越冬

イエスあいこす

越冬

「ねえ、春」

「どうしたんだ?咲樹」

「私、二月が終わる頃には退院できるって」

「本当か!?」

「うん、ホントだよ」

「だから、お願いがあるんだ」

「なんだ?なんだって叶えるぜ?」

「…私が退院出来たらさ」

「久しぶりに、二人きりでいっぱい遊びに行こ?」

「…ああ、喜んで」

「約束だよ?」

「もちろんだ」

「やった!」


………………


吐息は白く染まり、人々はその身を震わせる季節、冬。

そんな冬の街の病院で、全ては始まった。

「あなたは…誰ですか…?」

「……え?」

俺は加嶋春。

二学期も終わり、冬休みに突入しようとしていたこの日。

俺は病弱な恋人の満山咲樹の見舞いに来ていた。

彼女とは幼馴染みだ。

ずっと仲が良くて、気がついたら付き合っていたと言えるほど自然に好きになっていた。

でも彼女は病弱で、今みたいに時々入院していた。

だけど決して命に関わったりするような事はなくて、今回も命には関わらなかった。

そう、命には…

「冗談キツいぞ咲樹、俺だよ俺、春だよ」

「春…?」

「……………」

咲樹は、本当に俺を知らない様子だった。

「じゃあ彰のことは!?」

「私の幼馴染みで親友ですけど…」

「あ、彰の友達?」

彰とはいつも俺たちと一緒にいた親友のことで、そいつも幼馴染みだった。

その後も咲樹の両親や俺の両親、学校の事まで確認したが、全てハッキリと記憶していた。

そう、咲樹は…

俺に関する記憶だけを、全て失っていた。

「どうして…!どうして…!!」

俺は絶望した。

咲樹は俺にとって、この世で誰よりも大切な存在だ。

俺は咲樹のことを本気で好きだったし、自分で言うのもなんだが咲樹もきっと俺のことを好いてくれていた。

そんな彼女が俺を覚えていないという現実を嘆いて、壊れそうになって。

泣いて、泣いて、泣いて。

そして出る涙もなくなった頃、俺は逃げるように眠りに落ちていった。


………………


「…聞こえるか」

突然、声が聞こえた。

問いに対しては答えない。

というか、俺は眠っているので答えるもなにもない。

夢のなかでハッキリと自分の意思で喋ることなんてないだろう。

「満山咲樹の記憶を、取り戻したいか」

(!?)

