郵便配達

王生らてぃ

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 この時期の郵便配達はほんとうに辛い仕事だ。ほんとうに寒い。手がかじかんで真っ赤になるし、配達用のスクーターのエンジンも低温と老朽化で調子が悪い。おまけに今日は雨。給料もそんなに良くはない。それでも手紙を待っている人がいる以上は頑張らなくてはならない。



「はぁ」



 午前の配達はあと一件だ。

 町外れの山奥の学校に宛てられた手紙だ。茶色い封筒に包まれていて、送り主の名前は書かれていなかった。封筒の左上には、とても古めかしい、不思議な絵柄の切手が貼られていて、消印が雑に上から押されていた。

 とりあえずさくっと終わらせて、はやく事務所に帰りたい。暖かいコーヒーでも淹れて休憩したいところだ。

 森をかき分けるように延びる道路をスクーターで走っていく。周囲からは静かな雨の音と、スクーターの耳障りなエンジン音だけが聞こえていた。

 やがてその学校が見えてきた。山奥にひっそりと建てられた小学校で、この春に廃校が決まっていた。村の子どもも減ってきたので、隣町の学校と併合することになったのだそうだ。わたしはスクーターを止めて、事務室に声をかけた。



「すいませーん。郵便です」

「はい」



 出てきたのは年若い女性だった。首から名札のようなものを提げていて、長い髪を真ん中でふたつに分けて垂らしていた。なんというか、この場には相応しくない雰囲気を纏っていた。田舎の小学校の事務員さんという雰囲気ではない。

 とりあえずわたしは郵便物を手渡した。その人はにっこり笑ってお礼を言った。



「寒い中でご苦労様です」

「ども……」



 とにかく早く事務所に帰りたかったわたしは、挨拶もそこそこにスクーターに戻った。そしてエンジンをかけようとすると、バギンボギンという明らかに異常な音がして、そのまま動かなくなってしまった。



「あちゃー」



 ボロだと思っていたらついに壊れてしまった。ここから歩いて帰るには少し遠すぎるし、山奥の道を歩いていくのは不安だ。曇天で空は薄暗く、不気味だし、なにより寒くて耐えられなさそうだ。



「大丈夫ですか?」



 事務員さんがわたしのことを心配そうに見ていた。



「もし、よろしければ、ゆっくりしていってください。今日は学校も休みですし、私しかいませんから。お構いなく」

「はぁ、すみません……」






     ◯






 わたしは電話を借りて事務所に連絡をつけ、数十分で応援を向かわせると上司からの連絡をもらった。とりあえず無事に帰れそうなことにわたしはほっとした。

 電話を終えると、いつのまにか事務員さんがお茶を淹れて待っていてくれた。



「どうぞ」

「はぁ、すみません……」



 わたしは恐縮しっぱなしでお茶を頂いた。古くなっているのかだいぶ酸味の強いお茶だったが、温かい湯呑みを手に持っているだけでずいぶん助かった。



 事務員さんは八坂さんといい、つい半年ほど前に赴任してきたばかりだという。隣町の学校との併合の件で、いろいろと雑用をこなすためにやってきたのだそうだ。どうりでこの狭い村の中でも見たことのない顔だと思った。



「すみません、なんだか」

「いえ。私もひとりで退屈でしたから、話し相手になっていただいてうれしいですよ」



 八坂さんはにっこりと笑った。なんだか能面みたいな人だと思った。ぺったり貼り付いたような笑顔と色白な顔、それから長い髪がそう思わせるのだろうか。



 職員室と併設された事務室には、小さな机と、それから食器類の並べられた棚があった。どれもぼろぼろで、まるで何年も使われていないような感じだ。応接スペースの黒いボロボロのソファに座らされたわたしは、お茶をちびちびと飲みながら向かいの席に座っている八坂さんと、いくつか世間話をして過ごしていた。この村の生活とか、学校の子どもたちのこととか……その間中、わたしが届けた茶色い封筒をずっと握りしめるように手に持っていたのがわたしはなんとなく気になった。



「今日は、八坂さんだけなんですか?」

「そうなんですよ、日曜日なのに。校長先生も、ほかの人たちも、面倒な仕事は全部私に押し付けちゃって。お年寄りってみんな、ああいう風なんですかね」

「まあ、この村は特にお年寄りが多いですから……」

「でも、大変ですよね。こんなに寒い中でも、休まずに郵便配達しないといけないなんて」

「ね。メールで済ませちゃえばいいのに。でも、山奥だからネットも繋がりにくいし、お年寄りはそういうの疎いですからね。お陰で仕事は無くならずに済んでいるんですけど」

「うふふ。私たちは若いから、そう感じるのかもしれませんよね」

「まあ……」

「あ、おかわりどうぞ」

「ああ、どうも……」



 八坂さんはお茶のおかわりを注いでくれる時は、茶封筒を膝の上に置いて、ぬっと腕だけをこちらに伸ばすようにした。なんかちょっと不気味だったのと同時に、わたしはその封筒の中身が気になりはじめた。差出人も分からないし、何より八坂さんは異様に手紙に執着しているような気がした。まるで手元から離れることを極端に恐れているようだ。警戒心といっても、いいかもしれない。



 でも、その手紙の中はなんですか? とは、口が裂けても聞けないので、わたしは素知らぬふりをしていた。



「私、配達員さんに会えてよかったです。よければ、またお話ししましょうよ。そうだ、今度またお茶でもいかがですか? 隣町にいいところ、知ってるんですけど」

「え、はぁ……」

「そうだ、お名前、お聞かせいただけます?」



 そのとき、窓の外から軽トラのエンジン音が聞こえてきたので、わたしは立ち上がって様子をうかがった。事務所のボロの軽トラが、正面玄関まで入り込んできていた。



「では帰ります。ありがとうございました」

「またいらしてくださいね。この村、歳の近い人がいなくて退屈ですから」



 わたしは八坂さんにお礼を言って事務所を出た。最後に見た彼女の笑顔は、貼り付いたような完璧な微笑み。白い肌が、古びた校舎によく映えていた。彼女は事務室から出ることなく、窓越しにわたしを見送った。






     ◯






 軽トラには事務所の所長が乗り込んでいた。熊みたいに大きくでっぷりした人で、白いシャツがはちきれんばかりだ。こんなにクソ寒いのに汗までかいている。彼と協力して壊れたスクーターを荷台に乗せると、わたしは助手席に乗り込んだ。そして、ガラガラとまた不安なエンジン音を立てて軽トラは走り出した。



「それにしても、どうしてこんなところまで来てたのよ」



 所長は窮屈そうにハンドルを握りながら、ため息をついた。



「どうしてって、配達ですよ。そしたらちょうど壊れちゃって」

「配達? そんなわけないよ。あそこもう廃校じゃない」

「え、それは年度末の話じゃ……」

「それは山の反対側の小学校だよ。あそこはもう何年も前から閉鎖されてる廃校だよ」



 ぞっとした。



「え、でも、住所も番地もたしかに合ってたし……それに事務員さんがいたし……」

「まあ、まあ、うん、そういうこともあるよね」



 所長はそれきり話を打ち切ってしまって、わたしは何かを言うに言い出せない気持ちで、結局このことをずっと心のうちにしまっておくことにした。

 あの手紙はいったいなんだったのか、差出人は誰なのか、そして、八坂さんはいったい何者だったのか。

 それは、ただ手紙を届けるのが仕事のわたしには、一切あずかり知らぬことだ。

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郵便配達 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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