる。ユーベルのカードも個人的に作ってみたいと思ってたんだ。なんなら、今から試し撮りするので、ごいっしょしませんか?」


 もう、いらないこと言うなぁ。


 おかげで、ぼくは午後から映画監督や大女優が見てる前で、撮影カメラに追いまわされた。カメラっていうのは、反重力装置内蔵で浮遊する十センチくらいのボールね。高級なやつなので、ステルス機能もついてる、すぐれもの。


「おれがおまえにいだくイメージは人魚姫だ。と言っても、タクミの好きなアニメじゃないぜ。海の泡になって消えてしまう、アンデルセンの人魚だ。魔法で変えられた足は歩くごとに激痛が走り、自分をすてた王子のために死んでいく、悲劇のお姫様。今、王子はとなりの国の王女によそみしてる。さあ、行け」


 そんな注文つけられて、ぼくは森のなかにほうりだされた。


 いきなり人魚姫って言われても……と思ったけど、マーティンの観察眼のするどさに舌をまく。マーティンはぼくが、タクミに熱烈な片思いをしてることを察してる。ルナのほうを見てるタクミに、やきもきしてることを。


(そうだよね。人魚姫の王子って、とんでもなくニブチンだ。タクミっぽいよね。自分の命を救ってくれたって勘違いだけで、となりの国の王女のことを好きになってしまうなんて、どんだけお人よしなんだ)


 ぼくは言われたとおり、てきとうに走りまわったり、くるっとスカートをひるがえしてみたり、木の幹を両手でダッコしてみたりした。タクミのことを考えながら。


「ほう。こりゃどうだ。イヴォンヌ。この子、いい顔するじゃないか」

「ほら、ごらんなさい。言ったでしょ? よぶんな贅肉なんてついてない、ほっそり華奢な少女の体。かろやかな動き。妖精そのもの。背中に羽が見えるわ」


 意外にも、おじさんたちに好評だった。


「この子、使いましょうよ。ねえ、アンリ」

「うん。こりゃ一回、本格的に演技テストしてみよう」


 かえって、ややこしいことになってしまった。


 そのとき、ぼくは誰かの強烈な視線を感じてふるえあがった。なんだか、とてつもない悪意が満ちてたような……。

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