俺は喋らないがそれを問いへの肯定と見なしたのか、声は話を続けた。

そしてその内容は俺にとって、今一番の望みだった。

「…取り戻したいのだな」

頷くこともできないが、声の主はそれを把握している様子だった。

「では契約をしよう」

突然契約を持ちかけた声の主だが、その報酬が咲樹の記憶だとするなら、俺はなんだってやってやる。

「…先に言っておこう」

「この契約でお前に支払って貰う対価は、間違いなく辛いものだ」

「この契約を蹴って一から満山咲樹との関係をやり直すという選択肢もあるし、私はそれを止めない」

「…これ以上、言う必要はないようだな」

「では対価を示すとしよう」

なんだっていい、なんでもやると、そんな意気込みで話を聞いていた。

しかしそんな考えも、すぐに迷いへと変わることになる。


「対価とは即ち、人間百人の命」

「年齢、死因などは一切問わない」

「これが、満山咲樹の記憶の対価だ」

「対価と報酬が釣り合っていないと言いたいのはわかる」

「しかし、記憶の幸せの強さに比例して記憶とは価値を増す」

「そこは、わかってくれ」

あまりにも重すぎる対価。

俺と咲樹の幸せのため、百人もの命を生け贄に捧げること。

それが、対価だった。

俺は百人の命と咲樹との記憶を秤にかける。

実に身勝手な天秤だ。

だがその秤(俺の理性)は…

咲樹の記憶の重量が、百人の命より重いことを指し示した。

そう思った次の瞬間には、声がまた聞こえてきた。

「…やるのだな?」

「…それ以外に手段は?」

とはいえ可能なら俺だって人殺しにはなりたくない。

避けられるのなら、当然避けたい。

けれどもし、それしか道がないのなら…

「…残念だが、現時点ではないな」

「改めて、本当に良いのだな?」

無言。

しかし声の主は心でも読めるのか、やはり俺の意思を汲み取って言った。

「であればもう、止めはせん」

「しかしただの人間が誰にも気づかれず百人殺すなど、ほぼ不可能だ」

「だから、私の力を分け与えよう」

「効果はその内わかるだろう」

「では契約者よ」

「お前はその手を深紅に染めて、それでも大切なものを救う血塗れの道を選んだ」

「途中で引き返すことはできん」

「止めはせんと言ったが、最後に再度確認しておこう」

「…良いのだな?」

再度無言だが、やはり俺の意思は伝わったらしい。

「では、さらばだ」

その言葉を聞いた直後、俺の目は覚めた。


………………


…目が覚めた瞬間、俺の頭に痛みが走った。

脳内に電気が走ったような、そんな痛み。

そしてそれと同時に何かが流れ込む。


「……これは?」

最初に流れてきたのは、知らない誰かの特徴と明日の所在。

中年、サラリーマン、猫背と天然パーマが印象的。

今日夜十一時に人目の一切ない鏡峰市神原区三丁目にある中華料理屋の裏にある小さな路地。

「まさか…これ…」

俺の予想はどうやら的中らしく、今度は凶器や方法についてだった。

包丁、家にあるもので十分。

胸ポケットの辺りに一度刺してから、後は同じ位置を四回程刺せば絶命する。

終わったら死体は放置、近くの監視カメラは壊れている上にそれ以降そこは誰も通らないから行きと同じ道を通って良い。


脳内に弾き出される殺人のプラン。

それはとても具体的で、なんともわかりやすかった。

さそして俺の単なるイメージとは思えないその具体性が、更に夢に出てきたあの存在の言っていた力を分け与えるという言葉の信憑性を高めていた。

しかし、ここまで来て迷いが生じる。

本当に殺すのか…?と

だがそんな迷いはすぐに消し去る。

咲樹を取り戻すんじゃないのか、加嶋春。

そのためには迷ってる場合じゃない。

「すぅぅぅぅ…」

「はぁぁぁぁ…」

深呼吸を何度も重ねる。

酸素を入れ換えるのと同時に、心に新しい風を吹き込む。

そして俺は、深い深い暗闇へと歩き始めた…


………………


夜十一時前。

鏡峰神原の三丁目、中華料理屋の裏。

覚悟を決めていながら、未だに俺は心のどこかでこう思っていた。

ここには誰も来ないでくれと。

しかしそんな思いも届かず、この場には脳内に流れてきたイメージそのままのサラリーマンがやって来た。

…迷うな、やるしかない。

俺は覚悟を決めて、そのサラリーマンの眼前に飛び出した!

「うわああああああ!!!」

叫び声も飛び出た。

そして、胸ポケットに一刺し。

そのままの勢いで2、3、4、5…

その辺りで、そのサラリーマンは動かなくなった。

「あ、あぁ…」

サラリーマン改め目の前の遺体を生み出したのは俺だ。

俺が、人を殺した。

その事実にただただ恐怖する。

俺はそのあまり、逃げるようにその場を立ち去った…


………………


その翌日、俺は逃げ込むように咲樹の病室にやって来た。

「…どうしたの?春君」

「なんか、元気ないよ?」

「…っ」

しかし逃げてきた先でも傷を受ける。

咲樹が俺を君付けで呼んでいることに。

それに何とも言えない距離を感じながらも言う。

「大丈夫だよ」

「そういう風には見えないけどなぁ…」

やけに鋭いところは変わらない辺りも、俺だけを忘れてしまった現実を更に強く突き付けてきた。

「何か悩みがあるのなら、私は聞きたいな」

「大丈夫だって」

「ふーん…」

嘘、偽り、虚勢。

本当は悩みなんてもんじゃない自業自得の苦しみを抱えてる。

「じゃあ…私の悩み、聞いてくれる?」

「別にいいけど…」

悩み?

咲樹の悩みとはなんだろうか。

「あのね、私」

興味がある程度で聞いていた。

だがその言葉は、俺の心を振り切らせるには十分なものだった。

「何か、大切なものを忘れてる気がするんだ」

「…え?」

「昨日から、頭の中から大きな何かが抜け落ちたみたいな感覚がずっとあって…」

「本当に忘れちゃいけないものを忘れてるんじゃないかって、怖いんだ…」

咲樹は、忘れている気がすると言った。

それはまだ咲樹の中に俺の記憶が少しでも残っているのかもしれないことを示していた。

…もう、吹っ切れた。

改めて理由ができた、できてしまった。

今の俺はもう誰にも止められない。

「じゃあそれ、俺が思い出させようか?」

「そんなことできるの?」

「やれる…やってみせるさ」

「じゃあ、お願い」

「任せろ」

もう迷うもんか。

何人だって何十人だって、百人じゃ足りないって言われたって関係ない。

殺してやる。

咲樹の記憶を、取り戻すまで…


………………


その日から俺は人を殺し続けた。

いくら振り切ったとはいえ、最初の内は心も痛んだ。

だけど一人、また一人と命を奪う度にその感覚も薄れていって、二十人を数える頃にはもう何も感じなくなっていた。

しかし当然だが何人もこの町で人が殺されたとニュースになる。

が、俺がやったとは一向にバレなかった。

そういう風になっているのだろうか?

