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ぼくがタクミとともに、この第七森林用地に来たのは、四月二日の水曜日のことだ。
ぼくらの住むディアナシティーから、地下鉄で二つ離れた農業都市デメテルの郊外に、そこはあった。
森は月のすべての人間の終焉の地だ。月面都市の多くは、数十年ごとに植林伐採のサイクルをくりかえす森林用地を、いくつもかかえてる。そして、その森の養分として、植林前の土地に人間の死体を埋葬する。森林葬だ。土地にかぎりのある月では一般的な方法だ。畑地の養分にされるよりは故人の尊厳もあるし、いいほうかなと思う。
ディアナを主体とするEU都市は、十の森林用地を所有していて、その一つずつに森林管理人が常住してる。管理人の住居のほかにコテージがあって、市民に貸しだされてる。まわりは死体を埋めた墓地なんだけど、月面都市の市民には、自然と親しむ場所がほとんどないからね。けっこう人気のスポットだったりする。
人里離れた森のなかへ入ると、ひんやりと湿った空気が漂っていた。森の生育のために、毎朝、人工霧発生装置を働かせるためなんだって、あとで管理人が教えてくれた。この管理人がねぇ。なんて言うか……。
「わあ。やっぱり空気がさわやかだなぁ」
タクシーをおりて森に立ったとたん、タクミは両手をひろげて深呼吸。ほんとに、いつ見ても無邪気な人だ。年だってもう二十七なのに、二十歳そこそこにしか見えない。
「ねえ、ユーベル。気持ちがいいよね?」
両手をひろげたまま、ととっと二、三歩よろめいてきて、ぼくの目をのぞきこんでくる。ここへ来る途中の地下鉄のなかで、さんざん口論したから、ぼくの機嫌をとろうとしているのだ。
ちなみに、口論はこんな感じ。
「なんで、ぼくの担当医に戻ってくれないの?」
「いや、それはセラピスト協会の決めることだから」
「ぼくはタクミの意見を聞いてるんだよ。ぼくのこと嫌いになったの?」
「いや、だから、そうじゃなくてね……」
「タクミはぼくが女になること反対だったもんね。ぼくがナイショでこの体になったこと、怒ってるんだ」
「うーん……」
「だから、そこは『うーん』じゃないでしょ? この体になって最初に会ったとき、生きてるだけでいいよって言ったじゃない。なんで今は『うーん』なの?」
「まいったなぁ」
「だから、なんで『まいったなぁ』なの? いいか悪いかハッキリして」
「待って、待って。お願いだから、もうちょっと待って」
「もうちょっとって、どのくらい?」
「えーと……とりあえず、協会の決定が出るまで」
「けっきょく協会任せなんだ。バカぁ!」
森につくまでは二人きりだから、はりきって可愛い服えらんで香水までつけてきたのに。タクミのバカ。
「ね? もう機嫌なおしてさ。ほら、森のなかって月重力のままなんだね。おもしろいよ。管理人さんの家まで競争しよう。カギ借りないといけないからさ」
タクミはふみかためられた土の小道を、ピーターパンみたいにピョコピョコ、はねていった。
ふつう都市のなかは地球重力に調整してあるけど、森は違うらしい。家のなかでは不便だなと思ったけど、心配なかった。コテージのなかには、ちゃんと小型の重力装置が戸別についてた。
ぼくたち——というか、ダニエルの会社が経費で借りたのは、八人用の大きなコテージだ。デメテルに近い森の端っこに、単身者から八人用のコテージが二十、適度な間隔をおいて点在している。隣家の声が聞こえるほど近くではないが、杉やヒノキなどの樹木のあいまに、ほかのコテージの屋根がポツポツと見える。うるさすぎず、さみしすぎずという、ほどよい距離だ。
ぼくらの二号コテージは丸太造りの二階建て。二階が八部屋の寝室になっていて、一階にキッチン、浴室、トイレ、充分にスタジオがわりになる広いリビングルームがある。地下室はないけど、床下は大収納スペースだ。コテージの裏手にはバーベキューを楽しめる庭もあった。
そのコテージにむかって、道なりに歩いていく。すると、ぼくの前をバカっぽくとびはねてたタクミが、途中でひきかえしてきた。
「管理人さんがさきに来てるよ。はしゃいでるとこ見られちゃった」
てへっと頭に手をあてて、可愛いったらない。女になってまもないけど、ぼくはさっそく母性本能をくすぐられるって感覚を学んだ。
(もう、しょうがないなぁ。ほんとにタクミは、ほっとけないんだから)
タクミといると、ずっと怒っていることは不可能だ。
ぼくは機嫌をなおして、急いであとを追った。
森のなかの細い道からわきにそれて、木立のなかへ入ると、二階建てのその建物が見えた。
コテージの前に立ってたのが、管理人のヨアヒム・コンラッドだ。名前からするとドイツ系かなと思うんだけど、容姿はグローバルすぎて、どこの人かわからない。白い肌はゲルマン人っぽいし、目鼻立ちはアラブ人っぽい。金髪のくせに目が黒い。月ではありがちな他民族の混血らしい。なんとなく、金色の鱗とビーズのような黒い瞳のトカゲに見えた。宝石で飾られた、とてもキレイなトカゲのブローチだ。
「やあ、どうも。そろそろお越しかと思ったのでね。待っていました。森林管理人のコンラッドです」
タクミとシェイクハンドをかわしたのち、すかさず、ぼくの荷物を持ってくれた。ついでに、腰まで伸ばしたぼくの巻毛をひとふさ手にとって、チュッとキザに唇をあてる。
うーん。グローバルな女好き。好んで人里離れた森のなかで暮らしてるから、人嫌いのヘンクツかと思ったのに。
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