だがいつバレるかもわからない恐怖は俺の心をどんどん追い詰めていた。

「……おい、春」

「おーい、春?」

「彰か」

「どうしたんだよお前、最近元気ねーぞ?」

「…気にしないでくれ」

「んなわけにいくかよ、そんな元気ないお前見たことねえ」

「…そっか」

「まあ抱え込むのは良いけどよ、あんまり無理すんじゃねーぞ?」

「気をつけるよ」

親友の彰にさえ、嘘をついて一人、また一人と殺していく。

そしてその度俺の心は磨耗していった。

俺の周りからは人が離れていって、五十人目を殺した時にはもう残ってるのは彰と咲樹だけ。

そんな二人にさえ本当を打ち明けず、また一人、一人…

「大丈夫?」

「ホントに心配いらないのか?」

二人は心配してくれる。

それさえも騙し続けて殺す、殺す。

そして気がついた頃にはもう、九十九人もの人を殺していた。

あと一人、もうあと少しだけ。

それでやっと、咲樹の記憶が戻る。

しかし俺はこんなところで、とんでもない過ちに気づかされる事となる。

「春」

「どうした?彰」

「咲樹の調子はどうなんだよ」

「最近見舞い行けてなくてさ」

「ああ、好調だよ」

「そうか…なあ、春」

「何?」

「咲樹がお前の事思い出す前に、お前の悩み教えてくれないか」

「…え?」

「い、いや、ホントになんでもないよ」

「嘘つけ」

「流石にもう誤魔化しは効かねぇぞ」

「どうしたんだ」

「なんでもないって…」

「そんなわけ…」

「なんでもないって言ってるだろ!」

気が立っているのか、心配してくれる彰に対して激昂してしまった。

そんな俺に彰が放った一言が、俺の運命を大きく変えた…

「言う気がないのはわかった」

「これ以上聞かねぇよ」

「だけどさ」


「咲樹が全部思い出した時には、あいつが隣にいてくれて嬉しいと思えるようなお前で、出迎えてやってくれ」

「………」

「じゃあな」


………………


「っああああああああああああ!!!」

咲樹が隣にいてくれて嬉しいと思えるような俺。

それはどんな俺なのだろうか。

これまでと同じ俺なのか。

それとももっと理想的な何かがあるのか。

それはわからない。

ただ、一つだけ断言できる事がある。

その俺は…

「こんな俺じゃあない…」

自分のためだけに多くの命を奪った男が隣にいて、咲樹は何を思うのだろう?

優しいあいつの事だから、きっと飲み込まれてしまう。

深い深い罪悪感という地獄に。

俺は咲樹を取り戻すつもりで、そんな地獄に引きずり込もうとしていたのか…?

「ははっ」

もう、思い出さなくていい。

ずっと永遠に、俺のことは忘れたままで。

そして俺はいなくなって、咲樹が記憶を失った後の俺のこともいずれ忘れて。

どうか、そうあってくれ

…だけど一つ最期にもし、この世界が人殺しのわがままなんてのを聞いてくれるとしたら。

どうかこの手紙だけを、彼女に…その思いで、俺は手紙を書き始めた。


………………


そして病院の屋上。

幾度使ったかわからない包丁を手に、俺は誰もいない屋上に立っていた。

ふと、自分が最も使った凶器はなんだったのだろうと思った。

物で言えばこの包丁だろう。

川に沈めたりとかそもそも凶器を使わないパターンも多かった。

だけど一つだけ、九十九回の中ずっと使い続けた凶器があることを思い出した。

それこそズバリ俺の狂気。

咲樹のためだと理由をつけて、何人もの人を殺してしまえる紛れもない狂気だった。

人の命を奪うことに躊躇いなんてない。

それは、自分さえも例外ではなかった。

包丁を喉に向ける。

恐怖はなかった。

今更あの頃みたいな幸せを求めたりなんかしない。

そして静かに、喉に刃を突き刺した。


「…百人の命、確認したぞ」


そんな声を最後に、俺の意識は消えた。


………………


「咲樹!」

「彰!?どうしたの!?」

病室へと彰が駆け込んできた。

その瞬間、私の頭に色々な記憶が流れ込んできた。

楽しい思い出も、ちょっと悲しい思い出も。全部。

「思い出した…」

そして真っ先に思い浮かべたのは愛しい彼の元気を失った表情。

「ねえ、春は!?大丈夫なの!?」

「…咲樹、これを」

差し出されたのは一つの手紙。

それを見た私は感じ取ってしまった、春の行方を。

そしてこの手紙を読んでしまったら、それが確実なものになってしまうような気がして開けなかった。

だけどひ同時に開かなければならないと、そんな気がした。

…恐る恐る手紙を開く。

そこには一言だけ、飽きるほど見た春の字で綴られていた。



ごめん、愛してる



…その一言が、全てだった。

「春は…もしかして…」

「…」

彰は何も言わない。

この静寂が分かりやすく春の死を私に伝えた。

けど、信じたかった。

ちょっとどこかに行ってるだけだって。

その内帰ってくるって。

だから、笑う。

いつになるのかはわからないけど、その日のために。

私は、待ち続けよう。

春の到来を…



けど待っても待っても春はやって来なくて、私の心は冬を越えられないままだった。

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越冬 イエスあいこす @yesiqos

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